第7話 反撃はまず尻尾から
「それじゃあ、皆さんもあのレストランで食事をされたのですね」
猪熊が神妙な口調でシースルー親父――珠三郎に話しかける。
「ええ、まあ。でも良く分からないんです」
珠三郎はしどろもどろに事のいきさつを万と猪熊に語り始めた。
高邑家の離れの応接間に、両家一同勢ぞろいして二人の捜査官を囲んでいる。
本来なら警察署で事情聴取を受けるところであるが、容易に出歩けない珠三郎を考慮しての特別措置であった。
耶磨人の家族は店の外で待機していた救護班に解毒剤を注射してもらい、ほどなくして意識を取り戻していた。
琴能家御当主は相変わらず別室で休養中だが、あえて何も知らぬ方が幸せかもしれない。
「皆さんもってこたあ、他にも前例があったのか」
百多郎の眼が、きらりと光る。
「鋭いですね。流石、萬さんの御祖父だけはある」
猪熊は苦笑を浮かべた。
「ご先祖様、あのう、そちらのお嬢さんはお孫さんで御座いますか?」
蓮多郎が異常にへりくだった口調で恐る恐る百多郎に尋ねた。
「そんな堅苦しい呼び方はよしてくれ。俺の事はももさんって呼んでいいんだぜ」
百多郎が恐縮する蓮多郎をぎゃひゃひゃと一笑した。
蓮多郎にも百多郎の姿が見えるようになったのは、彼が突然霊能力に目覚めた訳ではなく、百多郎の方が意識的に姿を実体化しているのだ。
「で、おめえさんがたは何処まで掴んでるんでい?」
「萬さん」
同意を求める猪熊に、萬は黙って頷いた。
「実は、ここのところ、時化汰丘陵が賑やかでして」
「賑やか?」
耶磨人が首をかしげる。、
「浮遊霊が異常に増えてきているんです」
「浮遊霊……」
「この時期は何分人手不足で、あちら側の受付業務が手薄になっているのかと思ったんですが、そうでもないようなんです」
「どう言う事だあ?」
百多郎が身を乗り出して猪熊を見た。
「つながったままなんですよ。魂と肉体が。だからあちら側の職員も手続きが出来ずに困りはて、我々に捜査の依頼がはいったと言うわけです」
「じゃあ、この方達も?」
蓮多郎が恐る恐る猪熊に尋ねた。
「その通り。皆さんも肉体とつながったままになっています」
「生きているって、事ですよね?」
シースルー親父こと珠三郎が、声をわなわなと震わせる。
「そう言う事です」
猪熊の言葉に、どよめきともとれる嘆息が、あちらこちらから零れる。
「彼らに事情を聞いているうちに、ある一つの事実が捜査線上に浮かんできました」
一瞬、沈黙の間が生じた。皆の意識が、これから発せられるであろう猪熊の言霊に余すことなく注がれていた。
「皆、市内のレストランで食事をした後、気付いたら時化汰丘陵に立っていたらしいのです。今のところ、名前があがっているのは〈桜花楼〉、〈桃花〉、〈須弥山〉の三店舗ですが、他についても現在調査中です」
「一体誰が、何の為に……」
珠璃が顔を曇らせながら呟く。
「分かりません。問題のレストランもオーナーはそれそれ別ですし、調べれば調べる程接点が見えない。」
猪熊は悔しそうに言葉を吐き捨てた。
「乃乃海月の毒の入手先からは探れないのかい? ありゃあ、特殊な代物だ。普通の者じゃあ、まず手に入れるなんざ出来ねえ。なんせ、奴は冥府の泥海に棲んでる上に、用心深いから滅多に捕れねえ希少な生物だからな」
「でも、何故、その……乃乃海月の毒を使ったんだろ。わざわざそんなの使わなくったって、普通の睡眠薬でもいけると思うけど」
真顔で恐ろしく冷静に質問をする耶磨人を、百多郎はうれしそうに見つめた。
「耶磨人、なかなかいい質問だ。奴らが何故、乃乃海月の毒にこだわったか――それはだな、この毒は、生きている人だけでなく、その者を守る守護霊にまで及ぶ強烈な毒だからさ。霊力の強い守護霊だと、事を運ぶ邪魔立てをするからな」
「守護霊まで?」
「ああ、信じられねえかもしれねえが、現にそんな代物があるんだ。あちら側の者達が霊薬とか幻薬とか呼んでいる類がな」
百多郎は眼を細めると、頭をわしわしと掻き上げた。
