第2話 いきなり死亡フラグ?

 黙々と荷物を運び入れる引っ越しサービスの面々を横目に、耶磨人はサンダルをひっかけると屋外に出た。

 11月とはいえ、ポカポカ陽気のせいか、デニムのパンツにチェックの長袖シャツだけでも寒くなく、重労働は少しもしていないのに汗ばんでいるくらいだった。

 引っ越しといえども、荷物には事前に渡した配置データを基に引っ越しサービス所属の霊能士が式神を憑依させており、荷物そのものが勝手に希望する所まで移動してくれるのだ。  

 現に耶磨人の傍らを、むさいおやじ系の足が幾つも生えた段ボール箱が、何個もひょこひょこと通り過ぎて行く。

 耶磨人は特に何とも思わないのだが、中にはこの画期的な配送システムに眉をひそめる人もいるらしい。

 霊的な存在が科学的に解明され、普通に交流出来る様になった今の時代でも、やはり嫌悪する者がいない訳ではないのだ。現に彼の二人の妹は忌み嫌っており、存在的には毛虫や爬虫類を嫌悪する人のそれと同レベルらしい。

 引っ越しサービスのスタッフ達は荷物が指定の場所に到着したのを確認すると、無言で印を結んだ。すると式神の足が少しずつ短くなり、荷物をゆっくりと床に着地させた。『魂抜きの儀式』を執り行い、式神を荷物から解放したのだ。仕事を終えた式神達はおのおの自分を生みだした霊能士の元へ帰って行くのである。

 父がスタッフの一人から貰った名刺には『四級霊能士』との肩書きが掲載されていた。一見、普通のあんちゃんとおっさんの集団なのだが、彼らも一端の霊能力者なのだ。聞くところによると、式神を生むのはかなりの経験と知識が必要だが、祓うのは比較的簡単なものらしい。

 この非現実的摩訶不思議的サービスは、言わば物質文明の発展に閉塞感が生じた挙句、苦しみ紛れに扉を開けた精神世界への進出で得た恩恵の一つだ。

 今から二十年前、急速に進む自然破壊と資源の枯渇を防止する為に、開拓・開発による自然環境へのダメージ回避を目的とした宅地造成を含む土地開発を規制する法律、環境保全維持法が制定された。

 この法律にはもう一つ目的があり、少子化と核家族化により増加した廃墟の再開発、及び新築抑制によって家族の同居が促進する事による独居老人の孤独死対策をも兼ね備えていた。廃墟の多くは犯罪の温床となるだけではなく、負に満ちた気が淀み、怪しげな現象の多発する心霊スポットとなって更に再開発の妨げになっていたのだ。

 当初、不動業界の猛反発を食らった法案だが、政府が其の対応としてある特殊技術の開発とバックアップ、そして専門教育のシステム樹立を約束し、法案成立にこぎつけた。それが、〈霊能士〉資格だ。公に社会的地位を得た能力者達は、その技術を飛躍的に発展させ、今まで買い手のつかなかったいわくつき物件を、次々に流通させることに成功したのだ。

 更には、医学や司法、行政、といったあらゆる面において、あちら側――霊界と大きく係わり合いを持つことにより、停滞していた景気や文化が画期的な飛躍を遂げるに至ったのである。

 こういった政府の努力もあり、日本から廃墟は次々に姿を消し、今まで買い手のつかなかった物件も何の支障も無く取引される様になった。

 そういった背景もあってか、いわくつきの物件であるにもかかわらず新居購入を決断した父に、耶磨人も母も、そして根っからの怖がりで心霊関係NGの妹達も賛同したのだ。

 両親と妹達は自分達の荷物の整理に没頭しており、とりあえず用無しとなった耶磨人は離れへと向かった。

 離れとはいえ、規模は母屋と同じ程の大きさで、少々年月は経ているとはいうものの、これがタダだというのもただただ驚愕であった。繭椿の話では、今は前の住民の家具やら荷物やらが突っ込んであるらしい。いずれ処分するので、欲しいものがあれば持っていってもよいということだった。

