シーン3 トキオ、『麗しの君』と再会する

カット1 『麗しの君』

「あ、目が覚めましたか?」


 眩しいほど晴れ渡った青空を背に、『麗しの君』は俺に声をかけると溶けるように優しく微笑んだ。


「は、はい」


 もう少し気の利いたセリフでも吐けばいいものを、俺は仰向けのまま、そう答えるので精一杯だった。


 半年前と同じく、倒れた俺を覗きこむように見つめる『麗しの君』は相変わらず美しかった。

 睫毛の長さも、その不思議な瞳の色も、ストレートの黒髪も、毎日毎晩思い起こしていた姿と寸分変わらない。いや、正確に言えば頭の中で思い続けていた姿よりも数百倍美しかった。


『枳高校に入って、一目惚れした女性を捜し出し、正々堂々と告白をする』


 その目標のために半年間、決して得意ではない勉強を机にかじりついて頑張ってきた。

 思うように成績が上向かず心が折れそうになるたび、『麗しの君』に再会できたらこう言おう、ああ言おうと、彼女との会話を妄想することで自分を励ました。

 だから、『麗しの君』との会話のイメージトレーニングだけは完璧なはずだった。



【妄想①】


トキオ「半年前はありがとうございました。これ、あの時のハンカチです」

麗しの君「そんな。わざわざよかったのに」

トキオ「ハンカチはただの口実でしかありません。僕が貴女にまた会いたかっただけなのです」

麗しの君「まあ、嬉しい! 実は私も、あの時から貴方のことを……!」

トキオ「そいつはよかった! 僕と付き合ってください!」

麗しの君「喜んで!」


 熱い抱擁。

 スポットライト。

 そして流れる愛のBGM。


「えんだあああぁあああぁああああああああ いあああああああい うぃ おーるうぇい らぶ ゆうぅうぅうぅううううううぅううぅうううう……」



【妄想②】


トキオ「参ったな! クラス対抗のサッカー大会で、二試合連続でハットトリックを決めてしまった!」

女子たち「きゃー! トキオくーん! すてきー! 大好きー! 付き合って―!」

サッカー部の人「ぜひ、ウチの部に!」

どっかの体育会系の部の人「いや、ぜひ、うちに!」

トキオ「参ったな! これでは学校中で目立ってしまうじゃないか!」

麗しの君「サッカーの試合ですごい方がいると聞いて観戦に来てみたら、貴方はひょっとして、あの時の……⁉」

トキオ「おお! 貴女は『麗しの君』ではないですか!」

麗しの君「あの日から貴方のことを忘れられなくて……! 付き合ってください!」

トキオ「それは俺のセリフですよ!」


 熱い抱擁。

 スポットラ(以下略)



 ……このように、実用性がなかろうが現実味がなかろうが、イメージトレーニングだけはしてきたはずなのだ。


 それが今、その本人が目の前にいるというのに、『麗しの君』のミロのヴィーナスにも匹敵する芸術的美しさと、気圧されるほどの神々しいオーラのせいで完全に俺の思考回路はショートしてしまい、口を半開きにしたマヌケ面を片思いの女性に晒しているのみだった。


 くそっ! 我ながら小市民にも程がある。

 落ち着け、トキオ!

 こういうときは、順序立てて物事を思い出して落ち着くんだと清古に教わったではないか!

 俺はさっきまで、何か重要なことをしていなかったか?


 えーと――



 あ。

 理沙、忘れてた。



「理沙は無事か⁉」


 俺は跳ね起きて周囲を見回す。

 当の理沙は、俺の背後で男子生徒に肩を抱きかかえられながら半身を起こしているところだった。


「彼女なら心配いらない。大丈夫だよ」


 理沙を抱きかかえていたのは、色白のものすごいイケメン男子生徒だった。

 睫毛が長く、まるで少女のような顔立ちだったが、理沙の肩を抱くその腕は意外と太く筋肉質だ。イケメンが過ぎて、後ろに薔薇でも背負っているように見えたのは目の錯覚だと思いたい。

 ブレザーの胸元から見えるネクタイの色が赤だから、このイケメンも『麗しの君』と同じ二年生ってことか?


 ……ところで、どうでもいいんだけど、このイケメンはいつまで理沙の肩を抱いたまま爽やかスマイルをしてらっしゃるのかしら?


「理沙、ケガはないのか」


 なんとなく釈然としない気持ちのまま、俺は横からぶっきらぼうに理沙に声をかけた。

 すると理沙は俺と目線を合わせてから顔を真っ赤にして、


「だ、大丈夫よ。この先輩が介抱してくれていたから」


 と答えた。


 なんだ、コイツ。イケメン相手に照れてやがるのか?


 予想外の理沙の反応が、余計気になったそのとき、


居衛戸おりえどくーん! ウチの後輩、大丈夫だったー?」


という声が俺の頭上から聞こえた。


 見上げてみると、理沙と先ほどまで話していた女子サッカー部の二年生たちが、理沙の落ちた二階の窓からイケメンに向かって手を振っていた。


「心配いらない! 君たちの大事なチームメイトにケガはないよ!」


 居衛戸と呼ばれたクソイケメンが、綺麗に整った真っ白い歯を口元にのぞかせながら答える。


「キャー! ありがとー!」


 二年生の女子たちの反応は、まるでアイドルに対するそれと同じだった。

 イケメンの返事も気取り過ぎだし、理沙の先輩たちも言葉では理沙の心配をしているはずが、どうもこのイケメンしか見えていないような気がする。


「ウチの先輩たち、絶対、私の心配なんかしてないわ……」


 どうやら理沙も気付いている。

 中庭にいた生徒たちも、俺と理沙に怪我がないと見て、とっくに先ほどまでの喧噪を取り戻していた。世間って冷たい。

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