第12話 アンダーグラウンドって、ヤバくね?
「やあっ、御久し振り」
漆黒のスーツで身を包んだ長身の好青年が、爽やかな笑顔で耶磨人の前に佇んでいた。きらりと光る白い歯といった定番アイテムは決して嫌味ではなく、むしろ見る者に好印象すら与えている。
「ごんぞーさん……どうしてここに――て、ゆうかあ、ここってどこなんです?」
耶磨人はそう言いながらきょろきょろと周囲を見渡した。彼の背後には、恐らく通り抜けてきたと思われるどこでもド――じゃない、さっきと同じ自販機がぽつんと立っている。
周囲は薄暗い黄色の照明に照らされ、その装いは定かではないものの、何か怪しげな気を纏ったバーやクラブが、不気味な程に静まり返った静寂の底にダークネスな風格を誇らしげに湛えている。さっきまで居た所の様な、妖艶で騒然としたにぎやかさは全くない。
だが、軒を連ねる店並の固く閉ざされた重い門の向こうでは、何かしら違法な行為が行われていることはおおむね予想されるような、殺気めいた独特の警戒の気が、容赦無く闇に蠢いている。
「ここは、真のアンダーグラウンド。ガイドブックにも一切載っていない、未知の空間さ」
にやりと笑みを浮かべると、猪熊は上着のポケットから黒いサングラスを取り出して目に掛けた。
「なんで黒のグラサン? こんな薄暗いのに」
呆気にとられる耶磨人。
「奴は面が割れているからな。変装の様なものだ」
傍らに佇む黒い人影を、耶磨人はぎょっとした表情で凝視した。
「萬さん?」
実体化した萬の姿に、耶磨人は我が眼を疑った。黒っぽいブラウスに同じく漆黒のミニスカート。露わになった白い足を網々のストッキングが男達の視線からかろうじて保護している。
「ここでは弾けた格好でないと、反対に怪しまれるからな」
萬が抑揚のない声で淡々と語る。
「ごんぞーさんの面が割れてるって、どういうことです?」
耶磨人が不可思議気に首をかしげた。
「前にごんぞーが潜入捜査をしたことがあるって話したのを覚えているか?」
「ええ、まあ……命からがら逃げ出したって」
「ここの連中と島のセキュリティシステムに睨まれてな。その時、彼はアンダーグラウンドの最深部を経て何とか脱出に成功したんだ。それ故に、この界隈の土地勘がきくようになった。途中の地下二百二十二階までは、何とか耶磨人のパソコンを使ってセキュリティの隙間をぬいながら自力で侵入できたものの、ここから先はごんぞーの案内が不可欠。とは言え、奴は相手にマークされている可能性があり、われらとは別行動を取らざるを得なかった」
「どうやって、もぐりこんだんです?」
「どうやってって?」
耶磨人の問いに、猪熊はよくぞ聞いてくれたとばかりに、にやりと笑みを浮かべる。
「ゴミの配送車の裏側にしがみついてきた。あっちは一般車両とは別ルートになっていて監視の目も少ないからね。ちょっと遠回りになるけど」
得意気に語る猪俣に、耶磨人は心の底からすこぶる拍子抜けしていた。どこぞのスパイ映画のようなアクションシーンを期待していた彼にとって、そのとてつもなく手抜き的で超地味な展開は、気落ちした感のある味気ない具無しのラーメンに似ていた。
「ふううう、やっと手足が伸ばせるぜ」
萬の横で百多郎が大きく伸びをした。漆黒のスーツに、白いマフラーを小意気に首にまいて――否、違う。薄紅色に白桃柄の着物といった、いつもとおんなじ格好だ。
「二人とも大丈夫なの? 姿を現しちゃああまずいんでねーの?」
「ああ、大丈夫。ここは管理協会の管理外。妙な結界はねえし、奴らの式神もここまでは来やしねえ。まあ、多少面倒な連中はいるこたあいるけどな」
心配気な耶磨人に、百多郎は余裕綽々の表情で答える。
「え、そんな――ここってそんなにやばい所?」
「うろたえるでない、耶磨人。御前は我々と同じ、由緒正しき高邑の血を曳く者ぞ。もっと堂々としておれ」
不安に駆られて取り乱し掛けた耶磨人に、萬がぴしゃりと厳しく言い放つ。
「私達も出ても大丈夫かなあ」
心配そうな表情を浮かべながら、珠璃が耶磨人の横に実体化した。その横に珠姫が冷やかな目線を耶磨人に向けながら実体化する。どうやら、パソコンの動画事件が未だに尾を引っ張っているらしい。
