5
†
二年前。それは、僕らがまだ中学一年生だった冬のことだ。そのころは、もちろん受験のことなんて微塵も考えていなくて。むしろやっと小学生の気分が抜けて、中学校というものがわかってきた。そんなころだった。だから、もちろん峰ヶ崎高校のことなんて頭にないし。進学なんて、なんとなくどこかの高校に行くだろうとか、そのぐらいの漠然とした考えしかなかった。マヤもきっとそうだったと思う。
そんなときに、どうして僕らは二人で三原高原まできたのか。それは、ひとえに僕の母が原因だった。
あれは二年前の、十二月の暮れだった。そのころの僕とマヤは友人になったばかりで。でも、マヤのお母さんと僕の母は、すでにPTAとかで意気投合していた。どうしてだろう、いわゆるママ友というやつかは知らないけど。ウチの母と、マヤのお母さんは妙に気があったのだ。お互いに年が近い――こういうとアレだけど、マヤのお母さんはかなり若くて美人だ――というのもあったと思う。
そんな二年前の冬のこと。学校から帰ってきた僕を待っていたのは、二枚組のチケットだった。
「なにこれ」
ダイニングテーブルにカバンを投げおき、僕は変わりにチケットを取り上げた。
「当たったのよ。商店街の福引きでね」
母は水回りの掃除をしながら、そう返した。たしか食器を洗っていたはずだ。
チケットには、『みなとワンダーランド ペア招待券』とだけ記されていた。
「ほら、三原高原にある遊園地。知ってるでしょ? あそこのペアチケットが当たったのよ」
「でも、あそこって今年で閉園じゃないの?」
言って、僕は壁にかかったカレンダーに目をやった。
みなとワンダーランド。それは、僕が生まれるはるか前にできたという、この街で唯一の遊園地だ。毎年夏休みか冬休みになると、ひっきりなしにテレビCMをやっている。ヒーローショーがどうだとか、イルミネーションがどうだとかって。おかげで、『みなとワンダーランド♪』というマスコットキャラのイラストを背景に流れるというCMソングは、なんとなく僕でも歌えるぐらいだ。
でも、それも今年までのこと。施設の老朽化と客の減少で、今年で閉園になる。このあいだの朝刊にも出てたし、テレビもそれを何度となく訴えていた。今年で閉園だから、最後にみなとワンダーランドに行こう……とかなんとか。
「閉園までもう二週間もないじゃん。当たったって、ハズレつかまされたようなもんじゃん」
「そうなの。だから、本当ならお父さんとナギサとで行ったほうがいいと思うんだけど。でも、お父さんは年内には戻ってこないし。お母さんも、年末は忙しくって。だからナギサ、せっかくだからマヤちゃんと行ってきたらどうかと思って」
「畦上と?」
「そうそう。最近仲いいじゃない。いっしょに上で楽器弾いてるの、よく聞こえてくるわよ。マヤちゃん、歌もピアノも上手なのね。つきあっちゃえば?」
「畦上とはそんなんじゃない。それに、あいつは可愛くもなんともない」
「そう。でも、誘ってみたら? きっと喜ぶわよ」
母がそう言ったから、誘ったのだ。マヤが喜ぶのは良いことだし、それに閉園前にチケットを使わないと、もったいないし。
でも、結局のところ僕らは、みなとワンダーランドには行かなかった。正確には行ったのだけど、どのアトラクションにも乗らなかった。ひどく混雑していたからだ。年末で、閉園間際で、きっとおんなじ考えの人が何十人もいたんだと思う。『もったいないから、せっかくだし閉園間際にいこう』って。きっとあのCMを見て、あの歌をそらんじながら遊びにきたやつが大勢いたんだ。
だから結局、僕らは遊園地の中をしばらく散歩しただけで帰ってきた。マヤは人混みが苦手だし、僕も元より遊園地なんて行くタイプの人間じゃないし。それにおみやげとかお菓子とか、どれも高くて中学生のお小遣いじゃ買えなかったし。
