第5話 見えてしまった

(とんでもないことになってしまった)

 耶磨人は自分の部屋に戻ると、大きく吐息をついた。荷物はあらかた片付いたものの、所々に衣類の入った段ボールが転がっている。ベッドの棚におかれた目覚まし時計は午後十二時ちょいと過ぎを表示している。

 あれから蓮多郎が何回も警察に電話したが、担当者不在の上、窓口が混雑している為、受付できないとのことで全く折り合ってはくれなかった。

 やはり、直接警察に出向くしかなさそうなのだが、担当者不在であれば門前払いをくらいそうだ。

 よくテレビの特番でやっている警察二十四時間密着ドキュメンタリーでは、心霊担当の係は霊界と現世の担当官を合わせると、本庁だけでも約二百名が所属し、様々な霊的事件に対応しているとのことだった。中でも、死んだ事を実感していない浮遊霊の対処は結構淡々とした事務的なもので、電話越しに諭されて短時間で解決のパターンが多いと聞いていたのだ。

 にもかかわらず、窓口がパンクしているのはどういうことか。余りにもお粗末な警察の対応に、耶磨人にはどうも納得できずにいた。

 だらだらと勉強机の椅子をひき、どすりと腰を下ろす。

 念願の個室ゲットという喜ばしい状況にもかかわらず、耶磨人の胸中は、どんよりとした鉛色の暗雲垂れ込める嵐の前夜だった。

(どうなっちまうんだろう)

 背もたれに寄り掛かり、ぐうっと伸びる。腰に何か硬いものが当たる。

(忘れてた!)

 耶磨人は慌ててジーパンの後ろポケットをまさぐり、その固形物を取り出した。

 絹川りおのPACカードだ。昼間、珠璃が得体の知れぬ力で弾き飛ばしたものを、おたおたしながらも回収してきたのだ。

 カードの表面に触れると、絹川りおの立体画像が現れ、例の如く口上を述べると舞を踊り始めた。

(あーあ、がっかりだよな)

 絶対的な信頼をおいていたにもかかわらず、珠璃が言うには『しょぼいお守り』レベルに過ぎないとは。

 悪いのは絹川りおじゃない。あの悪徳不動産屋の眉椿だ――と、思うことにした。

 耶磨人の落胆ぶりを嘲笑うかの様に、絹川りおは袴の裾を振り乱しながら舞続けている。ヴィジュアルを意識してか袴の丈は殊の外短くなっており、時折太股がちらちらと見え隠れしている。

(ひょっとしたら、見えるかも)

