第4話 怪談の会談

「あのう……実は私達、死んじゃいない様なんです」

 シースルーオヤジ――琴能珠三郎は訴えかける様な眼で蓮多郎達を見渡した。

 寝たきりの老夫人の睡眠の妨げになるという事で、隣の居間に移動し、テーブルに着いた途端、彼は、待ってましたとばかりに途方に暮れた表情で淡々と語り始めたのだ。

「旦那さん、こういっちゃあなんだけど、あなた方の様な身の上の方々は、えてしてそのように思ってしまうものですよ」

 蓮多郎はなだめるような口調で、静かにたしなめた。

「いや、でも娘が言うには、まだ身体とつながっているというんですよ……」

「お父さん、私が話す」

 遠慮がちに話す珠三郎を珠璃が制する。

「ちょっとこれ、見てください」

 珠璃がそっと右手人差し指を突き立てる。

「この指先から出ている白い気体状のもの、分かりますか」

 蓮多郎達は首をかしげて彼女の指先を凝視した。

「そっか。普通の人じゃあ、分かり辛いかも……あ、でもあなたは分かるみたいね」

 珠璃は、ぎょっとした表情で彼女の指先を見入る耶磨人を見つめた。当の耶磨人はテスト中にカンニングが見つかった生徒の様に、あたふたしながらきょろきょろと周囲に目線を泳がした。

「じゃあ、これでどう?」

 珠璃が、ゆっくりと息を吸い込み、そして吐いた――刹那、彼女の身体が眩い銀白色の光に包まれる。

 蓮多郎達は息を呑んだ。銀白色の光が、彼女の身体から立ち上っている。光というよりは、炎というべきか。眩い輝きの中に躍動的な質感を孕んでいる。

 これが、オーラというものなのか。

 蓮多郎は感慨深げに彼女を見つめた。傍らの佳奈美は何故か涙を流しながら、優しげな眼でオーラに包まれる珠璃に見とれている。

 だが、それを凌ぐ凄すぎる現象を、耶磨人だけはしっかりと把握していた。光の中をまっすぐ伸びる無数の銀白色の糸。これらは、ある一定の方向に向かって規則正しく伸長している――この存在に気づいているのは、おそらく耶磨人だけだ。

「どうやら彼は気付いているようだけど、私の身体から立ち上るオーラに、一つの規則性があります。これは私だけじゃなく、家族全員同じなの」

「それは……?」

 蓮多郎が訝しげに珠璃を見つめる。

「いつも末端がある方向に向けてたなびいているの……つまり、私達の身体はその方向にあるってことよ。生かされた状態でね。もし死んでいるとしたら、オーラは放射状に大きく広がる事も方向を示す事もなく、ただ円や楕円を描くだけだから」

「何故、そんなことが分かるんですか?」

 耶磨人が仏頂面で呟く。少しでも珠璃達に優位に立とうと思ってか、わざとに高飛車な態度をとっているものの、所々ひっくり返ったハイトーンの声がそのささやかな努力を全て水の泡にしている。

「私、これでも一級霊能士なので。大学でも霊能学を専攻しています」

 珠璃の落ち着き払った口調で耶磨人の追求を瞬殺すると、身分証明カードをテーブルの上に置いた。確かに、顔写真付きのそれには一級霊能士とはっきり書かれている。

「でも、何故、このような事に?」

蓮多郎の問いかけに、珠三郎の表情が曇る。

「それが……良く覚えていないんです」

「極楽岬から車で飛び込んだって、眉椿が言ってましたよ。車は見つかったが、御遺体がみつからないって」

 蓮多郎は、知る限りの情報をいたって事務的に珠三郎達に話した。

「そりゃあ変だ! 私達はその日、極楽岬とは正反対の方向に向かっていたんです!」

 珠三郎は口元から泡を吹きながら訴えた。青白い顔を紅潮させながら叫ぶその姿に、嘘偽りと思しき色は見てとれない。

「じゃあ、どちらへ?」

「南花洋海岸――通称恋人海岸にあるチャイニーズレストラン桜花楼です。家族で食事をしようと湾岸線を車で向かったんですが、何故かそこから記憶が途絶ているんです。気がついた時には、時化汰丘陵の緑地公園のそばに立っていました」

「時化汰丘陵とは――またえらく遠くまで」

 蓮多郎は唸り声を上げた。

「南花洋海岸から、また更に数十キロは南下した場所です。何故、あんな所にいたのか、全くもって分からんのです」

 珠三郎は疲れ切った表情で呟いた。渾身の説明にエネルギーを使い果たしたのか、青白い顔が更に蒼く、輪郭も更に希薄になりつつあった。

「時化汰丘陵って、確か無縁仏を供養する霊苑がある所だ」

 耶磨人が遠くを見つめる様な表情で、ぽつりと呟く。

 と、間髪を入れずに珠姫が《何か文句ある?》的な形相で耶磨人を睨みつけた。

 自分達の事を無縁仏とでも思われたとかんぐったのだろう。勿論、耶磨人にはそんな考えなど毛頭なかったのだが。

「あの場所は本来霊界側――俗に言う《あちら側》の役人が未成仏霊を保護し、しかるべき所へと送り届ける場所。但し今は人手不足なのか、簡単な結界で封じ込めているだけだった。だから私達もここまで帰って来ることが出来たのよ。まあ死んじゃいないから、《あちら側》の担当者がいればもっとスムーズに抜け出せたんだろうけど」

