7 野蛮で元気な病人の病室にて
新浜高校一年六組には、入学早々、二人の欠席が続くという事態が起こっていた。
つまり、東郷アサヒ、そして、鉄堂ミコ、この二人である。すでに三日目だ。
俺が何をしているかといえば、市井先生に指摘された書類は半日をかけて書き上げて、学校を欠席せず、むしろいつも以上に真剣に授業を受けていた。
「今日も病院か? 兄さん」
六限の授業が終わったところで、アツヒコが声をかけてくる。
「そうだけど、一緒に来る?」
何気なしに訊いてみた俺に、アツヒコは口をへの字にする。
「そう言われると、行く気にならんな」
「何で?」
「二人の蜜月を邪魔しちゃ悪い」
……ひどい誤解だ。
結局、アツヒコは一人であーだこーだと理屈を展開し、俺は辟易して「一人で行くよ」と言うしかなかった。
学校から病院までの道筋は、もう完全に頭に入った。でも昨日、どこかのマギマスターとドラグーンが戦ったせいで、一棟、ビルが半壊して、そこは今日は通行止めだ。
やや遠回りして、病院に着く。ちなみに都市学園には大きな病院が二つあり、片方が中央病院、片方は臨海病院と呼ばれる。俺が通っているのは中央病院だ。
受付の職員に挨拶をして、もうアンドロイドの助けなしに、アサヒの病室へ向かう。
と、四階の廊下に出たところで、その人影に気づいた。というか、気付かない方がどうかしている。
そろーりそろり、という擬音がぴったりの動きで、廊下を音もなく進んでいる。
金髪が見るからに鮮やかだった。
「ミコ?」
ビクゥ! と肩を震わせ、ゆっくりと金髪の少女が振り返った。
鉄堂ミコは真っ青というか、土気色の顔で、こちらを見て、持っていたものを床に置くと、一息に逃げ出し、そのまま廊下の向こうにあった非常階段へ通じるドアを、吹っ飛ばさんばかりに開けて、消えた。
叩きつけられるようにドアが閉じた。
なんなんだ?
置き去りにされているのは、切り花とお菓子だった。
やれやれ。それらを拾って、目的の病室に入る。
四人部屋で、そのうちの一つの寝台で、東郷アサヒがタブレットに視線を注いでいる。俺に気付いて、「遅い」と一言、つぶやく。
「これでも急いでいるんだよ。道が塞がっててね」
「また?」
「どこかの誰かさん達みたいに、街を破壊するのが好きな奴が大勢いるんだろう」
切り花を彼女のベッドに放り、お菓子の箱も投げておく。タブレットを置いたアサヒは、それらをしげしげと見ている。
「気が効くじゃないの。どういう風の吹き回し?」
「拾っただけだ」
何を言われているかわからない、という顔のアサヒの手元に、ノートを差し出す。
都市学園全体の方針らしいが、授業では教科書は全部タブレットに電子書籍でインストールされているが、板書は昔ながらの黒板とチョークで、生徒もノートに自分でそれを書き取る。
俺はここ三日、いつも以上にきっちりとノートを作って、アサヒに届けているわけだ。
まぁ、それくらいの責任が俺にはある。
「ありがとう」
アサヒは受け取ったノートをもう開いている。すぐに眉根がひそめられた。
「この、蘇我ドルフィンワッハッハ、ってなに?」
「日本史の授業の一場面だよ。そう発言した奴がいた」
「どういう意味?」
実はここ三日で、東郷アサヒという少女にやや欠点があることに気づいていた。
「蘇我入鹿だよ、知らない?」
「ああ、知っているわよ。大化の改新で切られた人でしょ? それとドルフィンにどんな関連があるっていうの?」
「イルカだよ。イルカ、わかるか?」
アサヒの頭の上に、ハテナがいくつも浮かんでいるのが見えた気がした。
「英語にしろ」
「英語は苦手なのよ……」
ぶすっとした顔でアサヒがまたノートを眺め、指差す。
「このヒジリカワタイシワッハッハっていうのも、発言した奴がいたの?」
「そう。聖徳太子、が読めない奴がいてね、なぜかヒジリカワとか言い出した」
あの底抜けのアホどもめ、と恨めしげにアサヒが呟く。
そういうアサヒも暗記が苦手なようで、細部はとにかくいい加減になる。ドルフィン、という英単語は、まぁ、一時的に失念したんだろう。
