第8話 シドニー
8-1 衝突
◆
激しい応酬と削り合いが続き、俺は現実の時間を忘れた。
局面は最終盤を迎え、俺の果てしない連続攻撃が向かう先はシドニーの一角、俺には馴染みのないオフィスビルの一部屋、そこが現場になっていた。
奇妙なことに俺は前後を挟まれるようになっている。防壁と、外部からの攻撃の間に挟まれて、非常に苦しい。
だが同時に、エースは例の超高速攻撃を仕掛けてこない。
俺でも対抗できる速度で、拮抗しようとしている。
「ラインを切り替えるぞ、エドワード」
マーティからの通信。信号で返事をする。
奴がリアルタイムで構築している侵入経路が、スイッチ一つで切り替わる。実時間で千分の一秒よりも短い時間で、俺の思考が伝達される道筋が変わるが、相手は変化しない。挟撃が弱まる。
攻撃速度は最速で毎秒五四〇アタック。それをどれだけ続けたか。モニタリングしているソフトで継続時間をチェック。実時間で累計十五秒が経ち、思考への負荷は黄色の警告の表示から、赤の危険の表示へ変わっている。
同時に蓄積した疲労が思考を緩慢にさせるが、仮想麻薬を投入し、最後まで力を振り絞る。
唐突に負荷が消える。相手が消失した。
「どうなった?」
これは俺の通信、わずかなラグの後、ウォーレンが返事をする。
「エースは逃げた。だが、設備は残っているな」
「思考存在の離脱経路を追跡中、だいぶ遠いし、遠回りしている」
こちらはマーティだ。
突入して制圧したエースがいた思考スペースを精査する。複数の思考加速器が残されている。どれも最新型だが、見たことのない端末もある。これだけの設備があれば、あれだけの高速攻撃も可能になるかもしれない。
そう思っているうちに、仮想空間上からその加速器の信号が消失する。
シット! とウォーレンが罵声をあげる。
「あの野郎、設備を物理的に破壊してやがる。爆薬だ」
「エースの思考はネットワークから消えた、現実に離脱したらしい。詳細を調査している。エドワード、少し休め」
ウォーレンに、ああ、と答えた時には、俺の思考は肉体に戻っていた。ニューヨークだ。
いい匂いがする、と思って目を開けると、目の前でヌーノが椅子に体を預けて、何かのテレビ番組を見ていた。
手には、マグカップがある。
急に俺が目を覚ましたので、ヌーノは驚いたようだが、姿勢も変えないし、口へ匙を運ぶ手も止めない。
「おはよう、大将。仕事は済んだのかい?」
「腹が減って帰ってきた」
冗談を返しつつ、立ち上がって背筋を伸ばし、肩や腰も捻る。ゴキゴキっと音がした。
その間にヌーノがもう一つ、マグカップを持ってきて渡してくれた。昔ながらの粉にお湯を注いで作るコーンスープだった。木の匙も渡された。
椅子に腰掛けて、ひと口、口に運ぶ。ブルブルと手が震えている。
スープは、まぁ、無難な味だな。しかし外はまだ秋口で、少し季節外れだ。
俺はこれが好きでね、砂漠の夜によく飲んだよ、とヌーノが語りだしたので、俺は適当に聞き流しつつ、思考は緩慢な速度でウォーレンに問い合わせる。
「どうなった?」
「どうなったもこうなったも」
音声のみの通信なので、ウォーレンの顔は見えない。だが、狼狽はわかる。
「シドニーの中心にほど近い場所にあるオフィスビルで、火災が起きている。今も消火作業中。爆発音がしたという情報が多く見受けられる。つまり、エースは設備とアジトを放棄した」
「マーティ、奴はどこへ逃げた?」
「まだ寄り道しているよ。今、東ロシアからキューバに飛んだところだ。囮の数がものすごい量だ。もしかしたら俺が追っているのも囮かもしれない。注意するよ」
「情報が確定したら、教えてくれ。俺は休む」