 珠姫はそう言うと、分かったかこのすっとこどっこいと言わんばかりの表情で、耶磨人をじいいいっと見据えた。

「そこで、お願いがあるのですが……」

 珠三郎が申し訳なさそうに蚊の羽音のようなか細い声で切り出した。

「私達の身体を探す手伝いをしていただきたいのです」

 空気が、どおおおんと沈んだ。

 いたって真剣なまなざしの珠三郎を、耶磨人は勿論、蓮多郎達高邑家一同どんびきの面相で見つめた。

「ちょっと待ってくださいよ、なんで、その――私達が? 霊能士の娘さんの力で何とかならないんですか? 」

 蓮多郎の素朴な質問に、珠三郎は哀しげな顔で首を横に振った。

「それが、駄目なんです。以前多発した悪霊憑きの通り魔事件や窃盗事件対策であちらこちらに結界が貼ってあるんです。探そうにも体力……否、霊力ばかり消耗して、娘ですらここまで帰ってくるのがやっとのことでして。ましてや私はごく普通の霊なので、無理が利かないんです」

 妙に説得力のある口調に、蓮多郎は思わず頷いてしまっていた。ふと我に返ったがもう遅い。珠三郎のすがるような熱い視線が、逃すものかと彼をぬたぬたとからめ捕る。

「そんなこと言われたって、どうすればいいかわからないし……まず警察に相談すればどうです?」

 蓮多郎は慌てて珠三郎から目を反らすと、苦し紛れに珠璃と対峙した。

「警察には相談しました。スマホを持っていましたので。でも、担当者が席をはずしているということで、後で連絡するとは言われましたが、それっきりでした。恐らく浮遊霊の戯言としか思ってないんだと」

「じゃあ、どうすれば?」

「憑依させて下さい」

 真っ正面から目をかっと見開きのたまった珠璃を、蓮多郎はたじろぎながら見据えた。

「直接警察署にのりこんで話をしたいんです。本署に行けば、こういった心霊トラブル対応の専門部署がありますから、そこまで憑依させていただくだけでいいんです。肉体があればそれがプロテクターとなって私達を守ってくれるから」

 珠璃が淡々とした口調でさらりと言った。

「憑依って、とりつくって事? 」

 とんでもねえって表情で耶磨人が叫ぶ。

「そんな大げさな事じゃないの。祟る訳でも呪いを掛ける訳でもなく、ただちょっと体に同居させてもらうだけだから」

 珠姫が落ち着いた口調で耶磨人をたしなめる。

「勿論、誰にでもというわけにはいきませんから。波長の合う方に協力していただければ、私達もすんなりとはいれるので都合がいいんですが」

 珠璃の眼が、耶磨人の泳ぐ視線をホールドする。気が付くとその場にいる全ての眼が、耶磨人に注がれていた。

「ちょっ、ちょっと待って!、なんで俺なの? 」

「耶磨人君、さっきの私のオーラの動き、見えたわよね? 」

 珠璃がじっと耶磨人を見据えた。

「見えたって――でも、あれはみんな見えてたんじゃあ」

「私がみんなにも分かるように気を集中させる前の話よ、あの時、私あなたに声を掛けたでしょ、覚えてる? 」

 耶磨人はあたふたしながら必死に珠璃に弁明しようとしたが、思いもよらぬ展開に思考がショートして言葉が出ない。

「ということで、申し訳ありませんが、彼をしばらくお借りします」

「待って! 」

 刹那、佳奈美が鋭い口調で分け入った。流石母親、大事な息子に危険な目に合わせたくないという熱い思いが、短いながらもはっきり言い放った言葉の調べに込められている。

「分かりました、息子はお貸しします。で、あなた方の身体が見つかって無事戻ってこられたら、この家はどうなるんです? 手を御貸しする訳ですから、それなりの報酬を期待してもよろしいですよね」

 そういうことでしたか。この母親、なかなかシビアな位に超現実主義者のようだ。

(何だよそれ……おれよりも家が大事ってかよ! )

 予想だにしなかった最強の母親佳奈美の言動に、耶磨人の思考は白化していた。

「もし、私たちが体を取り戻すことが出来たら、まだ死んじゃいないわけですから、法律上、不動産は元の所有者である私達のものとなります。でも今回無理をお願いした上での事なので――そうですな、規模的にほぼ同等の物件をお譲りしますよ。私は不動産業を営んでいますので、幾つかよさそうな物件をもってはいますから」

 珠三郎は水を得た魚の様に、ポンポンとリズムカルにセールストークを繰り広げた。

「お父さん、どう? 」

 佳奈美が蓮多郎を促す。家長としての権威を全く持って妻に持って行かれた彼ではあったが、ここぞとばかりに渋面を作り、腕を組んだ。

「分かりました。息子の事も心配ですが、あなた方も不憫で放って置くことはできません。これも何かの縁という事で」

「ありがとうございます!」

 深々と頭を下げる琴能家御一同様を、耶磨人は戸惑いの表情で見た。隣の父は、伏せ目がちに唇を動かす。

(すまん、耶磨人)

 無声映画のワンシーンの様に、無音で綴られた唇の言葉。このシュチュエーションでは、もはやどうする事も出来ないことを耶磨人は哀しくなるほどに悟っていた。

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