5-2 用心棒
◆
スペイン、フランス、ドイツを主体とするEUとは別に、東ヨーロッパ同盟ができたのは欧露戦争後だ。
ポーランドからトルコの一帯がその新しい統一体を形成し、西ロシアと連携して、新しい経済圏を作ろうとしている。
ハンガリーもその一部で、ブダペストは戦時中の荒廃を物ともせず、立ち直ろうとしていた。
「やあ、久しぶり、エドワード」
新しいアジトで俺を待っていたのは、懐かしい昔馴染みだった。
「アンガス! 久しぶりだな、おい」
握手すると大柄な男、アンガス・ファーガソンの大きすぎる手が、ものすごい力で握りしめてくる。顔をしかめる俺に対して、奴はニヤッと笑う。こういうジョークをいつもやっているのだ。
「いつからここにいる?」
リビングのテーブルで、いかにも適当に置かれていたコーヒーメーカーから茶色い液体を、これも適当に置かれていたマグカップに注ぐ。誰が備品を用意したんだ?
「二週間前だ」
「俺がここに来ると決めたのと同時期だな。誰の告げ口だろう、と訊きたいが、一人しか思い当たらない」
「その想像は当たっているよ。ニールだ」
「奴はどこにいる?」
答えは身振りで帰ってきた。カードをシャッフルし、配り、ひっくり返す動作。
つまりまたギャンブルだ。
「場所はどこだ? ハンガリーなのか?」
「ローマだ」
「そいつはまた、遠出したな」
「ニールはローマに拠点を作ろうとしている。イタリアはいい加減、マフィアどもがうるさいからな、その辺りの折衝もあるんだろう」
いいように捉えればそうなるが、ニールがギャンブルを心の底から愛していることを、俺は忘れちゃいない。
「マルコムとリッチーは?」
「ニールの護衛」
「で、お前が俺の護衛ってわけだ。ニールはそれほど危ない橋を渡っているのか?」
そうじゃないらしい、とデカイ体が椅子に座り込むと、ギシギシと不吉な音がする。アンガスもそれに気づいて、立っていることに変更したようだ。
「ニールが言うには、お前を狙っている間抜けがいるらしい。こいつが証拠だ」
不自然なほどパンパンな背広のポケットから、アンガスが封筒を取り出す。
受け取り、中を検めると便箋が一枚だけ。しかし開いてみると、そこには情報圧縮コードがびっしりと並んでいる。
視線を走らせつつ、思考はコードを解読し、複雑な情報が直接、流れ込んでくる。
EUのコンテンツ倫理評議会が、俺を密かに探っているという情報だった。アメリカの連邦捜査局に通報が行っているが、アメリカはまだ乗り気ではないようだ。しかし時間の問題だろう。
つまりロスアラモスに苦労して設定した俺の分身は、今や、とんでもない爆弾に変化したわけだ。
さっさと老婆の監視官の頭をいじり直さないと、俺の首が飛ぶ。
「どうして俺がここに来る前に教えてもらえないんだ?」
「そこも重要だ。マインド・コンテンツ・インターフェイスをオフにして、これを見ろ」
なんでそんなことをするのか、と訊くのはどうにかこらえた。
差し出されたもう一枚の紙を受け取る。当然、言われた通りにマインド・コンテンツ・インターフェイスはソフト的にオフにしていて、俺の思考は極端に緩慢になっている。
紙を開くと、「リライターに狙われている」と手書きで書いてあった。紙をアンガスに返す。奴はそれを灰皿の上で、素早く灰に変えてしまった。
「マインド・コンテンツ・インターフェイスを再起動しても、言葉にはするなよ。盗まれるかもしれん」
「俺も素人じゃない。しかし、わからんな。どうなっている?」
「俺に聞くなよ、修正者。お前の本領を発揮する場面だぜ」
それもそうか。
思考が再起動してから、俺は部屋の隅にあった旧型の端末から有機コードを引っ張り、それを首筋に接続した。
基本的に無線での利用が現代の情報ネットワークの基礎になっているが、有線もまだ終わった手法ではない。
目の前にある古びた端末も、実は内部に三重に防壁が設計され、一つの身代わり装置も入っている。最低限の、必要な装備だった。
