シーン1 トキオ、高校に入学する
カット1 桜
それから半年後の四月七日朝。
「じゃ、行ってくる!」
俺は玄関からリビングに声をかけ、外に出た。
「トキオ! 車に気を付けて自転車に乗るのよ!」
リビングから母さんの大声が飛んでくる。
「はいはい、わかってる! 気を付けるよ!」
こちらも大声で返事をすると、玄関ドアを勢いよく閉めた。
毎朝、いちいち注意されるのはうるさいが、前科がある身だから強くも言えない。
玄関を出た俺の格好は、紺のブレザーにグレーのスラックス、白ワイシャツの真ん中に濃紺のラインが入ったネクタイ。俺が通う高校の制服だ。
中学の制服は詰め襟だったから、ゴムバンドで簡単に締められるネクタイとはいえ、ブレザー姿にはまだまだ慣れない。制服を着ているのではなく、制服に自分が着られているような気持ちになる。
俺はワイシャツの襟元に指をねじ込んで、ネクタイを少し緩めてから自転車に乗り込むと、ブレザーの違和感を踏み砕くように力いっぱいペダルを踏んで漕ぎ出した。
半年前のトラックとの接触未遂事故のあと、ペダルを漕ぐたびにギイコギイコと悲鳴を上げていた先代の自転車には中学卒業とともに引退してもらい、高校進学を機に両親に頼み込んで新車に買い換えてもらった。
これで同級生から、
「ギイギイうるせえぞ、トキオ!」
と怒鳴られることも、もうない。おニューの高校一年生、美浦 時生の誕生だ。
昨日から通い始めた高校へ向け、俺は自転車で颯爽と漕ぎ進む。少し早めに家を出たからか、同じ制服を着た学生はさほど見当たらない。
学校まであと半分の目印となる川沿いの道に順調なタイムで到達すると、満開の桜並木が俺を迎える。なかなかいい景色だ。
俺の住むこの地域は例年、四月の二週目ともなれば桜はほとんど葉桜になってしまうぐらいに暖かいのだが、今年は三月後半でも冷え込む日が多く、今の時期にしては珍しいほど桜が満開状態だった。
いつの間にか、下手な鼻歌まで口ずさんでいる自分に気付いた。我ながら恥ずかしくなるほどテンションが高い。
桜の花には人を高揚させる物質が含まれていて、桜が咲くと人はどうしても気持ちが落ち着かなくなる、と何かの本で読んだことがある。
しかし今、俺の心が落ち着かなくなっているのは桜の花のせいだけではなかった。
――いよいよ、会えるんだ。
そう思うと、つい顔がだらしなく緩んでしまう。
「ニヤつくな。気持ち悪いぞ、トキオ」
自分の前方から急に名前を呼ばれ、俺は慌てて真顔になった。
自転車に乗ったまま、こちらを振り向いて声をかけてきた男が、そんな俺の様子を見てケタケタと笑う。
「なんだ、
一瞬、張った気持ちがすぐに緩んだ。
ブレザー姿の俺と違い、詰襟の制服を着て自転車に乗っているこの男の名は清古
清古とは中学二年で初めて同じクラスになったのだが、初対面からお互い妙に気が合い、続けて同じクラスとなった昨年の中学三年生時には、すでに親友と呼んでいい間柄になっていた。
清古は、俺が通う高校と川を挟んで反対側にある県立東高校に、やはり昨日から通っている。
「なんだ、じゃねぇよ。そんなだらしない顔してたら、告白する前に失恋しちまうぞ」
「マジか。俺、そんなにだらしない顔してたか?」
ちょっと、いつもの妄想をしていたのが顔に出ていたかもしれない。俺は顔を手の平で拭った。
「ヒドい顔だったぞ。まあ、今もあまり変わんないけど」
「じゃあ、地顔だよ、それ」
ブスッとして答えると、清古は再びケタケタと笑った。
清古は、中学時代からその端正なルックスで、クラスだけでなく学年、いや全校の女子生徒憧れの的であった。
それでいて成績もトップクラス、運動をさせたら陸上の千五百メートル走選手として全国大会にまで進出してしまう完璧超人である。
悔しいが、そんな男に顔の話をされたら、十人並で特徴がない顔立ちの俺は何も反論できない。あー、憎たらしい。
そんな完璧超人がなぜ、顔も成績もスポーツもパッとしない俺と仲がいいのか?
気にはなるが、なんだかんだ言っても清古とつるむのは楽しいので、正直、あまり深く考えたことはない。友達ってきっとそういうもんなのだろう。それでいいと思っている。
「それで、昨日の入学式のあと、『
自分の自転車のスピードを落として俺の隣に並ぶと、清古が聞いてきた。
「いや。式が終わったあと、一時間ほど校内をぶらついてみたんだけど見つからなかった」
俺は清古の方を向いて答える。
「そうか、残念だったな」
「まあ、入学式は生徒会以外の一般在校生は休校日だからな。昨日はもともと望み薄だったよ」
「となると、今日からが本番ってことか」
「うん。『麗しの君』の捜索開始だ」
半年がかりの俺の夢が、遂に叶う日が来るのだ。
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