僕の手元には一杯のブラックコーヒー。まだプルタブは開けていない。だって開けてしまったら、カイロ代わりにして手の内で転がせないから。

 ジムニーのドアに背を預ける僕。その前には、四人の男が倒されていた。上着を脱がされ、後ろ手で両手を縛られている。固く結束バンドで結ばれた腕は、そう簡単に外れそうではなかった。

 ナナさんは、そんな拘束された四人の前に立ちふさがっていた。

 大の男四人があっけなく倒され、あげくこの寒空の下、拘束されて野ざらしにされている。この女性は、これだけのことをたった五分ほどでやってのけた。見ていた僕も、正直言葉が出なかったぐらいだ。

「おはよう、襲撃者諸君。意識はある?」

 飲み終えた缶コーヒーを地面に置き、ナナさんは四人に呼びかけた。もっとも四人ともいて、まともに声が聞こえていないみたいだったけれど。

「おーい、君らに聞いてるんだけど。返事してもらえるかな」

 言って、ナナさんは右手の指を鳴らして見せた。催眠術師みたいに、パチンパチンと。するとやっとその音に気づいたのか、一人の男がまぶたを開かせた。そいつは、僕を真っ先に襲おうとしたあの男。黒々とした日焼け肌の彼だった。

「起きろ起きろ。この冬の山奥で凍死したくなきゃ起きろ」

 パチン、パチン。

 もう一回指を鳴らすと、日焼けの男がやっと覚醒した。目を覚ました彼は、まず自分は拘束されていることに驚き。そして次に身ぐるみをはがされ、雪の上に放置されていることに気づいた。その瞬間の彼の顔は、雪よりも冷え切っていた。

「なっ……おまえ、いったいなにを……!」

「ダメだって」

 と、ナナさんはブーツの底を缶コーヒーに突きつける。刹那、靴底はスチール缶をペシャンコに踏みつぶした。底に残っていたコーヒーの残りが吹き飛び、男のパーカーを汚した。

「質問するのはこっち。アンタがしていいのは回答だけ。いい? いいなら、答えて。じゃないと凍死しちゃうよ?」

「わ、わかった……。それで、何が聞きたいんだよ」

「アンタらの目的。それから雇い主のこと。全部洗いざらい吐いて」

 ――やりすぎだよ。

 僕はそう思ったけど、かといってナナさんを止めようとは思わなかった。彼女は刑事だし、殺人犯を追っている。それに、彼らは僕らを襲おうとしたんだ。正当防衛に認められるはずだろう。

「知り合いのツテで雇ってもらったんだ。金払いのいい仕事があるってさ。雇い主の名前は、藤ケイコ。それ以外は知らない。やけに色っぽい姉ちゃんだったよ。東京の一等地にいるホステスみたいでさ。そんで、そこにいるガキを捕まえれば、一〇〇万くれるっていう話だった。ガキ一人だけ捕まえるならカンタンだし、すぐに請け負った。そういうわけだよ」

「アンタらみたいなチンピラを雇うなんて、あの女もたいがい焦ってるみたいね。……それで、藤ケイコって女以外に誰かいなかったの? 他に男か、女でもいいけど」

「姉ちゃん以外とは会ってねえ」

「そう。じゃあ、ちなみに藤とはどこで会ったの?」

「わからねえ」

「わからない?」

 ナナさんがそう問うと、男は体をブルンと震わせながらうなずいた。寒くて震えてるのか、うなずいているのか、よくわからないくらいだったけれど。

「はじめは湊中央駅のカフェで合流した。でも、詳しい話はここじゃできないって言うから。そのあとすぐに目隠しをさせられて、クルマに乗せられたんだ。それで、気が付いたときには廃墟にいた。どこかわかんねえけど、こぎたねえビルの中だった。藤ケイコと会ったのは、それが最初で最後だ。帰りも目隠しで、気づいたら駅だった」

「なるほど。それで、そのクルマの特徴は覚えてる? ナンバーは覚えてる?」

「目隠ししてたんだぜ? 覚えてるわけねえだろ。カフェで合流してから、裏路地に通されて。それからすぐに目隠しをされて、クルマに乗せられたんだ。みんなヨチヨチ歩きでさ。乗っているあいだも、降りるときもつけてたし。結局何のクルマに乗ってたから覚えてもいねえよ」