「ごんぞー、桜花楼のオーナー姉妹、意識を取り戻したらしいぞ」
徐に萬が声を上げた。
「えっ!、じゃあ、本当の魂が戻ったって事ですか?」
珠璃の眼がきらきらと輝く。
「ああ、そのようね」
萬は表情一つ変えず、淡々と答えた。
「どうやら、二人とも肉体から脱魂された後、店の周りをうろうろ彷徨っていたらしい。自分達が張った結界が邪魔して店の中には入れず、されとて乗っ取られた肉体が心配で去る事も出来ずで、やむなく駐車場の片隅にある菩提樹の木陰に身を潜めていたようだ。ここから先は容体を見ながらだな。かなり憔悴している様だし」
「おばあ――じゃなくて、萬さん、ひょっとして、あちら側の刑事からのテレパシー?」
耶磨人が興味深そうに万に尋ねると、
「いんや、スマホ」
と、耶磨人の鼻先に、名刺位の大きさの、超うすうすタイプのスマホを突き出した。画面には、何処か萬に似た面影の美女が真面目な表情で佇んでいる。
「萬さんにそっくりだ……姉妹の方ですか?」
耶磨人が興味深そうに万に尋ねると、
「いんや、母よ」
と、さらりと答える。
「え?」
耶磨人が眼を見張る。
「あちら側では、自分の姿は自分の希望する世代の姿を維持できるから、母も見た目は私と同世代なの」
「おお、翠か、久し振りだな」
耶磨人の頭の上から百多郎がスマホを覗き込む。
「待って、霊道をつなぐから」
携帯の上で万がパチンと指をならす。
不意に、スマホの画面からぬうううっと両手が伸び、続けて顔が、身体がすっぽんと飛び出す。
「あら、父ちゃん。元気に守護霊やってる?」
スマホから飛び出した淡いブルーのブラウスに濃紺のミニスカート姿の女性が、満面の笑みを浮かべながら百多郎に声を掛けた。
「おうっ、それなりに真面目にやってんぞ」
百多郎は空中で胡坐をかきながらニマニマ笑いで答える。
「あ、この子が父ちゃんの惚れ込んだ子孫か」
翠は、やや緊張気味の表情で眼をきょろきょろさせている耶磨人に視線を向けた。
「あ、どうもはじめまして」
ミニスカートで中空に漂う翠を、耶磨人は複雑な表情で見上げた。幾ら若々しいオネエサンでも自分のひいひいひいひいばあちゃんなのだ。そう考えながらも会話をするときは必ず相手を見なければいけないというマナーの鉄則に従う耶磨人であった。ただ、隣に座る珠姫の刺さる様な冷たい視線に、ある意味恐怖を感じてはいる。
「耶磨人君だっけ、あなたは幸せ者だよ、父ちゃんの強さは半端ないから。ごめん、父ちゃん。ちょっと今忙しいからもう戻るし。またお盆にね」
翠はにこやかに手を振りながら、再び携帯の中へと消えて行った。
「萬、ちょっくら引っ掛かる事があるんだが」
百多郎は、照れくさそうな笑みを浮かべて翠を見送ると、徐にぽつりと呟いた。
「何? じいちゃん」
百多郎の問い掛けに、萬が訝しげに答えた。
「あの店、確か外回りは結構しっかりした結界が張ってあったよな」
「それがどうかしたのか?」
「あの妖人三人組は、なんで逃げられたのかってな。いくら死神の鎌でも結界までは切れねえ。何かしらの細工でもなきゃな」
思案顔の百多郎の眼に、今までになく知的な鋭い光が宿る。
「なるほど、そうかっ!」
萬は我に返った様な表情で、すっくと立ち上がった。
「ごんぞーっ、行くぞっ! じいちゃん有難う! また連絡する」
状況を呑み込めずにきょとんとしている猪熊には眼もくれず、萬はすたすたと居間を退出していった。
「情報が入り次第、連絡します。あ、見送りは結構ですから。ここで失礼します」
猪熊は、口早にそう言い残すと、慌てて萬の後を追った。
「さて、どうする?」
二人が立ち去った後、百多郎は意味深な口調でみんなを見渡した。
「大人しくなんてしてられない。私にだって霊能士としての意地がある。こっちはこっちで調べてみたい」
珠璃は強い口調できっぱりと言い放った。まっすぐ百多郎を見つめる熱い眼差しに迷いは一片も感じられない。
「私も」
珠姫も姉に負けじとばかりに言い切り、思わず『えっ?』と落胆の声を上げた耶磨人に肘鉄を喰らわせる。
