9 バトルフィールドは今日も激闘
アサヒが学校に来た時、教室にいたクラスメイトは、「おかえりー」とか、「久しぶりー」とか、その程度の反応だった。
一週間、いなかったとは思えないほど自然に、アサヒはクラスに復帰した。
で、一限が始まるまで、俺とアツヒコ、そこにアサヒが加わって、あーだこーだ、過去十年を遡った少年漫画の名作について話したのだが、ドアが開く音がやけに大きく聞こえて、三人が同時にそちらを見た。
クラスメイトの反応はアサヒの時と変わらないが、その反応を見せられた当人は、見るからに憮然としていた。
鉄堂ミコだった。
スタスタと彼女は俺たちのところへ来て、背が低いのでツンとアサヒを睨み上げると、
「あんた、報告書、どうやって書いたの?」
と、低い声で言った。
そう言われたアサヒは俺をさっと指差す。
「こいつが私の代わりに書いたから、よく知らないね」
今度は俺が睨み上げられるが、ちょっと目つきがきつい猫に睨まれたようなもんだ。
実際、ミコの顔の作りはどこか猫っぽい。
「そういう顔するなよ、俺は巻き込まれたんだから」
「ずるい」
「俺がズルをしたわけじゃない。ズルしたのはアサヒだ」
「ちょっと」ぐっとブレザーの襟をアサヒに掴まれる。乱暴な奴なのだ。「私が無様に入院したのは、あんたのせいでしょうが」
いやいや、それは違う。
「どこかのスペシアルが戦ったからだろ」
「それはどこかのオーバードライバが、小娘のスペシアルに誘拐されたからで、私は助けに行ったんじゃない」
「それなら、どこぞの小娘とやらが俺をさらったのが悪い」
自然と俺とアサヒは、ミコを見ていた。
ミコがたじろぎ、「何よ」とギリギリの意志力で俺たちの視線に耐えていた。
チャイムが鳴ったので、「はい、そこまで」とアツヒコが口を挟み、全員の視線に刺し貫かれることになり、青い顔をしていた。
数学の先生が入ってきたので、俺たちはさっさと自分の席に戻った。
という具合の出来事があり、学校生活は平常通りになった。
問題は地下で行われる、都市ランキング戦だ。
俺とアサヒが登録したのは、最低ランクの白リーグで、第一回戦がまさにアサヒが入院している間に組まれていたので、いきなり黒星発進となっていた。
「もうこれ以上は負けずに行くわよ」
大試験場のうちの一つ、第八試験場に入場する通路、青字のパネルの女子更衣室の前で待っていた俺に、颯爽と出てきたアサヒが宣言する。
だけど、彼女の姿に、さすがに俺は目を丸くしてしまった。
「何? どうかした?」
「その服装は……」
彼女が着ているのは真っ黒いボディスーツだ。
首元から始まり、指先、つま先まで覆われている。銀と金のラインがさりげなく配され、そこここに曲線を描くプレートがあるが、それはちょっとした鎧のようには見えるけど、飾りだろうか。
手にはヘッドギアのようなものを提げていた。
「これ? ファイターが着用する戦闘服。おかしい?」
「いや、初めて見ただけ」
しかし、そうか、ファイターは基本的に生身で戦うし、普通の服だと、その、アサヒには言えないけど、破れるのかもな。
もうちょっとよく見ておこうと、じっと矯めつ眇めつ、眺めていると、朝日がヘッドギアを振りかぶる。
で、俺に投げつけてきた。
反射的に回避すると、壁で跳ね返ったヘッドギアが、魔法のようにアサヒの手元に戻った。
「ジロジロ見るな」
氷点下の声音。心がまさに凍りつくな。
「失礼しました」
「クソッタレの変態オーバードライバめ」
それは言い過ぎじゃないか?
