第6話 ニューヨーク

6-1 都市生活


     ◆


 ニューヨークは生活しやすいようで、実際には生活と呼べるものは大体、個別の要素に切り取られ、切り分けられている。

 会社員はまた違うだろうが、俺の生活は完璧に貸しオフィスの中で完結している。食事や衣類、雑貨はドローンが配達してくるし、建物に共用のシャワールームもあれば、コインランドリーもある。ほとんど人はいないが、ビリヤード場まであるのだ。

 そんなわけで、俺はオフィスの隅に寝台を運び込み、そこで生活している。他の技術者たちもそうらしい。

 仲間から離れて、比較的、まともな立場になったので、ここで一つ、勉強し直すことにした。

 それはあのエース・エンゲルスの存在もある。

 勝ち負けははっきりしないが、俺自身が手玉に取られたことは忘れがたい。

 刑務所に入っている間に、俺の知らないことも増えた。やはり学習は必要なのだ。

 携帯端末にここ数年の専門誌の情報を集め、同時にコンテンツライターに関係のある技術の、学会の会報や論文、一部の大学のデータベースにあるマイナーな論文さえも収集した。

 あとは日がな一日、椅子に座り込むか、寝台に寝転がって、思考だけでそれを追うことになる。

 いつの間にやらマインド・コンテンツ・インターフェイスの、最高速改変速度が毎秒五九〇に更新されている。

 これはアマチュアの話で、俺は瞬間的な最高速なら六〇〇を超えるので、あまり当てにはならないが、それでも技術は日進月歩で進んでいる。

 防壁に関しても進歩があり、これには驚かされた。

 新しい防壁が作られる理由は、旧式の仕組みの脆弱性が露見したからで、リライターに限らず、セキュリティが求められる場所、機密性が必要な場面では、常に新しい防壁を求める動きがある。

 俺が使っている防壁は、仮釈放後に、秋葉原で情報を集めて組み上げたもので、最新型であると同時に、最新の攻撃の仕組みにも対応している。

 ただ、基礎システムに、わずかな綻びがある、という記事が、マイナーな同人誌にあるのを発見した。書いたのはハンドルネームを使っている学生らしく、しかしチバ大学の学生だ。

 チバはニールも言ってたように、常に最新の先を行く場所だ。

 その学生とコンタクトを取りたい欲求を抑えつつ、その文章を検証し、自身の防壁をいじってみた。分身を二つ設計し、片方が防壁を維持し、片方が防壁を破ろうとする、という立場でぶつからせる。

