カット5 お詫び

「ただ、この力はこれまで物体にしか使ってこなかったんです」

「え? なんでですか?」


 なんか、すげぇ便利そうな力なのに。


「この能力を『時を進める』ではなく、わざわざ『時を別次元に飛ばす』といっている理由でもあるのですが……」


 由梨は茶色になったバナナを再び持ち上げた。


「先ほども言ったように、この世界の私たちには『熟す前のバナナ』と『熟しきったバナナ』しか認識できません。しかし、このバナナは『飛ばされた』『別次元で』『熟していく時間』を過ごしてから、再びこの世界に戻ってきているのです。投げたボールも『弧を描きつつ飛んでいく』時間を『別次元で』過ごしてきているのです」


 うーん、ちょっとわかりにくい言い方だけども、ということは……?


「じゃあ、俺も『目的の場所に移動している時間』を『別次元で』過ごしてきているって言うんですか? でも、俺、そんな別次元に行っていた記憶ないんですけど」


 毎回、気付いたときにはすでに目的のところに移動してたよ?


「その別次元は、力を受けた人もそこに行っていたことを認識できないようなんです。ですからこの能力の被対象者も、始まりと終わりしか実感は出来ません」


 別次元ってのも見てみたかった気はするが、そりゃ残念。


「ただ、らしく、この力を普通の人が受けるとひどく体調を崩してしまうのです。乗り物酔いのとても酷い状態とでもいえばいいんでしょうか。以前、涼くんや明日香が数秒ずつ実験台になってくれたのですが、体験後に体調を崩して半日動けなくなってしまったほどです」

「半日⁉ そんなにですか!」

「ええ。ですから、トキオさんには全く影響がないということに驚いたのです」


 なるほど。だから涼は、理沙の転落事故の後、あれだけしつこく俺の身体を心配していたのか。


「今の私の力はこの『時を別次元に飛ばす』能力だけですが、この力は年齢を重ねるごとに強くなっていきます。ですから私の母は私よりも強い力を持っています」

「これよりも強力って……」


 由梨の力でも、充分すごいと思うのだけど。


「緒女河家のこの能力は、本当にごく一部の人間しか知らない機密事項です。しかし、どういう経路からかこの力の存在を知った人物が、悪用目的で私や母を狙ってくることがあるのです。ただ、母の力は強大で母を狙うことは困難を極めるため、まだ力に目覚めきっていない私が狙われやすいんです」


 だから、由梨が誘拐された場合のフォロー態勢もあれほどしっかりしていたのだな。

 何かあることを前提としていなければおかしい準備がたくさんされていたが、こんな唯一無二の能力を狙われているなら、その対策が厳重になるのも当然だ。


 なるほど。

 これで身代金なんかよりも、由梨の今の力や、これから強くなる力の方が価値があるというのは俺でもわかる。理沙が無事でいて、しかも交渉材料になるっていうのは、緒女河の女性の力の方が重要だったから、という訳か。


「緒女河の家の騒動に、トキオさんや理沙さんを巻き込んでしまったこと、改めてお詫び申し上げます。ご迷惑をおかけして、ほんとうに申し訳ありませんでした」


 由梨が深々と頭を下げた。


「そんな、謝ることはないですよ。怪我人も出なかった訳ですし」


 実際、俺のこの検査入院の原因は、誘拐事件ではなく理沙のチョークスリーパーのせいなんだし。


「いいえ。よりによって『えい研』の活動の最中に、こんなことが起きるなんて想定していませんでした」


 そう言う由梨の表情は固く険しい。


「私も、自分がどれだけ狙われた存在であるのか、今回、改めて思い知らされました。両親に我が儘を言って枳高校に在学してきましたが、やはりもっとセキュリティのしっかりとした学校に行かないといけないでしょうね」


 俺は由梨の言葉に驚いた。


「え? まさか、由梨さん、転校するつもりですか⁉」

「はい。そうせざるを得ないと思っています」


 由梨の今にも泣き出しそうな表情をみて、


「ダメですよ、それは!」


俺は力強く言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る