1-2 マインド・コンテンツ・インターフェイス
◆
マインド・コンテンツ・インターフェイスは、人間の生活を一変させた。
この装置は、人間の体に超微細な有機素子を埋め込み、人間の思考をそのまま電子信号に変えることを実現した。
それは、人間の思考を出力できる一方で、人間に電子信号を入力できる、ということだ。
最初こそ、考えるだけでメールが送れるし受け取れるとか、電話ができるなどという生温いものだったが、誰もが別のことを考えるのに時間はかからなかった。
酒を飲んで酔っ払いたいなら、その状態を電子信号で体に送り込めばいい。
空前絶後の快楽を得たいなら、それも電子信号で送り込めばいい。
こうしてまさにコンテンツを生み出す人間が誕生した。
情報が人間の意識に入り込み、自在に作用する時代。
コンテンツライターの時代。
しかしそれは現実という、絶対に脱出不可能な場所を地獄にしなかったし、おかしな形ながら現実と密接に、共存していくことになった。
アルコールを電子信号で再現できる。液体を飲み干す感覚、舌触りも、味も、他の雑多な情報も再現できる。だけど人はアルコールを実際に口にすることをやめなかった。
性行為の快感も電子信号になる。だが、風俗店は消えなかった。
情報的娯楽と、現実の娯楽は、共存している。
「で、どこを狙うって?」
夕飯のピザが来る前に、俺は装備を確認し、刑務所に入っている間に生まれた装置のマニュアルを読み込んでいた。電子マニュアルで、流し読みしていく。知っている装置と基礎は大差ない。
「国連が管理している全世界の電子マネー評価指数だ」
おいおい、と思いつつ、俺はマニュアルを読みつつ、装置を弄った。
通信加速装置、身代わり装置、情報防壁、全てが進歩しているな。こいつは、情報迷路の端末か。強度は、まぁ、及第点。
話を続行。
「評価指数を書き換えて、その間に電子マネーを両替していって儲けよう、ってことか」
「そう。どうだろう? できそうか、エドワード」
「できそうも何も、これだけ準備して、できません、やりません、と俺が言ったらどうするんだ?」
上機嫌にニコニコと笑いつつ、ニールが何か言おうとしたが、電子音が鳴り、ベランダにデリバリーのピザが届いたようだ。ちらっと見ると、ドローンが箱を置き去りにして去っていった。
部屋に戻ってきたニールが喋りながら、箱についている小さなコードに手で触れて、受け取りを認証。もう素早くピザの箱を開けている。
「お前なら出来ると俺は確信しているよ、リライター」
リライターというのは、コンテンツを書き換えることを生業とする業種で、一般用語だ。大抵、どこのコンテンツ制作会社にもそう呼ばれる職種の技術者がいる。
だが今、ニールが使っているリライターという表現は、そんなアマチュアに対する言葉ではない。
この超情報化社会で、決して書き換えてはいけない情報を書き換える、新しい時代の犯罪者。
言ってみれば、一般のリライターとは刃物を手にコンテンツの形を削り出したり、調整するように整形するが、俺たちはコンテンツを破壊することも、取っ払って別のものにすげ替えることもできる。しかも気づかれずにだ。
そのコンテンツには、絶対不可侵の人間の記憶、そして思考さえも含まれる。
社会では、人間の頭の中身まで、コンテンツという言葉で表現するようになったのだ。
ピザを食べているニールの横で、俺は工具箱から取り出した視力補正ゴーグルをかけ、ピンセット片手にコードを端子に半田付けする。
「食わないのか」
「冷たい飯の方が落ち着く」
悪趣味だな、とニールが呟く。だがすぐに話題を変えた。
「ユキが今、何をしているか、知っているかい?」
「刑務所に面会に来なかったし、仮釈放になっても気づかないだろう。つまり、完全に切れている。もちろん、その前から俺と彼女はそれほど繋がりは……」
言葉が途切れたのは、映像通信のコールが鳴り始めたからだ。
相手のアドレスは登録していないが、見慣れたもの。秘密のアドレスであり、ホットラインの一つ。
空中を指でなぞると、目の前に映像が映った。もちろん仮想の映像。
「やあ、ユキ、久しぶり」
美人の立体映像に、声に出さず、思考で直接に呼びかける。
彼女、ユキ・ドライブは微笑んでいる。
「仮出所、おめでとう。でも仮釈放中はマインド・コンテンツ・インターフェイスは休眠させておく、って宣誓書に書かなかった?」
「規則は破るためにある、というと、ちょっと子供っぽいかな」
「あなたって、いつまでもガキね。それで、マインド・コンテンツ・インターフェイスを復活させて、仕事をするわけでしょ? どういう仕事?」
じっとニールを見ると、奴はこちらに背を向けて小型の冷蔵庫を漁っている。
「まだよく知らないし、ユキが噛むような場面はないよ」
「何よ、秘密って事? あなたのこと、密告してもいいのよ」
「そういうことをするわけがない、と信じているよ。ちょっと忙しい。またな」
手で立体映像を撫でて、何か言おうとするユキを無視して通話を切る。ニールがビールの缶を片手にやってきた。
一本が放られて、受け止める。すでにニールは栓を開けていた。
「お前、ユキに俺のことを話したな?」
思わず問い詰める俺に、ニールは飄々と応じた。
「お前とユキは仲が良かったからな、一応、昔のよしみで連絡しておいた。この仕事についちゃ話しちゃいないが、まぁ、勘がいい奴だから、何か気づくかもな」
「仕事を成功させる気があるのか? 不確定要素は減らしたい」
「そうカリカリするな」
ピザをビールで流し込みつつ、思い出したようにニールが言う。
「ユキは今、マックスファミリーのボスの情婦だよ」
「マックスファミリー? どこのマフィアだ?」
聞いたことのない名前だった。
ニールはニヤニヤと笑っている。不愉快な笑みだが、受け流す。
「マックスファミリーは蔑称だ。実際はマックス・コード社というメーカー」
ああ、あそこか。有機記憶装置で有名になった会社だ。あの発明で百年赤字でも倒産しない、などと言われた会社だった。
「社長が変わってな、名前は忘れたが、まだ三十代で、俺たちに近い世代だよ。そこで社長に気に入られて、楽しく暮らしているらしい。どうだ? 悔しいか?」
「悔しい? 何が? 俺とユキは仕事仲間で、特別な関係じゃない」
そうですか、と笑って、ピザが冷めたぜ、とニールが箱をこちらへ押しやる。
仕方なく立ち上がり、ピザを一欠片手に取った。チーズは硬くなり、どこか全体的にパサついているそれを、少しのビールで飲み干す。この瞬間の満たされた気持ちは、他では味わえないな。
仕事についての打ち合わせになり、俺たちは激しく議論しつつ、ピザを食べ、ビールを飲んだ。
越えるべきハードルを認識し、それを超える対策を練る。俺たちの仕事は勝負に近い要素だが、下準備が綿密で、観察が正確で、臨機応変に適切な対処ができれば、どんな仕事でも、どんな勝負でも負けないと、俺たちは知っている。
日が暮れて、どこかでカラスが鳴いた。
遠くで銃声が聞こえた気がした。
(つづく)
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