カット2 誘拐

 涼はバックミラーで俺が後部座席に乗り込んだのを見て一つ溜息をついた。


「これ以上、ここで時間をかけていられない。ケガをしても知らないよ?」


 言って、涼はアクセルを一度、大きく空吹かしした。


「大丈夫です……。連れて行ってください」

「仕方ない。シートベルトをしっかり締めてくれ」


 その言葉と同時に、車は急発進した。覚悟はしていたが、すごいスピードだ。バックミラーに写る清古がみるみる小さくなっていく。


 そんな運転の中、助手席の明日香は平然とつり革ベルトを握りつつ、空いた手でスマートフォンを取り出して素早く画面を操作すると、そのまま耳に当てた。


「もしもし、明日香です。これは訓練や間違いではありません。正式に、エマージェンシーコールにかけています」


 明日香の声は冷静で、落ち着いていた。


「――誘拐です」


 明日香の口からハッキリとした口調で「誘拐」という言葉が出て、俺は改めて緊張した。

 そうだ。これはれっきとした誘拐で、犯罪なのだ。


「現在、誘拐実行犯を涼さんが運転する車両で県道二十八号線を西に向かって追跡中。GPSは由梨さんのコートのものです。発信機3番を追ってください。警察と情報共有をお願いします」


 どうやら明日香は警察ではなく、緒女河家の警備担当のような部署に連絡しているようだ。

 それにしても、由梨の服にはGPSが仕込まれているのだな。しかも、コートが3番というなら、他の私物にもいくつかGPSがついているのだろう。

 こんな非常事態なのに、落とし物したときとか便利そうだな、とか考えてしまった。


「ただし、由梨さんは無事です。誘拐されたのは由梨さんのご学友の青鹿 理沙さまです。そうです、恐らく人違いで……」


 そう言う明日香の声が一瞬、沈んだのを感じた。


「はい。由梨さんはこの車両に同乗しています。はい、申し訳ありません、学校に残るようにお伝えはしたのですが」


 明日香がそこまで言うと、由梨が明日香のスマホを後ろから取った。


「もしもし、由梨です。はい、私に怪我はありません。――いいえ、今から降りていては犯人たちの車を見失うことになりかねません。涼くんと明日香もいますから大丈夫です。――はい、もちろん危険なことはしません。まずは一刻も早く警察に連絡をしてください」


 由梨はそこまで一方的に話すと通話を切り、改めて俺の方を向いた。


「トキオさん、本当にごめんなさい」


 由梨が俺に頭を下げる。


「理沙さんとトキオさんを危険な目に合わせてしまいました。私たちの不手際です」

「俺のことはいいです。それより、これはやはり、由梨先輩と間違えて理沙が誘拐されたってことなんですか?」


 ようやく足のスタンガンの痛みも引いたようだ。まだ力を入れることは難しいが、普通に話せるようにはなってきた。

 俺は、改めて今の状況を由梨に確認した。


「はい、おそらく……。直前まで私が着ていたコートを目印にしていたのかもしれません」

「コート、ですか?」


 GPSの入ったコートのこと?


「校門前での撮影で、理沙さんは撮影のために制服でしたし、私だけがコートを羽織っていました。そのときに、犯人たちは私を確認したのでしょう。でも、そのときは撮影の全員が校門前にいたので、さすがの犯人たちも手が出せなかったんだと思います」


 由梨が絞り出すような声で答えた。

 確かに、目出し帽の犯人たちは三人しかいなかった。逆に俺たちは撮影時、『えい研』メンバーに清古や大出間も含めて六人もいた。いくら犯人にスタンガンがあるとはいえ、手出しできなかったのだろう。


「撮影を中断して、私たち全員が校内に戻った時点で、犯人たちは今日の犯行を八割がた諦めていたのではないでしょうか。それが、私のコートを着た黒髪の女生徒が再び出てきたので、急遽、行動に移したのかもしれません」

「それほど慌てて誘拐を実行したから、理沙と由梨先輩の確認もキチンとしていなかった、ということですか?」


 俺の質問に、由梨が頷く。


 言われてみれば、明日香はブロンドヘアだから由梨ではないとすぐにわかる。でも、同じ黒髪ロングになっていた理沙と由梨では、遠目の後姿ではコートを着ている、着ていないぐらいしか見分ける方法がなかったか。


「なんてこった。由梨先輩のコートにGPSが付いていてラッキーだと思っていたら、そのコートのせいで理沙は誘拐されたんですね……」


 俺が呟いた言葉を聞いて由梨がうつむいた。

 しまった、責任を感じちゃったか。由梨は親切で理沙にコートを貸したのに。


「すいません。まるで由梨先輩のせいのような言い方をしてしまって……」


 俺が隣の席の由梨に頭を下げると、


「いえ。緒女河家の問題に巻き込んでしまったことは事実なのですから、私のせいです」


由梨が沈痛な顔で言う。


「でも、理沙は大丈夫でしょうか? 理沙の家は一般家庭だし、この誘拐が金銭目的だったとしたら、失敗に気付いた犯人が逆上して理沙に危害を加えないとも限らないんじゃ……」

「それは大丈夫だと思います。言い方は悪いですが、犯人たちにとって理沙さんは、緒女河家との交渉カードになります。ですから、すでに犯人たちも拉致したのが私でないことには気づいているでしょうが、かといって理沙さんが危害を加えられる可能性は低いです」


 理沙を心配する俺の言葉に由梨が答えた。


「交渉カード、ですか? 理沙を誘拐したからって、犯人が緒女河家と何を交渉できると言うんです。金銭を要求されても、緒女河家が身代金を払ってくれる訳ではないでしょう?」


 俺は思わず、理沙のことが気になって強めの口調で由梨に訊ねた。

 しかし、由梨は俺の目をしっかりと見て、ハッキリと言った。


「犯人の目的が金銭であるというなら、私が両親に掛け合って理沙さんの身代金は払ってもらいます。お金なんかで理沙さんが帰ってくるなら、それが一番です」


「お金なんか」って、マジか。

 緒女河家と直接関係がない理沙のためだとしても身代金を払うって言うのかよ。

 さすが緒女河家、スケールが違う。


「ただ、犯人たちの目的は、緒女河家の金銭ではない可能性の方が高いのです。そうなると、理沙さんに危害は加わらなくとも、解決に少し時間がかかるかもしれません」

「……金銭目的ではないって、どういうことですか?」


 止まらない俺の質問に、


「トキオくん。疑問もあるだろうが、説明は後でゆっくりさせてもらう。今は理沙くんを追跡することに、全員で注力しようじゃないか」


あいだから涼が声をかける。相変わらずこのイケメンは、こういうときでも冷静な話し方をしやがる。


「……そうですね。ここで言い合っていても問題は解決しませんし」


 まあ、涼のおかげで俺も少し冷静さを取り戻すことができた。



 ――で、冷静になった俺には、一つ気付いたことがある。



 慌てているから、みんな気付いていないのか?

 これは、気付いた俺が代表してツッコむしかないのかな。

 俺は大きく息を吸って、涼に向けて言う。




「アンタ、なに、平気な顔して車を運転してんだ⁉」

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