カット5 交換
「……なんの話ですか?」
由梨に抱きしめられたまま、状況が呑み込めずに俺が尋ねた瞬間、
「おい! いい加減、誰かいるのなら出てこい!」
スタンガン男が再び、工場に響く大声で叫んだ。
俺は由梨から離れて涙を拳で拭った。
「緒女河の人間なんだろう? それなら話は早い。お宅のお嬢さんと、この女を交換しようじゃないか。俺たちはクライアントからの依頼で、お嬢さんにだけ用事があるんだ」
交換だって?
由梨と理沙の交換なんて、お前ら以外に誰が得するっていうんだ。知るか!
しかし、俺の隣で由梨が急に立ち上がろうとしたので、俺は慌てて由梨の腕を掴んだ。
「ちょっ、由梨先輩、何してるんですか!」
俺が小声で制する。
「私が行けば、理沙さんが解放されるんです。いきます」
「ダメですよ! 何のために涼先輩たちが頑張っていると思っているんですか!」
「私の代わりに誘拐された理沙さんが危険にさらされているのを、これ以上見ていられません。止めないでください」
そうなのだ。
理沙が誘拐されて最も責任を感じていたのは由梨なのだから、こういう選択をしかねないことはわかっていた。だからこそ、涼たちも由梨を連れてこなかったのだ。
やはり、縛りつけてでも由梨を車の中で待機させてなければいけなかった。完全に俺のミスだ。
「気持ちは分かりますけど、あなたが向こうに拘束されたら、もっと問題が大きくなっちゃいます。警察ももうすぐ来てくれるはずです。もう少し待ちましょう! ここは我慢してください!」
俺は、なんとか由梨を説得しようと努力する。
そうだ。
ここでこのまま待っていれば、じきに警察が来て、すべて解決してくれる。
この場をやり過ごせば、きっとみんな無事に帰れる。
これは逃げではない。戦略的撤退だ。
このとき、自分の選択ミスで取り返しのつかない事態になりかかっている責任に、俺は押しつぶされそうになっていた。
だからこそ、いま目の前で起きている全てから逃げるように、頭の中で自分を正当化するので必死だった。
情けないことに、そこに俺の信念は何一つなかった。
「出てこない気なのか?」
スタンガン男が問いかけてくる。
「アニキ、やっぱり誰もいないんじゃないスか?」
ノートパソコン男が、スタンガン男に声をかけた。
いいぞ、疑心暗鬼になってる。このまま黙っていれば、そのうちにまた警戒も緩めてくれるだろう。
やはり、このまま静かに隠れているのが正解だ。
俺は一層、身を縮こまらせて息を潜めた。
「いや、絶対いる。間違いない」
スタンガン男はそう言い、懐からバタフライナイフを取り出して広げると、理沙の頬近くにゆっくりナイフの刃を寄せた。
「よく聞け! この人質の女が無傷でいなければいけないってことはないんだからな! 出てこないなら、コイツの顔に一生ものの傷がつくぞ!」
「ふ ざ け ん な 、 こ ら ぁ あ あ !!」
気付いたとき、すでに俺は隠れていた物陰から飛び出してスタンガン男へ向けて駆け出していた。
待つ? やり過ごす? 我慢?
できるか、そんなもん!
理沙に何をしようとしやがるんだ、コイツは!
殴る! コイツだけはぶん殴る! ぜったい殴る!
スタンガン男との距離はまだ遠い。
ノートパソコン男も、近づく俺に驚いてポケットに手を突っ込んでいる。コイツも何か凶器を出すつもりだろうか。
しかし、そんなことは俺の知ったことではない。
途中に何があろうが、俺の身体に何が起ころうが、このふざけたスタンガン男だけは絶対にぶん殴る。
俺がそう決めているんだから関係ない。
俺は右こぶしを振りかぶったまま、スタンガン男までの絶望的な距離を力の限り走っ――
――ていたら、俺の目の前にスタンガン男が急に現れた。
俺も驚いたが、突然、目の前に俺が現れたスタンガン男の方も大分驚いたらしい。
目出し帽の中の目玉が、大きく見開かれたのがわかった。
そして、スタンガン男がバタフライナイフをこちらに向ける暇もなく、俺の渾身の右拳がスタンガン男の鼻柱にめり込んだ。
「ぐええ!」
スタンガン男は悲鳴を上げながらナイフを落して後ろ向けに倒れた。その勢いのまま、俺もスタンガン男と一緒に倒れ込んだ。
「え! え! なに⁉」
ノートパソコン男は、遠くから向かってきていたはずの俺が、急にスタンガン男を殴って倒れ込んでいたので、手に持ったナイフの刃を出す間もなくパニックになった。
その瞬間、ノートパソコン男のナイフを握った手がゴキッだかボキッだかいう鈍い音とともに砕かれ、ナイフが床に落ちた。
「
ノートパソコン男の叫び声と一緒に、大きいビー玉ぐらいのサイズの鉄球がゴトンと床に落ちるのを、倒れたままの俺が見つける。
これ、ひょっとして、明日香が放ったスリングショットの球か?
こんなデカい球なんだ。こりゃ、痛いわ。
そして、ノートパソコン男が痛がっている隙を縫って、飛び出してきた黒い影が男に掴みかかると、
「ひぃぃいいい!」
という男の絶叫とともに、一瞬にして男を空中で一回転させて地面に叩きつけた。
「ちっ……さすが、クソイケメン……」
黒い影の正体である涼が俺の方へ駆け寄ってくるのを見ながら、俺は『麗しの君』の前で
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