「珠璃、オーラの指し示す方向に変化はないか」
「ええ、ずっと下を指したままです」
百多郎の問いに珠璃は即答で答えた。確かに、珠璃の身体から仄かに立ち上るオーラは、ゆらゆらと揺らめきながら、その触手を地面へとたなびかせている。珠姫のそれも、姉と同様に、はっきりと地面へと方向性を指し示していた。
「この下に、二人の身体が眠っているのか……」
耶磨人はおもむろに手を合わせると、地面に向かって合掌した。
「まだ生きとるわいっ!」
すかさず珠姫の平手打ちが耶磨人の後頭部に炸裂。その迅速かつ絶妙な間合いは、さながら夫婦どつき漫才のようなテンポの良さだ。
「ここよりも更に地下ってことか……ごんぞー、行けるか?」
萬の問いに、猪熊は親指をつきたててドント・ウォーリィーのポーズ。
「大丈夫ですよ。身勝手な連中が身勝手に開発した空間だけに、セキュリティは恐ろしく脆弱化しています。皆さんが通り抜けてきたようなセキュリティ・ホールが至る所にぽっかり口を開けてますから」
猪熊は得意気に笑みを浮かべると、先頭きって薄暗い路地を歩き始める。
どろりと、重くぬめる妖気を孕んだ怪しげな夜の空気が、耶磨人達の思考を探るかの様に、眼、鼻、口――在りとあらゆる開口部からじわじわと浸透してくる。
静かだ。異様なまでに。
だが、それはあくまでも偽りの静寂だった。
耶磨人は感じていた。闇の中に蠢く、無数の息遣いを。
「耶磨人、妙な連中が御前に絡んでくるかもしれんが、相手にするなよ」
百多郎が耶磨人の耳元でそっと囁く。
そんな矢先、全身黒ずくめの小柄な中年男が、愛想笑いを満面に浮かべするすると耶磨人に近付いて来る。波打ったような細い眼は一見温和な人柄を装ってはいるものの、その奥に潜む眼には、鋭利な刃物を彷彿させる冷酷な輝きを宿している。明らかにただものではないのは確かだ。
「お兄さん、お兄さん、いいブツが手に入ったんだけど、どうだい?」
耶磨人は百多郎の忠告に従い、眼すら合わせることなく足早に進んだ。
「なんだい、無視かよ。滅多に手に入らねえ《夢天香》だぜ! おめえ、ひょっとして《夢天香》を知らねえのか?」
小柄でしょぼい中年男は、挑発するかのような巧みな話術で、耶磨人にしつこく絡んでくる。だが耶磨人は頑なにそれを黙殺しつつ、ただただ歩き続ける。
「此処に来たのも、それなりの目的があっての事だろう? 連れの連中と楽しむ為じゃあねえのかい? よく見りゃあちら側の連れもいるじゃあねえか。それなら、この《夢天香》を使えば、みんな仲良く極楽行きだぜ!、いいか、《夢天香》ってのはなあ――」
勝手にしゃべり続けるしょぼ男の前に、萬が立ちはだかる。
「こちら側の者は勿論の事、あちら側の者までも淫欲に狂わせる媚薬であり、強烈な幻覚を伴う違法ドラッグ。冥府の森で稀に見つかる天人草から抽出されて造られるが、滅多に取れないだけに、そうそう市場にでまわるものじゃない」
淡々と語る萬に、しょぼしょぼ中年男が驚いた表情を浮かべる。
「姉さんよく知ってるね! あんたなら分かるだろ? 俺のブツの価値が」
「調子ついてんじゃあねえっ! 私が言いたいのは御前の様な輩には決して入手出来る代物ではないという事だっ! どうせ適当な薬物を混ぜて作ったまがいものだろうがっ!」
上目眼線でぎろりと睨み付ける萬に、中年男は一瞬たじろいだものの、次の瞬間、眼の奥に秘めていた凶器を全面に放出した。
「下手に出りゃあ、いい気になりやがってえええっ!」
今までの売り込み口調からは想像を絶する重低音ボイスが、咆哮となってしょぼ男の口から迸る。
「うざい。とっとと消えろ」
しょぼ男改め憤怒逆三角眼男が絞り出した渾身の怒号にも、萬は少しも臆することなく静かに台詞を吐いた。
「なんだとおおおっ! てめえ、ここから無傷で逃げられると思うなよっ、二度と陽の目を見れなくしてやるっ! この前迷い込んだ刑事の様になっ!」
しょぼ男が一気にヒートアップ。
この前迷い込んだ刑事って、ひょっとして?
