ゴツゴツした路面を這うみたいに、クルマは中学校を出た。

 僕らが通う湊東中は、市街地から少し外れたところにある。だから周囲には畑だとか田んぼだとか、あとは建物があっても農業試験場だったりとか。とにかくのどかな風景が広がっている。おかげでこの時期の夕方にもなると、ひっそりと暗く静まりかえっていることが多い。といっても、二十分も歩けばすっかり都市部のビル群に入るんだけど。

 クルマは畑と畑の合間を走り抜けた。外ではチラホラと雪と雨のあいのこみたいなのが降り始めていた

「マヤを探すって、どこに向かうんですか?」

 僕はそう聞いたけれど、ナナさんには聞こえてないみたいだった。ラジオが流れていたから、僕の低く小さな声は聞き取れなかったんだと思う。DJの英語なまりな日本語のほうがよっぽど聞き取りやすかった。

 信号にハマったところで、ナナさんはラジオのボリュームを絞った。

「とりあえずマヤさんが最後に目撃されたっていう三原高原に行ってみようと思う。でもね、わたしが思うに、こっちから探さなくてもいいと思うの。そのうち向こうから尻尾を出してくるから、それを待てばいいと思う」

 長い信号待ち。小さな交差点には不釣り合いなスクランブル式だ。おばあさん一人のために歩行者用信号が作動する。「信号が青になりました」というアナウンス。それから、反対側の信号が青に変わった。

 ナナさんは、その一連の光景を退屈そうに見ていた。ハンドルを指でトントンと叩いて、リズムを刻みながら。

「藤ケイコって名乗ったんでしょ、あの女? 実はね、あいつはわたしが追っている事件の重要参考人、そのうちの一人なの。藤ケイコは、何らかの目的があってナギサくんに接触した。おそらくマヤさん関連でね。そして、だとしたら今後ともキミのことを追ってくるはず。だったら、それを防げばいい。そうしていれば、あいつらは自ずと尻尾を出す。……そのはず」

「でも、マヤは? マヤはどこに行ったんです? あのケイコって人が知ってるんですか? でも、あの人は殺し屋だって……。マヤは、殺されたんですか?」

「いいえ。きっとまだ生きてるわ。でもね、彼女は見てはいけないものを見たのよ。だから、が探してる」

「見てはいけないものって?」

「それは答えられない。言ったでしょ? わたし、誰にも言えない警察のシークレット・セクションの人間だから」

 信号が変わる。ジムニーや凍結した路面を噛みしめて、ゆっくりと走り出した。

「というか、ナナさんって本当に刑事なんですか? 警察手帳とかは持ってないんですか?」

「なに、わたしのこと疑ってるの? お生憎様、わたしは潜入捜査アンダーカバー中の刑事でね。持ち合わせがないの」

「本当ですか? もしそれがウソなら、これって誘拐ですよね。男子中学生をさらって」

「たしかに、そうなっちゃうわね」とナナさんは苦笑する。「ねえ、もしわたしがマヤさんをさらった誘拐犯で。今度は親友のキミも誘拐しようとしてる……ってことだったら、どうする?」

 ゾクリ、と背中を冷たいもので撫でられるような感覚。その可能性がないということは、ない。彼女が言っていることが全部ウソで、僕もマヤも誘拐しようとしているって……。でも、僕にはなぜかそうは思えなかった。ナナさんが誘拐犯には見えなかったのだ。

「もしそうなら、逃げますよ。もちろん。……でも、ナナさんってそんな感じしないですよね。僕のこと助けてくれたし。僕を誘拐する理由がない」

 僕は矢継ぎ早にそう口にした。

 ナナさんのことを完全に信じられないのは、確かに事実だ。刑事だって言うけど、肝心な警察手帳は見せてくれないし。でも、ナナさんの言うことはみんな当たっていた。警察は僕を取り調べにきたし、藤ケイコって女の人が僕を迎えにきた。あの怪しげな女の人が……。それに、僕を守るみたいに引きはがしてくれた。よくわからないけど、僕にはケイコという人はすごく怖く思えたけれど。でも、ナナさんはなんだかそうは思えないのだ。どうして? といわれたら答えづらいけれど。

