第15話 反撃の狼煙は突然に

 敵陣に居ながら、誰もが、何も出来無い虚無の時だけが、悪戯に履歴を刻んでいく。

 先程まで絶え間無く続いていた通行人の靴音は、いつの間にか途絶え、重苦しい静寂だけが耶磨人達を呑みこんでいた。

 巨大モニターの前には、いつの間にか猪熊達だけになっている。

「やっぱり駄目か!」

 先程から携帯を掛け続けていた猪熊が、悔しそうに舌打ちを打つ。

「携帯が通じない。この島のスピリチュアル・セキュリティの強さが仇になってやがる」

「これから、どうするつもり?」

 苛立つ猪熊に、珠璃の鋭い眼線が走る。

「君達を安全な場所まで連れて行く。これ以上危険な眼に合わせる訳にはいかない」

「その必要はないわ」

 珠璃は涼しげな笑みを浮かべた。

 猪熊の表情が強張る。

 一条の黒い影が、猪熊の胸を貫いていた。

 珠璃の影だ。彼女の脚元から黒い影が槍状に伸び、猪熊の胸を貫通しているのだ。

 不意に、猪熊の身体が輪郭を失い、ぐすぐすと崩れ始める。

「何だと?」

 珠璃が、驚愕に表情を歪めながら猪熊を凝視した。

 刹那、猪熊の身体が弾けた。

 四方に飛散する白い紙片。

 式神だ。

 影が、慌てて戻ろうとする。が、何者かか収縮しかけたそれを脚で踏みつけた。

「残念だけど、逃がしはしない」

 猪熊だ。早九字を切りながら、珠璃をじっと見据えている。

「貴様っ! いつの間に?」

 珠璃が凄まじい形相で猪熊を凝視した。

「ここに戻った時さ。僕は耶磨人君の影に身を潜めていたんだ」

 猪熊が口元に得意気な笑みを浮かべる。

「今だ、珠璃さん!」

 耶磨人が叫ぶ。

 同時に、彼の身体から鮮蒼色の光が迸る。夥しいオーラの放出とともに、耶磨人の中から人像が飛び出す。

 珠璃だ。

「身体、返してもらうわよ」

 珠璃はそういうと、影を猪熊に捕捉されているもう一人の珠璃の身体に重なった。

「んぐげええええっ」

 珠璃の身体が大きく仰け反る。こめかみに血管が浮かび、大きく歪んだ口元からは涎がだらだらと流れ落ちる。

 それに呼応するかのように、踏みつけられた影が苦しげに激しくのたうちまわる。

 珠璃の身体から黒い瘴気が立ち上り、次々に影に融合していく。見る見るうちに影に起伏が生じ、やがてそれは人型を為し始めた。ぼさぼさに伸びた良く言えばワイルドな長い黒髪。丸みを帯びた曲線が描く体躯には、黒光りする鱗状の鎧を纏っている。

「おまえはっ!」

 耶磨人が驚きの声を上げる。

 女――それも、見覚えのある顔。

 妖だ。双子の料理家に憑依していた御魂使いの一人。

「流石に黒龍の落鱗で出来た鎧も、首筋は隠せなかったようだな。ん? これは、黒龍の落鱗じゃない――おまえ、こいつをどこで手に入れた? 」

 猪熊が、鋭利な視線で妖を威圧する。彼の脚は、鎧からはみ出した妖の首筋を容赦なく踏みつけていた。それも、呪縛の気を込めて。

「くそっ! いつ気がついた」

 御魂使いは忌々しげに猪熊を凝視した。

「気付いたのは私じゃない、彼だよ」

 猪熊は口元に笑みを浮かべながら、耶磨人を見た。

「湖のエクトプラズムが無くなった時、霊体の珠璃さんが俺の中に入って来たのさ。やっと見つけた身体を何者かに奪われたって」

 淡々と語る耶磨人を、御魂使いは悔しそうに歯ぎしりしながら睨みつける。

「己、皆で知らぬ振りを通したのか!」

「そうよ。多分私達の前に現れるだろうけど、取り合えず知らない振りをしようってね。下手に騒いでお姉ちゃんの身体を傷付けられたら困るから」

 両手で印を結びながら、珠姫は得意気に言い放つ。

「さあ、答えてもらおう。御前達の目的をね」

 猪熊が、静かな口調で語る。

「けっ、知らねえや」

 御魂使いは露骨に不快な口調で吐き捨てた。が、瞬時にしてそれは戦慄の唸り声にかわった。妖の眼に、天を焦がさんばかりに燃え上がる紅蓮のオーラに包まれた珠璃と珠姫の姿が映っていた。