 耶磨人はPACカードを眼の上に持ち上げ、斜め下から見上げた。

 罰あたり者がっ! と叱咤されそうだが、そもそも御利益はなさそうだから、罰は当たらんだろうという勝手な親父的自己解釈の下に、耶磨人の煩悩が暴走する。

「あ――やだやだ」

「えっ!、何?」

 慌てて辺りを見回す――と、眼の前に珠姫の顔。

 蔑みに満ちた瞳とばっちり眼が合う。

「えひゃあああああああああああああああああああああっ!」

 声にならない絶叫を喉からモスキート音の如くほとばしらせながら、耶磨人は椅子ごと後ろにひっくり返った。

 彼は釣り上げられた鯉の様に口をぱくぱくさせながら、突如机上に現れた珠姫を凝視した。

 正確には、首から上だけの珠姫を。

「ったく、エロい上に小心者ってか。なーんか頼りない。こんな奴、かえって足手まといになるだけなのに、姉ちゃんも人を見る目、まるでねえし。もう最低」

 呆れた口調で好き放題言いまくる珠姫に、流石の耶磨人もかちんときたが、言い返そうにも舌が麻痺して空回りするだけだった。

「お、おまえっ、どうして、こ、ここに、入って来れた?」

 漸く単発ながらも耶磨人は反撃の台詞を吐いた。

「残念だけど、この家の結界は私にとって無いのも一緒。私、これでも三級霊能士の資格を持ってんだから」

 珠姫は得意げに、そして余裕ともとれる涼しげな表情でさらり言ってのけた。三級霊能士と言えば、大学やその道の専門学校で学んで漸く合格出来る難易度の高い資格だ。  

 それをこの若さで持っているのはかなり優秀な事だと思う。修行によっては、確か、簡単な式神を生みだすレベルまで到達出来るらしい。

「なんでいきなり出て来るんだ。俺にだってプライバシーってもんがあるんだぜ」

「部屋、汚されたら困るもん。ここ、私の部屋だし」

 ふくれっ面の珠姫に反論しようとして、耶磨人はその言葉を呑み込んだ。おまえはもう死んでいる――なんて言うのはフェアじゃない。流石のツンツン娘も傷付くかもしれない。

 でも。

「なんで、首だけ?」

 ふと脳裏に浮かんだ疑問を、耶磨人は珠姫にストレートにぶつけてみた。

「えっ?」

 珠姫は何故か戸惑う素振りを見せると眼をキョロキョロと中空を泳がせた。

「俺をおどかそうとしたわけ? それとも、首から下はスッポンポン?」

「んなわけねえだろっ!」

 侮蔑に満ちた表情で耶磨人を見つめるも、珠姫は何処か落ち着かぬ様子ですぐに目線をそらした。

 耶磨人はにんまり笑うと。顔を珠姫の顔に近づける。

 「出れないんだろ」

 珠姫はぷいっとそっぽを向いた。

 図星だった。

 耶磨人の思いつき的発想の一言は、このくそ生意気なとんちき娘に王手飛車捕り的チェックメイト級敗北感をプロデュースしていた。

「結界が邪魔してそれ以上これねえんだな。ひょっとして、身動きできなくなったのか」

「うるさいわねっ!」

 顔を真っ赤にして叫ぶ珠姫。またしても大当たりの様だ。

 「どーだ、みたかっ! 絹川りおの結界の威力!」

 耶磨人は右手に握りしめたポリフォニックアドカードを高らかに頭上へと掲げると、誇らしげに咆哮を上げた。

「あほらし」

 呆れた口調で珠姫は台詞を吐いた。

「じゃあ、こっちに来てみろよ」

 耶磨人はにまにましながら珠姫を見下ろす。

「引っ張ってよ」

「引っ張れって、頭をか?」

「ちょっとくらい、手を貸してくれたっていいでしょっ」

「そりゃあいいけど、そんなんで結界抜けれんのか?」

 呆れた口調で問い掛ける耶磨人を、珠姫はぎろりと睨みつける。

「やってみないと分からないでしょっ!」

「わかったよ、じゃあ、引っ張るぞっ!」

 耶磨人は珠姫の両頬を包む様にそっと手を掛け、力任せに引っ張った。

 むにゅ―――ん

 両頬の皮膚だけが上に伸びる。

「ひゃああああああっ」

 珠姫が苦しげな声を上げる。が、哀しくも残念なことに、生首状態に何の変化もない。

「ひゃめれ―――っ」

 珠姫が、哀しげに諦めの悲鳴をあげる。

「しゃあねえな」

 不意に、男のめんどくさげな呟きとともに、大きな手が珠姫の頭を鷲掴みにする。

「ほらよっ」

 気だるそうな掛け声とともに、珠姫の身体がすっぽんと抜け出した。残念ながら、スッポンポンではなく制服を着ている。

(この制服、よく見りゃ俺と同じ高校じゃねかっ! でも、こんな娘いたっけ? 否、そんな事よりも)

 耶磨人は自分の背後からにょっきり伸びた腕をじっと凝視した。

 恐る恐る振り向く。

「ようっ!」

 にこやかな笑みと共に、Vサインする男が一人。伸び放題の長い髪を背中で乱雑に浅葱色のひもで束ねている。見た目の年齢は二十代後半。薄い桃色の生地に桃果が一面に散りばめられたデザインの着物を纏っている。はっきり言ってセンス無し。しかもよれよれ。

「あ、あんた、誰?」

 点目状態の耶磨人が、少し噛みながら精いっぱいの言葉を綴った。

「あんたはねえだろ――ったあいっても、分からんで当然か」

 男はにまにましながら、胡座をかいて頭上から耶磨人を見下ろしている。

 えっ? 頭上から……?

