2
家に帰るあいだ、僕の頭には二人の女性が現れて離れなかった。
一人は、言うまでもない。失踪した幼馴染、畦上マヤだ。
そしてもう一人。あのタバコ女が頭にこびりついて離れなかった。着古したモッズコートと、上下黒のパンツスタイル。タートルネックで隠した首と、ショートカットの金髪。まるで大昔のロックスターみたいな、濃い化粧の顔。そしてカラコンでも入ったみたいな青い瞳……。あの人は、たしかに僕を見つめていた。
そして忠告したんだ。
「だけど、彼らの言うことは信じないでほしいの。もしもキミが畔上マヤを探しているなら、ね」
もしマヤを探しているなら……。
探していないはずがない。
だけど、僕がいまの状況に感じているのは、正直言葉にはしづらい感覚だった。
家に戻ると、母が夕飯の支度をしていた。整頓された玄関の向こうから、グツグツと煮物の煮えた音が聞こえてきていた。
「お帰り、お風呂もうすぐ入れるわよ」
母は、まるで何事もないみたいに言った。
「あとで入るよ」
僕も靴を脱ぎながら、ぶっきらぼうに答えた。まるで何もなかったように。何もなくて、いつものように学校が終わったみたいに……。
でも、実際のところは違う。母だって、マヤのお母さんは仲がよかったから。マヤの話は否応なしに耳に入っているはずなのだ。だけどそれについてなにも言わないのは、きっと僕を思ってのことなのだろう。母は、僕とマヤをつきあってると思ってる。僕らはそんなんじゃなくて、ただの友人なのに。だから、気を使ってる。そんな必要ないのに。そうやって余計なところで勘ぐって母親ぶるのは、いい迷惑だっていうのに。
「そう。お母さん、このあと仕事いくから。あとよろしくね」
「わかってる」
僕はそれだけ言うと、二階にあがって自分の部屋にこもった。そうしているほうが落ち着くから。
自室には、勉強机とベッド、本棚、それからギターが置かれていた。父親譲りのトーカイのレスポール・カスタム。もう何十年も昔のやつ。アンプは練習用に買ってもらった安いヤツが一つ。リズムマシンとかも付いてるやつだ。
僕は机の横に学生鞄を放り投げると、ギターを取り上げてベッドに腰掛けた。それからアンプに繋げることもなく、爪で弦を弾いた。
生音は空虚に響く。
ドラムの音もなにもなくて、ただ六本の針金が振動する。僕の部屋を満たしたのは、そんな空虚な揺れだけだった。
*
翌朝、教室に来た生徒たちを待っていたのは、先生からの巨大な置き手紙だった。
僕が教室に入ったとき、真っ先に目に飛び込んできたのがそれだった。黒板に大きくチョークで書かれた『今日の朝学活は、全校集会に変更です』の文字。先生が大声で読み上げたような、そんな勢いのある文字だった。
「全校集会ってなにすんだよ」
教室入り口のダルマストーブで暖まっていた生徒――サッカー部の井上――がグチっている。まだ寒々とした教室で、彼は厚手のグラウンドコートを羽織っていた。取り巻きのほかのサッカー部員たちもそうだった。
「たぶん畔上のことだろ」
隣で手をもみながら、坊主頭の鈴木が言った。
「あいつ、きっと死んだんだろ。ウワサで聞いたぜ」
――死んだ。
その言葉に、僕は思わず眉をひそめた。だけど直後には彼らの横を素通りしていた。怖かったのだ。聞きたくなかったのだ。彼らの、その言葉の続きを。マヤが死んだという、その推理を……。
全校集会はなんとなく始まって、なんとなく終わった。
担任につれられて、なんとなく集まった生徒たちが、なんとなく体育館に座り込んで。そしてなんとなく教頭が登壇。一礼して、「今日は校長先生からお話があります」と言って、集会はなんとなくスタート。校長が壇上にあがると、なんとなくの話が始まった。
正直、ウチの校長先生は話がうまくない。僕はまだ中学生だし、そんな話術の善し悪しなんてわからないけれど。でも、なんとなく聞いていて、聞きやすいかどうかぐらいかはわかる。少なくともウチの校長はヘタクソだった。話が前後して、最終的に落としどころとも、言うべきテーマも落ちてこないからだ。