 玄関の鍵を開け、中にはいる。微かに香る畳の匂い。カビ臭い、じっとりとした湿っぽい空気の洗礼を想像していたが、思っていたより空気は澄んでいる。

 耶磨人はゆっくりと周囲を見渡す。廊下はピカピカに磨きあげられており、塵一つおちていない。部屋を次々に覗いていくと、流石に居間は荷物で溢れ返っていたが、キッチンはすぐにでも使えそうなくらい、きれいに整頓が行き届いている。

 父親との会話でのイメージとは裏腹に、見た目は胡散臭い感はあったが、繭椿という男、なかなかどうして結構きっちり仕事をするタイプの様だ。おまけの商品とはいえ、ハウスクリーニングはしっかりやってくれている。

(俺の勉強部屋、こっちでもよかったな)

 家の中をうろつきながら、耶磨人は半ば真剣にそう考えていた。前の住民が心中したとはいえ、この屋敷や敷地内での話じゃない。その上、霊能士の第一人者である絹川りおが直々に祈祷し、お祓いまでしているのだから、怖いもの無しだ。親や妹達の干渉を受けずにのんびり過ごすにはもってこいの環境だった。

 でも残念ながら、この離れは彼の両親の仕事場になる予定だった。SF作家の父も童話作家の母もそれぞれ仕事場と称してワンルームマンションを借りており、これが余分な経費となっていたので、それなら部屋数の多い一戸建ての住宅に引っ越そうかという事なったのが、そもそも今回の家探しの発端だった。

 勿論、耶磨人と妹達のプライバシーについても考慮はなされている訳で、交渉次第では耶磨人部屋別棟案も通る可能性はある。

(まあ、荷物も運び終えたし、もう少し落ち着いてからでもいいか)

 耶磨人は踵を返すと、玄関に向かった。流石にそろそろ戻らないと、サボっていたのがばれてしまう。

 みしいっ

 ぎょっとした表情で耶磨人は立ち止まった。床が軋む音だ。新築の家だと、梁や柱に使われている木材の乾燥が進むにつれ、歪が生じて弾けた様な異音を発する、いわば「屋鳴り」と言う類のものだ。だが、この離れは新築どころか、天井のすすけ具合から察するに母屋よりも確実に古い。

(まあ、よくあることさ。古い家だって、寒暖や湿度の差で起きたりするだろうからな)

 耶磨人は、さながら魔除けの呪文のようにぶつぶつ呟くと、平静を装いながら、玄関へと向かった。

 みしっ

 みしっ

 驚きの余り、耶磨人の身体が落雷の直撃を受けたかの様に跳ね上がる。

 一定のリズムを刻んで響く異音。足音だ。畳の上を誰かが歩いている――その誰かって――誰だ?

 まるで映画のワンシーンのように、激しく脈打つ心臓の拍動が、鼓膜を狂ったように強打する。

(式神が間違えて荷物を運び込んだのか、それとも家族の誰かが来たのか――否、玄関の開く音はしなかったぞ――ってことは?)

 いる。

 家族でない、何かが。

 聞き耳をたて、足を忍ばせながら耶磨人はゆっくりと音源の方向に進んだ。

(泥棒か? それとも……)

 ごくり、と生唾を嚥下する。心臓の拍動が一気にレッドゾーンを振り切る。まるで顔が心臓そのものになったかのような錯覚が、耶磨人の五感を支配する。

(落ち着け、落ち着くんだ)

 呪文のように心の中で自分に話掛けながら、震える手でジーンズのポケットをまさぐる。

(あった!)

 ほっとした表情でポケットから何やらカード的なものを取り出すと、耶磨人はまるで水戸黄門の印籠みたく、前へぬっと突き出した。

 絹川りおのPACだ。もらってはしゃいでいる大人げない父親に冷ややかな視線を注いでいたら、繭椿がそっと耶磨人にも渡してくれたのだった。

 繭椿には、耶磨人がよほど物欲しげに見えたに違いない。思春期にありがちな理由なきプライドに躊躇しながらも、受け取ってしまったことに妙な敗北感的な気分を味わっていた耶磨人だったが、今となっては有りがたき幸せだった。

 このPACがあれば、何が起きようが自分の事を守ってくれる。そこいらの護符よりも明らかに強力で頼りがいのある存在だった。

 かさこそ

 かさこそ

 異音はもはや開き直ったかの様に、あからさまに、それも連続して聞こえてくる。

(奥だ――一番奥の部屋っ!)

