カット4 緒女河家
由梨が説明を続ける。
「小学校から中学校まで私は、犯罪の標的になりやすい緒女河家の長女ということで、外部からの接触が不可能な完全警護のついた全寮制の学校に通っていました。両親はそのままエスカレーター式に高校へ進学をさせるつもりでしたが、私がどうしても、高校は一般の方も通う学校に通いたいと我が儘を言ってしまって……」
その話なら、由梨に再会した日の『えい研』の部室で涼からも聞いている。
そのために俺たちは『麗しの君』を緒女河の名字で呼ばなくなった訳だしな。
「ただ父から、『一般の高校では、どうしても安全面で心配が残るから』と、学内でボディーガードをつけることを枳高校への進学条件にされたのです。しかし、それでは私が望む一般的な高校生活など望むべくもありません」
そりゃそうだ。四六時中、ボディーガードが付いて回る生徒と仲良くなろうとする高校生がいる訳ない。樫尾なんか、話しかけようとしただけで捕らえられてしまうだろう。
金持ちってのも考えることが飛び抜けてるな。
「そこで、学内での私のボディーガード役として選ばれたのが、緒女河の屋敷の中でも私と年齢が近かった涼くんです」
由梨の言葉のあとを涼が引き継ぐ。
「最初にこのボディーガードの件で緒女河家から相談を受けたのが三年前。僕は今と同じ高二だった。高校を卒業後、僕は緒女河家の執事になるべくイギリスにある
ハンドル操作は荒々しいのに、鼻歌でも歌い出しそうな涼しい声で涼は話す。
俺は運転に酔わないように注意することと、涼の話についていくので必死だった。
それにしても、イギリスにある
「養成学校に通わなくとも、緒女河家の執事の仕事なら日本で父からも学べるしね。それよりも、オメガグループが持つ運転免許施設で様々な免許を無料で取得させてもらえたし、護身術まで一通り学べたから、僕にとってははるかにプラスだったよ」
涼は何でもないことのように言ったが、それも由梨に不要な負い目を感じさせないために言っていることは俺でも分かる。
「実のところ、学力的に枳高校特進科の一組は僕にとってちょっと荷が重いんだけど、緒女河家が刻文院学園の理事長と懇意にしていてね。事情を考慮して、僕をなんとか一組に滑り込ませてくれたんだ。高校生は二度目だし、高校三年間の授業はすべて予習が済んでいるようなものだから、今のところ授業にはなんとかついていけてるけど」
由梨のために高校三年間を二度過ごすってことか。卒業するときは二十一歳になるの? マジかよ。
俺と四つも年齢が離れているくせに、イケメンが過ぎて高校二年でも違和感が全然ないのがムカつく。
ただ、俺よりたった一つ上の年齢で、あれほど女性に気遣いができていたなら末恐ろしかったが、今年二十歳になると言われて納得がいった。
いくらイケメンとはいえ、清古と比べて女性の扱い方に余裕がある訳だ。
「しかし昨年、入学早々にちょっと問題が起きてね」
問題?
「由梨くんと一緒に枳高校に入学して、実際に僕が秘密のボディーガード役として由梨くんのそばにずっといると、どうしても男女の噂が流れてしまったんだ」
当たり前だろ!
認めたくはないが、こんな美男美女がいつも並んで歩いていたら誰だって距離をとるし、妙な噂だって立つ。
緒女河家には、それぐらいのツッコミができる人間もいないのか。
「そこで今年、明日香にも枳高校に入学してもらったんです」
由梨がそう言うと、
「私は今から二年前の十二歳のとき、家の事情で母とともにロシアから、ほぼ着の身着のままで日本にやってきました」
今度は助手席から、明日香が自分の話を始めた。
「その後、ご縁があって現在まで緒女河家に母子ともにお世話になっております。母に仕事を与えてくれて、私には中学まで通わせてくれた緒女河家へのご恩返しのために、中学卒業後には私も母と一緒にメイドとして働くつもりでした」
明日香は明日香で、高校進学もせずに、そのままメイドになるつもりだったのか。
あまりにも普通に話すから重大なことのようには感じないが、緒女河家と明日香親子の間には色々と事情がありそうだ。
「ですが、由梨さんのお母様が、私の演奏するピアノを聴いて枳高校の芸術科で本格的にピアノを学ばないかとご提案してくださったんです。それを聞いた旦那様が、そのレッスンの空いた時間に涼さんのフォローをすればいいという条件で、私の高校の全学費を負担してくださるというので、恥ずかしながらお言葉に甘えることにしました」
まあ、明日香のピアノを聴けば、そのままメイドをさせておくのはもったいないと思うだろうな。
「明日香は、涼くんとは反対に飛び級入学になってしまって負担をかけさせてしまいましたが、日本に来て数年でここまで日本語が操れるようになるほど優秀な子なので、学力は全然問題ありませんでした」
由梨が明日香の言葉につけ加える。
たしかに、明日香の流ちょうな日本語を聞く限り、学力面は問題なさそうだ。
「でも、ボディーガード役として女性って大丈夫なんですか?」
俺は気になって尋ねた。
俺が知っている明日香の特徴といえば、ピアノが弾けることと、紅茶を淹れるのがすげぇ上手ってことと、とんでもない美少女ってことぐらいだ。そんな女性を、誘拐犯追跡の車に乗せるのは危なくないか?
「ご心配いただき、ありがとうございます。ですが、私も有事のときにお役に立てる技術がありますので」
明日香は前方を見据えながら答えた。
なるほど、きっと涼と同じように何らかの特殊訓練を受けているということか。
「あとは、僕たち三人が一緒にいることが不自然ではない環境を作る必要があったので、『映画映像絵画研究部』を発足させたという訳さ」
「え! じゃあ、『えい研』って実際は由梨先輩とボディーガードのグループってことなんですか?」
俺は驚きの声を上げた。
なんだか、だいぶ話がややこしくなってきたぞ。
由梨が緒女河家の長女というのを聞いた日並みに情報量が多い。いよいよ、俺の頭がいっぱいいっぱいになってきた。
「いえ、映画や絵画が好きというのは本当ですよ! ただ、男性と女性が一緒の場所で活動できるとなると文化系の部活に限定されますので、趣味と実益を兼ねて、といった感じです」
趣味と実益、ときたか。由梨の言葉に俺は苦笑した。
とにかく、『えい研』が部活の形をなした由梨の護衛集団であることはよくわかった。
――でもそれなら、俺の『えい研』における存在価値って?
俺はふと、思った。
思わず勢いに任せて車に乗り込んでしまったが、涼や明日香のように取り立てて特技もない自分は、いま、向かっている場所で何ができるのだろうか。
俺は、あまりに沢山の情報とまとまらない思いを抱えたまま、自分の手を見つめた。
なんとなく、嫌な汗が俺の掌に滲んでいた。
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