あの一日が楽しかったかどうかと言うと、正直わからない。だけど、マヤと僕の距離が縮まったことだけは確かだ。
昼過ぎだったと思う。僕らは右手に再入場のリストバンドだけもらって、何とか大混雑の中を抜け出した。でも再入場する気なんてサラサラなくて。帰ってどこかでご飯でも食べて帰ろうとか、そんなつもりだった。
「ねえねえ、ちょっとこっち寄ってかない」
入場ゲートを抜けて、すっかり駅に向かうつもりだった僕を呼び止めたのはマヤだった。
彼女が指さしていたのは、三原高原の見晴らし台。展望台のある小さな丘の入り口だった。ちょうど旧登山道からの入り口が、みなとワンダーランドの駐車場脇にあったのだ。
「登山道? まあ、いいけど。畦上は歩き疲れてないの?」
「ぜんぜん。三上君は?」
――そう。このとき僕らは、まだお互いを『三上君』、『畔上』と呼び合っていた。
「いいけどさ。おなかとか空いてないの?」
「ぜんぜん」
彼女がそう元気に言うもんだから、僕はつきあわざるを得なかったんだ。
そうして僕らは再入場のリストバンドを着けたまま、丘の上へあがっていった。
だいたい歩いて十五分くらいだったと思う。上り坂だったから、ふつうに歩くのの倍ぐらい疲れた。最初は意気揚々としていたマヤも、中腹ぐらいから文句を言い始めたぐらいだった。「ちょっと、急すぎない?」とか「もう少し手すりつければいいのに」とかなんとかって。
やっと展望台に着いたとき、街は赤く輝き始めていた。一八〇度湊市街地を見下ろした先には、夕日を浴び始めたビル群が見えていた。
「あ、あそこ私の家。そっち三上君の家だ」
マヤは、さっきまでの文句タラタラっぷりはどこへやら。急に楽しそうになって、あちこちを指さし始めた。僕らの住む街がこんなにも小さいんだって、そう思うと、僕もなんだか楽しかった。
「ねえ、ナギサ君。今日は誘ってくれてありがとう」
日が沈みかけ、帰宅を知らせる『夕焼け小焼け』が流れ始めたとき。マヤは僕にそう言った。このときが、彼女が初めて僕を『ナギサ』と呼んだときだった。
でも、彼女の言葉に僕はしばらく黙っていた。
「もしかして、イヤだった? 下の名前で呼ばれるの」
「イヤじゃないけど」
僕はボツリと漏らした。帰宅の曲にかき消されそうな声で。でも、マヤはしっかり耳をそばだてて聞いてくれた。
「キライなんだよ、自分の名前。女みたいだからさ。どうせなら、もっと男らしい名前を付けてほしかった」
「そう? でも、ナギサって、なんだか波打ち際の荒々しいイメージもあるよ。そんなの、モノの捉え方だよ。違う? 男らしいとか女らしいとか、どうでもいいじゃん。それに、『女みたいだから』って、女の人に失礼じゃない?」
――そうだ。僕はこの瞬間から、彼女のことが信頼できると思ったんだ。ただ一緒に音楽の趣味をする、腐れ縁なんかじゃなくて。信頼できる友人だって、そう思ったんだ。
「たしかに。そういえば、マヤって男っぽいよな。あ、これは褒め言葉だから」
「へぇ? あのさ。それ、私はいいけど。他の女の子に言わない方がいいよ。ぜったいにモテないから」
「知ってる。だからマヤにしか言わない」
「言ったなぁ?」
するとマヤは、両手をガバッと上げて僕を追いかけ回した。
僕は逃げるみたいに、丘を駆け下る。駅へと向けて、自然と僕らは走り始めていた。
思えば、このときから僕らは、お互いを下の名前で呼び始めていた。でも、それだけの思い出だった……。
†
「ヒューッ! 甘酸っぱいねぇ。つきあっちゃえばいいのに」
ナナさんは、僕が必死に思い出した二年前のことを、あざけるみたいに笑って見せた。
