第10話 作戦会議に団子と番茶ははずせない
「ももさん」
「何だ?」
「俺、普通に授業のある日なんだけど」
「んなこたあ、気にするな。来ちまったんだから仕方がねえよ」
百多郎の超能天気な態度に早々と完敗の予感を覚えた耶磨人は、大きく吐息をつくと至近距離に迫る巨大な建造物を見上げた。
ドリメガへの入り口、「ドリメガセントラルゲート(通称、夢門)」だ。十車線にも及ぶ、巨大な掃除機の吸引口を彷彿させる海底トンネルへの入り口のルーフ上では、海月がモチーフのゆるキャラ「ドリモン」が、長い触手をゆらゆらと揺らめかせながら、ビジター達を笑顔で出迎えている。このキャラクター、顔はアニメ顔だが、半透明の揺らめく馬鹿でか触手は、ぬらぬらとぬめりながらリアルな光沢を放っている。
「ふざけたツラしてやがるが、あれでも奴はS級の式神だぜ。流石、鉄壁の守りを誇るだけはあるな」
百多郎は苦笑を浮かべながらも、何処か楽し気に呟いた。
多発している一連の脱魂事件の真相が、ドリメガにある――昨日の役達の話からそう確信した百多郎は、耶磨人に無理矢理学校を休ませると敵地潜入を決行したのだ。流石に、得体の知れぬ敵の幻術を目の当たりにした蓮多郎は、耶磨人はおろか双子の姉妹も遠足に参加することに難色を示した。だが百多郎は、ここぞとばかりに双子の娘達の護衛を最優先にするという揺るぎ様の無い御題目を掲げ、これを打破したのだ。
勿論、珠璃と珠姫も同行しているが、ドリメガ侵入の際に結界や式神達の監視の目に引っ掛かる恐れがあるということから、耶磨人の中の奥深くでひっそり息を潜めている。
「ももさん、葉奈美達、到着まであと四十分くらいかかるって。何か途中で検問にひっかかってるらしいよ」
スマホをしゃらしゃらとかまいながら、耶磨人が眉をひそめながら呟いた。
「予定より三十分の遅れか。まあしゃあないな。世界のお偉いさんが集まるんだもんな」
百多郎は大欠伸をすると、ぐぐううっと背筋を伸ばした。
「よし、じゃあひとまずは作戦会議と行くか」
百多郎は、にやりと笑みを浮かべると、くいっと背後を指さした。
「えっ! 後ろ?」
慌てて背後を振り向く耶磨人の目に、こんもりと生い茂る木々に覆われた小高い丘が飛び込んでくる。
ドリメガ関連のの土産物屋や飲食店が立ち並ぶ界隈に、ぽっかりと空いたその一角は圧倒される様な不思議な存在感があった。覆い被さる木々の下を、苔むした石段が急な斜面に沿って続き、それと共に鮮やかな朱色の鳥居が無数に立ち並んでいる。一番手前の鳥居を見ると、「美知乃稲荷」と彫金された銅板が恭しく掲げられていた。
「こんなところにお稲荷さんが……知らなかった」
耶磨人は感慨深げにぽつりと呟いた。ドリモンとスマホばかり気にしていたせいなのか、これだけ存在感があるにもかかわらず、全くもって気付かなかったのだ。
(ひょっとして、ももさんはこの丘の頂上からドリメガの様子を伺いながら作戦を練るつもりなのか……流石にちょっと無理があるんでねえの)
「おおい、耶磨人、こっちだぜい!」
思案する耶磨人を呼ぶ百多郎の声に、慌てて振り向いた彼の目には、すぐ傍らにある茶店の縁台に座って手招きする彼の姿が映っていた。
「作戦会議って、そこで?」
耶磨人は困惑しながら百多郎の前に立った。
「おうよ。まあ座れ。お茶でもしながら策を練ろうぜ」
「お茶でもって……」
余りにも呑気な百多郎の態度に当惑しながらも、耶磨人は渋々縁台に腰を下ろした。
レトロな店構えの茶店だった。まるで時代劇のセットをそのまま持ち出したような店舗は、耶磨人達が座ってるような縁台が外に四つあり、他に木造の店内にテーブル席が数席あるものの、平日の朝という時間帯のせいか、客は耶磨人達だけのようだった。
