13

 みなとワンダーランドの入り口、入園ゲートを抜けた先にある中央広場には、大きな噴水がある。廃園の遊園地だから、本当なら噴き上がる水もないんだけれど。でもこのときは偶然にも水があった。溶け出した雪が噴水用の水になり、そして藤ケイコたちがオンにした非常電源が図らずもポンプを作動させたんだと思う。今にも凍りそうな冷たさのなかで、雪まじりに水が曲線を描いた。弓のように、放物線を描いていた。

 僕とナナさんは、そんな噴水の端っこに腰掛けていた。僕も、ナナさんもすっかり疲れ切っていた。

「寒くない?」

 言いながら、ナナさんは胸元の止血をしていた。血に汚れたモッズコートは脱いで、僕にかぶせてくれていた。血みどろでも、あったかいことに変わりはなかった。

「大丈夫です。それよりナナさんこそ良かったんですか? だって、あの人が死んだら……」

「復讐の手がかりがなくなる。うん、そうね」

 適当な布切れで胸元を圧迫し、止血する。血に濡れたタートルネックは、着衣泳のあとみたいだった。

「わたしのことはいいわ。それより、本当に大丈夫? 足、痛かったでしょ?」

「ナナさんに比べたら」

「そっか、男の子だ。でも、二度と妙な気は起こさないこと。銃を握って、人を撃ったが最後、もう後戻りできなくなるから。だから銃の感触は忘れてね」

「はい」

「うん、良い返事ね」

 そう言うと、ナナさんは痛み止め代わりにタバコを吸った。いつもどおりのくわえタバコ。雪の中、タバコの煙なのか吐息なのかわからないけど、白い息を吐いていた。

 それからナナさんは僕の頭を撫でると、おもむろに携帯電話を取り出した。どこかにダイアルすると、それから僕に目配せした。

「待ってね。ちょっと一本だけ電話させて」

「どこへですか? ナナさんの雇い主?」

「ううん。違うわ――あ、もしもし。はい、わたしが電話しました。ナナって言います。七宮ナナです」

 七宮ナナなんて、そんな偽名よく出てくる。牧志ミヒロなのか、七宮ナナなのか。ほんとこの人のことを僕は何も知らない。

 だけど、その次にナナさんが口にした名前は、僕も知っている名前だった。

「捜査一課の館林刑事につないでほしいんですけど」

「え……?」

 思わず言葉が漏れた。

 捜査一課の館林刑事って。それって、このあいだ学校に来た刑事さんのことだ。マヤを探していた刑事の人。そんな人に電話してどうするっていうんだ? まさか自首でも……。

「ダメだよナナさん! 警察の人になんていったいなにを……!」

「いいの、黙ってて」

 僕の唇を、ナナさんは人差し指で封じた。だから何も言い返せなくて、ただナナさんと刑事さんがしゃべるのを聞いていた。

「ああ、どうも。わたし七宮って言います。実は畔上マヤ失踪事件と、安藤タダヒコ失踪事件について情報を持っていてですね――

 そんながっつかないでくださいよ。ねえ刑事さん、『みなとワンダーランド』って知ってますか? はい、そうです。三原高原にある廃園になった遊園地です。そこへ来てください。そこに失踪したマヤさんのボーイフレンドで、同じく失踪中の三上ナギサくんって少年がいるので。詳しいことは彼に聞いてください。彼が事件の犯人と、マヤさんの居場所を知っています。

 ……え? なんでわたしがそんなこと知っているかって? トボケないでください。刑事さんのお察しのとおりですよ。わたしがです。

 そうそう、ついでにヒントを教えてあげますよ。安藤を殺したのは、藤ケイコ――本名『木崎ヨシコ』という女です。じゃあ、あとは現場をその目で見てください。それでは」

 ナナさんはそこまで言うと、電話を切った。それからスマホを噴水の中に投げ捨てた。防水仕様でもない限り、これであのスマホはこわれてしまっただろう。

 それからナナさんは、腕時計に目を落とした。正確な時間はわからないけど、まだ朝だった。登校時間か、その少し前くらいな気がする。

「十五分ね」

「なにがですか?」

「最寄りの警察署――三原署の交番が一番近いかな――から、ここに警察が到着するまでの予想時間」

 口から煙を吐く。白い吐息のように、それは甘い香りがして、空に消えた。血に濡れたナナさんの唇は、僕を見て笑ってた。

「ねえナギサくん、最後にちょっと散歩しない?」


 雪まじりの噴水のまわりを、僕とナナさんはゆっくりと歩いた。お互いに傷ついた体を支え合うみたいに手を握って、ゆっくりと。

「どうして警察にあんなこと言ったんですか。そんなことしたら、ナナさんも捕まってしまう」

「捕まらないわ」

 細くなったタバコを携帯灰皿に押し込み、ナナさんは次の一本をくわえた。

「だってわたしは、七歳からこの業界にいるベテランだから。警察に追われるのは慣れっこなのよ。こんな田舎の警察じゃ、わたしを捕まえるなてできないわ」

「自信家ですね」

「事実だもの」

 そう言うと、ナナさんは握っていた手を強く握り返してくれた。僕も負けじと握り返そうとしたけど、力が出なかった。というよりも、こんなことしている場合じゃないって、そう思っていた。早く逃げないと。ナナさんは殺し屋なんだから。警察に見つかったら大変なことになる。