やめてくださいよ、と言い返したかったけれど。でも、そのセリフは言われなれているし。それに何度言っても変わらない。僕とマヤはそんな関係じゃなくて、親友なんだって。だから、僕は結局黙って窓の外を眺めていた。
僕らは再びクルマに乗り込んで、三原駅から旧みなとワンダーランドに向かっている。ナナさんはクスクス笑ってたけど、でもハンドルは確かに三原高原に向けられていた。道路脇の木立には三原高原方面と看板が立っている。
だけど、助手席の僕が気分悪かったのは言うまでもない。
「ごめんごめん、冗談だよ。でもさ、わたしもこの年になると、そういう経験が懐かしく思えてね」
ハンドルを切る。三原高原へと続くワインディングロード。Y字路には、『みなとワンダーランド このさき』という看板が立っていた。とはいえ、もうすっかり錆び付いていて、イルカの姿をしたマスコットキャラは黒々と焼き付いていたけれど。
「この歳って。そういえばナナさんっていくつなんですか?」
「おっと。レディに歳を聞くもんじゃないよ。まあ、まだ二十代だね。それだけ伝えておこう。……でもさ、わたしの若いころなんて語るもんじゃないのよ。クソみたなもんだからね」
看板を横切り、雑木林を抜けていく。林の向こうには、徐々に人工物が見えてきていた。
錆び付いた城。その鋭く長い屋根が見えた。黒く焦げついたそれは、しかし本来は青かったのだろう。錆びと汚れとですっかり悪魔城か魔王城のようになっていた。
やがて雑木林を抜けたとき、僕らの目に飛び込んできたのは、巨大な廃墟だった。この二年間、誰も手を着けていない。破壊することを目標にしたまま、誰も触れなくなった場所。冷たい風が吹付け、巨大な遊園地の亡骸はぽつんと立ち尽くしていた。
ゆうに一〇〇台は停められそうな駐車場には、あちこちに亀裂や陥没跡が残っている。そしてその先には、城壁のような入場ゲートがあった。もっともその入場ゲートも、巨大な鎖と南京錠とで堅く閉ざされていた。隣の券売所も窓ガラスが割れてひどい有様だ。
「ここはすっかり廃墟ね」
クルマを停め、ナナさんはサイドブレーキをかける。当然だけど、僕ら以外にクルマは停まっていなかった。
「それで。さっき言ってた展望台ていうのは、どこにあるの?」
「あっちです。駐車場を出たすぐ脇に細い通路があるんです。山道に分け入っていく通路があるんです。昔は登山道だったって話ですけど」
「おっし。じゃあ、そこに行ってみるか。もしかしたら何か手がかりがあるかもしれないしさ」
ナナさんはキーをひねり、エンジンを切った。そしてモッズコートをはためかせ、車外へ。駐車場脇の登山道へと僕らは急いだ。
さすがに三原高原の中腹というだけあって、雪の勢いは平地よりもすごかった。
展望台へと続く旧登山道は、いちおう整地された階段が続いている。錆びているけど手すりもあるし、急なところにはちゃんとロープも敷いてある。でも、雪が僕らの行く手を阻んだ。
「学ランにジャンパーで来るとこじゃなかったね。大丈夫? 手、冷たくない?」
先を行くナナさんが落ち葉の合間をかき分けながら行った。息切れまっただ中の僕と違って、彼女はずいぶんと平気そうだった。
「なんとか……。たぶん次の階段を抜けきったら、展望台に出ると思います……!」
ズボンの裾にドロが着く。でも、もうそれも気にしていられなかった。
そうしてやっとの思いでたどり着いたとき、僕の肺は冷たい空気でいっぱい。乾ききって、冷蔵庫のなかに監禁されてたみたいな気分だった。
だけど、そこは冷蔵庫ではない。開けた見晴らしのいい展望台だ。木立を切り分けて作られた、六畳一間の展望スペース。フェンスで枠取りされた斜面からは、湊市街地を一望できる。
「いいとこだね。いかにも穴場って感じがする」