まずは通信衛星をいくつも経由してロスアラモスへ通信を送る。
老婆のマインド・コンテンツ・インターフェイスは、あっさりと書き換えられ、時限装置が組み込まれる。これから俺があそこへ戻る頃に、老婆の監視官は不意に思い出す。あの仮釈放の犯罪者はどうしているだろう、と。
民間の航空会社に偽の身分で依頼をいくつも出し、事前に設定した時間にロスアラモスへ帰りつけるように、席を確保する。
「アンガス、俺はアメリカにとんぼ返りだ。お前はどうする?」
「ついていくように、というのがニールからの指示だ」
「あいつの指示ね。お前たちはどこか信頼し合っていて、まぶしいよ」
アンガスは肩をすくめる素振り。冗談はよせ、という感じだった。
端末から意識を分離させようとした時、それが起こった。
何かが急激に迫ってくるような気配。
俺の右手がケーブルを払う。首筋からかすかな痛みを伴って、線が引きちぎれる。
瞬間、旧型の端末の防壁三枚が一瞬で貫通され、身代わり装置がパンクするような音ともに、煙を噴き上げた。
「おいおい、穏やかじゃないな」
思わず声に出しつつ、もう座っている必要もないので、立ち上がって荷物をまとめ始める。
「アンガス、お前、荷造りは終わっているか?」
「俺は荷物を持つのが嫌いなんだ。忘れたのか?」
「そうだったな、思い出したよ、用心棒。お前はいつも現地で全てを調達する」
アンガスが何か言い返そうとして、すぐに黙った。なんだ? と思っていると、ドアが叩かれる。「ブダペスト市警です! 開けてください!」という声がした。
対応が早すぎるな。
しかしここは相手を騙して、思考を書き換えてでも穏便に済ますべきだ。
行こう、と促す前に、アンガスが唐突に俺の手を引いた。勢いで床に引きずり倒される。
抗議の言葉は、ドアがショットガンで破られる音に飲み込まれてしまった。
続いて円筒形の何かが転がり込んできた、と見た次の瞬間には大量の煙が吹き上がり、周囲が見えなくなる。閃光弾じゃなくて助かった。あれはサイボーグには効果が薄いから、選ばなかったのかもしれない。
複数の足音、全部で、八か。相手は熱分布を見るゴーグルでもしているんだろう。
俺はもう全てをアンガスに任せることにした。
その時には鈍い音が連続し、俺のすぐそばに警官が装備するモデルの戦闘服の男が倒れこむ。やはりゴーグルをつけている。見える範囲で、二人、いや、三人目が寝そべる仲間に加わった。
ぐっと背広の襟を掴まれ、煙に咳き込みつつ外へ出ると、俺が手配したアジトの前には二台のパトカーが並んでいる。煙の中から平然と出てきた俺とアンガスに、一人で車内で待機していた連絡役らしい若い制服の警官が、ぽかんとしている。
「へい、頼みがあるんだが」
彼に歩み寄り、目と目を合わせる。
奴の思考防壁を中和し、意識を乗っ取る。
「その車を俺たちに貸してくれよ。できるだろ?」
「はい、提供します」
警官は素早く運転席から出てきた。
俺が助手席、アンガスが運転席に座る。アンガスが直立している警官に手を向ける。
「拳銃を寄越せ」
はい、と警官が拳銃を渡した。
「弾も」
予備の弾倉が二つ、アンガスの手に移った。
それからやっと車のエンジンをかけ、サイレンを鳴らして走り出す。
無線が何か、がなり立て始める。俺はさっきの警官の声をサンプリングしていたし、すでに警察の警戒網を情報面で制圧していたので、偽情報にパトカーを全て動員するように手を打った。
「お前はもっと平和に暮らせないのか?」
アンガスがハンドルを握りつつ、訊ねてくるが、お互い様だ。
「ここ何年か、どうやって過ごしたんだ? 用心棒」
「介護施設で老人の相手をしていた」
それはまた、さぞかし心が和んだだろうよ。
俺はひたすらマインド・コンテンツ・インターフェイスでブダペスト市警を騙し続けた。
到着したばかりなのに、観光もなしか。
(つづく)
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