 だけど、この人はそうしなかった。よほど自信があるのか、それともただの考えなしか。あるいは、僕を安心させようとしているのか。僕はこの人の心のうちがわからない。冷酷な殺し屋なのか、それとも心優しい正義の味方なのか。

 僕は意を決して聞いた。

「あの、最後に一つ聞いていいですか」

「なに?」

「ナナさんって、けっきょく何者なんですか?」

「はは、そんなこと?」

「そんなことって……。教えてください。あなたは冷酷な殺し屋『牧志ミヒロ』なのか。それとも僕らを助けてくれる正義の味方『七宮ナナ』なのか」

「そうね。そのどちらでもないわ。きっとね」

 言って、ナナさんはまた口から煙を吐いた。

「わたしも昔は君みたいな子供だったのよ。君が三上ナギサであるように、わたしも親からもらった名前を持った普通の女の子だった。だけど、わたしは引鉄を引いたのよ。君があのとき、藤ケイコにそうしようとしたように。わたしは父を殺した相手に向けて銃を突きつけ、そして撃った。あいにくそれはまだ相手にはあたっていないけれど。でも、わたしがトリガーを引いたという事実は変わらない。わたしはその瞬間から牧志ミヒロになったし、七宮ナナになった。そして普通の女の子には戻れなくなった。戻りたくても、もうそういう選択肢が失われてしまったわけ。だからナギサくん、君は正しかったわけ」

「……でも、僕はあの人が憎かったです」

「だろうね。でも、撃ったら最後よ。君もあの女と同じになる。だから、良かったのよ」

 今一度煙を吐き、そしてナナさんは腕時計に目を落とした。時間はもうだいぶ過ぎているような気がしていた。

「さて、もう時間ね。ねえ、ナギサくん最後にわたしからもひとつだけいい?」

「いいですけど。なんですか?」

「うん、あのね。これからわたしはきっと、あなたたちを誘拐した犯人として扱われると思う。警察もそのつもりで捜査するはず。君がそれに対して、どういう対応をするかは任せるわ。黙っていてもいいし、わたしを犯人にして、追っかけてもいい。まあ、捕まるつもりはないけどさ。

 でもさ、忘れないで。これからもし何があったとしても、わたしみたいになろうだとか、復讐に駆り立てられたりしちゃだめよ。わかった? わかったら、これはこの冬だけの冒険として胸の奥に秘めておいて」

 トン、と。ナナさんはそれまで握りしめていた手を離して、僕の胸を叩いた。

「じゃあね。マヤさん、って」

 遠くからサイレンが聞こえる。

 噴水が雪を吹き飛ばし、僕の視界を真っ白に染め上げた。けっして涙なんかじゃない、雪で前が見えなかった。


     †


 それが、僕が『牧志ミヒロ』あるいは『七宮ナナ』を見た最後だった。

 あのあと、みなとワンダーランドにはたくさんのパトカーと救急車とがやってきた。

 僕は傷の手当だけしてもらうと、館林刑事といっしょに神社に向かった。あの小さな祠のある神社だ。

 マヤは、そこにいた。

 祠の奥には小さな座敷牢があって、そこに匿われていたのだ。誰かに言われなければ、きっと発見できないような薄暗い奥にあって。僕らもマヤを見つけるのに三十分近くかかった。

 座敷牢の中には充電式のヒーターと、それからたくさんのカイロと厚手の服、あと非常食料があった。缶詰やパン、チョコバーや、魔法瓶に入った紅茶まで。至れり尽くせりだった。

 いったい誰がこんなことをしたのか。きっと警察にはわからないだろう。でも、僕にはなんとなく想像がついていた。すべてナナさんがやったのだ。

 五日ぶりの再会に、僕らは涙を堪えることができなかった。ふだんクールで澄まし顔なマヤも、このときは泣きじゃくって、僕を抱きしめてくれた。まるであのとき、僕がナナさんにそうしたように。マヤは僕を命の恩人みたいに抱きしめて、泣きじゃくってくれた。君を助けたのは僕じゃなくて、ぜんぶあの人だっていうのに。


「むかしは人身御供を安置しておく座敷牢だったんだろうが。再開発やらなにやらで集落はなくなり、忘れ去られた成れの果てってところかね。それがまさかこんなことになるとは。まさに神隠しだよ、こりゃ」

 館林刑事はつぶやきながら、僕らを救い出すと、救急車のほうまで送ってくれた。みなとワンダーランドには警察がごった返し、これから現場検証を始めるというところだった。

 僕らは一人ずつ救急車に押し込められた。マヤは元気そうだったし、僕も足は痛むけど、それ以外は無事だったけれど。でも、念のため。

「なあ、三上君。病院へ行く前に一つだけ聞いていいかい?」

 僕が救急車に押し込められたとき、館林刑事は何度か唸るように頭を抱えながら言った。

「私に電話をしてきた女性――『七宮ナナ』が何者か、君は知っているか?」

「……誰のことですか?」

 僕はシラを切った。でも、刑事さんの鋭い目つきは、きっと僕の嘘ぐらいカンタンに見抜いていたと思う。

「そうか。すまない、ケガしているのに長く付き合わせてわるかった。ゆっくり休んでくれ」

「はい。刑事さんも、いろいろありがとうございました。マヤのこと、助けてくれて」

「礼を言うべきは私じゃない。七宮ナナという女だよ」

 救急車のドアが閉まる。エンジンがスタートして、ゆっくりとクルマは山を下りだした。


 僕は、ナナさんのクルマがもう山を降りていて、警察に捕まらないことを祈った。

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