ナナさんはそう言うと、また両手の人差し指と親指とでファインダーを作り始めた。長方形は、展望台の先、湊市へと向けられている。夕日が水平線へと沈み始めるなかで、街には人工のあかりが灯り始めていた。
僕は息をあえがせながら、近くのベンチに腰を下ろした。きっと、まだみなとワンダーランドが開園していたころ、もしくはそれよりずっと前に、誰かが置いていったであろう木製のベンチ。座るとギイッのイヤな音がした。
「仮にだけど」と、ナナさんは指のファインダーを作ったまま言った。「五日前、マヤさんがここに来ていたとして。彼女はここで何をしたと思う? ここの、どこにいたと思う?」
ファインダーはそのまま僕に向けられた。ベンチに座る、疲れ果てた僕に。
「わかんないですよ、そんなの。でも、二年前のマヤはここで街を眺めていました」
「街を眺める、ね。……ねえ、すごい初歩的な質問だけれど。畔上マヤってどんな子だったわけ?」
ファインダーは再び湊市街へ。指先が町並みを切り出した。
「どんなって……そういう情報、警察には渡ってないんですか?」
「渡ってるわよ。基礎的な、表面的なデータならね。そう、たとえば――畔上マヤ。十五歳。誕生日は三月二日――つい先日迎えたばかりね。父は畔上ヒロヤ、母は畔上ヒトミ。父親は地元の中堅ゼネコンで働くサラリーマンで、母はパートタイマーの主婦。趣味は音楽で、その影響はピアノを小中高と続けていた母親の影響。クラシックを教えられたけど、父親の影響でロックにも興味を持つ。ビリー・ジョエルに衝撃を受けたって話ね。いい趣味してる。得意科目は数学と理科。でも国語はからっきしで、文章を読むのが苦手。むしろ楽譜を追ったり、数式を見てるほうが好きなタイプ。人とコミュニケーションをとるのもあんまり得意じゃない。だから小学生の時から友達が少なくて、いじめにあった経験もしばしば。中学では――」
「もういいです。ぜんぶ正解ですよ」
「ほらね。警察をナメないでくれる? で、さっきの話の続き。マヤさんってどんな人だった? それを親友のキミの口から聞きたいんだけど」
「どんなって……。基本的に無口です。でも、実はいろいろ話したいことがたくさんあって。話の引き出しもいっぱい持ってて。音楽が好きで。感受性が豊かで……本当はいろんなことを話したくてたまらないんですヤツなんですよ、たぶん。でも、基本的に彼女はシャイで……そう、ちょっと変わってる。人とモノの見方が違うんです。でも、その見方が僕はすごい思って……。って、なんだかよくわかんないですけど。こういうことでいいんですか?」
「いいよ、続けて」
街へと向けられていたナナさんのファインダー。それは、次に林の中に向けられた。僕らが通ってきた雑木林。街並みの向かいに生い茂った、深い木立のあいだに。そしてナナさんは、動物を追うカメラマンのように、ゆっくり、ゆっくりと林に近づき始めた。
「彼女は、僕が知らないことに気づくんです。それで、僕の思いもよらないことを言うんです。変なヤツなんですよ。頭もいいし、まあブサイクでもないのに。人当たりがよくないって言うか、心を許した相手にしか、たぶん自分のことを話さないんだと思うんです。そう言う『人見知り』というかなんというか……そう、寂しがり屋なくせに、堅い殻のなかで閉じこもってる。自分の奏でるピアノに、自分で合わせて歌って、それで満足してる。本当は誰かにベースを弾いてほしいのに、じゃあ自分でピアノ弾きながらウッドベースを弾けないかとか考えちゃう。そういうやつなんです」
「ふーん……。お、なにこれ。ねえ、ナギサ君。これ、知ってた? ちょっとこっち!」
突然、そう言ってナナさんは林の中へと駆けだした。さっきまで長方形をなしていた両手は、次の瞬間には木立をかき分けていた。