そして今日は格段にヘタクソだった。きっとそもそもテーマが存在しなくて、すべてを遠回しに話そうとしていたからだと思う。
つまり、畔上マヤという少女が失踪した。だからみんなも気をつけましょうって。そのテーマを、ひどく婉曲的に話そうとして、空回りしていたんだ。
「えー、そういうわけで。今日の授業は午前中のみとし、部活も中止とします。みなさん早めの下校を心がけてください」
校長のその一言で全校集会は終わったけれど。でも、それは注意喚起というよりは、授業がなくなったうれしさをもたらしただけだった。
そうして全校集会はぬるっと終わった。僕らに半日授業というよろこびを残して。
*
だけど僕の心境は複雑だった。
まるでマヤの失踪を認めるみたいな全校集会。その煽りを受けて、そこかしこでウワサされる畔上マヤ死亡説。マヤのことを心配していた女子グループすら、その三流ゴシップに乗っかり始めてる。それを聞くたび僕は胸騒ぎがしてたまらなくなった。
――マヤが死んだなんて、ウソだろ。先週まで一緒だった。
そう思ったとき、昨日のタバコ女のことが脳裏に浮かんだ。信じるなって、彼女はそう言ってたっけ……。
給食を食べて軽く掃除をしたら、最後に帰りの学活をして今日は終わりだった。午後の授業はなしだ。帰りの学活中、クラスはどこか浮かれ気分だった。僕は沈んでいたけれど。
机の上に教科書でいっぱいの鞄を乗せて、僕は呆然としてた。先生の話なんて頭に入ってなくて、考えていたのは昨日のこと。そしてマヤのことだった。
彼女は、僕のもとに『ある女』か、あるいは『警官』が来るなんて言っていた。けれど、いまのところその予想はハズれている。それがいいことか、悪いことかはわからないけれど……。
「おい、三上。三上、聞いてるか?」
「え?」
先生にも三度名前を呼ばれて、僕はようやく気が付いた。教壇の前には、困り顔の佐藤先生がいた。
「三上、半日だからってボーッとするな。三上、おまえは後で校長室へ来るように。いいか?」
「えっと……。校長室、ですか? どうして?」
「校長先生がお呼びだからだ。いいな?」
――校長室が呼んでる? どうして?
後ろの席の宮下が「おいおい、三上ってば何やったんだぁ?」とはやし立てる。
だけど僕には、自分が悪いことをした覚えはないし。むしろこれは……そうだ、マヤのことで呼ばれているのだと。なんとなく気づいていた。
校長室に行くのは初めてだった。この中学に三年間もいたって言うのに、僕は校長室の位置すら知らなかったのだ。行く前、佐藤先生に「校長室ってどこでしたっけ?」と聞いてしまったぐらいだ。
実際のところ、校長室は昇降口のすぐとなり、保健室の右にあった。これまで三年間も通過してきたのに、僕はその存在に気づかなかったんだ。
「失礼します」
僕はノックをしてから、部屋に入った。
校長室は、コーヒーのにおいがした。校長先生は奥の大きなイスに座っていて、その手前にはフカフカのソファーが二つあった。そしてそのソファーの隣には、スーツを着た男性が立っていた。でも、その人はどう見たって教師じゃなかった。少なくともこの中学の先生じゃない。
「三上ナギサ君だね」
そう言ったのは、校長じゃなくて、スーツの人のほうだった。校長はふんぞり返っているだけだ。
「そう、ですけど……」
「私は湊市警察、捜査一課の館林です。少しだけお話を聞きたいんだけど、いいかな?」
「話って……?」
僕がそう言うと、館林刑事は振り返って校長を見た。
二人は小さくアイコンタクト、校長が黙ってうなずくと、刑事さんは僕に向き直った。
「まあ、まずは座ってください。それで話というのは、あなたのお友達のこと……畔上マヤさんのことです」
「五日前、マヤさんは家に帰らなかった。そしていまだに戻っておらず、現在警察には捜索願が出されています……そのことは知ってますか?」