二人の返事を聞いて、俺は念のためにマインド・コンテンツ・・インターフェイスを閉鎖モードにした。実際の思考力だけになるので、やっぱり周囲がどこか不鮮明に見える。今は拡張現実も、仮想現実も俺とは無縁だ。
いい加減、砂漠の夜についてヌーノが話しているので、俺はそれに乗っかり、スープを飲みつつ雑談をした。
「俺が乗るような車はないのかねぇ、世間には」
「時代じゃないのさ、ヌーノ。全てがいずれは忘れられる」
「エドワード、俺はあんたが好きだが、また機会があれば、どこかで車を運転して過ごすつもりだよ。それこそ、死ぬまでな」
それもよかろう、と思わず笑う俺に、本気だぜ、とヌーノは顔をしかめた。
オフィスの端末が受信音を上げ、見ると立体映像で、どこかから音声通信が入っている表示が出ている。相手は知らない番号だ。
それでも端末を操作し、通信ポートを開く。
「もしもし?」
「エドワード? 俺だ、アンガス」
これはまた、珍しい相手だった。
「アンガス、どこで何をしている? 無事か?」
「死んでいたら電話もできないさ。あんたたち、シドニーででかい花火を上げただろう」
「よく知っているな」時計を見る。「まだ一時間も過ぎちゃいない。現場にいたってことか?」
はぁー、っとアンガスがため息を吐く。
「俺は現場にはいなかった。しかし監視ドローンを貼り付けてはいた」
「なんだ、あそこがエース・エンゲルスのアジトだって知っていたのか」
「確信はなかったから、ドローンに任せた。無人だったよ。ただ、装置は稼働していた。もっとも機密を守るために全部、燃えたがね」
黒幕はいったい誰なんだ? と思わず訊ねると、アンガスは少しの間の後、低い声で答えた。
「マックス・コード社が動いている」
……ここでその名前が出てくるとは。
「どうした? エドワード。なぜ黙る?」
「いや、ちょっと身に覚えがあってな。なるほど、マックス・コード社か。報告を続けてくれ」
こちらの事情を知りたそうだったが、アンガスはそれは遠慮したようだ。
「最新型の有機端末の試験機が、シドニーに送られていた。こいつは同様のものが世界のそこここにある。運動無遅延解析をイメージしてもらえればいいが、この有機端末はほとんどタイムラグなしに同期するんだ。しかも複数台が」
「どこの通信網、ラインを使っている?」
「全てだ」
全て?
「あの会社は、国連の通信技術に関する部局のコネで、試験的に最新の通信システムの運用に一枚噛んでいる。今やマックス・コードはそこらじゅうに自分たち専用のラインを張り巡らせ、同時に専用の裏口を設定しているのさ」
「そいつは厄介だな、本当に、厄介だ……」
思考は自力だけの回転とはいえ、目まぐるしく動いた。
エース・エンゲルスの超高速攻撃のタネは見破った。だがそれをどう無効化するか、これから考えないといけない。アドバンテージは奴らにある。
「それでアンガス、お前はエース・エンゲルスに接触できたのか?」
「奴は今も俺の目の前で茶を飲んでいるよ」
「どこだ?」
通話している端末を操作し、相手の発信源を確認する。アドレスが表示される。マインド・コンテンツ・インターフェイスが機能していれば、すぐにわかるが、今は無理だ。
「俺がいるのは、リマだよ」
「リマ? ペルーのリマか?」
「その通り」
いよいよ全ては一点に収縮してきたらしい。
「どうした? エドワード」
「いや、本当に色々と身に覚えがあってね。アンガス、しばらく張りついていてくれ、気付かれないように。もし危なくなったら逃げていい」
そうさせてもらうよ、と言って、アンガスは通話を切った。
ペルーか。
こうなったら、あの女と接触しないわけにはいかない。
厄介だな、本当に。
(つづく)
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