「あ、どこ行くんですか! 待ってくださいよ! 話せって言ったのはナナさんなのに!」
僕は彼女の姿を追いかけた。でも、ナナさんが見つけた何かへと続く道は、とてもじゃないけど人が通るような道ではない、草木を足で踏みつけただけみたいな、そんな獣道だった。
ナナさんはいったい何を見つけたのか。獣道をすこしだけ進んだところで、僕はそれに気づいた。
それは、鳥居だった。三メートル近くはあろう巨大な鳥居。それも朱色の鮮やかなやつじゃなくて、岩肌がむき出しみたいな、黒々としたやつだった。どうにも石でできてるみたいなのだけど、見た目はもうボロボロで、触れたらすぐにでも壊れてしまいそうだった。
ナナさんは、その鳥居の真下に立ち尽くした。そして岩肌を通したその先を見渡していた。
「ほら、あれ。神社……というか
ナナさんはそう言って、一対の石像を指さした。鳥居の先、雪にかき消された参道のわきに狛犬が二匹、苔むした瞳で僕らをにらみつけていた。まるで「ここから先に立ち入ることは許されない」と、そう訴えているみたいだった。
そうして狛犬の向こうには、お社があった。といっても、本当に小さな神社で、社務所も何も見あたらなかった。ただ野ざらしの神殿があって、錆び付いた鈴が風に揺れては、ガサガサと音を鳴らしているばかりだった。
「知ってた? こんなところに神社があったって?」
「知らなかったです。ていうか、なんか怖くないですか? こんな雑木林の中に、誰も知らない神社なんて。まるで神隠し……」
――神隠し。
その言葉を発したあとで、僕はそれが禁句であったことに気づいた。すぐに訂正しようと思ったけど、一度発した言葉はもうどうにもならない。
「そう? むしろ御利益がありそうって思わない?」
僕の気持ちを知ってか知らずか。ナナさんはそのままズカズカと参道を歩いてしまう。僕はしばらく鳥居の前にいたけど、とうとう怖くなってナナさんを追いかけた。
それからナナさんは賽銭箱の前まできて、足を止めた。そこには砂色をした大綱が垂れていて、鈴につながっていた。引っ張れば、ガラガラと錆びた鈴が鳴り響くという仕掛けだ。
だけどナナさんはそれに手を着けず、賽銭箱をにらみつけていた。もっとも、それも賽銭箱と呼ぶのをためらうような形をしていたけれど。
賽銭箱と。たしかにそれは、そう書かれた箱だった。でも、それは本当にただの箱で、しかも蓋には鍵までしてあって、肝心要のお金を入れる口がどこにも見あたらないのだ。そのせいか、蓋の上には小銭がポツポツと乗っていた。
「ふーん。見て、これ。ほら、お賽銭」
ナナさんは身を乗り出して、賽銭箱を指さす。食い入るように小銭を見る姿は、まるで賽銭泥棒。だけど、彼女はもちろんそんなのではない。刑事だ。自称、正義の味方。
「この五円玉、よく見て。他の十円玉にはホコリがつもってるけど、この五円だけはない。比較的最近置かれたものだね。ご縁があるようにって、つい最近に誰かが置いていったのかも」
「……まさか、マヤが?」
「かもね。もしかしたら、思い出の場所の近くに神頼みしにきたのかも。ねえ、もしもマヤさんが神様にお願いするとしたら、何の縁だと思う?」
「それは……」
僕はすこしだけ考えて、それから身を乗り出して五円玉を見た。確かにナナさんの言うとおりだ。他の小銭にはどっぷりホコリがつもっているか、カビが生えるかまでしているのに。その一枚の五円玉だけは、さっき置いたばかりみたいだった。
「……本当にもしもですけど。きっとマヤが願ったんだとしたら。それは、合格祈願じゃないですかね。マヤは、高校入試の結果発表前に消えたんです。それに、ここは僕らが受けた峰ヶ崎高校からも近い。もしかしたらマヤは、僕らの思い出の場所の、それもすぐ近くの神社で、僕らの合格祈願をしたのかもしれない。そして――」