「ふーん。そのへんはさすが用意周到ね……。それで、藤ケイコはどうしてアンタらにそんな依頼をしたの?」

「知らねえよ。でも、この辺の土地勘は俺たちみたいのほうが詳しいから。ガキを捜させるために、いろんな連中に声をかけてたらしい。羽生田組傘下の半グレ連中とか、西才川の浮浪者にまで声かけてたって話さ」

「なるほどね。そこまでしてわたしを追いつめたいってわけか。それに自分の手は極力汚さないつもりね……。

 って、話がズレた。それで、もう一度聞くけど。その藤ケイコは、なんて言ってたの? 詳しく教えて」

「詳しくもなにも、そこのガキをとっちめてこいってだけさ。生け捕りでつかまえてくれば、一〇〇万払うって言う話だ。ガキの名前は三上ナギサ、中学三年生。なんてことねえ中坊だって。だけど、そのガキにはやべえ女がついてるかもしれねえから、気をつけろって。それでその女ってのが――」

 日焼けの彼がそのまま何かを口にしようとした、次の瞬間だった。

 ナナさんの右手が、男の口へと飛んでいった。平手は彼の顔面を鷲掴みにし、爪が唇にめり込んでいく。皮膚が青くうっ血して、顎からは出血まで始まった。

「ごめん、それ以上はもういい。じゅうぶんよ」

 ナナさんは、まるで人が変わったみたいに言った。右手に込めた力は緩めずに、男の肌が青ざめていくのを気にせずに。

「協力感謝するわ。まあ、金に目がくらんだのはわかるけど。でも、依頼人はよく選ぶことよ。アンタらが選んだのは、最低最悪の依頼人だから。よく反省することね」

 アイアンクローから、平手打ちへ。真っ赤な紅葉を頬に咲かせると、ナナさんは最後に一発、男を蹴って横倒しにさせた。

「それじゃ、上着は置いてってあげるから。頑張って結束バンドほどいて、脱出してね。それじゃ」

「あっ、ちょ! ふざけんなおまえ! どうやってほどけって言うんだ!」

「頭を使うのよ」

 ナナさんはそう言うと、上着のポケットからタバコを取り出す。一本くわえると、ジムニーの運転席へと飛び乗った。

「ナギサ君、乗って。とりあえずここは出てくから」

「いいんですか? あのままあの人たち置いていって? 本当に凍死しちゃう」

「大丈夫よ」ナナさんは僕に耳打ちする。「あの結束バンドも、実は簡単に外せるようになってるから。コツさえつかめれば一瞬でほどけるの。だから安心して。わたしはヒトゴロシじゃないから」

 男たちの上着を地面に投げ捨てる。それからエンジンをスタートさせると、ナナさんはシートベルトを締め、シフトレバーを操作。四人の男たちを残し、道の駅をあとにした。


     *


 道の駅を出たころには、時刻はもう十一時に迫ろうとしていた。

 当然のことだけど、この時間になって三原高原へと向かうクルマはほとんどない。道はほとんど無人と言っていい状態だった。たまにネコかイヌが飛び出してきたけど、本当にそれだけだった。

「でもまあ、これで獲物がエサに喰いついたってことは、ハッキリしたね」

 ナナさんはハンドルを握りしめながら言った。

 だけどその操縦桿を握る両手は、どうにも迷いがあるように見えた。何かを探すみたいに、ナナさんは暗闇を見渡していた。

 獲物がエサに喰いついた。それはつまり、あの『藤ケイコ』という殺し屋が僕を見つけだして、手を打ってきたということだ。あのとき、クルマを襲おうとした四人は、明らかに『何かを破壊しよう』とする目つきをしていた。その標的はクルマの窓ガラスでもあり、そして僕の肉体であったはずだ。彼らは僕をいたぶり、生け捕りにし、藤ケイコのもとまで連れて帰るつもりだったはずだ。