「世界征服さ」

 御魂使いが綴った台詞に、一同思いっきりひいた表情でそやつを見下ろした。

「それって、べたすぎんじゃね? ありきたり過ぎんじゃね? 」

 耶磨人が呆れた口調で御魂使いに返した。

「うっせえなっ! マジだよっ! 妖霊の魂をぶち込んだ脱魂体を公開サミットに潜入させて、各国の要人を誘拐するつもりだったのにようっ! 」

 怒りモードの御魂使いだったが、猪熊の施した術に身動きがとれないのか、じべたに貼りついたまま悪態をつくのが精いっぱいだった。

「残念だけど、それは叶わぬ願いだな」

「それはどうかしら」

 猪熊の呟きに、御魂使いは不敵な笑みを浮かべた。

 突然、後方へ跳躍する猪熊。

 ほぼ同時に、御魂使いの額すれすれを黒い影が過る。

 甲高い金属音と共に、それは硬質セラミックの路面に喰い込んだ。

「くけけけ。おしい」

 大鎌の主はにまにま笑いを浮かべながら、ぎょろりとした猪熊を見据えた。

 いつぞやの鎌蛙だ。

「馬鹿野郎っ! 私の顔に傷をつけたらただじゃおかないよっ!」

 御魂使いは勢いよく跳ね起きると激しく鎌蛙を罵った。

「ざまないねえ」

 鎌蛙の背後から、御魂使いとそっくりな容姿の女妖が顔を出した。

「あっ、姉者!」

 御魂使いが、明らかに鎌蛙とは違う親近感のある声で女妖に答える。

 御魂使いのかたわれだ。双子の料理家に憑依していたともう一人の女妖。

「御前達、勝ったと思うでないよ」

 後から現れた御魂使いが、意味深な台詞を吐くと、指をぱちんと鳴らした。

 大地が、地面が、ざわざわとざわめきながら蠢き始める。

 何もなかったはずの空間に、無数の影が像を結び始める。

 餓鬼だ。やせ細った身体を丸く縮め、ぎょろりとした眼で耶磨人達を睨みつけている。

 それも、一匹だけじゃない。芝生から歩道、木々の枝々までぎっしりと無数にひしめきあっているのだ。よく見れば餓鬼ばかりでなく、一つ眼の邪鬼や全身毛だらけの獣人、脚が無数にあるげじげじ人といった具合に、様々な妖達が、見渡す限りの空間を埋め尽くしていた。しかも地面だけでなく、空にもその勢力が及び、巨大な蝶人や鳥人が、奇声をあげながら旋回を繰り返している。

「在り得ない……」

 愕然とした表情で、耶磨人は眼前の光景を凝視した。そして、何となく悟った。ついさっき猪熊が言った、〈敵中にいる〉の本当の意味が。

「地獄の牢獄をぶち壊して脱魂した器に入れる妖霊を集めたら、納まり切らなくなっちまってね。そしたらこいつら、暴れたくて仕方がないってんで連れて来てやったのさ」

 姉の御魂使いは、にんまりと笑みを浮かべると慄く耶磨人達を満足気な表情で見渡した。

「さあみんな、腹減ったろ。存分に喰いなっ!」

 御魂使い姉が右手を上げる。

餓鬼達は喉をぐるるぐるると鳴らすと、口から涎をだらだら流しながら、一斉に耶磨人達に跳びかかった。

 刹那。

凄まじい重低音の地響きと共に大地が大きく揺れる。

 大地が、裂けた。

 まるで、妖達と耶磨人達を引き離すかの様に、瞬時にして幅千メートルは優にある巨大クレバスがワールド・アイズの正門から果ては公園の敷地の遥か向こうにまで大きく口を開ける。