しょぼ男は当惑する耶磨人には目もくれず、、つかつかと萬の眼と鼻の先まで歩み寄った。
見かけよりも筋肉質なしょぼ男の右腕が、萬の首根っこを掴もうと――刹那。
萬の右足つま先が超高速で弧を描くや、しょぼ男の顎を容赦無く蹴りあげる。
「んがああああああっ」
獣のような呻き声をあげながら、しょぼ男は背面跳び崩れのアクションを披露しながら後方に吹っ飛んだ。
「ワインレッドの……す、け、す、け」
しょぼ男は意味深な呟きを残しながら、ずしゃりという鈍い打撲音と共に地に堕ちた。
耶磨人は、すかさず軽快な身のこなしで意識朦朖状態のしょぼ男に掛けよった。
「おい、どういうことだ? さっき言ったことは。おいっ!」
耶磨人は白眼をむいてシャットアウトしてしまったしょぼ男の襟首をむんずと掴むや、大胆にも激しく揺さぶった。
「おいっ、答えろっ! さっき言った言葉の意味をっ! ワインレッドの――」
「それ以上の詮索は無用だ」
耶磨人の追尾を許さぬ萬の強い口調が、威圧のある言霊となって彼の後頭部を強打した。
「やれやれ、派手過ぎだぜ、萬」
百多郎が、呆れた口調で萬をたしなめた。
「いつもはもっと地味だよ、じいちゃん」
ムスッとした表情を浮かべる萬に、百多郎は苦笑を浮かべた。
「そっちの話じゃねえ。行動がだ。見ろ、余り関わりたくねえ連中がぞろぞろ来やがった」
めんどくさそうな口調の百多郎の言う通り、闇の中から屈強な男のシルエットがぞろぞろと現れてくる。
「確かに、余り騒ぐと面倒だな。今後の捜査に影響しかねん」
萬が、淡々と呟く。だがその台詞とは裏腹に、周囲を見回す彼女の眼は凄まじい闘気を孕み、激しく燃え上がる紅蓮の炎を湛えていた。
「皆、手え出すなよ」
百多郎は懐から黒マジックとメモ帳を取り出すと、さらさらと何やら書きなぐった。例の如く耶磨人の部屋にあったそれである。
「そりゃあっ!」
三枚のメモ用紙がふわりと空を舞うや、見る見る間に巨大化し、人型を成していく。
「これは……」
驚愕の嘆息が耶磨人の喉元を震わせる。彼だけではない。敵味方一同全てが、その成り行きを凝視していた。
もみあげの長い、ダークスーツ姿の三人の若い男。しかも、華奢な体躯の超イケメン揃いときた。思いもよらぬイケメン祭りに皆、あっけに取られながら、妙な雰囲気の中に戸惑いを覚えていた。
それは、三人が場違いなイケメンぞろいであることだけでなく、彼らのとっている不可解なポーズに起因しているのに間違いなかった。
一人は両手で眼を抑え、もう一人は口を、そしてもう一人は両耳を隠している。
「ももさん、この三人は?」
耶磨人が、ぼそぼそと百多郎に囁く。
「猿だ。ももたろうだけに」
「猿? どこがっ?」
「有名な無見猿・無聞猿・無言猿だぜ、知らねえのか?」
呆れた口調の百多郎を、耶磨人は(すげえ当て字だぜ。読めねえよ――ってより、だからなんだってんだよう)と、更に呆れた表情で凝視した。
「式神使いかよ」
「けっ、見るからに頼りねえ助っ人じゃねえか」
耶磨人達を取り囲む怪しげな集団の間から、失笑が溢れる。
徐に、猿達は動いた。右手が下腹部へと伸び、そして一斉にスラックスのファスナーを下ろす。
「待て待て待てええええええいっ! おかしいだろももさん!、あいつら、一体何やらかすつもり――わっ!」
耶磨人が咆哮を上げる。彼が恐れていた事を、猿達は行動に移していた。ファスナーを下ろした右手は迷わずその奥へと滑り込み、何やら長い棒状の物を引っ張り出すと、誇らしげに高々と天を突き上げる。
「えっ、ブッちぎった?」