「俺も、やります」
耶磨人は渋々賛同した。本音は勿論不参加&自宅応援組だ。耶磨人的には冷静に考えてみたのだ。警察の皆様にご迷惑を掛けては、特に御先祖様の足手まといになってはと、正攻法の理念を貫くつもりだったのだが、睨みをきかす珠姫の一突きで、それは脆くも崩れ去っていた。
「他の皆もいいな?」
百多郎の一声に、残りの者達は無言のまま渋々頷いた。琴能姉妹から立ち昇る、やる気満々オーラに押されて、誰しもが反論し辛い状況にあった。が、その時、意を決したかのような表情で、徐に顔を上げた者がいた。蓮多郎だ。
「あのう……御先祖様」
蓮太郎は、困惑顔を露わに申し訳なさそうな口調で百多郎に話し掛けた。
「何でい」
いまいち乗りの悪い残りの面々の反応に気を悪くしたのか、百多郎はぶすっとした表情で素っ気なく答えた。
が、蓮多郎はそんな百多郎にすがるような熱い視線を注ぎ込む。
「私達はあちらのお嬢さん達とは違って、極普通の非力な常人ですから、できましたら、戦力外でお願いしたいのですが……」
蓮多郎は気弱そうに眼をしょぼしょぼさせながら、不機嫌気味の百多郎にうやうやしく頭を下げた。
「蓮多郎、そいつは心配には及ばねえよ」
百多郎は、にやりと笑みを浮かべると、おもむろに指をパチンと鳴らした。
不意に、蓮多郎の背後で陽炎がゆらゆらと立ち上る。陽炎ではない。人影のような、幻のような――仄かな輪郭を紡ぎながら、それは陰影のある像を創り上げていく。
女性だ。長髪の、着物姿の女性。それも、超美人の。歳の頃は二十代前半か。派手すぎない小ざっぱりとした着物を纏った身なりは清楚な雰囲気を醸し、それがかえって整った面立ちを引き立てている。
「蓮多郎、御前の守護霊様だ」
「えっ?」
百多郎の言葉に、蓮多郎は驚きの小短い叫びを上げた。
「澪と申します。お初に御目にかかります」
その女性はにこやかな笑みを浮かべながら、蓮多郎に軽く会釈をした。
「俺のおっかあだ。超最強だぜ。この最強の男を生んだんだからな」
「これっ、百多郎! 言葉を慎みなさい。うぬぼれは愚か者の自己満足にすぎません。それに、守護霊は陰ながら守るべき者を支えるもの。むやみやたらにしゃしゃりでるものではありませぬ」
澪は茶化す百多郎を厳しい口調でたしなめると、蓮太郎にはうって変って優しげな笑みを向けた。
「蓮多郎や、御安心なさい。私はそなたをいつも見守っているのですよ」
呆然と佇む蓮多郎に、澪は静かな口調で語りかけた。
「いつも、ですか?」
「ええ。いつも、ですよ」
「ひょっとして、あんな時やこんな時もでしょうか」
「勿論、あんな時やこんな時もです」
にっこり微笑む澪の言葉に、蓮多郎の顔から、ずざざざああっと血の気が引く。
「うわああああああ――――」
頭を抱えて座り込む蓮多郎を、耶磨人は呆れた目線で見下ろした。
「父さん、父さんはまだいいよ。凄い美人じゃん、俺なんか……」
琴能姉妹に話し掛けてはぎゃははと下品な笑い声を上げている百多郎を、耶磨人は冷ややかな目線で見据えた。
「おい、耶磨人」
「えっ?」
振り向く百多郎の恨めしげな顔が真近に迫る。
「せっかくいつも守ってやってんのに、なんだよその不満げな顔はよう」
べしいっ
「んげぶっ」
秘孔を突かれたかのような声とともに、百多郎が前に大きくつんのめる。
「これ、百多郎! 何を戯言を申すか。守るべき子孫を囮にして、わざと妖どもの罠にかかったであろうがっ! 守護霊として恥をしれっ!」
硬く結んだ右拳を怒りに震わせながら、澪が激しい剣幕で百多郎を叱咤する。
「でもよう、かーちゃん。奴ら、見事に食らいついてきやがったじゃねえか。これで、あのねーちゃん達を助けられるかもしれないんだぜ」
困惑顔で頭をがしがしと掻く百多郎を、澪は苦笑を浮かべながら見つめた。
「耶磨人、すまぬ。こやつは昔から型破りな所があってな」
「は、はあ」
申し訳なさそうに語る澪に、耶磨人は恐縮した表情でもごもごと答えた。
