8 謎だらけの二人と世界

「いや、よくわからない」

 そう答えた俺に、アサヒが手に握っている羊羹をさっと隠すようにした。

「何? 今の動きは」

「これはあげないよ。私のだからね」

 図々しいなぁ。別に羊羹は欲しくないけど。そして脈絡がない。

「わからないでは済まないと思うけど、どんな話をした?」

 思い出そうとしたけど、書類に書いた報告文の内容しか、すぐには浮かばない。

 それもたいした内容じゃないのだ。

「俺のオーバードライバとしての力に興味があるようだった、というくらいしか、わからない」

「学校で会っているんじゃないの?」

「いや、あいつもずっと休んでいる」

「入学したばかりなのに?」

 俺が頷くと、ふぅんと頷きつつ、また羊羹に噛み付くアサヒである。

「アサヒはさ」俺はふと思いついたことを訊く。「俺のオーバードライバの力が、どう自分に作用したか、わかるわけ?」

「わかるわよ、そりゃ。オーバードライバの影響を感じないスペシアルなんて、いないんじゃない?」

「どういう感覚?」

 うーん、と首を捻りつつ、最後の羊羹のひとかけらを口に放り込む。

 もごもごと返事があった。

「ゾワゾワというか、ゾクゾクというか」

「どういう時に、それを感じるの?」

 途端に不機嫌そうな顔になり、プイッとアサヒは窓の外を見た。何もないと思うけど何かあるのか?

 じっと視線の先を追うけど、都市学園の街並みが広がっている。

「えーっと、聞いちゃまずかった?」

「まずくはないけど……」

 アサヒは視線を動かさず、ボソッと答えた。

「見られるだけでも、意味がある」

「見られる……。へぇ……」

 他に、どう言えと?