彼女はその欠点を意識しているようで、念入りに予習するタイプだということもここ数日でわかった。
次の授業でやる範囲を可能な限り頭に詰め込んでいるようだった。
しかしここ三日は入院していて、通学できない。俺がノートを作っても、さて、どれだけ役に立っているのか。
それでもタブレットを手放さないあたり、真面目ではある。
「今日、検査だって話していたけど、どうなった?」
さりげなく訊ねると、問題なし、という返事だった。
ミコの一撃によってアサヒが負った怪我は、重傷と言っても過言じゃない大怪我だった。一時的に意識を失うほどの失血だったのだ。
しかし彼女はスペシアルで、その中でもファイターで、さらに言えば都市学園の医療水準は外部の十年先を行くとも言われている。
というわけで、担ぎ込まれて手術を受け、その日の夜には治癒カプセルに入ったものの、翌朝には普通のベッドに移動していた。当然、意識ははっきりしている。その時には、心配で見舞いに行った俺に、治癒カプセルの感想を話してくれた。
曰く、溺れそうで不安だった。
余裕じゃないか。
そんな経緯で、ベッドの上でしばらく安静となったアサヒも、今日の午前中に内臓が問題なく治癒したか確認のための検査を受け、明日からリハビリになるらしい。
リハビリと言っても、あまりに回復や治癒が早いから、衰えがないためにただの二日らしい。
「このお菓子、食べていい?」
すでにビリビリと包装紙を強引に破きながら、アサヒが訊ねてくる。
「先生はなんて言っていた?」
「あの喫煙者の胡散臭い医者は、なんでも食べて良いって太鼓判を押したよ」
かなり不安だが、市井先生を信じるしかない。
どうぞ、と俺が言う前にアサヒは箱から取り出した羊羹のようなものに噛り付いている。
非常にお行儀が悪いが、食べながら、俺の作ったノートをペラペラとめくっている。
しかしちゃんと回復してくれて、良かった。
あの大出血を見たときは、もうアサヒは死んだかもしれない、と真剣に考えていた俺だったのだ。
当時はショックのあまり、混乱が酷かったけど、今になってみれば俺はあの瞬間、最悪の可能性しか考えていなかった。
アサヒを信じるとか、医療を信じるとかではなく、純粋に、もう引き返せないと、諦めた。
その辺りも、アサヒが俺をクソッタレと罵った部分かもしれない。
つい二日前、ベッドに寝転がっているアサヒと話をした時、彼女はまだ不機嫌で、
「どうして私の力を制限した?」
と、軋るような声で言ったものだ。
彼女とやりとりする中で、俺にも事情がわかってきた。
アサヒとミコの戦いの最後で、俺の意識が、アサヒの力の増幅ではなく、抑制に振り切れた。
意図的なものではなく、本能、直感だった。
俺には今でもよくわからないままだが、とにかく、アサヒはあの瞬間、実際の実力、俺がいなくても発揮できる実力のほんの少しすら発揮できなかった。
それがために、ミコの攻撃から逃れきれず、逃げに転じても際どいところ、まさしく瀬戸際で命を拾うのが精一杯だった、となる。
しかも俺の意思の働きにより、回復力、治癒力さえ、まともに機能しなかった。
それがために、あの惨状となった、ということらしい。
俺はアサヒの病室を出た後、見舞いの度に何回か、市井先生を訪ねていた。
「やはりそういうことがあるのだな、まったく、お前も奇妙な奴だよ」
それがアサヒから説明された状況を打ち明けた時、プカプカと煙を吐きつつ、市井先生が言ったことだった。
「黙っていろよ。俺以外には。俺も黙っていよう」
ちょっと力のこもった声でそう言われたので、俺は従うしかない。
今、目の前でガツガツと羊羹を切りもせずにかじっている少女が、スペシアルという超人の一人だということも想像できなければ、俺自身がちょっと他とは違うとは、やはり俺自身でも想像ができない。
「それでさぁ」
クッチャクッチャと羊羹を噛みつつ、アサヒがこちらを伺うように見た。
「鉄堂ミコは、なんであんたをさらったわけ?」
まぁ、その話になるよなぁ。
どういうべきかな……。
(続く)
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