 逃げ惑う妖達。だが無数の亀裂がその後を追うように次から次へと縦横に広がり、崩落しては容赦無く奴らをクレバスの奥底へと引き込んでいく。

 それだけではなかった。空を飛翔する妖達も、何か眼に見えぬ力に引っ張られるかのように、漆黒の深淵へと吸い込まれていく。

「何が、どうなったんだ……」

 耶磨人は恐る恐るクレバスを覗き込んだ。

 そして、眼をこらす。

 何かが、見えた。

 無数の餓鬼や妖が、ぱっくり開いた漆黒の深淵の底へと落ちて行くその中で、反対にこちらに近づいて来る何かが。

 褐色の、巨大な飛行物体。

 鳥――雉だ。

そして、その背中には見覚えのあるシルエットが二つ。百多郎と萬だ。

 雉は耶磨人達の傍に、ふうわりと優雅に着地した。

「よう、耶磨人。元気そうじゃねえか」

 百多郎が、したり顔で矛を肩に担ぎ、口元に笑みを浮かべている。

「みんな、無事かっ!」

 萬が心配そうに声を掛ける。

「ももさん、萬さんも無事だったのおおおおおおっ!」

 耶磨人は全身を身悶えさせながら歓喜の雄叫びをを上げた。

「あったりめえだぜ」

 百多郎は得意気に右手人差し指で鼻の下をこすると、ひょうひょうとした表情で答えた。

「刺された怪我は?」

耶磨人が心配そうに百多郎の胸元を覗き込んだ。

「怪我? しちゃいねえよっ! ほら」

 百多郎が着物の前を左右に広げた。

「へ?」

 耶磨人の眼が点になる。

 百多郎の言う通り、体には傷一つついていない。

「何故?」

「ぶっ刺さる瞬間、俺の胸んとこだけ空間を捻じ曲げたんだ」

 得意気に腰に手を当てて、べたなVサインのポーズを決める百多郎を、耶磨人は恐れ多い思いに心を震わせながら見つめた。

「この裂け目も、ひょっとしてももさんが?」

「おう。何?、今頃気付いたのか?」

 呆れた口調で百多郎が答える。

「えっ! どうやって?」

「これでぶった切った」

 百多郎は誇らしげに矛を掲げて見せた。

「じゃあ、あの空飛んでる連中が、次々と穴へ墜落して行くのは?」

「結界を張って上空の空間の上下を入れ替えてやったのさ。奴ら、この騒ぎで慌てて更に上空へとのがれようとするだろ。ところが実際には、自分達から穴に向かって飛んでいるんだ。ま、本人達は、全くそのことには気付いちゃいねえ」

 百多郎は、得意気に胸を張る。

「やってくれるじゃねえか」

 鎌蛙だ。

 両腕を御魂使いに支えられながら、崖をずりずりと這い上がって来る。

 どうやら鎌蛙は飛べないらしく、飛翔能力のある御魂使いに救われたようだ。

「お、無事だったか。しぶといな」

 百多郎がにまにましながら鎌蛙達を見据えた。

「御前達、それで勝ったと思うなよ」

 鎌蛙がふてぶてしく吠えた。

「はあん? どう言う意味でえ」

 百多郎が訝しげに鎌蛙に問うた。

「忘れたのかい。俺達には人質がいるんだぜ」

 鎌蛙が勝ち誇ったような表情でワールド・アイズに眼線をくれ――凝固した。

 会場前の大画面モニターに、見覚えのある派手な顔がどアップで映っていた。

 役だ。

〈おい、これ映ってんのか? 音声は?〉

 役がしきりに後方の部下に声を掛けている。が、漸く撮影中である事に気付き、慌てて振り向いた。

〈よう、みんなお疲れさん。安心しろ、脱魂体は全て無事保護したよ。憑依していた連中は、皆、地獄へと強制送還したぜ。後は好きなだけ暴れてこい! じゃあな〉

 ぷちん、映像が切れる。

「と、言う事だ」

 百多郎は、にやりと笑みを浮かべると、妖達を見据えた。

 妖達は、ぽかんと口を開けたまま、フェイドアウトした画面を見続けている。

「何故、じゃ……」

 御魂使い妹が、愕然とした表情で百多郎を凝視した。

「おめえ達、まんまと役の幻術に引っ掛かったのさ」

「幻術だとおっ?」

 御魂使い姉妹は、まるっきり想定外且つ不条理な展開を受け入れられないのか、顔じゅうの筋肉を情けなく弛緩させたまま立ち竦んだ。

「残念だったな。各国の首脳陣は皆、我々の捜査官が幻術によって化けたレプリカだ」

 淡々と語る萬を、御魂使い姉は半信半疑の表情で見つめた。

「そんなはずは……それほどまでに霊力が強ければ、入島時のチェックにひっかかるはずなのに」

「俺が道をつけてやったんだ。ドア一枚で極楽町署とワールド・アイズの控室を行き来できるようにな。次元がぼろぼろに脆弱化していたから楽勝よ。だから無敵の門番達も気が付かねえ。ちなみに本物のお偉いさん方は、とうの昔に安全な場所に移動済みさ」

 百多郎が思いっ切り得意気に言い放つ。

「お、おのれえええええっ!」

 御魂使い姉が絶叫を上げた。

 不意に。

 大地が揺れる。

 大きく口を開けていた大地が、見る見るうちに塞がっていく。

「漸くお出ましだな」

 百多郎が、ぼそりと呟く。

「えっ?」

 耶磨人が不安げに百多郎の顔を覗き込んだ。

「奴らの親玉さ。油断するなよ、俺が掻っ捌いた空間を完璧に閉じやがった」

 塞がった大地の向こうを、百多郎は眼を細めて凝視した。


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