 まぁ、話を進めよう。

「ミコはさ、俺に触って何かを確認しようとしたけど?」

「さ、触ったぁ?」

 勢いよくアサヒがこちらを振り向いたので、びっくりした。危うく椅子から落ちそうだった。

「な、何? どうかした?」

「さ、さ、触ったって、どどど、どこに?」

「それは」

 正直に言うしかないけど、俺もちょっと恥ずかしいな。

「椅子に縛られててさ、身動きが取れなくて、ミコが勝手に手を伸ばしてきて」

「伸ばしてきて?」

「頬を触られた」

 空気が一瞬で冷却されたような気がした。

 それくらい、本気の殺気がこもった目が俺に向けられている。

「それはまた、良かったわね」

 まったく良くないし、それ以前にその瞳の温度をちょっとは和らげてくれ。

 絶対零度の視線は、直視しなくても命が停止しそうだ。

「話はそこじゃないんだってば」

 寒いのにだらだらと汗をかきつつ、話を進めるしかない。

「ミコは俺に触っても、特に何も感じたようでもなかった。不服げで、訝しげだった。でもアサヒは、俺に見られるだけで、感じるんだろ?」

 ボッとアサヒの顔が赤くなり、髪の毛が白い光を瞬かせたと思った瞬間、俺は肩を小突かれ、でたらめな衝撃に吹っ飛んでいた。

 軽々と宙を舞って、壁に激突する。痛い、とんでもなく。平衡感覚がおかしい。

「こ、この変態め!」

 ベッドの上にアサヒが仁王立ちになっていた。

「は? え……?」

「もう一回、同じことを言ってみろ! 容赦なく、殺す!」

 友達をそう簡単に殺すなよ。

「いや、悪い」どうにか起き上がり、服の埃を払って、肩と背中、腰が痛むのに呻きつつ、元の席に戻った。「言葉の綾だろ」

 ベッドの上に立ったまま、まだ赤い顔で、アサヒは俺を見下ろしていたが、不承不承、一応、座った。

「それで、何が気になるわけ?」

「だから、ミコは俺に実際に触れても、俺のオーバードライバとしての影響を受けていないようだった。でもアサヒは違う。この差はどこから来るんだろう?」

「そりゃまぁ、相性でしょ。変な意味じゃなくてね」

 変な意味の相性って、こいつ、実はとんでもなくお色気脳の持ち主なのか。

「相性だとして、そんなに差があるって、不自然じゃないか?」

「私にもよくわからないわよ。どこかの経験者に聞いてきたら? 経験豊富な人に。体験人数多めな」

 ……こいつ、わざと俺を誘っている疑惑がある。

 そして俺が失言をしたら、容赦なく打ち殺す。

 ありそうだ……。

 俺、こんなところで下ネタ発言を理由に殺されたら、こいつを呪うだろうなぁ。

 二人で侃侃諤諤、相性やら影響について議論したけど、何の進展もなかった。

 命の危機にヒヤヒヤしたがどうにかクリアできた。

 帰りがけに、やっぱり市井先生の詰めているオフィスに行った。

 びっくりすることに、この人は禁煙のはずの部屋でも自然と喫煙する。所構わずに。部屋にはでかい灰皿があるけど、いつ行っても灰皿には吸殻が山になっている。

 そして部屋も質素なもので、医学書のようなものが詰まった本棚があるわけでもなく、人体の模型のようなものもない。

 では何があるのか。

 病院の備品の大型端末が鎮座し、あとはローテーブル、古びた一人掛けソファが四つ、雑に置かれている。

 それだけ。

 本当に医者のオフィスか? しかし、どれだけ疑っても、これが現実だ。

 これが現実……。

「オーバードライバの影響力にムラがあるかどうか?」

 この時も先生はキャスター付きの椅子に座ったまま、デスクの方から車輪をゴロゴロ言わせて、愛用の灰皿の方へ進んできた。

「俺の場合、アサヒには影響があるのに、ミコには影響がないようなんです」

「ミコ? 例のお前を拉致した奴だったか?」

 少しだけ、市井先生の表情が引き締まったように見えた。

「どこにいるか知っているか?」

「え? どこにいるか、ですか?」

 謎な質問だ。

「そう、最近、会ったか? ちょっと話を聞きたいんだが」

 病院で顔を見たことは、ミコのためには黙っているべきかもしれない。

 それに市井先生は病院の人なんだから、把握できるはずだ。

「彼女は学校は休んでいるので、会えません」

「そうかい」

 急に気配を緩めて、タバコを口元でふらふらさせてから、市井先生は話題を先へ進めた。

「で、個体に対するオーバードライバの影響の多寡は、研究者の間では議論されている。されているが、現在のところ、結論は出ていないな」

「そうですか」

「アサヒちゃんの検査結果と、お前の検査結果を、近いうちにすり合わせておくよ。他のペアとは違う何かがあるかもしれん。あまり期待せずに待っていればいい」

 この人は頼れるのか頼れないのか、わからなくなる時があるな。

 今もあまりにもラフなので、なんとなく、疑ってしまう。アサヒちゃん? 本人をそう呼んだら、あの世行きだろう。

 それに近いうちに、と言われても、いったいいつなんだろう?

 市井先生も忙しいようだけど、実態は俺もよく知らない。

 この後、「最近の高校生ってどんなテレビを見るの?」とか「どんな食べ物が流行っている?」とか「タバコ吸うか?」とか言われたけど、知りません、知りません、いりません、と切って捨てて、俺は先生のオフィスから逃げた。

 外に出ると日が沈もうとしている。地平線に、ではなく、壁の向こうに、だ。

 西の壁際にある一帯はすでに薄暗くなっている。

 市松寮の部屋に戻る前に、どこかで夕飯を手に入れるつもりになり、都市学園の内部に四つある商店街の一つ、青葉商店街へ向かった。

 ここにある肉屋で売っている唐揚げと、その三軒隣にあるパン屋のコッペパンを合体させて作る、俺的唐揚げパンが、今のところ、都市学園での最良の組み合わせだ。

 しかしいざ、肉屋に行くと臨時休業、そしてパン屋にはアンパンしかなかった。

 無性に悲しくなった。仕方なくアンパンを買って、とぼとぼと道を歩くしかない。

 こんなことなら、病院の食堂で何かを食べればよかった。都市学園では形の上で電子マネーが使われているけど、生徒はほぼ無制限に買い物ができると、聞いている。

 病院の食堂の、煮カツ丼。

 病院の食堂の、とんこつラーメン。

 病院の食堂の、お好み焼き。

 あー、全部、病院か。か、悲しい。

 目の前を珍しく野良猫が横切ったが、黒猫だった。ゲンナリしつつ、黒猫が走り込んだ路地を何気なく目で追った。

 と、金髪の少女がいた。ミコだった。かなり離れているが、目立つのだ。

 誰か、大人と一緒だ。三人の男に何か訴えている。離れすぎていて、声は聞こえない。

 どういう関係だろう?

