3-3 一撃必殺


     ◆


 パリは雨が降っていた。

 作戦決行当日はその雨で視界が悪い上に、風も強い。

 何よりも問題なのは、観測衛星からの観測情報が不鮮明なことだ。

「延期するべきじゃないか?」

 俺はさすがにマルコムに忠告していた。まさに忠告だ。

 今は音声だけで繋がっているマルコムがすぐに答える。

「決行する。黙って見てな」

 見てなというのは、つまり、ドローンのカメラで状況を見ていろ、ということと勝手に解釈し、俺はカメラにアクセスした。

 カメラが映しているのはどこかの廃墟で、まだ身を潜めているようだ。

「さあ、始めるぞ」

 その声と同時に、カメラがかすかに揺れ、するすると高度を上げていく。

 カメラの制御権までは奪えないので、マルコムが見ている映像をそのまま受け取る。

 遠くに巨大な塔が見える。目標の建物だ。

 距離は、千二百メートルはある。遠い。遠すぎるほどに遠い。

 風に煽られ、ぐらっとドローンが揺れる。

 カメラが超望遠になり、建物をすぐそばのように映すが、窓の向こうはうかがい知れない。もっと高額なカメラを用意するべきだった、と思ったが後の祭りだ。作戦はもう動き出している。

「衛星のデータをリアルタイムでくれ」

「了解」

 俺が接続権を書き換えておいた観測衛星は、ちょうどヨーロッパの真上にある。

 超高高度からパリの一角が映され、無数の人間が赤やオレンジ、黄色、緑の影となって右往左往している。

 その中でも巨大な塔に照準を合わせ、撮影。

 住民の影が重なり合うので、これではどれが目標のキルケ氏かはわからない。

 ただ、観測衛星の機能の一つで、高度を測定することが可能なので、キルケ氏だろう熱源を4つに絞ることはできた。

 観測データにノイズが走っているのがどうも不穏だ。雨雲のせい、その中で時折、光っている稲妻のせいらしい。

 すでにドローンは目標の高度に到達。俺が生活しているとされている部屋にあるのと同様の、姿形を書き換える拡張現実用の装置で、このドローン、飛行狙撃銃は誰の目にも止まらない。

 カメラのズームが標的を探し出そうとするが、雨もあって不可能だ。

 まだドローンは揺れている。

「本当にやるのか?」

「もちろん」

 マルコムの返事は、少し強張っていた。

 緊張しているのか?

 カメラの視野がタワーの全体を写す。それはドローンの揺れを正確に理解するためだろう。

 すぐに風速や湿度などの情報が取得され、マルコムがドローンに搭載された狙撃銃の位置を微調整している。

 そんな調整でどうにかなるものか?

「行くぜ、エドワード」

 急にマルコムが言って、黙り込む。

 この飛行する狙撃銃には、呼吸や鼓動を抑制するような必要はないが、どうやらそれが狙撃手の職業病らしい。

 引き金はあっさりと引かれて、カメラの端が赤く光った。

 すぐにカメラがズームされる。

 超高層ビルの壁、一枚のガラスが割れて吹っ飛んでいる。

 その向こうはよく見えない。

「当たったか?」

 思わず声に出すと、マルコムが静かに応じる。

「外したな」

 外した?

 どうしてそんなに落ち着いているんだ?

「お前はもうちょっとそこで眺めていな、エドワード。ここからが俺の本当の仕事だ」

 そこ? ドローンのことか?

 急にマルコムが俺にドローンの操縦権を委譲したので、慌てて制御する。高度を低くして、適当な廃墟に着陸させた。

 カメラの位置をドローン自体の機動で変えて、例の建物を観察する。

 特に動きはないが、狙われた男は身を隠そうとするだろう。少なくともあそこにはとどまらない。

 なら、玄関、いや、裏口か。

 もう一度、ドローンを動かして、一階が見通せる位置に付く。ちょうど裏口が見えた。

 だが、マルコムは何をしているんだ?

 赤い光の明滅が、雨雲のせいで薄暗い地上を走ってくる。パトカーらしい。

 それもそうか、政治家が狙撃されたのだから、パトカーもくる。

 どういうわけか、パトカーは一直線に裏口に集まった。三台がバリケードのように位置取りをする。武装した警官が裏口を固め、数人は中に入ったようだ。

 まったく、これでは仕事は失敗だろう。

 マルコムの経歴に傷がついたな。

「マルコム、どこにいる? さっさとずらかろう」

「黙ってな」

 その一言に、俺は思わず息を飲んでしまった。

 あれは集中している時の声だ。

 つまり、マルコムはまだ仕事をしている。どこで? 何をしているんだ?

 裏口の警官が動き出し、一人の影が出てきた。コートで頭を隠している。雨が嫌なのではなく、正体を隠しているのだろう。

 続いてもう一人、出てくる。同じようにコートを頭に被っている。

 パッと、そのコートが弾け、赤い飛沫が散った。警官が一斉に伏せ、一人目のコートの男も引きずり倒される。

 最初に倒れこんだのは男のようで、もう動かない。

 カメラの望遠機能ではどうしても顔を確認できないが、正確に頭部を狙撃されたようだから、顔はもうないのかもしれなかった。

 警官たちは周囲を警戒しているが、もう、狙撃はなかった。生きている方のコートの男が抱え上げられ、パトカーに乗せられる。倒れている方、死体もパトカーに連れ込まれる。二台のパトカーがそのまま走り去り、一台はその場に残るようだ。

 警官が周囲に何か、前時代のカメラを思わせるものを忙しなく向けている。

 あれは狙撃手を炙り出すための観測装置だ。しかし警官の通常の装備ではないぞ。

 少しずつ事情がわかってきたが、考えがまとまる前にマルコムから通信が入った。

「仕事は終わった。ちゃんと脱出経路を用意してくれているよな」

「ああ、もちろん」

 俺は市内に設定した合流地点を伝える。警官の動きなどに合わせて、全部で八つが設定されていたが、一番安全なルートが使えるだろう。

 俺が情報面でフォローしているうちに、マルコムは自動運転車のタクシーに乗り込み、やっと俺にも奴の様子が車内カメラで見て取れた。

 ずぶ濡れで、すぐそばに楽器のケースのようなものを置いている。

 つまり、ドローンでの狙撃は囮で、本命の狙撃はマルコム自身が行ったのだ。

 タクシーに乗り込むまでの時間から考えると、ビルからはかなり離れていたはずだ。千メートルはあっただろう。

 それをこの悪天候できっちり仕事をするとは、見上げた男だ。

 そのマルコムは自動運転車のコンピュータに「寒いから温度を上げてくれ」などと平然と注文している。

「お前の仕事には感服するよ、マルコム」

 思わず呼びかけると、こちらのカメラには気づいているのだろう、奴はかすかに笑みを見せた。

「もう必要とされない、老人のテクニックさ。あと何十年かすれば、誰も使わなくなるだろうな」

「芸術的だった」

「芸術も、いずれは不要になるかもな。何より、俺の芸術は大抵の人間には見ることも知ることもできない」

 ゆったりとシートにもたれかかって、マルコムはもう何も言わなかった。

 そのまま国際空港に向かい、服をまともなものにしてから、個人のチャーターした小型機で、マルコムはフランスを脱出した。



(つづく)

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