カット2 ハンカチ②

 といっても、俺を呼んだ声の主である担任の姿は見えない。

 俺のクラスの担任である華瑠かる先生は、身長が150センチほどのミニサイズの女性だ。


◇ ◇ ◇


 そんな彼女は昨日の自己紹介で、何度も声が裏返り、数えきれないほど噛んだ。ぶっちゃけ、生徒の十倍は緊張していた。

 二十五歳の彼女はウチのクラスが初めての担任らしく、俺たちから舐められまいと必死だったが、身体の三分の二が隠れてしまう教卓から、必死に背伸びして話そうとする彼女の姿は残念ながら、小動物的な愛らしさを脱していなかった。


 おかげで昨日の放課後にはすでに、クラスの女子たちからは名字の「華瑠先生」ではなく、下の名前の


「千絵ちゃ~ん」


で呼ばれてしまい、


「ち、千絵ちゃんじゃなくて華瑠先生と呼びなさい!」


 とプリプリ怒っていた。でも、その怒る姿まで可愛かった。


 また、愛らしい顔とミニサイズの身長には似合わないメガサイズのおっぱいのために、一部の男子生徒たちが密かに先生の親衛隊を組んだことも俺は知っている。

 ちなみに樫尾も一員だ。というか、アイツが親衛隊隊員を集めてたほどだ。

 羨ましいほど生命力に満ち溢れた男である。眩しい。けど、バカだった。


◇ ◇ ◇


 おっと。とりあえず、今は華瑠先生のご機嫌を伺っておかなければ。


「聞いてますよ、もちろん。勉強になっています」


 俺は『声は聞こえど姿は見えぬ』担任に向け、列の前方に声をかけた。

 しかし、


「私はここです!」


華瑠先生の怒った声が俺の右わきから聞こえて驚いた。


「おお! 先生、いつの間にそんなところにいたんですか?」

「今は、この視聴覚室の説明をしているところですよ! さっきからいました!」


 やべぇ。この辺りは実験室や視聴覚室が続いて、『麗しの君』に会える確率が低いと考えていたから、俺もどうやら話半分に聞いていたらしい。


「すいません、気付きませんでした」

「き、『気付きませんでした』⁉ どうせ、私が小っちゃくてどこにいるかわからなかったって言うんでしょう⁉」

「いえ、そこまでは」


 思ったけど、言ってない。


「ほら、やっぱりこんなに背が小っちゃい私なんかが学校を案内しても誰も集中して聞いてくれないのよ。だから私に担任は無理だって学年主任にも言ったのにあのハゲ主任ったら『担任になれば華瑠先生も生徒に舐められないようになるんじゃないですか?』ってアイツ絶対に私のことバカにしてるんだから。じゃなきゃあんな半笑いであんなセリフ言えないわよ。この間だってアイツ……」


 ……先生、なんか、心の負の声がダダ洩れしていますよ。


 昨日から溜まりに溜まっていたのであろうストレス爆弾が、よりによって俺のところで爆発してしまったらしい。

 話から推測するに、怒りの根は深そうでヤバい。ていうか、学年主任、嫌われすぎだろ。どんなヤツだよ。


 華瑠先生は完全にトリップしちゃったようで、俺たちを無視してブツクサ続けているし、しまいには涙目にまでなっていた。

 周りを見渡せば、華瑠先生親衛隊の連中からは、


「先生を泣かせたクズ」


といった目で見られるし、クラスの他の生徒たちからは、


「お前がスイッチ入れたんだから、お前がどうにかしろよ」


みたいな無言の圧力を感じた。


 えぇえ……。コレ、俺のせいなの……?


 困った俺は、とりあえずポケットに手を入れ、


「先生、涙が出てますよ。使って下さい」


と言ってハンカチを渡した。


「えっ……ああ、ごめんなさい。ありがとう」


 急に生徒から渡されたハンカチに驚いたのか、華瑠先生のヒステリーが一瞬、鳴りを潜める。そして、


「ねぇ、なんで美浦くんはハンカチをジッパー袋なんかに入れて持ち運んでいるの?」


と聞いてきた。

 俺は自分のハンカチではなく、『麗しの君』に返すためのハンカチの方を先生に渡していたのだ。

 これは間違えた訳ではなく、単純に、俺の使ったハンカチを先生に渡すのは気が引けたので、汚れていない『麗しの君』のハンカチを借りただけだった。返してもらったら、また洗えばいいし。


 すると、それまで黙っていた隣の樫尾が急に俺の肩に手を回し、


「トキオは、先生の涙が染み込んだハンカチを家宝にするつもりなんだよな」


と言い出した。それを聞いた女子生徒たちがヒャーッと甲高い悲鳴を上げた。


「はあ⁉ そんなワケねぇだろ⁉」


 このままでは樫尾のせいで、入学二日目にして俺が変態の烙印を押されてしまう。そんな烙印は樫尾だけで十分だ。俺は焦って否定した。


「隠すな、隠すな。お前も華瑠先生親衛隊に入りたかったんだろ? だったら俺にそう言ってくれよ」

「私の親衛隊ってなんですか⁉」


 華瑠先生が衝撃の事実を聞いて叫んだ。結成二日で秘密の親衛隊の存在は本人バレした。


「先生が使ったハンカチは親衛隊内でオークションにかけるとしよう」

「このハンカチで一体、何をする気なの⁉」

「いや、ナニを……って、また、先生ってば(照)」

「おまえ、最低だな!」


 俺が無意識で樫尾にツッコむと、あまりの下らなさにクラスの男子が爆笑した。


「静かにしなさい! 他のクラスは授業中なんですよ!」


 華瑠先生が慌ててクラスのみんなを注意する。


「とにかく美浦くん、このハンカチは先生がキチンと洗って返します」


 華瑠先生がハンカチを自分のスーツのポケットにしまった。


「先生! 洗ってしまってはハンカチの価値がなくなってしまいます!」

「樫尾くんは黙りなさい! さ、残りの校舎案内を続けますよ!」


 先程までの半泣き顔はどこへやら。華瑠先生はプリプリしながら先頭を進み始めた。やっぱり怒った顔も可愛い。


「なんとか、先生の機嫌も直ったようだな。よかった……」


 俺は安堵の溜め息をついた。

 あのまま本泣きなどされようものなら、入学早々、先生を泣かせたなどと悪名が広まるところだった。

 代わりに、先生の使ったハンカチを家宝にしようとした変態の称号はついたかもしれないけど……。


 でも、そう考えると、樫尾の言葉から先生の雰囲気が変わったんだな。


 ま、まさか樫尾のヤツ、敢えて変態の汚名を着ようとも、クラスの雰囲気を変えようとして、とっさの判断であんなことを言ったんじゃないのか⁉


「待てよ? 『先生の家の洗濯機で先生の下着と一緒に洗濯されたハンカチ』ってのもアリだな。トキオ、やはりハンカチはオークションしよう」


 あ、コイツ、やっぱりただのバカだわ。


「ハンカチは人に返さなきゃいけない物だからオークションには出せません」

「なんだよ、それでも親衛隊の一員かよ!」

「入った覚えねぇよ!」

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