第3話 パリ

3-1 休暇


     ◆


 南アフリカのケープタウンからだいぶ南下した、喜望峰にほど近い場所に、俺たちは家を一軒借りていた。

 ここが意外に住み心地がよく、俺としては通信量を誤魔化せる絶好の位置だった。

 地中海からインド洋まで抜ける海運の航路はだいぶ前からあり、ここはヨーロッパから中東、インド、アジアへと船でものを運ぶのには最適だ。

 だが、欧露戦争の後の世界では、アフリカがにわかに注目されているのだ。多くの先進国が技術援助と資金援助を行い、資本主義パッケージが有効に働き始めた。

 これは資本主義社会における絶対的な象徴である、富める者と貧しい者、という二極化を招きつつ、同時に富める者はより富を求め、貧しい者も自分が富むことを夢見るという、第一段階を展開している。

 俺からすれば、この資本主義の原則はいずれ、貧しい者たちから夢や希望を奪う第二段階に突入するはずだが、アフリカの諸君はまだ自由と経済力に満足しているので、何も言わない。

 で、だ。

 喜望峰を回る輸送船の航路が、このアフリカの発展でにわかに活気付いた。中東はきな臭いままで、空輸はコストがかかるし、効率が悪い。陸運ははっきり言って、道路の整備が追いついていない。

 というわけで、海運は必然的に注目され、ヨーロッパからアフリカをぐるっと回る航路さえ、活用されている。

 その海運を担う数え切れないほどの輸送船は、頻繁に、それも大容量の情報通信を行う。

 そこに俺の通信が紛れ込む余地がある。輸送船からの通信に見せかけて他所へ接続し、輸送船に帰ってくると見せかけた通信は俺のところへやってくる。

 今の輸送船は技術改良が進み、大嵐でも平然と大海原を突き進むので、大したものだ。

 俺はそんな具合で、家の一階で、のんびりと本当の休暇を貪っていた。

 仮出所の状態なので、月に一度は監視官が家を訪ねてくるが、その家はアメリカの砂漠の真ん中にあるモーテルだ。もちろん、そこには俺はいない。

 さして苦労もしなかったが、そこには拡張現実の技術の応用で作った、偽物の俺の生活がある。一番の問題はものを動かせないことだが、機械人形を一体、密かに隠してあるので、それが生活感を演出する。

 監視官は訪ねてきて、まず俺の幻と握手をする。監視官の意識は俺が乗っ取っているが、あまり派手にやるとさすがに露見するので、注意が必要だ。

 握手をした監視官は、幻に触れているのに、しっかりと手に感触を意識する。

 俺が監視官に偽の感覚を流し込んでいるからだ。声も俺が直接に送り込んでいるが、まるで目の前の男の像が喋っているように見え、聞こえるようにしていた。

 監視官と仲良くなるのはあまり好ましくなかったが、仕方がない。

 俺たちは椅子に座って、しばらく話す。

 これが爆笑必須だが、実は彼が座っているのは幻の椅子で、手に取っているティーカップも幻なのだ。

 はたから見れば、とんでもなく器用にパントマイムをしているように見えただろう。

 家に帰ってから、監視官はやけに疲れていると感じるはずだ。当たり前だ、ずっと空気椅子なんだから。

 監視官が帰って行き、ドアまで見送り、俺は息を吐いて、拡張現実のこのもう一つの俺を待機モードにして、現実に帰還した。

 汗臭いな、と思うと、部屋の隅でリッチーが倒立した姿勢で両腕を屈伸させ、体を上下させている。鳶職というより、サーカスだ。

「サイボーグなら訓練は必要ないんじゃないか?」

 何気なく訊ねると、器用にこちらにリッチーの顔が向く。

「有機サイボーグは怠けていると機能が落ちる。ほどほどに使わなくちゃな」

 それはまた、難儀なことだな。

 椅子にもたれかかって、今度は本物のティーカップを手に取る。口をつけると、紅茶は冷めていた。

「ニールはどこへ行った?」

「女じゃないかな」

 またか、と思ったが、口出しするほどでもないか。

 ラスベガスのカジノで奪った現金は全部で百万ドルで、逃走やこの隠れ家の用意などなど、その他の経費が十万ドルほどかかった。つまり九十万の儲けで、それを俺たちは均等に三十万ずつに分けた。