猿達の驚くべき行動に、耶麻人の顎は壊れた胡桃割り人形のように空いたまま塞がらず、言葉にならない吐息のような悲鳴を細く長く奏でていた。
「何勘違いしてやがるっ!、ブッちぎっちゃいねえ。奴らの物は元気ハツラツだ。ありゃ如意棒。ただあそこに収納しているだけ」
「如意棒?、またなんであんなところに――つうか、何故に如意棒?」
「そりゃあ、猿と言えば如意棒だろ?」
どや顔の百多郎を、耶磨人は白痴化した面相で凝視する。
「ぐだぐだ訳の分かんねえ事言ってんじゃねええええっ! てめえらみんなぶっ殺すっ!」
怒号を張り上げながら厄介な地底住人達が耶磨人達に飛びかかる。
同時に、猿達も動く。伸縮自在の如意棒を匠に使いながら、一振り、一突き毎に数人のごつい野郎どもが空を舞う。
「ここは奴らに任せてずらかるぞっ! ひと騒ぎしてえところだがよ、さすがの法外地でもあんまり目立つと動き辛くなる」
百多郎の掛け声とともに、耶磨人達は一斉に駆け出した。
「でも、ももさん、いいかよ?、あの三人をほっといて。式神ってのは自分の分身みたいなもんだろ?」
走りながら、耶磨人が百多郎に問い掛ける。
「まあな。でも大丈夫。三分経ったら消えて俺んとこに戻って来る」
至って平然と答える百多郎。
「三分?」
「ああ。連中はめちゃくちゃつええが、地球上では三分しか持たねえ」
「なんか、どこかで聞いたことのあるようなキャラ設定――わっ!」
不意に、耶磨人の前を何かが過ぎる。
人だ。黄昏た枯れすすきの様な頭髪。酔っぱらった妖怪アカナメの様な、ぬっぺりした赤ら顔……こいつはっ!
「繭椿っ!」
耶磨人が驚愕の叫びをあげる。
「ひいいいいっ、ごめんなさいっ!」
繭椿はぎょっとした表情で耶磨人達を凝視するや、一目散に駆け出した。
「待てえええっ!」
すぐさま追いかける耶磨人。
繭椿は身体を重そうに揺さぶると、ドリフトしながら左折。
耶磨人達も続く。
消えた。
立ち止まる耶磨人達。繭椿と彼らの差は数メートルあるかないかだったはず。にもかかわらず、黄昏頭赤顔男は忽然と姿を消していた。
「くそう、何処行きやがったっ!」
耶磨人は悔しそうに憤怒の叫びを吐いた。
「たぶん、時空の歪に逃げ込んだんですっ!、探しますっ!」
猪熊が路地の両側に続く黒壁を凝視した。
「見つけたぜ、此処だ」
百多郎はすぐそばの壁の一面を指差した。
「ここって――? 何も歪んではいないようですが」
猪熊は訝しげに百多郎に問うた。
「いいや、まちげえねえ。器用に向こう側から閉じてはいるが、ほころびだらけだ。まあ、あの短時間でここまでやるなんざ、てえしたもんだ。全く、人は見かけによらねえもんだな。あのしょぼくれた赤ら顔、結構高度な術を使いやがる」
百多郎は徐に矛を取り出すと、迷う事無く壁を切りつける。
音一つたてる事無く、壁は縦に大きく裂けた。同時に、淡い白色の光が、切れ目から溢れ出てくる。
「凄い」
耶磨人は嘆息を漏らした。壁を切断するだけでも尋常ではないのだが、百多朗が
矛でくりぬいたのは時空の壁そのものだったのだ。
「なあに、何処でも切れるわけじゃねえ。ほころびや歪のある脆弱な部分限定だからな。行くぜっ!」
百多郎は飄々とした素振りで答えると、先陣切って裂け目に飛び込んだ。それに続く耶磨人達。
刹那、どんよりとした白い光に満たされた空間が彼らを迎え入れる。
幾つも建ち並ぶ、巨大な白いガスタンク。そこから伸びる無数の白銀色のパイプ。
その傍らに立つ三階建ての建造物は、コンクリート製でありながら表面はボロボロに朽ち果てている。
人気はない。全くの廃墟だ。
「くそう、あの野郎油断ならねえ」
