第7話 イタリア

7-1 水中都市の噂


     ◆


 ヌーノはニューヨークに来るなり、「ここはベルトコンベヤーか?」と言っていた。

 道を走る車は全部が自動運転車で、大規模な区画整備の結果、言い得て妙、まさしくベルトコンベヤーと化していた。人間が随意運転する自動車が走れる道は限定されている。

「それにたいした車が店にない」

 そんなことも言っていて、俺とウォーレンは思わず笑ってしまった。

 何せ、つい先日までヌーノが運転していた自動車というのは、四つのキャタピラを備えて、四つのコンテナを力強く牽引する大型車だったのだ。しかも地面は砂漠ときている。

 どんな車が欲しいんだよ、とからかい半分に訊ねると、ガソリンで動く自動車だ、という返事だった。

 そんな車、ほとんど博物館にしかない。一部のギークが所有しているはずだが、実際に動くのは年に一度ほどだろう。ちなみに、ウォーレンの四つ足キャタピラ牽引車は、ガソリンで動いていた。極めて稀な例ではあることを忘れてはいけない。

 そんな具合で、ヌーノはニューヨークのカーディーラーというカーディーラーに当たりに行くというので、放っておいた。

「交換手と連絡は取れたか?」

 車道楽がいなくなってから、ウォーレンが俺の方を見る。首を振るしかない。

「どうしても繋がらない。過去の連絡先を全部、確かめたんだが。反応がおかしいくらいにない」

「こういう噂を知っているか?」

 なんだ? と視線を向けると、水中さ、とウォーレンが応じる。

「水中ってなんだ?」

「地中海に水中都市が建造されている」

「水中都市?」

 言わんとするところは、わからなくもない。

「どこのどいつが作ったかは知らないが、それがあるとして、水のせいで通信が届かない、ってことか?」

「噂だよ。それくらいじゃないと、他に可能性もない。今時、電波の届かない場所なんてないからな」

「それを言えば、エース・エンゲルスの居場所も、全くわからないな。何か手がかりは?」

 ないなぁ、とウォーレンがバンザイする。

 その時の会話が長い間、引っかかっていて、俺は久しぶりにニールに連絡を取ってみた。

「よお、修正者、無事に過ごしているか?」

 目の前に立体映像が浮かぶ。ウォーレンに見えてもいいので、開放モードだ。

「なんとか無事だよ。そちらはどうだ?」

「びっくりするだろうが、昨日もシチリアの三家族と呼ばれる、三つの大きなマフィアのうちの一つの連中と飲んでいた。すごい勢いで珍しい酒瓶の栓が抜かれて、はっきり言ってびびったな。フランスのワインがあんなに消えるところを見た奴も珍しいだろう」

 欧露戦争の一つの局面として、戦線が不確定な時期があった。無人の爆撃機がヨーロッパ各国とロシアの各地を爆撃しあったのだ。

 その影響で、フランスではブドウ畑が被害に遭い、フランス産のワインが希少になっている時期がある。不思議と、同じ時期のドイツやイタリアなどのワインも希少なはずだが、なぜかフランス産だと価値が違う。

「もし余裕があったら、フランスの良い奴を一本ばかり、そちらへ送るぜ」

 ニールが嬉しそうに笑う。だいぶ楽しんでいるな。

「期待しておくよ。それよりも気になることがある。地中海に水中都市がある、っていう噂を聞いたことはあるか」

 その俺の言葉には劇的な変化があった。ニールが露骨に顔をしかめる。

「どこで聞いた? エドワード」

 ちらっとウォーレンを見ると、奴が椅子を引きずって近づいてくる。

「俺が話した。ニールの方が近いんだから、聞いているだろ」

「正確には水中都市ではない」

「あるのか?」

 俺もウォーレンも顔を見合わせてしまった。ニールが顎を撫でつつ、渋面をしている。

「正確には水中都市ではないが、そういうものはある」

「正確に教えてくれ」

「まず都市じゃない。俺がいるところと目と鼻の先、シチリアの南端の海中、深さは四百メートルほどのところに、それがあるんだ。そこにあるのはな、宇宙ステーションの試作機だ」

 宇宙ステーション?