長年の風雨を耐え忍んできたと思われる色褪せた店舗の板壁は何処か重厚な存在感を醸し出しており、ドリメガ効果で雨後の筍の容易に近年軒を連ねるようになった、まだ真新しい他の飲食店や土産物屋にも決してひけを取っていない。
それどころか、何とも言えない安らぎに満ちた安心感が、ここにはあった。
(何かに守れている。ひょっとしたら、後ろのお稲荷さんかも)
耶磨人は、しみじみそう思った。
「いらっしゃいませえっ!」
店の奥から威勢のいい女子の声が響く。
「遅くなってごめんなさいね」
見た感じ二十代前半の眼鏡女子が、ツインテールの黒髪を揺らしながら愛想のよい笑顔と共に現れた。デニムのパンツにライトグレイのカットソー、そして生成りのエプロンといった地味で素朴ないでたちが、彼女の清楚さをより一層際立てている。気負うことなく両手をそっと添えられた木製の丸いお盆の中央には、ほわほわと白い湯気を立てた大きめの湯吞みが鎮座していた。
「お茶、ここに置きますね」
彼女は慣れた手つきで湯吞みを百多郎と耶磨人の傍らにおいた。彼女の胸元が緩み、思いのほか深い谷間が耶磨人の視線を捉える。
「ねーちゃん、団子四皿くれ。俺と連れのと。あと二つはこいつの中に届けてくれ。耶磨人、醤油だれでいいか?」
「は、はあ」
百多郎の唐突なふりに、耶磨人はおどおどしながら答えた。
「じゃあ以上で」
「かしこまりましたあ」.
彼女はぺこりとお辞儀をすると、ちょこちょこと小走りで再び店の奥へと消えていった。
その後ろ姿をぼんやりと眺めながら、耶磨人は何となく妙な違和感を覚えていた。
「どうした耶磨人?、そうか、お代は心配しなくてもいいぞ。俺がおごってやっからよう!」
耶磨人の不穏な動きを察した百多郎は、苦笑を浮かべながら大人の対応を示した。
「ももさんっ!」
「な、なんでい? いきなり大声上げやがって!」
「さっきの店員さん、俺じゃなくて、ももさんとしゃべってたよね?」
「おう、そうだったな」
「変だと思わない? 普通は俺と話すよね? それに、ももさん霊人なのに、お茶、飲んでるし。それとあと二つは俺の中に届けろっていったよね。あれ、何?」
「そりゃあ、おめえ、俺達だけで飲み食いしてりゃあ、琴能姉妹に悪いだろ」
「ももさん、それじゃあ答えになってないっ!」
耶磨人は魚眼レンズの様に見開いた両眼で、百多郎に史上最高の驚愕の眼差しを注いだ。常識からかけ離れた、さり気なくも信じ難い事実に、彼の唇はスリックしたタイヤの様に空回りし、綴る言葉が口の動きと反比例している。
「あの子には見えるの。あなたと同じよ」
不意に、少女の声が耶磨人の耳元で囁いた。
「えっ?」
驚いて振り向いた耶磨人に、青みかかった澄んだ瞳が、彼に優しく微笑みかけていた。
見た目は十歳位の少女。柔らかなライトブラウンの髪は、店員のお姉さん同様ツインテール。耶磨人の半分くらいしかない華奢な体躯に、レモンイエローのミニスカ調着物を纏っている。腰かけている席が彼女には少々高いのか、所在無げに足をぷらぷらさせていた。
ぎょっとした表情で、耶磨人は彼女を見つめた。彼が驚いたのはその容姿ではない。黄金色の光が、少女をすっぽりと包み混んでいるからだ。
「君は……?」
耶磨人はごくりと生唾を嚥下した。この少女、生身の人間ではない――耶磨人はそう悟っていた。
「美知乃、ご無沙汰だったな。おめえ一人で留守番かい?」
百多郎は目を細めると親し気に少女に話しかけた。
「ほんと。何百年ぶりかねえ。あんたも元気そうじゃないか」
少女もにこりと微笑むと、思いっ切り違和感のある大人びた口調で百多郎に答える。
「ももさん、知り合い?」
きょとん顔の耶磨人に、百多郎は目じりを緩ませながら黙って頷いた。
耶磨人は困惑したまま、二人を見比べた。知り合いにしては、歳の差が有り過ぎる。これはいったい……まさかっ!