「にゃあ」
「へ?」
騒然とした場の空気を和ますかの様な突然の猫の鳴き声に、耶磨人は驚いて振り向いた。ふと見ると、佳奈美の膝の上に、こげ茶のトラジマの猫が一匹、ちょこんと鎮座している。
「佳奈美、おめえの守護霊はそいつだ。なりは小せいが、なかなかの霊力を持ってるぜ」
百多郎が、きょとんとした表情で固まっている佳奈美にみかねて声を掛けた。
其の声に、佳奈美は、まるで呪縛が解けたかのように、眼をうるませながら膝上のとら猫を両腕でぎゅっと抱きしめた。
「みいちゃん、あなたが私を守ってくれてたの?」
猫の背中に顔を埋めて愛おしげにすりすりする佳奈美の姿を、耶磨人はあっけにとられながら見つめた。
「私が子供の頃に飼ってた猫なの。私が大学入学の春に病気で死んじゃってね。辛かった受験勉強の時も、いつも傍でじっと見守ってくれてたのよ」
涙ながらに語る佳奈美を、葉奈美と都喜美が感動のうるうる眼線で見つめた。
「いい話しじゃ」
「ほんに、いい話しじゃ」
不意に、しっとりした若い女性の声が、双子姉妹の背後から聞こえた。
ぎょっとした表情で振り向く葉奈美と都喜美の眼に、二人の若い巫女の姿が映る。
見た目は妹達とさほど変わらない位の歳だろうか。透明感のある白い肌に、澄んだ切れ長の目。長い黒髪は後ろで一つに束ね、眩いばかり白い衣に鮮やかな赤い袴は、まさにエキゾチック・ジャパン。風貌、体格、その全てにおいて神々しい程の美しさを湛えた美少女――しかも、二人とも同じ顔ときた。
「りん、と申します」
都喜美の後ろに寄り添い立つ少女がぺこりと頭を下げる。
「らん、と申します」
今度は葉奈美の背後の少女がぺこりと頭を下げた。
「この二人がおめえ達の守護霊様だ。格は神霊級。神の使いだぜい」
「へええええ」
感嘆の声をあげる葉奈美達の背後で、りんとらんはおごそかにVサインをしている。
「二人とも……双子、ですか?」
耶磨人は緊張しまくりながら、それでいて何となくうらやましそうな素振りで妹達の守護霊様に話し掛けた。
「いえ、五つ子で」
「後の三人は別の方に仕えておる」
二人の巫女はポーカーフェイスを崩す事無く、淡々と答えた。
「どうでい、これで安心したろ? おめえ達の守護霊は半端じゃねえ。最強だ。これなら、ちいとばかし弾けても大丈夫だろ?」
百多郎は、ゆっくりと全員の顔を見渡すと、にやりと満足気な笑みを浮かべた。
流石にこの状況では、もはや反論するものは誰もいなかった。
「蓮多郎」
不意に、百多郎が蓮多郎に声を掛ける。
「何でございましょうか、御先祖様」
蓮多郎は百多郎の前に膝まづき、うやうやしく頭を垂れた。
「おいおい、そんなにかしこまるんじゃねえって」
百多郎は苦笑を浮かべながら、頭をがしがしと掻いた。
「この家を売った不動産屋をあたってくれ。なんて言ったっけなあ……あの頭の黄昏た男!」
「繭椿ですか?」
「そうそう、それそれ。そいつをもう一度ここへ呼んどくれ。今回の事件に奴が絡んでる可能性があるからな。取り囲んで攻め立てりゃあ、何か吐くかもしれん」
「御意!」
妙なスイッチでも入ったの様に、蓮多郎はぴょんと跳ね起きると、うぴょぴょーんとヘンテコなステップを踏みながら部屋から姿を消した。が、何分もたたないうちに、スマホを片手に部屋に舞い戻って来る。
「御先祖様!」
「何だ?」
「繭椿が捕まりません。家デンとスマホを駆使し、直接本人にかけても、不動産屋にかけても駄目でした」
「捕まらない?」
「はい、良く分からないのですが、会社の方も所在が掴めないらしく……」
申し訳なさそうなの蓮多郎の報告に、百多郎は顔をしかめる。
「しゃあねえなあ。しっぽ掴まれそうになって逃げ出したか……まあいいさ、これで奴が何かしら関係しているのはほぼ間違いねえ」
ひとしきり思案顔を浮かべた後、百多郎はにやりと笑みを浮かべた。
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