カット5 「好き」という気持ち

 ここで急に理沙が俺に、


「トキオは由梨さんに告白するためにこの部に入部したんだもんね!」


と言ってきた。俺に向けて話しているのに、まるで明日香に聞かせるような言い方だった。


「なんだ、藪から棒に。そんなこと、ここで言う話じゃないだろ」

「何よ! 明日香ちゃんの前で言われたら困るっていうの⁉」

「はあ? いやいや、別にそういう訳じゃないけどさ」


 なんだか、さっきから理沙のテンションが読めない。コイツは何をカリカリしてるんだ?

 明日香は理沙の言葉を聞いて、俺に尋ねてきた。


「告白、ですか。告白というのは先日、樫尾さんが私にしたことですよね?」

「ああ、まあ、そうだね。あれが告白だ」


 だいぶ、やましい気持ちがあったように見えたけど。


「それでは、トキオさんも樫尾さんと同じように由梨さんと付き合いたいと思っているんですか? 由梨さんと二人で登下校したり、一緒にラウンドワンでボーリングやカラオケをしたり、図書館で勉強したりしたいと思っているんですか?」


 俺は明日香からド直球で聞かれた。


 なんだ、なんだ、急に。

 質問の意図が見えないんだけど……。

 何か、明日香の気に障ることでも俺がしたのか心配になったが、明日香は俺を非難している訳ではなく、純粋に話を聞きたいだけのように見えた。


 俺を真正面から見据えている明日香の目は真剣だった。これは、照れ隠しに冗談で逃げる訳にはいかない雰囲気だ。

 ま、仕方ないか。


「俺もこんなこと説明するのは初めてで上手に伝えられるかわからないから、順を追って話させてもらうね」


 俺は椅子に座り直して、明日香に顔を向けた。

 緊張で渇いた喉を、明日香が淹れてくれた紅茶で潤してから話し始める。


「まず、俺は半年前、あのトラック事故で由梨先輩に出会い、一目惚れした」


 いざ、言葉にしてみるとなかなか恥ずいな。


「……あの日、由梨先輩に出会っていなければ、俺は好きだった女の子にフラれたショックを引きずったまま、学力的にも無難な高校へ、何も考えずに進学していたと思う」


 それはおそらく、枳高校よりもワンランク、ツーランクは落ちる高校だったことだろう。俺は、陸上部入部をめざして東高校を受験したような清古と違い、高校に対して明確な目標を持っていなかったからな。


「でも、由梨先輩が通う枳高校に行きたいっていう目標ができて、この半年間、受験勉強も頑張れた」


 明日香は俺の言葉に静かに頷く。


「つまり、俺がフラれたショックから立ち直れたのも、この枳高校に入学できたのも、由梨先輩にもう一度会いたいという思いがあったからなんだ。だから『好きです』って気持ちと一緒に、『付き合いたい』よりも、あのときから借りっぱなしのハンカチを返して『ありがとうございます』という感謝の気持ちを伝えたいって方が重要かな」


 これが俺の今の正直な気持ちと言えるんじゃないかな。

 まあ、ただでさえ二度も気絶しているところを助けてもらっているから「ありがとう」ってのは早く伝えないと。あと、ハンカチを返してもらわないと告白もままならん。

 もちろん、付き合って図書館でキャッキャウフフもしたいけどね。


「そうなんですね……」


 明日香は少し考えてから口を開いた。


「私はこれまで、誰かに恋愛感情を持ったことがありません。誰かとお付き合いしたこともありません。この間、樫尾さんからああいう言葉をかけてもらったときも、樫尾さんに何の感情も抱いていない以上、あのようにお答えするしかありませんでした」

「樫尾の件は、もう記憶から消していいと思うよ」


 アイツもとっくに消してるようだし。


「私はピアノを弾くことや絵画を鑑賞することが好きです。それはハッキリわかっています。でもこれは、恋愛感情の『好き』とは違いますよね?」

「まあ、そうだね。そういう『好き』とは別だね」

「私は由梨さんも好きです。でもそれは、人として尊敬の念や、枳高校への入学を後押ししてくれた緒女河家や、由梨さんへの恩義の気持ちでもあります。それもまた違いますよね?」

「近いけど、それも違うかな」


 こう考えると、『好き』って言葉って色んな思いが重なる言葉なんだな、と思った。


「ピアノのレッスンで、わたしの技術は認めてもらえました。でも、レッスン講師は、わたしの演奏には気持ちが足りないというのです。演奏技術ばかりでなく、、と」


 この間のレッスン室で聴いた演奏も十分うまかったけど、明日香が目指しているのは、それよりも上のレベルってことか。大変だな。


「だから、私のピアノ演奏の技術向上のためにも、トキオさんのように私も誰かを好きと言えるようになりたいんです」

「え? それはピアノのため、なの?」

「そうですね」


 明日香は普通に言う。


「ピアノ演奏がうまくなるために人を好きになりたいって、なんだか目的がずれてるような気もするけど……」


 それだけ、明日香にはピアノが重要な存在なんだろう。


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