「どういうこと?」
悔しがる百多郎に萬が問い掛ける。
「奴はもうここにはいねえ。まんまと一杯食わされたぜ。気の痕跡だけ残してすぐさまトンずらしやがった」
ちいっ、と舌打ちを打つ桃太郎。
「じゃあ、いったい何処へ……せっかくの手掛かりだったのに……」
珠璃が途方に暮れた表情で呟いた。
「分からん。あいつ、いったい何者だ? ただの気の弱い商人じゃあなさそうだぜ、くそったれがっ!」
百多郎は忌々しげにそう吐き捨てた。
不意に、軽い風切音と共に白い影が耶磨人の傍らを過る。
「うわっ!」
思わず仰け反る耶磨人。
「ようし、御苦労」
満足気な笑みを浮かべる桃太郎の右手に白いメモ用紙が三枚握られていた。さっきの式神達が帰って来たのだ。
「ももさん」
不意に、耶磨人がぼそっと呟く。
「ここは、いったい……」
耶磨人は呆然と周囲を見渡した。此処は、島の地下の、最下層部。仄かな白い光は地上から無数にのびる集光グラスファイバーが齎す恩恵であり、決して地表近くの空間に迷い込んだ訳ではなかった。
「この島の起源とでも言うべき場所です」
猪熊は静かな口調で語り始めた。
「耶磨人君達も聞いたことはあると思うな。この島が、元々はどんな目的で造られたのか」
「確か、廃棄物の処理場……」
珠姫が眼を細めて遠くの記憶を探りながら、ぽつり答えた。
「その通り。此処はまさしく都市部のゴミ捨て場。清潔で明るい街並から吐き出された汚物の最終到着地。当時はあちらこちらの山から、自然発火したメタンガスの白い煙が立ち込める危険地帯だった。このメタンガスを何とか利用出来ないものか――そこに眼をつけたのが、政府の御偉方だ。当時のエコ・ブームにのって、クリーンエネルギーアイランドプロジェクト――通称CIPを立ち上げた。だけど、そう簡単にはいかなかった」
「確か、コストが高くて採算が合わなかったのよね」
珠璃の発言に、猪熊が笑みで頷く。
「失脚したお偉いさん連中は責任を追及されてその地位を追われただけでなく、この島の管理組織の責任者として新たな任務を負うはめになった。まさしく島流しさ。政権にちょっかい出すことも、財界に協力を願うことも一切断たれた」
「私も、それ、聞いたことある。そこから新たなガス収集機器を開発して効率良くガス精製することに成功し、ついには都市部にガスを百パーセント供給するまでになったって」
珠姫が得意気に台詞を綴る。
「正解。といっても半丸だな」
「えっ、でも俺も日本史でそう習ったけど」
猪熊の渋い採点に耶磨人は思わず突っ込んだ。
「実は連中、海底でとんでもないものを見付けたんだ」
「なんすか、それ?」
思わず身を乗り出す耶磨人。
「オリハルコンの鉱床さ」
「それって、『奇跡の鉱物』てやつですか?」
「そう。あちら側とこちら側の世界を結ぶ時空のフレームに必要不可欠なやつだ。彼らはその発見を公表せず、内密に発掘し、それで得た資金を元にこの島の開発を進めたんだ。ゴミから発生するメタンガスを回収する技術も独自で開発した訳じゃあない。オリハルコンの取引を餌に、某超巨大国家から買ったんだ。なんせ、使い方によっちゃあ、地球そのものが瞬時にして消え失せてしまう程の威力を秘めているからね。どこの国も喉から手が出る程に欲しがるわけさ」
「そんな記念すべき建造物を、なんでこんな時空の辺境に隔離したんだろ」
耶磨人は眼を細めながら、うねうね続くパイプラインを凝視した。
「隠したくもなるわな。超絶的発展を遂げた今、胡散臭い話しが付きまとう影の部分はきっぱりときり捨てたいだろうしな。多分、意地でも表向きはクリーンエネルギー事業で成功したかのように見せたかったんだろう。でも、本当の理由はそれだけじゃねえ」