 最初こそ拮抗していたが、防壁破りの方が有利なのは、防壁の基礎のほつれを知っているから、当たり前だ。

 すぐに防壁が破られ、分身の片方が焼却された。

 二つの分身の辿った道筋を検証すると、確かに防壁の基礎に、綻びがあり、そこを突けば簡単に防壁を破れる。

 どこかの学生は、その防壁破りへの防御策も記述しているが、そちらはやはり素人だけあって、お粗末だ。

 思考がめまぐるしく働き続け、その思考の隅でカウントダウンがゼロになる。

 目を開くと、夕日が室内に差し込んでいる。ニューヨークに来てから、昼間に活動して、夜に休む、ということを徹底している俺だった。

 寝台の上で起き上がり、軽くストレッチをする。三日に一度はジョギングをするのも、決めたことだ。昨日走ったので、昨夜は気持ちよく眠れた。

 電子音と共にベランダのトレーにドローンが食事を配達してくる。

 受け取ったのはホットサンドでこれ自体は代わり映えしないが、さすがはニューヨークで、探せば世界中の料理を手に入れることができるのは、ありがたい。

 食事を済ませて、シャワーを浴びに行った。

 帰ってくるともう日が落ちている。

 オフィスで入り口にある昔ながらのポストの中身をチェックする。前時代的なチラシばかりで、特に面白いものはない。

 髪の毛はすでに乾いているし、思考を高速回転させすぎたせいで、どこか頭が重たい。

 すぐに横になり、すぐに眠ってしまった。

 夢の中で、俺はエース・エンゲルスと対面した。

 思考の一部が自動で回りだし、防壁は破られていないし、そもそも通信が結ばれていない、という理由でエラーを訴える。

 それもそうだ、夢なのだ。

「負けた気分はどうかな、リライター」

 エースが話しかけてくる。変に反響する声だ。

「負けちゃいない。勝負はこれからだ」

 そう答えた俺の声も、どこかぼやけていた。

 二人で静かに向かい合っているうちに、急に視界が真っ白になり、瞼を閉じている自分を意識した。

 目が覚めたのだ。

 瞼を上げると、カーテンの向こうから強い日差しが差し込んでいる。マインド・コンテンツ・インターフェイスが七時半を告げている。少し眠りすぎたかな。

 電子音と同時に朝食が届き、食べてから、歯を磨いて顔を洗った。

 椅子に座り込み、端末を使って朝刊を漁る。本当は頭に直接に流し込んでもいいのだが、思考が疲労するのを避ける気になっていた。これもニューヨークに来てからの習慣になりつつある。

 特にこれといって面白い情報もない新聞を読み終わり、端末の電源を切った。

 そこでインターホンが鳴る。今度は思考にカメラの映像を引用した。

 写っているのは髭もじゃの男で、服装もボロボロだ。まるでホームレスだった。このご時世にホームレスというも、世知辛い。

 それにしても、どこのホームレスが俺を呼び出す?

 カメラの中で、もう一度、男がスイッチを押す。俺の部屋でチャイムが鳴る。

 相手がいるのはオフィスビルの一階の共用玄関だ。そこで追い払うこともできる。

 じっとカメラに映る相手を見ていると、不意に何かが引っかかった。

 どこかで見たことのある顔だ。

 今その顔がカメラを正面から見て、やっと記憶が繋がった。

 マイクをオンにする。

「ウォーレン? ウォーレン・アンダーソンか?」

 俺の言葉に男が口元を緩めたようだが、髭でよく見えない。髭の動きでそう判断出来るだけだった。

 相手が頷き、

「ニールに言われてきたんだが、入れてくれるかな」

 と、マイクに声を吹き込む。

 やれやれ、旧知の仲間っていうのはどうしてこう、無碍にできないんだろう。

 入れよ、と俺は玄関のロックを解除した。

 しばらくして俺のオフィスのドアがノックされる。開いているぜ、とマイク越しに言うと、先ほどのカメラに映った男が入ってくる。ちょっと異臭が漂う。

 しかし本物の昔馴染み、ウォーレンだった。

「また会えて嬉しいよ、修正者」

 俺にハグしてこようとする男を制止して、予備のバスタオルと服を放り投げる。

「シャワーで体をきっちり洗ってこい。それとその長い髭を全部剃れ。それで話が始まる」

「オーケー、ありがたいよ」

 そそくさと部品屋と呼ばれていた昔の仲間は部屋を出て行き、三十分後、見違える姿でやってきた。とにかく顔がいい男なのだ。

「シャワーを浴びたのは半月ぶりだ」

「もしかして本当にホームレスをやっているのか?」

「廃品を回収して、商売をしている。ただ儲けは少ないな。家は電気もガスも水道も止められている」

 儲けが少ない、という次元じゃないな。

「それで」俺は話を先に進める。「ニールの奴がどうしてお前をここに寄越す?」

「手伝ってやれ、としか聞いていないよ。端末でも作ろうか」

 まったく、ニールのお節介は筋金入りだ。ただアンガスのような例もある。

「良いだろう、ウォーレン。俺が何をしているか、説明するよ」

 部屋に二脚しかない椅子の片方に、ゆっくりとウォーレンが腰掛けた。



(つづく)

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