 ちょっとだけ余った金は、三人で盛大に飲み食いして消してしまった。

 あの時はリアルの酒の美味さをしみじみと実感して、電子アルコールはしばらくやめようと決意したほどだった。

 酒場の高級な酒はおおよそ飲み干したので、店主は嫌そうな顔をしていたな、今思えば。

 ニールは根っからのギャンブラーなので、ケープタウンにある観光客用のカジノへ頻繁に出入りしている。特に気に留めることではない。

 ラスベガスでは形だけとはいえ大損したので、本人が言うところでは「運が逃げちまったから取り返さないと」ということらしい。

 運は数値化できないので、俺は無視していた。

 運を実力で塗りつぶす方が、現実的だ。

 そろそろ昼食だな、と意識の中の時計を確認。日付は十一月二十三日。真夏だ。昔ながらのエアコンが、鈍い音を立てている。

 そこへどこかから通信が入った。俺が刑務所にぶち込まれる前に設定していた、いくつかの連絡先の一つにだ。リアルタイム通信の要請で、相手を確認。

 マルコム・タウンゼント。

 懐かしい名前だが、まだ生きているのか。

「マルコム・タウンゼントと最近、会ったか?」

 今は片腕で体を上下させているリッチーに訊ねると、ああ、あいつか、という返事だった。

「傭兵として活躍しているようだよ。その代わり、方々に敵がいて大変らしい」

「なるほど」

 断っても良かったが、昔馴染みだ、連絡を取るくらいいいだろう。

 俺は意識を現実から切り離し、仮想空間に降りた。

 通信を受けると、目の前に男が現れる。金髪、碧眼で、どこか無骨な男だ。背は低い。

「久しぶり、エドワード。刑務所はどうだった?」

 渋い声で話しかけられる。そうそう、こういう奴だった。

「非常に快適だったよ。そっちは? マルコム」

「国の仕事をいくつか請け負ったら、なぜか目の敵にされて、追いまくられている」

「俺に連絡してきたってことは、逃がしてくれ、ってことかな?」

「身も蓋もないが、そういうことだ」

 素早くマルコムの居場所を確認する。フランスの地方都市だった。

 一瞬でその辺りを監視しているどこぞの国の観測衛星に相乗りして、映像を確認。

 フランスは欧露戦争では複雑な同盟関係の煽りで敗戦国となり、だいぶ荒れていると聞いているが、衛星写真は正真正銘の廃墟を写している。ただ、そこここに爆撃から生き残った建物や、バラック、闇市も見える。

 マルコムがどこにいるかと思うと、バラックの中らしい。姿は見えない。

「敗戦国ってのは惨めなもんだな」

 思わずそういうと、目の前でマルコムが笑う。

「それでも俺の祖国だ。見捨てるわけにはいかない」

「その祖国から追われているのに?」

「人殺しの業のようなものだよ」

 そう、こういうことを平然と言うのだ。

「今でも狙撃手をやっているのか?」

「それだけが俺の技能だよ。絶対に手放せない、誇りさ」

 恥ずかしいことを平然と口にする奴だ。

「で、依頼の詳細は?」

「これから一仕事することになっている。仕事のサポートと、仕事の後に俺を秘密裏に国外に逃がしてくれ」

「金は?」

「これしかない」

 示された額は、かなり小さい。

「どこかの誰かが電子マネーを攻撃して、ほとんど文無しさ」

 どう答えることもできず、ただ、いいだろう、としか言えなかった。

 俺の方こそ、仕事を選ぶべきかもしれない。



(つづく)

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