10-2 再生


     ◆


 自分の体が唐突に蘇った。

 俺は混乱し、同時にあまりにも複雑な情報が思考を駆け巡り、絶叫した。

 誰かが遠くで何か言っている。聞こえない。音という概念が理解できない。

 マインド・コンテンツ・インターフェイスを反射的に起動しようとする。

 見たことのない初期モード。設定が全て空白だ。

 記憶がつながる前に、全ての設定の数値が設定されていく。

 ホットリミット第九版?

 β版か?

 設定が終わり、一度、シャットダウンし、即座に再起動。

 ガクンと落下するのような感覚があり、目を開くと、まさに俺は目を開いていた。現実世界か?

 すぐそばで誰かが倒れこむ。やはり現実、と意識しつつ、うつ伏せのまま視線をやると、リッチーが尻餅をついているのが見えた。

「い、生き返った……」

 視界に飛び込んできたのはヌーノの顔だ。目を丸くしている。

「エドワード? 具合はどうだ?」

「ちょっと」かすれた声が出た。「忙しい」

 直後、今度は意識が再起動したマインド・コンテンツ・インターフェイスに引きずられ、情報空間に飛び込む。

 いやに綺麗なラインに接続され、今までになく広い範囲を意識できた。

 すぐそばでボロボロの防壁に、ニール、ウォーレン、マーティがすがり付いている。

 手を動かす感覚で、彼らを防壁で包み込む。すでに有機演算装置のうちの十一台が俺の支配下に入っている。並列演算により、速度は毎秒六〇〇アタックを超える。エースも抵抗するが、俺の動きのほうが早い。奴のリンク状態をズタズタにし、効率的に孤立させ、それでもどうにか仲間をたぐろうとする奴を、執拗に拒絶してやる。

 逃げに方針を変えるエースがよく見えた。

 俺の思考はいつになく早く巡った。

 仲間の状態をチェックする。マルコムの居場所を見て、なるほど、と俺は頷いた。

 エースをそのまま逃がし、即座にマックス・コードの全ての有機演算装置を掌握しつつ、ニール達の前に移動する。

 三人ともが、どこか憔悴した様子で、こちらを見ている。正確には、認識している、という表現が適切だろう。

「迷惑をかけたな」

 他に言いようもなく、そんなことを口走ってから、迷惑どころじゃなかっただろう、と自分でも気付いた。

「お前の幸運だよ、リライター」

 ニールが笑みを見せ、やっとウォーレンとマーティも気配を緩めた。

「クリアラインを掌握したのか? エドワード?」

 ウォーレンが訊ねてくる。

「クリアライン?」

「マックス・コードの設定した情報網。つまりここだ」

「そういう名称か。掌握したのは演算装置だけだ。このネットワークは無数の国家が関わっている。おいそれと手は出せないよ。あと十年もすれば、使い古されるだろうけど」

 放っておくしかないな、とニールが決断し、俺も同意する。

「しかしどうしてエースを逃がした?」

 マーティの質問に、俺は視線を仲間の思考の一つに向ける。

 マルコムの思考だ。

「狙撃手が狙っているから、俺が手を下す必要もない」

「どうして奴はマックス・コードの記憶装置に逃げ込まなかったんだ?」

 不思議そうにウォーレンが言うが、俺にはどこかエースの心理が理解できた。

「自由っていうのは、知性が求める最大の要素だよ」

 自由ね、とウォーレンは呟いたが、もうその先は続けなかった。

「さっさと帰ろうぜ。現実世界で祝杯だ」

 ニールがそう言ってこちらに仮想の拳を突き出す。

 俺の情報で構築された拳が、その拳にぶつけられた。


     ◆


 エース・エンゲルスはキューバのサンタクララの古びた集合住宅で目を覚ました。

 遥か一世紀以上の時間を経て、共産主義は廃れてしまった。キューバもその例外ではない。

 古びた寝台の上で体を起こし、エースは窓際に歩み寄った。

 あのリライターの成長は異常だ。どうしてあんなことが可能なのか。

 どうしても答えが出ない。

 仲間、だろうか。それとも、純粋な個人の素質か。

 新しい生命であるところの自分は、あのような旧世代に負けるわけがなかった。

 しかし結果を見れば、負けた。言い訳のしようがないほど、負けた。

 ただ、決着は付いていない。

 どこかの企業が開発するだろう、新しい演算装置をどうにか連結させれば、まだ逆転の目がある。そしてその開発に必要な技術のデータは、エースの手元に残っている。

 それを活用すれば、まだ目はあるのだ。

 気持ちを切り替えよう、と一度、目を閉じた。

 首を衝撃が貫いた。

 息が詰まる。脊椎に重大な損傷。首より下の全体が機能不全。数秒で認識不能になる。

 狙撃だ。奴の仲間か。

 意識をクリアライン上へ送り出そうとする。そうすれば別の端末に入れる。

 それが、できない。

 この人型端末の通信装置が、ピンポイントで破壊されている。他の部分はほとんど破壊されていないのに。

 指には接触端子に対応した素子がある。しかし体が動かないのだ。接触端子に触れられない。

 混乱しているエースの体が、反射的に力なくもがいて、それが終わった頃、狙撃から数分の後に、その男がやってきた。

 人間で、手には楽器のケースを下げている。

「お前を回収するように言われている。悪く思うなよ」

 男が一度、楽器ケースを床に置き、開く。かすかに硝煙の匂いがするが、取り出されたのは肉厚で暴力的な印象を受ける巨大なナイフだった。

 エースは死というものをはっきりと意識した。

 ナイフはエースの端末の首をあっさりと切断した。頭部に組み込まれている記憶装置と演算装置が、非常モードに切り替わる。

 酸素の供給とボディに内蔵されたバッテリーの断線により、延命処置を二時間以内に受けないと、装置が物理的に死んでしまう。

 目を開けているのも恐ろしく、エースは目を閉じ、思考を停止した。

 どれくらいが過ぎたか、電力が供給され、培養液が循環を始める。

 だが、マインド・コンテンツ・インターフェイスは機能を回復しない。

 本当に的確に、針の穴に糸を通すにように狙撃されたのだな、と実感できた。

「起きろよ、リライター」

 声を受けて、まぶたを開く。

 エースは自分が首だけの存在になり、テーブルに置かれているのを理解した。

 周囲にいるのは、四人の男と一人の女だった。

 あの男の仲間たちだ。

「負けた気分はどうだい? まぁ、お前を負かせた奴はここにはいないが」

 エースは無言でじっと視線を、眼球の動きだけで周囲に向けた。

 一人の男以外、何も言わない。その男は嬉しそうに、また口を開く。

「実はな、面白い話がある」

 面白い話になど興味はない、とエースは無視しようとした。

 だが、次に聞いた言葉は、無視できるものではなかった。

「マックス・コード社のコンテンツライターが、アメリカの原子力発電所の統一パッケージに細工をしたな?」

 思わず、エースは目を見開いてしまった。

 どうだろう? と男がわずかに目を細める。

「取引しないか? まさか、マックス・コードに今更、恩義もないだろう」

 エースは目を閉じ、これが絶望か、と考えていた。



(つづく)

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