「ひょっとして、ももさんの隠し子?」
耶磨人が、声を潜めて百多郎の耳元で囁く。
「はあ?、おめえ、馬鹿言ってんじゃねえよ! こんななりしてるけどよう、美知乃は裏山の稲荷神社の御神体だし、俺より二百歳以上年上だぜ!」
「ちがーうっ! 百九十九歳と六か月だけっ!」
ハの字眉毛の呆れ顔で吠える百多郎を、美知乃がぶすっとした表情で睨みつける。
「お待たせしましたあっ!、お団子四皿お持ちしましたあっ! 美知乃さんの分もここに置きますね」
店員のお姉さんは、満面に笑みを浮かべながら、団子の皿を耶磨人と美知乃の傍らに置くと、残り二皿をお盆ごと耶磨人の胸に突っ込んだ。
「?」
驚愕の余りに声すら上げることの出来無い耶磨人にはお構いなしに、そのお姉さんは更に手首までめり込ませると、何事ものなかったかのように手を引っこ抜く。
耶磨人は慌てて自分の胸を見た。血はおろか、団子のタレすら付着していない。そればかりか、不可思議な事に、手首挿入中に痛みも圧迫感も何も無かったのだ。
「ところでよう、最近どうなんでい。ドリメガは」
不意に、百多郎の表情が真顔になる。
「不穏な動きだらけさ。特に地の底が騒がしい」
「地の底か……厄介な話じゃねえか」
百多郎は眉をひそめながら、水平線にぼんやりとした輪郭をとどめて浮かぶドリメガを凝視した。
「儂がここに残ったのはそれ故にじゃ。大神様に御伺いをたてて、会合には旦那だけの出席で許可を取っての」
「成程な。そりゃあ、正解だわ」
百多郎は一気にお茶を飲み干すと、団子にむしゃぶりついた。
「旦那って? もしかして結婚されているのでございますか?」
百多郎との会話の様子を伺っていた耶磨人は、対応可能な限りの敬語で彼女に問い掛けた。何しろ見掛けはお子様でも本当は神様なのだ。
「うん。旦那一人に娘が五人。五つ子でな、もう全員独り立ちしたがの。一人はここの娘を守っておる」
新たな客の接待をするお姉さんの背後から、巫女姿の長い髪の少女が、すうっと姿を現すと、耶磨人達に深々と頭を下げた。見た目で判断すると、歳の頃は十代後半。抜ける様な白い肌と神秘的な切れ長の澄んだ眼が特徴的な少女だ。
耶磨人はあからさまに彼女をガン見すると、訝し気に首を傾げた。
(あの娘、何処かであったことがあるような、ない様な……)
「娘のろんじゃ。末っ子でな。長女と次女はそれぞれそなたの妹達を守護しておる」
「えっ! あっ! そうなんすかあっ? いつも妹達がお世話になってます」
耶磨人は思いもよらぬ展開におろおろしながら頭をガリガリと掻いた。
突然、彼の胸から何かが飛び出した。お盆だ。しかも重ねた皿の上に串が六本固めておいてある。
「うわっ!」
大声を上げて仰け反る耶磨人の前に、タイミング良く現れた店のお姉さんがお盆をキャッチ。更に背中からうにょーんと手が二本伸びると、お盆の上に湯吞みをそおっと置いた。お盆には『ご馳走様でした。超めちゃ旨でした!』と、黒のボールペンで書かれたメモが一枚。珠璃だろうか、なかなか洒落た事をする。でもメモ用紙は何処から持って来たんだろ? それを言うならボールペンもだ。
「ももよ、これからのり込むのか、あの島に」
美知乃が、醒めた目でドリメガを見つめながら、淡々と呟く。
