第9話 ペルー

9-1 潜入


     ◆


 ペルーのリマにある国際空港に降り立ち、電子パスポートを機械に読み取らせ、ゲートを抜ける。ゲートにはカメラや各種センサが内蔵され、個人情報を一瞬で解析する。

 無事にすり抜けると、多くの出迎えの中に見知った顔があるのにニールは気付いた。

 反射的に笑顔を作ってしまうが、彼女が問題の一部を握っていることを忘れてはいない。

「行動が早いわね、ニール」

「そういうお前は、どう見ても会社員だな、ユキ」

 ニールを出迎えたユキは、背広を着ている。パンツスーツだが、脚やウエストの細さがやけに強調されている気がした。

「マックス・コード社の社長秘書補助、という立場でね」

 並んで歩きつつ、ユキが説明する。視線の動きで、彼女が秘密通信をしたがっているのにニールは気付いた。すぐにマインド・コンテンツ・インターフェイスで彼女に接触、お互いが承認し、秘密会話がスタート。

「エドワードは無事かしら?」

「お前が罠にはめたんじゃないのか?」

「私も罠にはまったクチよ。あの若社長は油断ならないわ」

「つまり、エドワードに渡したデータに、枝が付いていた」

 まさしく、とこれは本当の身振りでユキが頷く。

 二人は空港の建物を出て、理路整然と設計された都市を眺めている。現代都市に見とれているように見えるが、会話は続行だ。

「エース・エンゲルスもダメージを負ったはずだ。奴はマックス・コードの手先じゃないのか?」

「私が渡したデータを、エドワードは補強して活用した。結果、二人はほとんど相打ちだけど、エドワードの方が重そうね。私の見たところ。どうなの?」

「エドワードは植物状態だ。意識が回復しない。どこか、情報ネットワークをさまよっている、と思いたいね」

 重々しい溜息を吐き、ユキがタクシーの方へ誘導する。もちろん自動運転車だ。

「不確定だけど、エース・エンゲルスがまさにそういう存在よ」

「そういう、とは?」

「肉体を持たないのよ」

 思わず足を止めるニールを、ユキが促す。ニールは脚が重いのを自覚した。もちろん、錯覚だ。

「人工知能か? それが有機的な記憶装置を持って、活動している?」

「私も詳細は知らない。機密なの。誰かの意識が肉体を捨てたのか、それともマックス・コードの科学者連中が必死にコードを書いたのか、その書いたコードが自己進化して今の形になったのか、何もわからないわ」

 タクシーに乗り込む。

「前にエドワードが、エース・エンゲルスと実際に対面した、と言っていた。老人のふりをしていて、でも最後には本体を見せたって。若い男だったらしい。それ自体も幻か? いや、違うな。そうか、あれはアンドロイドか」

「マックス・コードの研究所を見たら驚くわよ」

 タクシーが走り出してからも二人は情報を交換し、ニールがどこへ連れて行かれるかもはっきりした。

 マックス・コード社が南米に設置している生産拠点の一つだ。工場と研究所が併設されている。

 ヨーロッパとロシアが大揉めに揉めた欧露戦争とは別に、南北のアメリカ大陸も紛争の火種を抱えた時期があった。南北紛争と呼ばれる動きで、南アメリカ、ラテンアメリカ諸国が、アメリカ合衆国による支配からの脱却を掲げて、連合軍を組み上げた。

