カット5 黒髪

「お疲れ様でした! それでは、撤収を始めましょうか」


 由梨がそう言ったので、俺たちは片づけに入る。


「アタシ、校門に置いたままの私物を取ってきます」

「ああ、理沙。俺も機材を運ばなきゃならないし行くよ」


 俺は理沙の隣に並んで校門へ向かう。


「お疲れさんだったな、理沙。慣れない仕事で大変だったろ?」


 少しは今日のモデルを労ってやらないと。

 俺は理沙に声をかけた。


「ありがと。ホントに緊張したわ。アタシ、大丈夫だったのかな?」

「プロカメラマンがOK出してるんだから大丈夫だろ」

「トキオは、どう思うの?」

「え、俺? ……ん、まあ、よかったんじゃないか?」


 理沙の急な問いかけに、俺は不器用に答える。


「へえ、よかったかぁ。そっか。……頑張った甲斐があったな」


 理沙が、前を見ながらニコニコしている。なんだ、可愛いじゃないか、コイツ。

 うーん、でも、理沙が素直に喜んでいると、どうしてもからかいたくなってくるんだよな、俺って。


「それに、今のお前の後姿は由梨先輩そっくりなんだぞ? 綺麗に決まってるじゃないか。それにしても、うまく化けたもんだな、後姿だけだとしても」


 悪いクセだとわかっていながらも、俺は理沙をからかってしまう。


「何よ、化けてるって! そういう言い方やめてよ」


 校門までたどり着いた理沙が、置いてあった自分のトートバックを持ちながら俺に怒った。


「悪い、悪い。でも、理沙ってそういう髪色と髪型も似合うんだな。いつもの髪色しか見たことないし、一度ぐらい、本当に黒髪ロングにしてみてもいいんじゃないか?」


 俺がいつもの調子で気楽にそう言うと、


「……トキオ、覚えてないの?」


理沙が動きをとめて俺に尋ねてきた。


「どうした? 何の話だ?」


 俺も、荷物をまとめる手を止めて理沙の方を向く。


「トキオ、幼稚園のころに公園で言ってくれたじゃない。『理沙ちゃんの髪の色、僕、きれいで好きだよ』って」

「は?」

「アタシは元々地毛が茶色で、でも幼稚園には黒髪の子しかいなかったから、当時は自分の髪色がすごくイヤだった。その日も、公園でトキオと遊んでるときに急に悲しくなって泣きだしたわ。でも、トキオがそう言ってくれたから、アタシ嬉しくて」


 ……おいおい、ちょっと待ってくれ。


「それで、アタシ言ったの。『ありがとう。じゃ、アタシ、トキオくんのお嫁さんになってあげるね』って」


 うん、言われたね。


「そうしたらトキオは『うん、理沙ちゃんをボクのお嫁さんにしてあげるよ』って答えたわ」


 うん、言ったね。


「お前、覚えてたの?」


 思わず聞いてしまう。


「忘れてると思ったの?」


 理沙から逆に尋ねられる。


 いや、だってお前、そんな話、あれから一度もしなかったじゃん。

 こっちだって、もうとっくに忘れられたんだと思うじゃん。

 幼稚園の頃の話だし、俺ばっかり覚えてるなんて恥ずかしいじゃん。


「アタシは覚えているよ。だから、ずっとこの髪色で通してきたの」

「そ、そうだったの?」


 それは知りませんでした。


「トキオは、本当にアタシに黒髪にしてほしいワケ?」


 理沙は真剣な目で俺に聞いてきた。


「いや、そんな深い意味で言った訳ではなかったんだけどさ……」


 なんだか変な展開になってきたぞ。どうしよう。


 急に緊迫した雰囲気になってしまったので俺も困ってしまい、思わず目線がフラフラと泳いだ。




 ん?

 なんだ、あの車。



 ふらついていた俺の視線が、猛スピードでこちらに近付いてくる車を見つけた。妙にいかつい黒のバンで、しかも全面フルスモークという、いやに物騒な車だ。


 外見通りの危なっかしい運転をしやがる。

 俺は理沙に注意を促そうとした。


 そのとき、車のタイヤから鋭いブレーキ音が鳴り響いた。

 理沙もその音に驚いて車の方を振り向いたところ、運転席と後部座席のスライドドアが開き、スーツ姿に目出し帽という、これまた物騒な男が三人出てきた。


 いよいよ物々しいな。いかにもドラマみたいで怪しげじゃん。


 俺は現実味のない雰囲気に笑いながら、なんとなく気になって理沙の傍に歩み寄った。

 すると男たちは俺と理沙を取り囲み、理沙の両腕を目出し帽の二人が掴むと車に連れ込もうとし始めたではないか。


「ちょっ、ちょっと! 何やってんだ、アンタたち!」


 俺は驚いて、理沙を掴んだ男の腕を取った。



 ――瞬間。



「ぁいてえぇえええぇ!」


 右足に針を何千本も刺されたような強烈な痛みを感じ、俺はその場に倒れた。



 痛い! 痛い! なんだ⁉ 何をされた⁉



 右足を抱えながら、あまりの痛みに涙が滲んだ目で男を見上げると、男は手に蒼白い稲妻が走る器械を持っていた。


「ス、スタンガン……?」


 男たちを止めたいのに、右足に力が入らなくて立ち上がることが出来ない。足が曲った状態から全く動かせなかった。


「待てよ……」


 痛みをこらえて声を出すだけが精一杯だった。


「トキオ!」


 目出し帽の男たちに、フルスモークのバンの後部座席へ押し込められる理沙の、俺を呼ぶ叫び声がはっきり聞こえた。


「理沙……」


 俺が声を絞り出したのと同時に、目出し帽の男たちは車に乗り込んで、バンの扉が閉まるのも待たずに、理沙を乗せたまま走り去っていった。


 俺は車のナンバーを見るために身体をひねろうとしたものの、足の痛みで身動きが取れなかった。

 ちくしょう……。役に立たねぇな、俺……。


「おい、トキオ! 大丈夫か⁉」


 騒ぎに気付いた清古が走り寄ってきて、俺を抱きかかえてくれた。


「スタンガンって初めて喰らったけど痛ぇんだな……」


 俺は震える声で答えた。


「何があったんだよ、いったい⁉」

「り……、理沙が連れていかれた……」


 あいつらは、いったい何者なんだ?

 理沙は、いったい、どこに連れていかれたんだ?


 その時、反対車線から黒いワゴン車が校門前へ大きなブレーキ音を鳴らして止まった。


 ――さっきの奴らの仲間か?


 俺が動かない身体で身構えたとき、運転席のドアが開いた。


「トキオくん! 無事か⁉」


 運転席から涼が叫んだ。

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