 絹川りおのPACを掲げ、足音を潜めながら、耶磨人は歩みを進めた。居間を抜け、廊下を一つ隔てた和室の前で立ち止まる。

 恐怖心プラス怖いもの見たさの好奇心が極度の緊張を生みだすが余りに、、喉がからからに乾き、唇がニタリ貝の様にぴたりと閉じたままになっている。

(このパターンって、ホラー映画なんかでは真っ先に殺されちまうタイプだよな……)

 耶磨人は恐る恐る襖に手を掛けた。死亡フラグが立っているかもしれない……そんな危惧が脳裏を過ぎる。でもここまで来てしまった以上、もはや後戻りはできない。

 張り付いた唇を引きはがし、大きく深呼吸。

(よしっ、開ける――開けるぞっ!)

 襖に掛けた指先の力を、一気に解放する。

 刹那。

 耶磨人の眼が、驚愕に泳ぐ。


「うわあああああああああああああああああああああああああああああっ!」


「ん、何だ? 今の声は」

 蓮多郎は本棚に並べ掛けていた書籍をテーブルの上に置くと、床の拭き掃除にいそしんでいる佳奈美に話し掛けた。

「あれは、ひょっとして耶磨人の声じゃあ……」

 訝しげに蓮多郎を見つめる佳奈美の眼に、同様ともとれる不安気なか細い輝きが揺れる。

「お兄ちゃん、どうかしたの?」

「部屋見たけどいなかったよっ!」

 葉奈美と都喜美がミニスカートの裾を翻しながら、血相変えて飛んでくる。

「さっきの声、何処からした?」

 蓮多郎の声に、皆、自信なさげに首をかしげた。

「あのう、多分、離れの方じゃあないですかねえ。さっき、ちらっとそちらに行く後ろ姿を見掛けたんですけど」

 運送業者の一人が、何故か申し訳なさそうにぼそぼそと囁いた。

「離れに? ありがとう、感謝するよっ!」

 彼に礼を言いながら、蓮多郎は家を飛び出した。彼のすぐ後ろに妻が、その後ろに二人の娘がぞろぞろと続く。

「耶磨人、いるのか?」

 離れの玄関を勢いよく開けると、蓮多郎はずけずけと上がり込んだ。

(まさか、極楽岬から飛び込んだはずの前の住人達の遺体が血の海の中で横たわっている――なんてことはないだろうな)

彼の脳裏に超エキセントリックな最悪の図式が浮かび上がる。

「耶磨人、どこだっ?」

「父さん、こっち!」

 蓮多郎の問いかけに、耶磨人が緊迫した叫び声で答えた。声の方向から察するに、一番奥の部屋の様だ。蓮多郎達は躊躇うことなく奥へと進む。

 ほどなく進むと、最も奥の部屋の前で手招きする耶磨人の姿が目に映った。

「どうしたっ?」

「あれ見てっ!」

 驚愕に表情を強張らせながら、耶磨人は開け放たれた襖の奥を指差した。言われるままに、蓮多郎は目線を部屋の中に走らせる。

 絶句だった。

 彼らの大脳皮質の言語中枢は、この上なき驚愕の齎した呪詛によりその機能を失っていた。ただ、果てしなく重い沈黙だけが、唯一事の異常性を示す意思表示として事実を物語っている。

 ふわふわの羽根布団に、顎まですっぽり包まってすやすや眠る老婆。

 その傍らに寄り添う様に正座している若いメイドのキョトン顔。

 耶磨人は緊張の余りに張り付いた唇をゆっくりと引き離しながら、出会い系初歩過程対応超簡単呪文を綴った。

「あんた、誰?」


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