百多郎がさらりと意味深な台詞を吐いた。
「分かりますか?」
猪熊が驚きの声を上げる。
「ああ。この空間、構造が脆弱化してやがる。いっちゃなんだがほころびだらけの空間だ」
百多郎の言葉に、耶磨人は首を傾げた。
「オリハルコン鉱床を極秘にすべく、セキュリティを高める為に大勢の霊能士が気を凝縮した結果、空間の構造に歪が生じたというのが我々の見解です。その結果、ここは封鎖せざるを得なかった。クリーンエネルギー事業についてですが、現在は別の所にプラントが作られています。但しオリハルコンの採掘場所は完璧に隠蔽されており、我々も把握していないのが現状です」
猪熊が理路整然とした説明で、すかさず百多郎を補足をする。
「とりあえずここは、めっちゃやばいってことか……」
耶磨人は超省略的見解をトーンダウンした口調で呟いた。
「ま、そういう事だ。さっきの不動産屋もひょっとしたら俺達を煙にまいたんじゃあなくて、空間の裂け目に落っこちたのかもしれねえな」
「だったらそんな悠長なこと言ってる場合じゃないっ! 早くここから逃げねえとおっ!」
ひょうひょうと語る百多郎に、耶磨人が血走った目でキレまくる。
「そうも言ってらんねえんだな。耶磨人、珠璃と珠姫のオーラを見てみろ」
「えっ?」
百多郎に言われるままに、耶磨人は二人を見た。
耶磨人には見えた。はっきりと。渦巻くようにたなびく二人のオーラが真っ直ぐ大地に向かって吸い込まれていくのを。
「二人の身体はこの下にあるって事?」
「そうだ」
耶磨人の問い掛けに、百多郎は短く答えた。だがその表情に、さっきまでの御気楽な感じはない。むしろ苦悩に満ちた表情が顔に色濃く浮かび上がっており、困難となる今後の行く末を物語っているかのように見えた。
「ごんぞーさん、この下には、何があるんですか」
耶磨人と百多郎のやり取りを見ていた珠璃が、何かを察したのか、重苦しい表情で猪熊に尋ねた。
「……奈落です。でも私も全てを見てきた訳じゃない。情報からの知識でしかないので、詳細まではなんとも……」
猪熊はしどろもどろになりながら、困惑顔で答えると、百多郎に目線で救いを求めた。
「行くしかねえってこった」
(んなこと軽々しく言って何か策があるのかよ)
猪熊同様、耶磨人は不安マックスの表情で百多郎を凝視する。
「じいちゃん、空間の裂け目はどうする? 誰かが迷い込んだらまずい」
「んだな」
心配そうな萬に頷くと、百多郎は指をばちんと鳴らした。と同時に、ぱっくり口を開けていた裂け目は、最初から何も無かったかの様に消え失せた。
「ももさん、すげえ」
耶磨人が素直に感嘆の声を上げた。
「今頃気付いたのかよ、遅過ぎらあ」
けたけたと得意気に笑う百多郎。
「でも、どうやって行くんです? 下手に動きまわると歪にはまって未知の空間にとばされるかもしれないですよ!」
猪熊が珍しく興奮気味に百多郎に喰って掛かった。
「私はここの恐ろしさを一番よく知っているんですから」
猪熊の言葉に一瞬、沈黙が訪れる。この世界を彷徨ったことのある彼故に、誰しもが躊躇するだけの説得力が、その台詞にはあった。
「大丈夫だ、みんなこれに乗れっ!」
百多郎の手から白いメモ用紙が飛ぶ。
メモ用紙は瞬時にして巨大化し、雉と化した。
「こいつに乗っていけば、おめえや耶磨人も空間の落とし穴にはまるこたあねえよ」
百多郎はにやりと笑みを浮かべると、未だ不安的青褪め顔の猪熊の鼻先にVサインを示して見せた。
「これに乗って、どこまで?」
