カット4 緒女河家の秘密
――まあ、そんなことを言われる気はしていた。
しかし、本当に言われると思わず苦笑いしたくなる。
「またまた、由梨先輩てば冗談がお上手!」
本当なら、そう言ってからかいたいところなのだが、残念ながら全くそんな雰囲気ではない。
俺は神妙な顔で由梨の言葉の続きを待った。
「トキオさんの身体に起きたことは、緒女河の力を使って起こしたことです。実際にお見せした方が分かりやすいでしょう。これを受け取ってください」
そういうと由梨は、コートのポケットから取り出した黄色いボールを投げてきた。由梨の奇妙な発言のあとなのでボールを受けるのにちょっとビビったが、キャッチしたボールは何の変哲もないただのゴム製カラーボールだった。
「説明用に用意してきました。そこから、その階段室の壁まで、ゆっくりとボールを投げてもらえますか?」
「……はあ」
俺は言われた通り、ゆっくりとした動作で振りかぶると、ボールを数メートル先の壁に向けて投げた。
ボールはその軽さもあってか、空気の抵抗を受けつつ緩慢に、大きなアーチを描いて壁に当たった。跳ね返ったボールは由梨が拾った。
「今のボールの軌道を覚えておいてください。続いて、このボールをトキオさんだと思って私が力を使います。同じように、もう一度投げてもらえますか?」
言いながら、由梨は俺に再びボールを投げてよこす。
このボールが俺?
意味が分からないまま、俺は再び、ゆっくりと振りかぶってボールを投げた。
気付いた瞬間、ボールは壁に当たっていた。
俺が投げたボールは何一つ弧を描くことなく、まるで俺の鼻の前に立つ壁へ投げたかのように、気付けば壁に当たっていたのだ。俺の方は、ボールを投げるときに上げた足さえ、まだ地についていなかった。
……なんだ、これ?
壁にバウンドして戻ってきたボールを由梨が拾い、黙って俺に投げてよこした。
質問したい気持ちを抑え、今度は下投げで、より一層ゆっくりとボールを投――
ボールが壁に当たった。
今度はしっかり意識していたが、ボールは俺の手から離れた瞬間に、壁に当たっていた。ボールを離した俺の右手は、まだボールを投げ終わったモーションの途中だ。
「ボールの軌道が……」
俺が呟きかけると、
「これがわたしの持つ能力、『時を別次元に飛ばす』力です」
遮るように、由梨が言った。
「時を、別次元に、飛ばす?」
由梨の言った言葉の意味が分からず、俺は一つずつ、文節に分けて発音してみた。
いやいや、そんな日本語、聞いたことない。
「いま私は、トキオさんの投げたボールが『壁に向かって飛んでいく時間』を『別次元に』『飛ばし』たんです。結果、この世界にはボールが『投げられた』という始まりと『壁に当たった』という終わりだけが残ります。この世界にいる私たちには、その始まりと終わりしか認識できないのです」
由梨が、ボールを手に持ったまま大きくアーチを描く動きをした。
「なんだか、わかるようなわからないような……」
「トキオさんの身体に起きたこととは違いますが、この能力を目で見てわかってもらうために、もう一つお見せします」
言いながら由梨は今度、ボールが入っていたのと逆のポケットからバナナを出してきた。
「トキオさんの病室にあったバナナを拝借してきました」
さっき、涼がお見舞いと言って置いていったフルーツ盛り合わせの中のものだろう。もらったばかりだから、当然まだ綺麗な黄色をしている。
「このバナナの『時を別次元に飛ばす』と、こうなります」
言った瞬間、由梨が手に持っていた黄色のバナナが茶色になっていた。
「うわ! なんだ、こりゃ!」
これは見たまま変化が分かりやすかったので、俺は声をあげて驚いた。
「いま、このバナナの『熟していく時間』を『別次元に』『飛ばし』ました。私たちの前には『熟す前の黄色いバナナ』という始まりと『熟しきったあとの茶色いバナナ』という終わりしか存在しません」
「はあ、なるほど……」
ちょっとわかってきたぞ。ということは……。
「じゃあ、あのスタンガン男に殴りかかった時も、理沙が窓から転落した時も、さっきのゴムボールと同じように俺の『移動する時間』を『別次元に』『飛ばした』から、俺には『走りだす』始まりと『目的の場所にたどり着く』終わりしか存在しなかったってことですか?」
「はい、そういうことです」
おおお、マジか。
じゃあ、周りには俺がさっきのボールと同じように、パッと瞬間移動したように見えていたってことか。
「中庭では、理沙さんを助ける一心で、周りも確認せずにトキオさんに力を使ってしまいました。もし他の生徒が見ていたら大騒ぎになっていたでしょう」
あのときは理沙が派手な悲鳴をあげたせいで、中庭の生徒は一斉に落下する理沙に注目した。おかげで俺が、B校舎の入口から理沙の落下地点まで、こんな瞬間移動をしていたなんて誰も気づかなかったのか。
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