「そして何かに遭い、失踪した……。そうね、それなら三原駅へ来た理由も説明がつく。とはいえ、彼女がここに来たというのは、憶測も憶測も憶測にすぎないけどね」
無邪気さから冷静さを取り戻したみたいに、ナナさんは言い放った。その言葉は僕にも落ち着きをくれた。そうだ。所詮これは憶測にすぎない。マヤがここに来たなんて証拠はない。確かにここ最近に誰かがこの神社を訪れたのかもしれないけど……。
そう考えていると、ナナさんはまた参道に戻って、神社の周りをウロウロとし始めた。林の中をかき分けたり、木立の合間を通り抜けたり。証拠を探すナナさんの姿は、たしかに刑事のようだった。
僕も一緒になって雑木林をかき分けたけど、でも、何かそれらしいモノは見あたらなかった。マヤの落とし物だとか、靴の跡だとか。とにかく何の痕跡もなかった。
そうして僕もあきらめかけたころだった。
「へぇー。ここって、ここにつながってるんだ」
と、雑木林の向こうから声がした。ナナさんが林の中で何かを見つけたらしい。駆けつけると、そこには林のなかで自慢げにするナナさんがいた。もっとも、彼女が見つけたのは証拠でもなんでもなかったけれど。
林の向こう。草原をかき分けた先にあったのは、巨大な広場へと続く獣道だった。広場といっても、それは例の廃墟の一部だった。
みなとワンダーランド。二年前に閉園し、放棄された遊園地。僕らが行こうとして、結局何もせず帰ってきたあの場所……。そのなかの噴水を中心とした広場が、神社から見えたのだ。もっとも噴水は乾ききって、広場も雑草の生い茂る野原になっていたけれど。
「ふーん。ねえ、あの噴水ってまだ動くのかな?」
「まさか。もう二年前に閉園したんですよ」
「そうね、たしかに。……ごめん、これ以上は何も見つかりそうにないね。痕跡は見つからず、か。マヤさんはここにいたのかもしれないし、いなかったのかもしれない……。戻りましょう。やっぱり、尻尾を出してくるのをじっと待つしかないわ」
そう言うと、ナナさんは再び雑木林をかき分けて、神社へ。それからまた展望台のあるほうへと戻っていった。
証拠は見つかっていない。マヤがここにいたなんてわかんないし、どこにいったのかもわからない。でも確かに時間だけは過ぎていて、もう三原高原には暗闇が訪れ始めていた。
結局、僕らがわかったのは、神社に五円玉があったことだけ。本当にそれだけだった。
丘を駆け下りてクルマに戻ったころ、あたりはすっかり暗くなっていた。遠くからはあの『夕焼け小焼け』も聞こえてきていた。
「これからどうするんですか」
僕は助手席に乗り込みながら、ナナさんに聞いた。
ナナさんはエンジンをスタートさせつつ、片手でタバコを手に取った。あのキャラメルの匂いのする、ジョーカーっていうやつだ。
「ヤツが出てくるのを待つ」
「ヤツって、あの藤ケイコって人ですか?」
「あいつもそうだけど、本命は違う。わたしが追っているのは、彼女を雇っている人間。これら一連の事件を引き起こした真犯人なの。だから動き回ってこっちの居場所を知らせて、ヤツを撹乱しつつ、尻尾を出すのとじっと待つ……。とりあえずそのつもり」
そう言って、ナナさんは僕に断りも入れずにタバコに火をつけた。とたんに車内にあまったるい香りが広がる。キャラメルとかチョコレートとか、デザートみたいな匂いが。その匂いのせいか、僕の腹の虫がぐぅーっと音を鳴らした。カーステレオの音もかき消してしまうぐらい、大きな音だった。
「あら、もしかしておなか空いた? よし、それなら夕飯しよっか。なに食べたい?」
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