ソファーに向かい合って座る館林刑事に、僕は黙ってうなずいた。机の上には、校長が気を利かせて入れてくれたお茶があった。
「あなたとマヤさんは幼なじみで親友だった。違いますか?」
うなずく。刑事はその反応を見て、さらに続けた。
「では、五日前の夕方、マヤさんが何をしていたか知っていますか?」
「……知りません」
「本当に?」
「知りません。四日前、本当は一緒に高校入試の結果を見に行くはずだった。でも、来なかった。僕がマヤの失踪に気づいたのは、そのときです。その前日の彼女のことは、知らないです……」
そうだ、知るはずがない。知っていたら、僕だってこんなイヤな気持ちになっていない。そう言いたかったけど、僕は黙っていた。
「なるほど。わかりました。では、この写真を見ていただけますか?」
館林刑事は、おもむろに鞄からファイルを取り出して、二枚の写真を撮りだした。どれも画質の荒いもので、監視カメラか何かのものだった。A3サイズに大きくプリントされていたけれど、それでもギリギリ誰が写っているのかがわかるレベルだった。
一枚目は、駅の監視カメラだった。古ぼけた木造の駅舎に『三原駅』と書いてある。自動券売機と、無人改札。待合室にはダルマストーブと、煤けた時刻表。そしてその前に立つ一人の少女。中学の制服に、見覚えのあるモスグリーンのコート。間違いない、マヤだった。
「これは五日前の夕方、午後五時五七分ごろにい撮影されたものです。撮影されたのは、三原駅。東湊駅からは、JR三湊線、峰ヶ崎・三原高原方面行きに乗って三十分ほどです。でも、マヤさんのご自宅は東湊市伊上区。まったく逆の方向です……おかしいですよね? それから二枚目です」
重なっていた写真をめくる。
次は、コンビニの屋外監視カメラのものだった。駐車場と、それから店の出入り口が写っている。ちょうどコンビニからペットボトル片手に出ていくマヤが写っていた。
「同じく五日前の午後六時五分頃。マヤさんは最寄りのコンビニで飲み物を買い、それから消息を絶っています。駅での目撃情報も、コンビニの監視カメラも、もうありません。彼女はここで完全に消えている……。ねえ、三上君。どうして彼女はこんな夕方、家とは真逆の三原高原に向かっていたのか。何か知っていたら教えてほしいんだ」
「どうしてって……僕を校長室に呼び出したのは、それを聞くため、ですか……?」
そうだ、と言わんばかりに校長がうなずく。
でも、僕には何も答えられなかった。マヤは失踪する前に三原駅にいた? そんなの今日はじめて聞いた。
あの日、彼女はなにか「用事がある」と言っていた。僕もそれに何の疑いも持たなかったし、別にどんな用事かも聞かなかった。だって僕らは毎日ベッタリってわけでもなかいし。恋人でも何でもなくて、腐れ縁の友達ってだけなんだし……。
「わかんない、です……」
僕は絞り出すような声でそう言った。
「えっと……でも、僕らが進学予定の峰ヶ崎高校が、三原駅から一つ前の高校前駅だったと思うので。もしかしたら、間違えて乗り過ごしたのかも……しれません。もっともなんでこの時間に峰ヶ崎にいたかはわからないですけど」
「うーん、やっぱり君もそう思うか」
館林刑事は渋い顔をして、写真を片づけた。収穫ゼロ、役に立たず、っていう言葉がありありと顔にあった。
「ありがとう。すまないね、突然呼び出してしまって。でも、君もマヤさんが心配だろう?もし何か気づいたら、ここに連絡してくれ」
彼はそう言って、僕に名刺をくれた。紙切れに、捜査一課 館林昇って名前が書かれたもの。下には警察署の電話番号も。
僕はそれだけ受け取ると、逃げるみたいに校長室を出た。どうして逃げるみたいにって、それはあの女の言葉が頭に引っかかっていたからだ。
『畔上マヤを探しているなら、警察を信用するな』っていう、あの言葉が。
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