6-4 真実


     ◆


 周囲を完全に精査するのに、丸一日が必要だった。

 最低限の通信量の音声通話で仲間たちとやり取りし、とりあえず、俺が一番ひどい有様だったらしい。

 例のウォーレンの絆創膏を俺は首筋に貼り付け、自分だけの閉じた場で、事態を再検証した。

 ニールの通信に紛れ込まれて、仮想空間を観察された。

 それに気づいて俺が引きずり込んだ。

 そこで立場が逆転し、追い詰められ、這々の体で俺の方が逃げ出した。

 まったく、見苦しいったらないな。

 それにしてもエースの攻撃速度は異常だった。まだ先がありそうなほどだ。一般的なコンテンツライターの数倍など、どういう仕組みだろう。

 もしかして複数人が並列演算しているのか? しかし、まったくの隙間もなく、そんなことができるだろうか。

 個人で毎秒六〇〇アタックを超えるなど、世界記録どころではなく、コンピュータに限りなく近い。

 過去にスーパーコンピュータなどと呼ばれる存在があった。量子コンピュータの構想がまだ生きているよりも前の時代で、今はほとんど耳にもしない。ちなみに量子コンピュータは実現不可能と証明され、既に寂れた分野だ。

 それに量子コンピュータよりも、マインド・コンテンツ・インターフェイスに代表される、有機処理演算器、とも呼ばれる分野が台頭し、しかもこれは誰にでも扱える、魔法のようなものだった。

 もうコンピュータというものをはっきり意識する機会も減った。

 コンピュータが占めていた分野は、人間の高速演算が再占領したわけだ。

 とにかく、エース・エンゲルスという男は、特殊な立場だと考えるしかない。

 俺一人で抵抗するのが、無理なのかもしれない。

 アンガスはいい加減、エースを追うつもりのようで、ニールには資金援助を、俺には情報面での支援を要求してきた。昔のチームでも、アンガスという男は用心棒などと呼ばれながら、一方では鉄砲玉のような立場だった。

 ニールはさすがにエースが俺をコテンパンにしたのを見たせいか、潤沢な資金を渡したようだ。

 俺は奴のために世界に三箇所のセーフハウスを設けて、他にも細々と北アメリカ、南アメリカ、アジアのそれぞれの大陸での退避場所を設定しておいた。それと偽の身分を二十ほど用意した。まったく経歴が違う身分だ。

 俺とウォーレンはいい加減、ニューヨークのオフィスで共同生活をしている。監視官が一ヶ月に一度、訪ねてきて、ウォーレンとも顔を合わせている。

 俺のマインド・コンテンツ・インターフェイスは再活性化が禁じられているので、基礎的にコンテンツライターとしての仕事は、純粋な手作業になってしまう。

 それでは効率が悪いのでウォーレンを雇った、ということにした。つまりアシスタントだが、実際には俺の方がアシスタントである、とする方が自然だ。

 ウォーレンは監視官に愛想を振りまき、自分が設計したコンテンツを見せたりしていた。

 ちなみに仕事の成果として、仮想香水という分野で、ウォーレンは腐る寸前の果実の匂い、などというものをでっち上げていた。

 監察官がそれを嗅いで顔をしかめると、

「果物は腐る寸前が一番甘い匂いになる。ろうそくの火と同じですよ、消える寸前に大きくなる」

 などと、説明していた。奴の顔の良さもあるのだろう、男である監視官は微妙な顔をして、結局、深く追求せずに去って行った。

 騒動から三ヶ月が過ぎ、しかし俺たちは特にこれといって収穫もなく、日々を過ごしていた。

 ニールはヨーロッパの非合法組織に入り込み、マルコムはその片腕という立場になった。リッチーはさらにその下っ端らしい。

 アンガスは音信不通、ギリギリまで地下に潜っているのだろう。

 ヌーノの仕事は終わりが近づき、こちらに来る日付を教えてきた。十二月で、砂漠とはまた違った寒さだぞ、とからかっておいた。

 空気が冷え冷えとしたある日の夜、俺はここ数ヶ月、必死に組み上げている思考加速システムの試験を終えて、現実に戻った。

 最低限の明かりの中で、額にくっつけたライトで手元を照らして、ウォーレンが何か工作をしていた。

 邪魔しちゃ悪いな、と思ってしばらく身動きもせず、奴を見守っていた。

「戻ってきたな、リライター」

 小さな声でウォーレンが言った。バレていたらしい。

「邪魔したな。俺も仕事をするよ」

「いや、その前に聞きたいことがある」

 手を細かく動かして、顔はこちらにちらとも向けずに、呼気を最低限にして、ウォーレンが訊ねてくる。

「どうして原子力発電所を破壊しようとした? それもアメリカ中の」

 その話か。

「説明しただろ、それが俺の選んだ手段だ。そして誰にも俺の主義主張に干渉して欲しくない。お前にも」

「大勢が死ぬかもしれない。生活できなくなるかもしれない。それでもか?」

 実際には原子力発電所は近辺に住宅密集地どころか、人が暮らす地区は存在しない。過去にあったいくつかの事故で、それが安全の絶対条件だと国際的に決められた。

 だから、原子力発電所が吹っ飛んでも、電気に困るくらいだ。

 もちろん、真冬だったら暖房が機能せずに、凍死する者もいるかもしれないが。

「どうなんだ?」

 俺はどう答えるべきか迷ったが、今は、今だけは本当のことを口にするべきかもしれない。

「原子力発電所の基本システムに、トロイの木馬を見つけた」

「……なんだって?」

 ウォーレンがこちらを横目で見る。

「だから、トロイの木馬だ。来るべき時が来れば、原子力発電所は機能停止していただろう。それもその次には決定的な暴走に至るような、そういう悪意のある工作でだ」

「どうしてそれに気づいた?」

「リライターの一人の遺した個人データを漁って、発見した。そのトロイの木馬は悪質なことに、システム自体に深く根を張っていて、大工事が必要だった。俺か、あるいは俺たちなら、何かやり方もあったかもしれない。だが、時間がなかった。俺一人が決断し、行動に移した」

 はぁっとウォーレンが姿勢を正し、目をこすった。

「嘘みたいだが、何で話してくれなかった? お前が刑務所に入ってから、俺たちはだいぶ話し合ったぜ」

「話し合って、どう結論が出た?」

「ニールの奴が押し切ったよ。エドワードは悪人じゃない、ってな」

 それは鋭いな、と言おうかと思ったが、やめた。あまり面白いジョークでもない。

「恥ずかしいから、今の話は秘密にしてくれ。話す必要がある時まではな」

「俺も調べてみるよ」

 額にくっつけていたライトを外し、ウォーレンが身振りで部屋の明かりをつけた。眩しさに、眼を細める。

「飯にしようぜ、修正者。何が食べたい?」

「いつものピザでいいよ」

「それじゃつまらないな」

 ウォーレンが自分だけに見える拡張現実で、空中にメニューを開いているようだ。

「俺たちのリーダーが正直になった記念日だ」

 そんな記念はやめてくれよ、と言いながら、俺はウォーレンの指が動くより先に、自分の手元でピザを注文した。

「恥ずかしいから、忘れてくれ」

 いやだね、とウォーレンが笑い、追加でシャンパンを頼んでいる。

 本当に、やめてほしい。

 話すんじゃなかったな。



(第6話 了)

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