 アメリカ合衆国がこれに対して軍を展開し、主に海上で睨み合いが続いた。

 一度、アメリカ海軍の小艦隊が南アメリカ連合軍の小艦隊と衝突し、沈んだ艦もある。

 しかし講話が結ばれ、今は平穏だ。

 ただ、南アメリカもアメリカ合衆国に挑む程度には発展し、人材も豊富だと証明された。

 リマ郊外にある研究所にも、高速道路を使えば一時間もかからなかった。

「私が招いたゲストとして、相応に振舞ってね」

 近づいた工場の外観を見ながらユキがそういうので、ふざけて、お任せあれ、とニールは応じておく。

 タクシーが停車し、ユキが料金を支払った。

 二人で並んでゲートへ向かい、守衛は事情を知っているらしく、ユキは持っている社員証で、ニールはゲストの入館証をもらい、敷地へ入った。

「今、あなたたちは何人で行動しているの?」

 歩きながらまだ秘密通信でユキが訊ねてくるのに、ニールは四方を観察しつつ応じる。

「リッチー、ウォーレン、マーティ、アンガス、マルコム、そして俺だな。ヌーノはニューヨークの病院にいる」

「勢揃いじゃないの。また昔みたいにやろうってこと? 私も混ぜてよ」

「訂正、お前ももう頭数に入っている」

 ありがとう、とユキが微笑むのを、思わずニールは横目に見るだけで耐えて、それでも未練を感じつつ、すぐに視線を外した。

 研究所の見学可能エリアを見せるわ、と案内されたのは、小さな博物館のようなところだった。展示室、とプレートに書かれていた。

 その部屋を一望し、なるほど、マックス・コードは有機物を科学分野に送り込んだパイオニアの一つではある、とニールは勝手に納得した。

 有機的な記憶装置が最初の発明で、それはもう五十年は前になる。

 五十年は短い時間ではない。有機物に思考を分業させる仕組みだって、組み上がるだろう。

 残念ながら、その分野の最新の製品の展示品はなかった。

 代わりに、古い装置やら模型に紛れて、非常にリアルな人間が部屋の隅の椅子に腰掛けているが、動かない。

「あれが噂の奴か?」

 これは普通の声でユキに呼びかけると、彼女が頷く。

「マックス・コードが今、一番売りたがっているアンドロイドよ。この子は、ヘス、と名付けられているの」

 その人間そっくりの人形は、十代の少女に見える。ヘス、ね。ニールはジロジロと観察する。瞼が上がっているので、瞳が見える。ピクリともしない。

 その瞳が急に、ぐるりと回って、ニールの目をまっすぐに見た。

「おはよう、ヘス」

 少しも動じずにニールが応じると、人形は全く自然な、人間そっくりの笑みを見せた。

「おはようございます、お客様。お名前は?」

「この工場に登録してあるから、そこからいくらでも情報を吸い出せるだろ?」

 からかい半分のニールの返答に、人形は全く動じなかった。

「ニール・ヴェブレン様ですね。ペルー警察のデータベースにあります」

 今度ばかりはギョッとしてニールはユキを見るが、ユキは笑っている。

「やめなさい、ヘス。お客様に失礼なジョークは避けるように、みんな教えているでしょう」

 くすくすと人形が笑う。手で口元を隠す動作さえ、洗練されている。優雅なのだ。

「どんなお客様でも、警察に登録されていると知ると、驚かれるので、つい」

 酷い冗談だぜ、とニールはやっと笑って、しげしげと人形を見た。

 こいつは人間に混ざってもわからんな。

「触ってもいいかい?」

「いやらしくないなら」

「いやらしいと思ったら警察を呼んでくれ」

 素早く人形の手を取り、軽く撫ぜる。次に素早く頬をなぞる。 

 どちらも実体がある。拡張現実による偽装ではない。

 こんなに人間らしい人形がいるとは。ニールは舌をまく思いだった。

「よろしいですか?」

 ニコニコと笑う人形に、オーケーだ、と答えると、私は休眠状態に戻ります、と人形が言う。

 ユキが、機能制限よ、とニールに耳打ちする。

「それではさようなら、ニール様。楽しんでいってくださいね」

 椅子に座り、目を閉じることなく、人形は動かなくなった。

「不気味な奴だな」

「面白かったでしょ。じゃ、先へ進みましょう」

 ユキがそう言って、展示室の壁にある、スタッフオンリーの表示のある扉に向かう。鍵を社員証を通して開けると、ニールをそこへ引っ張り込んだ。

 裏通路を、ユキが足早に進む。

「こんなことをして、お前の立場が危ないじゃないか」

 歩きながらのニールの指摘に、ユキは「もうここを出て行くつもりよ」と応じる。

 それはまた、身軽なことで。

 ニールはもう何も言わずに、彼女の背中に従った。



(つづく)

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