「あの藤ケイコって殺し屋と、その雇い主が僕らを探し始めた……そういうことですよね。そうだとしたら、次からはもっと敵がやってくる……?」

 背筋を駆け抜ける悪寒に逆らうみたいに、僕は勇気を振り絞った。

「そうね。そういうことになる。」

 ナナさんは軽く答えた。それから一呼吸置くみたいにしてタバコを吸った。深い、とても深い溜息とともに。

「わかった、そうしよっか。黙ってても無駄だし。ねえ、ナギサ君。わたし、そろそろ全部打ち明けようと思う。今まで黙ってたけど、もうやめにするわ。この事件について話せるすべてを話すわ。もちろんいい話ばかりじゃないし、不安にさせることも多いだろうけど。でも、覚悟して聞いてくれる?」

 僕は深くうなずいた。

 ナナさんはそれをミラー越しに確かめると、灰皿にタバコを押しつけ、もみ消した。

「わたしが追っているヒトゴロシと、マヤさんの失踪にはつながりがあるって。そう言ったよね? 実はね、マヤさんが失踪した時刻と、“わたしが追っている犯人”がコトを起こした時刻。そして場所は、おおよそ一致しているの。つまりわたしの推理はこう。『マヤさんは、ヤツらの仕事現場ヒトゴロシを見て、その口封じとして拉致、あるいは殺害された』その可能性が高いんじゃないかって、わたしは考えている。

 うん。これがナギサ君には酷な話しなんじゃないかと思って黙ってたの」

「それじゃ、マヤは殺されたんですか……?」

「それはまだわからない。わたしみたいな刑事がこうして追いかけている以上、犯人は人質として彼女を生かしてるかもしれない。でも、危険な状態であることに代わりはないね。

 それで続けるけど。わたしが追っているヒトゴロシなんだけど。殺されたのは医薬品商社の男で……って、そうそう。そういえばさっきラジオで聞かなかった? 川から死体が引き上げられたって話。アレ、じきに司法解剖が終わって身元が特定されると思うけれど。殺された男の名前は、安藤タダヒコ。神谷商事って、医療系商社の社員なのだけれど。藤ケイコと、その裏で手を引いている連中が彼を殺したの。わたしが追っているのは、その事件。そしてきっと、その様子をマヤさんは目撃した」

 ナナさんは、『言ってる意味わかる?』とでも言いたげな目で僕を見つめ返した。

「じゃあ、マヤは本当に犯罪の口封じのために消されたんですか?」

「時刻や場所からして、その可能性がもっとも高い。安藤が消えたのも五日前の夜で、彼はその日、三原高原を抜けて旧湊市街地にあるキタノ・メディカルという製薬会社に行っていた。ひとしきり仕事を終えて夕方過ぎに三原高原を抜け、夜には会社に戻る予定だったらしいけど。彼は戻らなかった。死体の状況や目撃情報からして、安藤が消されたのは三原高原のあいだ。みなとワンダーランドの近くじゃないかと推測できる。

 ここまで一致してるのよ。死体はあがってないけど、マヤさんが目撃者である可能性は高い。だからわたしは、マヤさんの友人であるキミに接触した。何か知ってるんじゃないかと思って。でも、そのまえにもキミを監視していたわけ。それに気づいたわたしは、キミからマヤさんの情報を得ると同時、キミを守ることにしたんだけど……。でも、ヤツらがナギサ君を張ってるってことは、それすなわちマヤさんが安藤タダヒコの死に関係しているっていう証拠でもあるわけ」

「だから僕をエサにして、犯人を吊し上げようとしてる……?」

「そういうことになる。ごめんなさい。マヤさんのこと、約束はできない。でも、きっと助かる。だから協力して。わたしは必ずヤツらを捕まえる。この命に代えても必ず……!」

 そう口にしたナナさんの唇は、かたく結ばれた。唇の皮を剥いてしまうぐらい強く、歯を立てて噛んでいた。

 そして彼女が深い吐息とともに二本目のタバコに火をつけたとき、フロントウィンドウに巨大な構造物が映し出された。そうだ。ナナさんは、みなとワンダーランドに向かっていたのだ。僕の視界に飛び込んできたのは、マヤと一緒に散歩をしたあの遊園地。その残骸の門だった。

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