「理由ならいくらでも後付けできるけどね。臓機売買とか人身売買とか……。でも、そうね。わたし、正義の味方の刑事だし。そんなことはしないわ」

「正義の味方を自称する人、初めて見ました」

「そうでしょうね。でもね、そうでもしないと、この仕事はやってられないのよ。意外と汚いところも多いから」


     *


 三十分ほど走って、クルマはようやく三原駅についた。

 峰ヶ崎地区、三原高原。僕らがこれから通うはずの高校も同じ地区にある。高校前駅から三原高原へ少し登ったところに、峰ヶ崎高校はあるのだ。

 だけど今日僕がきたのは、高校を見るためではない。マヤを探すためだ。

 ナナさんは三原駅前にあるロータリーにクルマを停めた。

 でもロータリーと言っても、そんな大したもんじゃない。駅は木造の無人駅で、線路が二つ走ってるばかり。奥が峰ヶ崎方面行きへ、手前が湊市街地行き。その二つだけだ。そうしてしばらく行けば、今度は山奥でスイッチバックが待っている。ここはそういう田舎なのだ。湊市街地より、ずっと田舎。周囲には山しかなくて、もう夕暮れが近づいている。駅から聞こえてくるのは、一応の自動改札機が漏らす電子音だけだった。

「何もないわね」

 ナナさんはジムニーを降りて、バタンと大きくドアを閉めた。僕もあとを追って降りる。

「ないですよ、なんにも。だから峰ヶ崎高校を受験する人もいるんです。ほら、周りに遊べる環境がないから、誘惑がないって」

「なるほどね。でも、そんな学生生活って楽しい? わたしだったら勘弁したいな」

「まあ、それは人それぞれじゃないですか? そういえば、ナナさんってこの街の人なんですか?」

「いいえ。言ったでしょ、本庁の人間だって。日本全国を飛び回ってる。だから、このへんの土地勘はあんまりないの。ここにきたのも、二週間ぐらい前のことだから。……ねえ、ナギサくんはどう思う?」

「どうって、なにがですか?」

「どうしてマヤさんは、この場所に降りたのか。写真、湊署の刑事に見せられたでしょ? 駅での一枚と、コンビニでの一枚」

「見ましたけど、あれって信用していいんですか? ナナさん、警察は信じるなって」

「あの情報はわたしが湊署リークしたものだから、正しいわよ」さらっと爆弾発言をしてから、ナナさんは続ける。「ねえ、どう思う? どうして彼女はここにきた?」

「わかんないですよ、そんなの。わかってたら、とっくにマヤを見つけてる」

「たしかに。そのとおりね」

 するとナナさんは腕をあげて、両手の人差し指と親指を大きく広げた。ちょうどL字になった指の先端を、彼女はくっつけあわせる。そうして小さな長方形を作った。ナナさんはその長方形を、カメラのファインダーみたいに覗き込んだ。

 ファインダーは、まず三原駅の駅舎を切り取った。それから監視カメラを追うように――いや、マヤのあとを追うようにゆっくりと移動する。右へとパンしていき、やがて一八〇度回転。即席のファインダーは、次に駅の真後ろにあるコンビニに向けられた。

 コンビニには、クルマが三台ほど停まっていた。軽トラが一台、軽自動車が一台、それから品物を積んだトレーラーが一台。軒先には、峰ヶ崎高校の生徒らしき姿もあった。

「でもね、ナギサ君。わたしはさ、キミの意見を聞いてるの。キミがどう思うかってことをね。それはね、別に正解は求めてないの。だからもう一度聞くけど、どう思う?」

「どう思うって……」

 マヤはどうしてここへ来た?

 同じ質問を、湊署の館林刑事にも聞かれた。そのとき僕は、『峰ヶ崎高校に行こうとして乗り過ごしたんじゃないか』と言った。そうだ。それが僕の意見。でも、どうしてマヤはこんな時間の、こんな場所にきた? いったいなんの理由があって?

 ――思い出せ。マヤがここに来るには、何か理由があったはずだ……。

 頭をひねる。文字通り、脳味噌を雑巾みたく絞って、考えをひねり出す。記憶していることのすべてを吐き出すみたいに。

 そうしているうちに、思い出したのだ。

 僕とマヤは二年前、いっしょにここへ来ていたことを。

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