カット3 ムソルグスキーさん

 鷺瀬の言葉に俺たち二人は揃って驚いた。


「え! 鷺瀬さんも『えい研」部員なんですか⁉」

「はい。レッスンがある日は休みますが、今日は日曜日のパンフレット撮影の打ち合わせがあると聞いたので、レッスンを遅らせてもらって、こちらに参りました」


 鷺瀬が答える。由梨と同じように、鷺瀬も大変姿勢がいい。


「そういえば由梨さんが、もう一人部員がいるって確かに言ってたわね」


 いまだに俺の後ろにいる理沙が言う。


「ああ! この間、由梨先輩と涼先輩の他に、一年生の女子がいるって言ってたな。……ところで、お前はなんでまだ俺の後ろにいるんだ。鷺瀬さんは噛みついたりしないぞ」

「いいえ! あのおっぱいは敵よ!」

「輸入ものに対抗しようとするなよ」


 ま、理沙は純日本産相手でも負けるボリュームだけどな。

 俺は鷺瀬のおっぱいを極力意識しないよう懸命に努力しつつ話しかける。


「俺も『えい研』部員になったんで、よろしく。美浦 時生っていいます」

「由梨さんから聞いております。そちらは青鹿 理沙さんですね。私は鷺瀬・ソフィーヤ・明日香と申します。ここでは明日香と呼ばれています」


 あ、そうか。由梨の件もあるから、「えい研」内では下の名前で呼び合わないとおかしいか。


「じゃあ、明日香って呼ばせてもらうよ。あと、ひょっとして年が一つ下だから敬語を使ってるのかな? いくら飛び級入学だからって学年は一緒なんだから、お互い、タメ口でいこうよ」

「ありがとうございます。ですが、私はこの喋り方で日本語を覚えたので、お気になさらずに」


 明日香がそう言って頭を下げた。

 そうか、いくら日本語がペラペラとはいえ帰国子女だしな。覚えた口調が敬語だったなら、それで話した方がいいか。


「ここに入ったってことは、明日香も映画や写真なんかに興味があるの?」

「私は映画や写真よりも絵画が好きなんです。ロシアにいた頃、ムソルグスキーの『展覧会の絵』から絵画にも興味を持ちまして」

「ああ、うん、なるほど」


 俺は適当に相槌を打ったが、だれよ、ムソルグスキーて。

 後ろで理沙が俺の反応に笑っていやがる。なんだよ、お前だって知らないだろ、ムソルグスキーさん。


「ピアノほど絵画には詳しくないのですが、この高校に入学した折に由梨さんから声をかけていただいたので、ここに入部したんです」

「そういえば、由梨先輩や涼先輩と知り合いだってね」

「はい、家族ぐるみで由梨さんの家にお世話になっております」


 明日香のところも、涼と同じく家族ぐるみの付き合いか。

 元財閥系の家族関係となると、付き合いも広くなるんだなぁ。


 まあ、確かに部員と知り合いでもなければ、飛び級入学の帰国子女がこんなマイナーな部に入らないよな。


「そういえば、由梨先輩たちは?」


 思い出して明日香に聞いてみる。


「由梨さんたちは部の顧問と、明後日のパンフレット撮影の打ち合わせをしてくると伺っています。もう見えるでしょうから座って待っていてください。いま、お茶を入れます」


 明日香は机を挟んだ自分の向かいの椅子をすすめてきた。


「いいの? ありがとう」


 俺と理沙は並んで明日香の向かい側の椅子に座った。


 明日香は廊下に出て水道水を湯沸かし器に注いできてから、湯沸かし器の電源を入れた。そうして自分の席に戻ると、再び文庫本を開いて読み始めた。

 しばらくの間、部室には明日香の文庫のページをめくる音と、湯沸かし器のポコポコという沸騰音だけが響いた。


「ねぇ、ちょっと。トキオはずいぶん親し気に明日香ちゃんと話すのね」


 お湯が沸くまでヒマになった理沙が、小声で俺に言ってきた。


「はあ? 別にそんなことはねぇよ。普通だろ」

「いいえ、違います。どうせ、あんたもブロンド巨乳の魅力に骨抜きにされたんでしょ?」


 ブロンド巨乳て。樫尾みたいな言い方はやめなさい。


「なんだか澄ました感じなのよね。紅茶だって、日本人に比べればうまく淹れられるに決まってるのよ。日本人が緑茶を淹れるのが上手なのと一緒よ。騙されちゃだめよ、トキオ」

「俺は緑茶も紅茶も淹れられないぞ? それに、明日香は別に俺を騙そうとしてる訳じゃないだろ」

「これ以上、ライバルが増えられちゃ困るのよ……」

「なんだって?」

「なんでもないわよ!」


 樫尾といい、お前といい、前世でブロンド巨乳と何か因縁でもあったの?


 そんな話をしているうちに湯沸かし器のスイッチがオフになったので、明日香はまた文庫に栞を挟むと、席を立って湯沸かし器に向かった。


 しばらくして、静かな室内にお茶を注ぐ静かな音と香りが充満する。

 この香りは紅茶か。あまり好きではないんだけど、せっかく淹れてくれてるのだから頂くしかないか。

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