9-2 反撃
◆
俺は首筋の違和感が消えたのに気づいた。
肉体の死がやってきたのかもしれない。
俺という意識も極めて広い範囲に拡散し、どうやら情報化されているようだが、特定の場所に留まることもない代わりに、何かを凝視するように詳しく解析することもできない。
まるで宇宙空間に一人で浮いているような孤独。
真っ白な宇宙に浮かぶ、忘れ去られた衛星の残骸になった気分だ。
地球が見える、と気付いたのは、いつだったか。
実際にはそれは白い世界の中でも時折、強く光る球形の網で、それはつまり情報なんだろう。
ただ俺はあまりにそこから離れすぎていて、俯瞰はできても、近づくことはできない。
不安もないが、安心もないまま、俺は世界を漂い続けていた。
◆
ニールがユキに案内されたのは、情報管理室、とプレートの貼られたドアだった。
「私にもここは開けられないわ。権限がないの」
「任せとけ。といっても、やるのは俺じゃないが」
ポケットから取り出した小さな素子を、ニールがドアの複雑な電子錠に貼り付ける。
思考を飛ばし、ウォーレンを呼び出す。
「開けてくれ。できるかな?」
「任せとけ」
ほとんどタイムラグもなく、一瞬で電子音が鳴り、錠が開く。ユキが口笛を吹いて、さっさと室内に入った。ニールも続く。
その部屋は小さな部屋、二人が入るだけでも圧迫感を感じる狭さで、一台の端末がそこにはある。ニールが椅子に腰掛け、接触端子に指を当てた。
「こいつはまた、とんでもないな」
思考に直接、流れ込む情報がニールの中で映像化される。
全地球規模の情報ネットワークは、そのほぼ全領域が解放され、誰でも接続可能なはずだった。
だが今、ニールが見ている巨大なネットワークは、あまりにも整然としすぎていた。
大勢が踏み荒らし、駆け抜けていくことで生じる、雑音のような情報の残滓が、どこにも見当たらない。
つまりこのネットワークは、まったくの新品なのだ。
思考がエドワードには及ばないものの、走り出し、広大な網の目を分析し、痕跡を探す。
どこだ……?
あった!
シドニーを中心に漁ったおかげで、いつかのエドワードとエースの情報戦の残滓が観測できた。
そこからエースを追い始める。ラインが整然としているせいで、少しの痕跡が、そうとわかればはっきりと見えてくる。
流れは、一度、アラスカ共和国へ飛び、東ロシア、南アフリカを経由し、南米、そして、北米に戻り……。
おかしい、と思う間もなかった。
ニールは接触端子から指を外そうとするが、すでに体の自由が奪われている。
エースの痕跡はループしている。痕跡で形成された思考迷路という離れ業が、ニールの思考を取り込み、逆にニールを支配していた。
「エドワード・ステイシーはどこにいる?」
ニールの口が勝手に動く。
教えるものか。ニールはそう思った、叫ぼうとさえした。
しかしそれは許されない。
強烈な衝撃があり、椅子から転がり落ちていた。接触端子から手を離させるために、ユキがニールを蹴り飛ばしたのだ。
「痛い、とも言っていられないな」
頭を振りつつ、ニールはユキを見る。
「助かったよ、ユキ。良い蹴りだった」
「エドワードの居場所を敵に知られたわけ?」
「俺の頭の中にある情報は、抜き取られたな」
何を呑気な、とユキが呟いた時には、部屋にある端末の小さなパネルが赤く光る。サイレンが遠くで鳴り始めた。
「さっさとずらかろう」
立ち上がったニールだが、わずかによろめく。今度はユキもさすがに丁寧に腕をとって支えた。
「美人と並んで歩けてありがたいよ」
二人で通路に出て、小走りに来た道を戻っていく。
例の展示室へのドアが見えた。瞬間、ドアが吹っ飛び、小柄な影が通路に飛び出してきた。
ついさっき、愛想よく話し相手をした人形だった。無表情に二人を見ると、飛びかかってくる。
「殴り合いは非常識男に任せるわ」
どんと背中を突き飛ばし、ニールを人形にぶつけるユキは、もう駆け出して展示室へ向かっている。
おいおい、などと口の中で言った時には、一撃で意識を刈り取る回し蹴りがニールに向かってくる。危ういところで身を捻って回避。
「お嬢ちゃん、もっとお淑やかにしなくちゃ」
構えを取るが、軽口に応じることもなく人形が攻撃を再開。
さすがにアンドロイドだけあって、人間とは力が違う。だが非常識ではないな、と、拳を払いのけ、蹴りを受け流し、逆に投げ技を繰り出しながら、ニールには分析する余裕があった。
背負い投げで人形を意図的に頭から床に叩きつける。
「どんなもんだい。これでもジュードーの格闘ゲームで遊んだ口だぜ」
動かなくなった人形が、しかし、びくりと震える。
その腕が跳ね上がり、割れた。
内蔵されたボウガン。
嘘だろ、と言葉を残して倒れこんだニールの額を矢が掠める。
お相手できないぞ、とニールは展示室へ通じるドアへ駆け出した。
背後で風を切る音がするのと、直感的にニールが通路の端に飛んだのは同時。
矢が通路の先へ飛ぶが、人形はもう一方の腕を変形させ、二本の短剣のようなものを飛び出させていた。怜悧な刃で光の尾を引き、ニールに躍りかかる。
一方のニールは倒れこんだままで、これはもう終わったかもな、とぼんやり思った。
緩慢に短剣が自分の胸に向かってくるのを、彼は眺めていた。
短い人生だった。
目の前で火花が散り、人形が吹っ飛んで動かなくなるのを見た時も、ニールはまだ自分が死んだものだと思っていた。
「さっさと起きろ」
そう言ったのはニールのすぐ横に立っている、警備員の制服の男だった。手から紫電が走っている。サイボーグだ。
と言うより、仲間じゃないか、とニールは気付いた。
「アンガス、いつからそこに?」
「俺は俺で動いているんだよ。さっさと逃げろ。ユキはユキで逃げているから、気にするな。展示室の方はあの女が使ったから、お前はこの通路をまっすぐ行って、駐車場へ行け。車のナンバーとスマートキーの暗号を教えてやる」
ナンバーと暗号を聞いて、ニールは駆け出した。
どうなってやがる。
誰にも邪魔されずに駐車場に飛び出すと、思った以上に車がある。その中から目当ての一台を選ぶと、何のことはないセダンタイプの電気自動車だ。
随意運転なんて久しくしてないな、と思いながら、ニールは暗号でドアを開ける。始動ボタンを押し込み、ここでも暗号を再チェック。エンジン、起動。
コンピュータが「目的地を教えてください」と言い出す。自動運転に任せるべきだろうか。
事前にリマの街の中に設定していたセーフハウスの近くを指示する。さすがにセーフハウスに乗り付けるほど間抜けではない。
ゆっくりと自動車がスペースを出たが、背後に人の気配。
振り返ると同時に、閃光が瞬き、リアウインドが吹き飛び、銃弾の嵐がやってくる。
ニールが伏せている間にも、車は自動で走っているが、すぐに後ろのタイヤが二本とも、撃ち抜かれ、パンクした。
コンピュータが「タイヤを交換してください」を連呼して、車を停車させる。
こいつはやばい。
伏せたまま、間断なく続く銃撃にさすがにニールも諦めかけた。
さっきも諦めかけたが、などと思いつつ。
(つづく)
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