2-4 南国の風
◆
時間になった。
毎秒二五〇アタックで、カジノの人工知能のアクセスポートに接触。
閉じているドアを開けるために、複雑な暗号を瞬間的に解読。同時に監視システムにも割り込み、ポートが開いたことを悟らせない。
侵入。監視のための人工知能を他所へ向けさせるために、わざと警備システムへの攻撃を起こす。防御システムの大半がそちらへ意識を向けている。
防壁が展開される。防壁が俺を意識しない細工は既に済んでいた。
防壁をすり抜けた瞬間、背筋が冷えるが、何も起こらない。
現実が気になったので、カジノの防犯カメラを観察。
ニールがルーレットの台で大金を賭け始める。事前に打ち合わせしたので、カジノに転がり込むチップの値は俺もよく知っている。
ニールが負けるたびに、カジノには仮想のチップが流れ込むが、その額を俺がやりくりしつつ、同時にカジノのそこここにある現金に付け加える。
架空の売買が設定され、カジノのチップを管理する人工知能は総額のぶれに気づかず、同時に別の、カジノの売り上げを計算する人工知能も何も気づかない。
四時間をかけて、ニールは完全に破産した。
俺も最後の手続きをして、人工知能から離れる。防壁を裏口からすり抜けて、離脱。
パチパチと瞬きをしても、目がチカチカする。指で目頭を揉みながら、立ち上がって背中を反らし、腰を伸ばす。
「終わったかい?」
リッチーがこちらを見る。寝台に横になって、端末で何か見ていたようだ。
「ああ、終わった。ここをすぐに引き払おう」
ニールは仕事が細かいので、装置を分解して納めるトランクケースまで用意していた。
二人で荷造りして、外へ出る。
「それで、これからどうなるんだ? リライター」
「現金輸送車に乗り込む」
「何だって? 現金輸送車? 今時、そんな車があるのか?」
「たった今、カジノは異常な額の儲けが出て、金庫に保管するのを回避するように俺が誘導した」
「ああ、そうか、あんたが作った偽のチップがその現金に化けたのか」
そうだ、と応じつつ、二人でトランクを引きずって通りを歩く。
カジノの建物が遠くに見えた交差点で、立ち尽くしていると、まさに現金輸送車がやってくる。眼の前で停車した。
不審そうな表情で男が二人、降りてくる。警備会社のサイボーグで、元は軍人だろう。
「ご苦労さん」俺は堂々と声をかける。「あとは俺たちが引き継ぐ」
「ああ」
警備員の一人がこちらに鍵束を手渡してくる。まだ胡散臭そうにこちらを見ていた。
俺はまっすぐに相手を見て、リッチーはどこか不安げだ。
この時、俺は右手で携帯端末の接触端子に触れ、目の前のサイボーグに毎秒二〇〇アタックを仕掛けている。
ちなみに人間に対する情報攻撃で、毎秒一〇〇アタックを超えると犯罪になる。
それはつまり、毎秒二〇〇アタックというのは、意識の一部を意図的に操作する威力ということだ。
今、目の前にいる二人の警備員は俺に思考を乗っ取られて、彼らの目には、俺もリッチーも警備員の制服を着ているように見えているのだ。
「俺たちはどこへ行けばいい? 会社からは何も聞いていない」
「すぐに乗り換える車が来る。あれだ」
俺が指差した先では、こちらへタクシーが走ってくる。無人の自動運転車。
これが二人の警備員には、警備会社の自動車に見えている。
頷いた二人が去っていくのと入れ違いに、俺とリッチーが現金輸送車に乗り込んだ。エンジンをかけ、走り出す。
「あんたほど残酷な男を俺は知らないよ」
リッチーが呆れたように言うのに、俺は肩をすくめる。
「ニールはどうやって回収する?」
「郊外まで走ってそこで合流する約束だ」
周囲は砂漠化が一層、進んでいる。すぐに建物もなくなり、砂と岩だけの世界になる。
朝になり、昼間になる。リッチーは助手席で座っていた。
俺は警備会社のシステムに攻撃を続けて、偽の現金輸送車を設定したりして、意外と忙しい。
後方から高速で迫ってくる電気自動車があるな、と思ったら、ニールだった。
車を止め、すぐにニールが車から出てくる。こちらも車を降りて出迎えた。
「うまくいったみたいだな、エドワード」
「確かめてみろよ」
鍵束を投げ渡し、受け取ったニールがさっさと現金輸送車の四重の物理ロックを開錠する。
扉を開けると、広いスペースに二つの大きな袋が転がっている。両方とも、札束が無造作に入っていた。
「俺も分け前をもらえるのかな」
リッチーがそんなことを言うと、不自然なほど首だけを捻ってニールが彼を見た。ちょっとリッチーは怯えたようだ。だが、ニールは嬉しそうに笑っている。
「いいだろう、鳶職。三人で分けよう」
その一言でリッチーは救われたようだった。
現金輸送車はここで放置することにして、俺とリッチーはニールの乗ってきた自動車に移った。現金もトランクに放り込んだ。
自動車が走り出し、ニールが自動車内蔵の端末を操作して、音楽を流し始める。昔懐かしい、AC/DCだった。
しばらく走り続けて、タバコを吸いながらこちらをニールが振り返る。
「それで、どこへ逃げる? これだけ金があれば、どこへでも行けるぜ」
「追っ手を考えると、しばらくはアメリカにはいられないからな、西ロシアでも行くか」
ソビエト連邦から受け継がれる思想は東ロシアが継承したが、西ロシアは一応は資本主義圏である。欧露戦争の申し子だ。
「寒い場所はやめようぜ、これから北半球は冬になる。行くなら南だ」
「南? オーストラリアか?」
「アフリカにしようぜ、二人とも」
リッチーが口を挟んできたので、俺とニールは彼を見た。リッチーはガムを噛んでいる。車に初めからあったものだ。前の持ち主のものだろう、おそらく。
俺たちの視線を受け、しかし平然とリッチーは答える。
「南アフリカだよ。あそこは情報化も進んでいるし、インフラの整備も万全だ。暖かい場所だし、自然も豊か。何より、女が美人だ」
女が美人かは趣味が分かれるところだが、なるほど、悪くはない。
「じゃ、南アフリカだな」
「ケープタウンに民間の空港があるから、出入りも楽だ」
リッチーもよく知ってるな。
自動車はそのまま砂漠を走り続けたが、ニールが手配したヘリコプターが現れ、それに乗り換えた。車は乗り捨てだ。なんか、こんなことばかりしているな。
ヘリコプターが個人所有の飛行場に辿り着き、ニールはそこにいた老人と親しげに話し、それで事情は通じたらしい。
そのうちにどこからともなく、小型のジェット機がやってきて、俺たち三人が乗り込むと、すぐに離陸した。
途中で給油することもなく、南アフリカのケープタウンの空港に降り立つと、ムッとした熱気が押し寄せてくる。
「ああ、素晴らしいな、自由というのは」
俺たちは空港から出て、近代的な町並みを前にして、思わず視線を交わしていた。
とりあえず、俺たちは自由になったらしい。
「さあ、しばらくは羽を伸ばそうぜ」
さっさと現金の詰まったトランクを両手に歩き出すニールに、俺とリッチーは従った。俺たちの手にもトランクがある。
誰も俺たちには注意を向けずに、通り過ぎていく。
確かに自由ってのは、素晴らしい。
南国の風が吹いた。
(第2話 了)
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