「それで指先まで覆っちゃって、マテリアル・スイッチングはどうするの?」
無難な質問を我ながら思いつくものだ。まだアサヒは冷ややかな空気を発散しているけど。
「このスーツは特別製で、触れていれば、スーツを透過してマテリアル・スイッチングができる」
「便利だな」
「もともとファイターは最低限のマテリアル・スイッチングしかしないけどね。って、あんた、マテリアル・スイッチングでスーツが消えるところ、想像したでしょ」
とんでもない言いがかりだ。
反論しようとすると、係員が通路の奥から小走りでやってくる。「入場してください」と声をかけてくるのに、二人で返事をして、通路を進み、試験場へ。
歩きながら、アサヒがヘッドギアを付けた。
「あんたは見ているだけで良いからね、安全地帯を動かないで」
「そのつもりだよ。俺は武闘派じゃない。見る専門だ」
「やっぱ、いやらしいこと考えているでしょ」
そりゃお前のその脳みその先入観だよ。言わないけど。
試験場へ出ると、正反対のところにある赤いゲートから二人の少女が出てくる。片方がすっと、力場発生装置に守られたオーバードライバの定位置に向かうのが見えた。
「じゃ、頑張れよ、アサヒ」
「私の邪魔をしないように。それと視姦しないように」
本性を見せてきたな、この色ボケ女め。視姦なんて言葉、普通は知らないぞ。
もちろん、そんなことは言えない。自分が殺されるか生き延びるか、試したくもない。アサヒはきっと、容赦無く、無慈悲に結論を出すだろうし。
黙ってすごすごと、俺は青の縁取りのされた安全圏、力場発生装置の効果範囲内にあるスペースに腰を落ち着けた。透明の覆いが展開される。
話で聞いたところでは、ここにギガギアやタイターンが降ってきても無事で済むし、マギマスターの業火もここには届かないらしいが、なんというか、頼りない。
本当か? あまりに簡素なので、不安になる。
アナウンスが流れ、アサヒの名前と相手の生徒の名前が呼ばれ、カウントダウンが始まる。
今、この試験場には五つのコンテナが置かれていて、高さは人の背丈の倍はある。アサヒが姿を隠すのには何の苦労もない。
だけど、コンテナは遮蔽ではなく、スペシアルのマテリアル・スイッチングの材料なのだ。
カウントダウンが十を割った時、相手の生徒がそっとコンテナの一つに触れた。
二つ結びの茶髪が、金色に輝く。
触れられたコンテナの表面に一瞬で微細なヒビが走り、次の一瞬にはごっそりと丸ごとひとつ、コンテナが消え去っていた。
コンテナだったものは相手の生徒の体の周囲で渦巻き、鎧に変わっていく。
アサヒが身構える。彼女の黒髪が真っ白に染まり、激しく白い火花が散る。
カウントダウンがゼロになる。
アサヒが床を蹴りつけ、ほとんど搔き消えていた。
相手の生徒、ドラグーンが防御姿勢を取った、と思った時には、その体が弾き飛ばされて、壁に衝突している。
アサヒがドラグーンがいた場所に忽然と現れていたのが、また消える。
衝撃を物ともせず、ドラグーンが壁を蹴ったのが見えた。
それに寄り添うように、アサヒが現れる。彼女も壁を蹴っていたのだ。
速さでは、アサヒに分がある。
が、ドラグーンは肉弾戦が専門じゃない。
鎧の各所が解けた時には、副腕が八本ほど展開され、アサヒの四肢を掴み止めている。
完全に防御する術を失ったアサヒの胴に、ドラグーンの両腕の先、禍々しく輝く長い爪が突き込まれた。
致命的な隙のはずが、アサヒが刺し貫かれることはなかった。
爪はアサヒの戦闘服の表面に先が触れたところで、かすかに、本当にかすかに、一瞬の中の一瞬だけ、振動し、次には跳ね返されていた。
戦闘服の機能じゃないだろう。つまり、アサヒは手足を使わずにある程度の防御力があるらしい。
感心しているうちに、アサヒとドラグーンがもつれ合って落ちてくる。
その時にはアサヒの四肢が力任せにドラグーンの副腕を引きちぎり、拘束を脱している。
背中から機械の羽を展開したドラグーンが、わずかに滞空。
アサヒはまだ空中だ。
動けないんじゃないか?