「おい、これ、浮いてる浮いてる!」

 耶磨人は泡を飛ばしながら珠姫に訴えかけた。

「助けて頂き、有難う御座いました」

 珠姫は耶磨人の直訴を無視すると、男にぺこりと頭を下げた。

 二人の間に挟まれ、耶磨人はどう対処したらよいのか分からず、ただおろおろと双方の顔を見比べている。

「いいってことよっ! それよりねーちゃん、腰巻ん中丸見えになってるぜっ!」

 はっとしてスカートの裾を抑える珠姫の眼に、明らかに自分の顔よりも下に目線がいっている耶磨人の不審行動に気付く。

「このどすけべっ!」

 怒りの絶叫とともに、珠姫は容赦無しの鉄拳を耶磨人の頭頂部を打ちのめす。

「あうちっ!」

 魅惑の白い残像を脳裏に焼き付けながら、耶磨人は一つの疑問を覚えていた。

 珠姫は霊体だ。なのに、なぜ叩いたり殴ったりできるのか。それも凄まじく強烈な実感とダメージを伴って。

「こいつは、おまえの仲間か?」

 頭頂部をさすりながら、耶磨人はふくれっ面の珠姫に恐る恐る尋ねた。

「あんたの守護霊様だよ」

「えっ?」

 ぶっきらぼうに答える珠姫の台詞に驚きの声を上げながら、耶磨人は眼前のとろり眼ニマニマ男を凝視した。

「俺は高邑百多郎――といても、果物の桃のももじゃない。ひゃくに多いと書いてモモタロウだ。間違えるなよっ! これでもおまえの守護霊だからな。そこんとこよろしくっ!」

 イェイ! とVサインをする百多郎を、耶磨人は呆然とした表情で見つめた。

「守護霊? 何で見えるの? 俺、そんな力ねえし」

「私に触れたからかも」

 珠姫がポツリと呟く。

「え?」

 呆気にとられた面相で、耶磨人は珠姫を凝視した。

「あんたは元々素質があったから、私の霊気に触発されたんだと思う。多分だけど」

 あいかわらずツンツンした口調で語る珠姫を、耶磨人は半信半疑の面持ちで見つめた。

「その娘の言ってる事、当たってるぜ。現におまえ、こやつにぶん殴られた時、普通に痛かったろ?」

「うん」

「それだけ霊媒体質だってことだ。この娘の霊力もすこぶる強力なのは強力だけどな、普通ならここまでダイレクトには感じないもんだ。せいぜい悪寒が走るとか、金縛り位のもんだろうな」

 百多郎は何処かうれしそうに耶磨人に語りかけた。

「でも俺、今まで金縛りすらなった事無いです」

「そりゃあおまえ、俺がいつも守ってやってたからさあ。ちいとは感謝しやがれよっ」

 ぽおんと耶磨人の肩を叩くと百多郎はけたけたと笑った。

(軽い。軽過ぎる。こんな人が、俺の守護霊だったのか……えっ、てことは?)

「あのう、百多郎さん」

 耶磨人が恐る恐る百多郎に話し掛ける。

「なんだ? ああ、俺を呼ぶときゃあ『ももさん』でいいぞ、昔からそう呼ばれてきたからな」

「じゃあ、ももさん、守護霊様ってことは、いつも俺のそばに?」

「あったりめえだ。まあ、時々ちょっと離れる時はあるけどな、それでも「気」は常に結びついてるぜ――あ、そうか。心配ねえよ、おめえがごそごそやってる時は気きかしてはなれてやってるからよお、安心しろっ!」

