9-3 逃走劇


     ◆


 銃撃の嵐の中で、ニールが穏やかな絶望を味わっていると、ガクンと車が動き、コンピュータが急に喋った。

「俺の出番が久々に来たようだね」

 声音こそ違うが、口調には聞き覚えがある。

 ニールが声を返す前に、自動車の四つの車輪が前触れもなく高速回転し、車体が振り回された。

「安全運転でご案内します」

 ふざけやがって、走り屋め。

 ニールは車を乗っ取ったヌーノに全て預けると心を決め、全力でシートにしがみついた。

 その場で激しくドリフトしてから、自動運転車はヌーノの運転で二本のパンクしたタイヤを物ともせずに走り出した。

 銃撃を続けていた警備員たちは置き去りにされ、車が外に飛び出す。

 助かった、とニールが顔を上げると、横手から大型車が突っ込んでくる。

 事故ではない。事故に見せかけた、体当たり攻撃だ。

「おっと」

 ひらりとヌーノが巨体の体当たりを回避する。

 攻撃に失敗した車が、白煙を上げてカーブを切り、ほとんどドリフトしたかと思ったら、グングン追いかけてくる。

「あいつをどうにかしなくちゃな」

 ヌーノの音声は全く平静だ。しかし状況は二本のタイヤでどうにか走っている車に、万全の大型車が追ってくる、という構図だ。

 ガツン、とすごい衝撃と共に、ニールの乗る車の後部を大型車の鼻先が突き上げる。

「もっと速く走れないのかよ! ヌーノ!」

「これでも全速だよ。助っ人が来るから、待っていな」

 助っ人だって?

 このままだと高速道路を利用することは不可能だし、いったい、どうなるんだ?

 ニールが混乱しないのは、少なくともヌーノが運転しているからではあった。ヌーノは仲間として、信用できる。

「おっと間違えた」

 急制動で車が交差点を曲がる。片側が浮かぶほどの急な動きだ。大型車も追随。

 さすがにニールも覚悟を決めるか、迷った。

 小さな住宅地に入るが、人気はないし、逃げ場もない。

 またも背後から大型車が衝突してくる。

「終わったかな」

 ヌーノが呟く。

 終わりにするな! とニールが怒鳴ろうとした瞬間、何かが視界の隅で光った。

 鈍い音が背後でして、大型車が離れていく。なんだ?

「無事かな、金庫番」

 コンピュータが喋るが、今度はヌーノじゃない。誰だ?

「あんたのケツを追っかけていた奴は、タイヤをやられてリタイアだ」

 こいつは、マルコムか。

 どうやらどこかから狙撃してタイヤを潰したらしい。

 どうにかこうにか危険を脱出したとわかり、ニールは姿勢を戻してシートに寄り掛かろうとしたが、高貫通弾の乱れ撃ちのせいで、体重で背もたれがへし折れた。

 いそいそと少しはマシな助手席に移るニールを他所に、車を変えなくちゃな、とヌーノが呟き、今度はまた別の誰かがコンピュータの声で返事をする。どうやらウォーレンらしい。

「なんでお前たち、コンピュータの声でしゃべっているんだ? どういう趣味だ?」

「気付いていないのか?」

 ウォーレンが呆れたように言う。

「お前のマインド・コンテンツ・インターフェイスが落ちているからだよ。思考を乗っ取られかかったせいで、緊急閉鎖モードになっている。それを解除すれば、いつも通りさ」

 あまりに一度に多くのことが起こりすぎたな、とニールはしみじみ感じていた。マインド・コンテンツ・インターフェイスのご加護は重要だ。

 車がどこかの民家の前で停車する。ガレージのシャッターがひとりでに開き、その向こうにある自動車のエンジンがやはりひとりでに始動する。

 ライトが二度、明滅し、乗り換えろということらしい。

 ボロボロの車を路上に放置して、新しい車でやっとニールは席に落ち着くことができた。

 さすがにすぐにマインド・コンテンツ・インターフェイスを再起動する気になれず、ニールは自動車のコンピュータを通して、音声で仲間に事情を説明した。

「全く新しいネットワークか。それで、エドワードに関しては何がわかった?」

「エドワードに関しては何もわからないよ。ただし、エースに関してはわかった。あいつの肉体は偽物だ。奴の本体はネットワーク上にある」

 人工知能か? とマルコムが呟くが、いいや、と即座にウォーレンが指摘する。

「人工知能だとしても、人間と大差ないだろう。マックス・コード社は有機物を扱うのに長けているし、その有機物を機械的に解析するのが持ち味だ。有機物の演算器に、機械的に解明された人間の思考の性質を埋め込む。これはいわば逆輸入だな」

 どこにいるのか知らないリッチーが、なんだそれ? と呟く。参加してたのか。

「要は、最初の最初、人工知能というのは、有機体である人間の思考を、無機物である機械に行わせようとした。マックス・コードのやっていることは逆だ。人間の思考を無機的なシステムに落とし込み、それを有機物の演算装置に行わせる。どちらが正しいかは知らないが、新しい技術ではある」

 ふむ、とニールが腕を組むと他の連中も同じ様子で、黙り込んだ。

 しばらくの沈黙の後、やはりリッチーが口を開いた。

「エースを破壊することが、俺たちの目的か?」

 これには誰も答えなかった。

 エドワードの仇を討ちたい気持ちは誰もにある。だが、そんなことをしても意味はない。

 エースは確かに超人的な能力の持ち主だが、純粋なる悪ではない。ただ人間より早く、より多くを、同時に、計算できるだけなのだ。

 それを管理しているのがマックス・コード社で、ここも表向きには真っ当な企業だ。

 誰が正義で誰が悪なのか、それがニール達にわからないのは、社会的に見えればニール達こそが悪だからだった。

 わからんな、とニールが呟くと、まさしく、とヌーノが応じる。

 自動車は高速道路に入り、速度を上げる。

「とりあえずはセーフハウスに撤収だ。ユキはどうしている? 誰か知っているか?」

 ニールの問いかけに、おかしいな、と答えたのはマーティだった。

「通信ラインが設定できない。電波暗室にでも入っているのか?」

「そんな場所がどこにある?」マルコムが応じる。「もしかして確保されたのか?」

「俺の方で探る。アンガスとも連絡がつかないしな」

 素早くウォーレンが応じる。そのまま彼はどこかへ思考を振り向けたようだった。

 ニールはまだ腕組みをして、じっと前を見ていた。

 正義と悪。

 得と損。

 獲得と喪失。

 再生と、破壊。

 何もかもが捻れ合って、全くほどけなくなっている。

 ニールは目を閉じて、自分の価値観のようなものを前に、唸るしかなかった。


     ◆


 ユキはマックス・コード社の敷地から出ていなかった。

 地下にある大容量記憶装置の並ぶ空間で、目当ての一つを探していた。

 人の背丈ほどある巨大な金属の円筒が無数に規則的に並ぶ。コードのようなものはない。全部が床か、もしくは無線で繋がっているのかもしれなかった。

 やっと探していた一つにたどり着いた。

 背広から取り出した端末を操作し、リンクを確立させようとする。

 その時、背後から足音がした。

 振り返るが、相手は見えない。足音は続く。

 円筒の陰に身をひそめる。

 相手に集中していたユキは、背後にその男がいるのに気付かなかった。

 腕が伸びてきて、それが視界に入ってから彼女はやっと振り返った。



(つづく)

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