俺でもそう思うんだから、ドラグーンが思わないわけがない。
翼で大気を打つと、猛禽類のようにアサヒに突っ込んでいく。
しかしこれは、アサヒも読んでいたようだ。
ドラグーンの爪の一撃を、ほとんど腕を掴むようにして逸らすと、相手の勢いをそのまま、投げに変えた。
形の上では、だ。
投げといっても空中にいるわけで、ただ上下が入れ違いになり、ドラグーンの降下の勢いのまま、揃って床に戻ってくる。
床というか、俺のいる場所へ向かって。
「おいおい!」
逃げ出したかったけど、設備を信じるしかない。
それに逃げるにはもう遅すぎる。
ドラグーンが俺の目の前で、覆いの少し手前、何もない位置で見えない壁に衝突する。
ここが勝機とアサヒは容赦しなかった。
技も何もない、速度と力任せの、連続打撃。
つまり、タコ殴りだ。
ブザーが鳴り、アサヒの勝利がアナウンスされて、やっとアサヒは相手を解放した。
気絶したドラグーンが床に投げ出され、機械の鎧が溶けるように消えた。
「何よ、不満げな顔をして」
ヘッドギアを外して、黒に戻った髪の毛をかき上げつつ、アサヒがこちらへやってくる。
「昨日まで入院していたんだから、もっと病み上がりっぽいことはできないのか?」
思わず変なことを口走る俺を、じっとアサヒが見る。
「相手に失礼でしょ」
それもそうか……。
俺は席を立って、ぐっと彼女に拳を向けた。良いね、と呟きつつ、彼女の拳が俺の拳をぶつかる。
相手の生徒が救護班の力で撤収するのに背を向けて、試験場を出た。
「あれだけのパワーとスピードなら、格闘技の訓練とか、必要ないだろ」
そういう俺に、分かってないなぁ、とアサヒは唸る。
「無手勝流に見えたかもしれないけど、あれでも考えているの。それに体を入れ替える技、見なかったの?」
「ああ、あれは凄かった。あんな訓練をしたのか?」
「まさか。ただ、体を動かす訓練がああいうところに生きるってことよ」
「トレーナーに良いようにやられていたけど、あれはただ畑違いで、実は柔道とか合気道とか、やってたの?」
返事がないので彼女を見ると、手元でヘッドギアをいじりつつ、口を閉じている。
「どうした?」
「格闘技歴は、キックボクシングを一ヶ月だけ。この話、前もしたでしょ」
……嘘、じゃないよな。そうか、そういえば話をした。
しかしさっきの戦いぶりは、素人のそれじゃない。
「えっと、一ヶ月って、入学してからでしょ? で、何か、習得できるものなのか?」
自然な質問だったはずだけど、アサヒの蹴りが前触れもなく俺の両脚を同時に払い、当の俺は背中から床に叩きつけられていた。
痛い。頭から落ちたら、もっと酷かっただろう。
「これが習得できる。じゃ、着替えてくるから。外で待ってて」
スタスタと更衣室に消えていくアサヒの背中を見つつ、俺は咳き込むのみだ。
酷い奴だ。すぐ暴力に走る。
ただ、実はすごい才能の持ち主なのかも、と評価を改めておこう。
背中が痛むのでストレッチしていると、すぐにアサヒが制服に着替えて出てきた。カバンを肩から下げている。
「今日はどこかで何か良いものを食べようよ。初勝利の祝いに。どこか良い店を知っている?」
「肉屋の惣菜と、パン屋、病院の食堂、中華料理屋、コンビニ、それくらいしか知らないな」
しょっぱいなあ、と呟いて、アサヒは片手で携帯端末を取り出している。
「都市学園は、ご馳走する、っていう概念がないのが、良くないわね」
そんなことを呟いているが、つまり、場所が場所なら俺に奢らせるのが普通、と言いたいらしい。
凄い奴だな、アサヒって。才能も、神経も。
結局、その日は二人で寿司屋へ行った。回転寿司ではない寿司屋なのに、アサヒは「ここしか席を取れないかぁ」と悔しげだった。
臨海都市学園という名称だけあって、魚はハッとするほど美味かった。
この日の食事は、俺の記憶の中でも、地味に生き残り続けることになるのは、この時はもちろん、知る由もない。
(続く)
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