「ちょっ、ちょっとももさん!」

 したり顔の百多郎。あたふたする耶磨人に、珠姫がとてつもなく凍てついた冷たい視線を余すところなく注ぎ込む。

「兄ちゃん、ご飯食べに行くって――あっ!」

 突然の呼び掛けに部屋のドアを見ると、双子の妹達が仁王立ちになって耶磨人を睨みつけている。

「いくらもてないからって、幽霊に手をだすこたあないでしょっ!」

 葉奈美が口をとんがらかせて耶磨人に怒りの叫びをぶつけた。

「失礼なっ、幽霊じゃああないっ! 生霊よっ! それに私だって選ぶ権利はあるしっ!」

 弁明しようとした耶磨人よりも先に珠姫が反撃の狼煙を上げる。

「あんた、そうやって兄ちゃんにとりいって、家を乗っ取るつもり?」

 都喜美が怪訝そうな目つきで珠姫を見据える。

「ここはもともと私の家ですうっ!」

「今は私達の家ですうっ!」

 上目遣いに見下す珠姫に、双子の姉妹は口を揃えて抗議のハーモニーを奏でる。

 珠姫は大きく吐息をつくと、意味深な笑みを口元に浮かべた。

「あなた達、こんなことしてていいの? もう着替えは済ませたのかなあ?」

「ど、どう言う意味っ?」

 都喜美がおろおろしながら、半音上ルの声を上げた。

 探る様な目付きで見る珠姫に、葉奈美までもが何故か動揺した素振りを見せる。

「私、知ってんだから。うちのお父さんが透けてるのに気付いた時、びびって漏らしたでしょ」

 してやったり顔の珠姫を、二人は真っ赤な顔で睨みつけた。

 どうやら図星のようだ。

「そこまでっ!」

 突然、聞き覚えのある若い女声が、醜い争いの間に割って入る。

 珠璃だ。

 何処だ?

 いたっ、双子の足元の間に首から上があああっ! 眉毛を逆葉の字にして、珠姫に睨みを利かせている。

「きゃあああっ」

「で、でたああっ」

 慌てて離れる二人。

「姉ちゃん、だってこいつら――」

「こいつらじゃあないでしょっ! 少なくとも今は法律上はもう私達の家じゃないんだから。お邪魔するのなら、ちゃんと玄関から入らないとだめじゃないっ!」

 不服そうな珠姫をたしなめながら、珠璃の腕組み仁王立ち怒りポーズ的身体が、ずずーんとゆっくりと浮上した。戸口に立つ双子の身体に珠璃の身体が食い込むように重なる。

「でも姉ちゃんだって、勝手に入ってきたじゃん」

「ちゃんと玄関から入って来たわよっ、この子達の御両親に声を掛けて――階段は使わなかったけどね」

 珠璃がそっと葉奈美と都喜美の肩に手を掛ける。彼女なりに場を和らげようとしたようだが、二人は彼女の意図に反して直立不動無表情のまま凍てついていた。

「変なのが居る……」

 都喜美が震える声で耶磨人の横――百多郎を指差した。

「また、出た……」

 葉奈美も同様に、怯えた目線を、本来何も見えないはずの空間である耶磨人の横を漂わせている。

「えっ? あなた達にもあの方が見えるの?」

 珠璃が驚きの声を上げる.

「流石兄弟だけあって血は争えんなあ、その娘の霊気に触れて眠っていた力が目覚めたか。あ、俺、御前達の兄貴の守護霊やってる高邑百多郎――ももさんって呼んでくれ」

 百多郎がひょいと片手を挙げる。と、二人は顔を硬直させながら、がくがくと頷いた。

「あのう、私達、お邪魔ですよねえ……」

「失礼しまあす……」

 二人は顔面蒼白で直立したまま、ふうらふうらとした足取り退散していく。

「また、洗濯物を増やしちまったようだな」

 よたよたと立ち去る二人に、百多郎は頭をがしがしと掻きながら苦笑を浮かべた。

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