「ああ。やらんきゃなんねえ事があってな」
「申し訳ないが、儂はこの界隈の者達を守らねばならぬのでな」
「承知の上よ。ここで守りの布陣を敷いてもらうだけで十分でい」
百多郎はすっくと立ちあがると、上体を大きく反らして伸びをした。
「よっしゃ、そろそろ行くぜ!」
「お代はよいぞ。儂のおごりじゃ」
「済まねえな。御馳走さん」
「御馳走様でしたあ、美味しかったです!」
耶磨人は深々と頭を下げ、お辞儀をする。
不意に、一陣の風が耶磨人の傍ら吹き抜けていく。慌てて顔を上げた彼の眼に、無数の尾を仏像の後光の様に揺らめかせながらゆっくりと消えていく、金色の体毛に包まれた大柄な狐の姿が映った。
狐は、茫然としたままフリーズ状態に陥った耶磨人に、優しく手を振ると消えた。
さっきまでそばにいた美知乃の姿が無い。
あれは、ひょっとして?
「あれっ、ももさん?」
耶磨人は慌てて周囲を見回した。
百多郎も消えた。何の前触れもなく。
(しばらく御前の中に入っている)
不意に、百多郎の思考が耶磨人の意識に流れ込んで来る。それは言葉をイメージするのではなく、はっきりとした声となって彼の頭の中に響き渡っていた。
(俺の、中?)
耶磨人は訝し気に眉を潜めた。
(ドリメガのセキュリティにひっかかちまったら、行きてえ所も行けなくなるからな)
(ちょっと、いったい何処へ行こうとしてんのっ!)
怒りの思考が耶磨人の脳内を激しく駆け巡る。彼は粛清の鉄槌をくらわそうと意識を張り巡らせるが、その慌てぶりを嘲笑うかのように、百多郎は完全に彼の意識の深層部に身を沈め、その存在を完璧なまでに隠していた。
突然、耶磨人のスマホが「威風堂々」を奏で始めた。
「はい、もしもし」
ちょっとぶっきらぼうな口調で、慌ててスマホにでる耶磨人。
「待たせたな」
「えっ?」
意表を突く電話の相手に、耶磨人の思考がフリーズ。同時に果実のような甘い香りが鼻腔をくすぐる。
萬だ。
しかも、耶磨人は自分の中に萬の存在を感じていた。
(萬さん……これって)
(今、スマホ経由で憑依した。耶磨人の中にな)
(えっ、何? それどういう意味?)
(私も行く。みんなのお目付け役ということでな。じいちゃんが大人しく高見の見物をする訳がないと思って、問い詰めたら案の定と言う訳だ)
状況が呑み込めずにあたふたする耶磨人に、萬が淡々とした口調で語りかけた。
(でも萬さん、冷静に考えたら、いくら俺に憑依したって感ずかれるよっ! ももさんだって、俺の何処に隠れるのかわからんけど、正直無理じゃあねえのっ?)
耶磨人は憮然としつつも道理の通った理屈を綴った。
(大丈夫でい。ちゃんと結界張ったし。後は気合いで何とかなる)
いたって真面目な口調で語る百多郎に、耶磨人はすっかり呆れちまった悲しみ的思考波を、無言のまま惜しみなく注いだ。
(なあに案ずるな、じいちゃんはいざという時何とかする男だ)
これまたいたってマジ真剣な口調の萬に、耶磨人の思考は更に困惑の淵にずうぶずうぶと肩まで沈んでいく。
とは言え、萬もゆめしま探検隊御一行様に加わってくれたことは、この上なく心強い展開だった。
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