 そういえば、仲間、って言っていた誰かが、あの人たちかな。

 その時、ちょうど道路でクラクションが鳴り、刹那だけミコと視線が合ったけど、俺は反射的にクラクションを鳴らした車の方を見ていて、無意識に歩道の隅に身を引いた。

 それからまた路地の方を見た。

 もう路地には誰もいなかった。

 おかしいな、とは思ったけど、誰にも事情はある。特に後ろ暗い雰囲気でもなかったし、ミコもあれだけの戦闘力を持つスペシアルだから、もしものことは起こらないだろう。

 ちょっとした大人が三人くらい、束になってもミコには敵わないのだ。

 しかし、こそこそするのは良くないな。

 よくないけど、もうミコたち四人はいないわけで、どうしようもない。

 市松寮に帰る前にコンビニに寄って、都市学園のオリジナルブランドの、栄養バランスが設計されたコーンフレークを買ってみた。初めて買うけど、冒険してフルーツ味にしてみた。しかしフルーツは入ってない。謎な食品だ。

 牛乳のパックも買って、会計をして外へ出た。もう真っ暗だった。街灯が灯っている。

 市松寮の部屋、三階の一室の三〇三号室に入る。カードを出すのも面倒で、個人認証が、掌紋で行われる仕組みと顔認証でクリアされて、ドアが開く。自動ドア。

 自動で明かりがついて、荷物を放り出したら、皿を用意して、コーンフレークを適当に流し込み、牛乳をぶっかけ、食べてみた。

 うーん、変な味だ。

 科学的なフルーツの味で、その科学的の要素が、いかにも自然に沿った科学的な味とでもいうか……。

 いや、謎批評をしても仕方ないけど。

 コーンフレークとアンパンを腹に収めて、素早く歯を磨いてから、支度をして共同浴場で汗を流した。

 びっくりすることに、この寮のお風呂は明け方の一時間の間以外はずっと利用できる。大きさも、四、五十人は同時に入れる。管理が大変だろう。

 温まって部屋に戻り、ちょっと勉強の復習をしてから、ベッドに横になった時には、だいぶ遅い時間だ。

 気づくと眠っていて、アラームに叩き起こされたら、朝だった。

 いやはや、また一日が始まる。

 コーンフレークの残りと牛乳の残りで朝食にして、身支度を整えたら、すぐ登校だ。

 外へ出るけどまだ薄暗いのは、壁のせいで太陽光が遮られているからで、もう慣れてきた現象だ。

 十五の高校が極端に狭い場所に密集してあるだけあって、朝や夕方は十人十色と表現したくなるほど、様々な制服姿が入り乱れる。

 その中でも新浜高校は人気の制服のようだが、実際には新浜高校は人気度ではどん底の最下位だと、俺ももう知っている。

 その中でも各学年の六組は、馬鹿学級、とも呼ばれているらしい。

 つまり、俺の所属する教室だ。

 まぁ、それが正当な評価だと、理解しつつあるけど。

 なんで俺、そんなところにいるんだろう?

 周りの視線を意識しつつ、さりげなく歩を進めて学校へ。時間に余裕を持って教室に入り、眠そうな顔で少し遅れてアツヒコもやってくる。

「アサヒは今日も休みかい?」

 あいさつもそこそこに訊かれたので、「明後日には来るよ、たぶん」と答えると、「そうかい」というあっさりとした返事だった。

「で、金髪の姉さんは?」

「ミコ? さあ、知らないな」

「入院しているわけじゃないんだろ?」

「あいつは怪我もしてないと思うよ」

 アツヒコが食い下がろうとする気配だったけど、結局、彼は自制したようだった。

 一限の始まるチャイムが鳴った時、教室には二つの空席があった。

 アサヒ、そしてミコの席だった。



(続く)

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