 二十一世紀の冒頭に運用されていた国際宇宙ステーションはすでにない。撃墜されたからだ。残骸は太平洋に沈んでいて、実質的にスクラップだ。

 その国際宇宙ステーションへのテロ以降、宇宙開発はだいぶ後退した。新宇宙ステーション構想も、アメリカと一部の先進国が主導したが、成立していない。 

 それがイタリアの領海にある?

「構想は秘密裏に四十年は前からあったらしい」

「欧露戦争の前か?」

「実際にはその宇宙ステーションは、複数の観測衛星と攻撃衛星を統括する、宇宙基地だ。だが欧露戦争には間に合わず、敵に奪われるのを避けるために、秘密裏に海中に沈められた」

 なんとも、途方も無い話だ。

「今も人がいるのか?」

「いると思うが、俺も詳細には知らない。マフィアの三家族の幹部連中が、あそこを当局の追跡を逃れるセーフハウスにしているとは聞いた。だから、人はいるんだろうな。生活もできる」

 人がいる、というのは、重要だ。

 人間が生きていくにはまず食料がいる。酸素もいる。そのどちらもが海中で手に入れるのは困難だ。酸素は水を電気分解すれば、おおよそ成立するかもしれない。ただ発電はどうするのか、疑問ではある。有線かな。

 ただ、そうか、広い空間があれば、畑を作って食料も自給できるかもしれない。

 農業こそ機械化が一気に進んだ分野だ。マフィアのお偉いさんが農作業をしなくても、機械が種まきから世話、収穫、加工、果ては土作りからやってくれるんだろう。

「入れるかな? 俺が」

「俺が?」

 俺の言葉に、ニールがいよいよ苦々しげな表情で、こちらを見る。

「ニューヨークからこっちへ来るのか?」

「それ以外にあるまい」

 結局、ニールはぐずぐずと一分ほど何かを考えた後、話はしてみる、と言った。

 通信が切れて、助かったよ、とウォーレンにいうと、奴も不安そうにしている。

「そんなところへ行って大丈夫か? 何かあったら、脱出もままならないぜ」

「交換手の手助けはどうしても必要だ。奴の才能は稀有だしな」

「それは俺も認めるよ、奴の通信を整備するテクニックは完璧だ」

 打ち合わせをして、翌日には俺は荷造りを終え、航空機の手配も済んだ。

「で、俺がエドワードの代わりをやるのか?」

 ヌーノが情けない顔でそう言う。俺がこれからイタリアへ行っている間、ヌーノは拡張現実による偽装で、俺の姿になり、生活することになる。

「頼むよ、ヌーノ。すぐ帰ってくる」

「信じているよ。俺はあまり演技が得意じゃない」

「それでもただの映像だけよりはマシさ」

 そんな具合で、俺はニューヨークを抜け出し、超音速旅客機で一気にローマへ飛び、出発からほんの二日が過ぎた頃には、シチリア島にいた。

「本当に来るのかよ」

 ニールはここに至っても嫌そうな顔をしているが、こっちだ、と案内し始める。

「アドリア・ファミリーの幹部に話をして、俺の知り合いの男を観光案内することにした」

 そう言いながら、ニールの視線が不自然に動く。

 なるほど、昔ながらのやり取りだ。今の目の動きは、二人だけで情報をやり取りしようという仕草だった。

 俺のマインド・コンテンツ・インターフェイスが、ニールのそれと繋がる。

 俺にだけ聞こえる声で、ニールが言う。

「アドリア・ファミリーは俺を完全には信用していない。監視が常についている。おそらくロボットだろう」

「オーケー、他には?」

「楽しみにしておけ、観光をな」

 二人で揃って空港を出ると、初春の風が吹き抜けた。



(つづく)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る