3 坂佐井勇嵩の恋愛指南

「浮かねぇ顔してんなぁ、仮沢かりさわ穂龍ほりゅう! そんな顔じゃ青春は謳歌できねぇぞ!」


 バーン! という音と共に、掃除用具の入ったロッカーから現れたのは、他ならぬ坂佐井さかさい勇嵩いさかさだった。この学校で、そんな風に登場する人物はこの人を置いて他にいない。他にいてたまるか。

 

勇嵩いさかさ先輩……いつからそこにいたんですか?」


「ん? 『先に断っておくと、僕は恋愛の機微に疎いわけでも聡いわけでもない』のあたりからだが」


「最初からじゃねぇか!」


 なんで僕より早く教室にいるんだよ。自分の教室にいろ。


「そんな些事は捨ておけよ。俺は坂佐井さかさい勇嵩いさかさだぜ?」


「そうですね。あなたに常識を問う方が非常識ですね……」


 苗字からも分かる通り、勇嵩先輩は坂佐井咲傘の兄である。彼女と同様、彼もまた突出した傑物だ。坂佐井咲傘を一騎当千の才色兼備だと評するなら、坂佐井勇嵩は唯一無二の天下無双。問題が出される前に回答し、競技が始まる前に優勝している――そんな冗談を現実にするのが彼である。


 だから勇嵩先輩には、僕の置かれている状況など説明するまでもない。


「ったく、学園のマドンナに告白を受けたはいいものの、真偽が分からず憔悴したような顔しやがって! この俺が一目置いた男だぞ、お前は! あまりガッカリさせてくれるなよ!」


「やっぱりお見通しなんですね……」


 ていうかマドンナて。昨今聞かねぇぞそんな言い回し。


「でも先輩のような天才に、僕の気持ちなんて分かりませんよ。僕みたいな凡人の気持ちなんて……」


「そうでもないぞ。というか俺は、一度だってお前を凡才などと思ったことはない――現にお前は、咲傘の傍にずっといるじゃねぇか」


「え?」


「考えてもみろ。どんな時も、喋りたいと思うことの対義語しか言えねぇ女だぜ――


「それは――」


 確かに、咲傘と普通に会話するのは大変だ。僕も入学してからずいぶんと難儀したけれど、人間頑張ればなんとかなるもので、必死に勉強してなんとか彼女の言葉が分かるようになった。


 そうしなければ多分、咲傘は今も一人ぼっちでいただろうから。


「お前には感謝してるんだぜ、穂龍。俺も兄として咲傘を見守ってきたが、お前みたいに自然と傍にいてくれる奴は初めてだ。まずはその偉業を誇れよ。お前に欠点があるとすれば自信の無さだぜ」


「僕を評価してくれるのはありがたいですけど……それでも僕は、凡才ですよ」


 咲傘に返事すらせず、最悪の事態を想定して逃げている。結果を先延ばしにしている。

 たったひとかけらの勇気を振り絞れず、保留している。


「咲傘に負けず劣らず、面倒くさい奴だなお前は。まぁいいさ。そのために俺が来たんだからな」


「え?」


「お前に答えを教えてやるって言ってんだよ」


 そんな勇嵩先輩の言葉に、心の底から頼もしい、だなんて思ってしまった。


 しかし同時に――自分で答えにたどり着けないのだと思うと、少し虚しくもあった。

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