「どこまでって、奈落に決まっているじゃねえか」
「もっといい方法がありますよ」
「な、に?」
百多郎が、かっと眼を見開いて猪熊を見据えた。
一振りの剣が、百多郎の腹部を貫いていた。猪熊の手に握られた、蒼黒い輝きを湛えた細身の長剣が。
「流石、黒龍の鱗から精錬した刃だけある。実態の無い霊人をも貫くとはな」
猪熊は顔を醜く歪めながらぞっとするような笑みを浮かべた。
不意に、雉の姿にノイズが走るや、ぐすぐすと崩れ始める。
「この時を待っていた。流石のあんたも、式神を生む時には力が落ちるようだな。さっき猿どもを生みだした時にはっきり分かったぜ」
猪熊の勝ち誇った台詞に、百多郎は苦悶の表情を浮かべた。
「ごんぞーっ、何をするっ!」
萬が猪熊に跳びかかる。
同時に、一陣の風が無機質な唸り声を上げる。
萬が止まった。
中空に浮かんだままの姿で。
「貴様っ!」
萬が般若の形相で猪熊を見据えた。
「ひぇっひぇっひぇっ、動けまい。俺が張り巡らせた霊糸は、絡みついたらそう簡単には逃げられねえ。例え霊人であってもな。待ってろ、次は御前にこの刃を味合わせてやるよ」
猪熊が野卑な笑声を上げながら舐めるように萬の四肢に目線を向けた。
が、次の瞬間、猪熊の顔が驚愕に歪む。
「抜けねえ。くそう、貴様っ!」
猪熊は憤怒に顔を歪めながら、百多郎を凝視した。
串刺しになったまま、百多郎は剣の鍔を両手でがっしりと抑え込んでいた。
「ももさんっ!」
耶磨人が悲痛な叫びを上げる。
「この野郎っ!、剣を離しやがれっ!」
猪熊は口から泡を飛ばして百多郎を罵倒すると、足で彼の顔面やら腰やらを激しく蹴り続ける。
百多郎が低い呻き声を上げる。
猪熊が、ぎょっとした表情で百多郎を凝視した。
百多郎の眼が、金色の輝きを湛えている。
「貴様?」
不意に、猪熊の表情が強張る。
同時に、百多郎の右手から真っ直ぐ矛が伸び、猪熊の顎先を掠める。
「ちいっ!」
猪熊は本能的に剣を離すと、後方へ大きく跳躍。
「くそったれええええええっ、この死にぞこないがああああっ!」
鬼神の様な凄まじい形相で、猪熊は右拳を大地に突き立てた。
拳を中心に、無数の亀裂が走る。
「望み通り、招待しますよ。奈落の底へ。みんな一緒にな」
猪熊は口元を醜く歪め、冷笑を浮かべた。
同時に、大地が崩れた。まるで、ガラスが砕け散るかのように、一瞬にして粉々に飛散する。それも、音一つたてることなく。
百多郎が、耶磨人が、珠璃が、珠姫が、抵抗するすべもないままに、突如足元に広がった漆黒の闇へと吸い込まれていく。
ただ、猪熊と萬を除いては。
「気が変わったぜ。安心しな、萬。すぐには殺さねえ。おまえは俺の餌だ。まずは十分に楽しませてもらうぜ。えひえひえひえひ」
人とは思えぬ笑声を発しながら、猪熊は、身動き一つとれぬままに中空に浮かぶ萬をじっくりとねめつけた。
不意に、風切り音が沈黙を破る。
次の瞬間、銀輪が猛スピードで回転しながら、猪熊と萬の間を過る。
百多郎の矛だ。
次の瞬間、萬の身体が糸の切れたマリオネットのように落下し、吸い込まれるように闇の深淵へと沈んだ。矛は、その後を追うように、回転しながら奈落へと消えていく。
「くそっ、あの野郎、最後の最後まで俺を馬鹿にしやがってっ!」
猪熊は忌々し気に激昂すると、憤怒の形相で脚下の闇を睨み付けた。
「まあよい。結果良ければ全て良しだ」
猪熊の横で、もう一つの影――繭椿が満足気にけくけくと喉を鳴らして笑った。
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