第18話『すれ違った二人』

 琴音との二度目のデート当日は絶好のデート日和……とはいかなかった。

「降りそうだな……」

 空を見上げて呟く。灰色の厚い雲が町全体を覆っており、今にも降りそうな雰囲気をしていた。集合場所、変更すればよかったかな。と思いながら、オレは駅前の外灯にもたれかかり時計を見る。時間は十時を回ったところだった。一応集合時間は十時にしてはあるけれど、まぁ多少の遅刻くらい許容する気だったので問題ない。

 ジャケットの胸にそっと触れる。硬い細長い物が入っているのを確認すると、ふう。と緊張の息がこぼれた。

『私もこー君を受け止めたい』

 昨日顔を真っ赤にしながらそう告白した琴音の言葉が蘇る。その時の琴音の顔とか抱きしめたときの感触とか香りとかが鮮明に蘇ってきて、顔が徐々に熱くなる。そんなヒートアップする顔を冷ますように手をうちわ代わりにしながら扇ぎ、琴音の到着を待つ。

 だが、十分、二十分と待ちながら通り過ぎる人を見ていたけれど、琴音らしき姿は見えない。それでも待ち続け、気付けば時間は十一時を回っていた。

 スマホを確認してみるけれど、遅れるといった連絡は入ってきてないので、こちらからメッセージを飛ばしてみる。だが、何分待っても既読の文字がつく事はなかった。

 剥き出しの心に鋭い爪で掻き毟られたような痛みがした。頭の遠くから小さくだけどしっかりとした警告の鐘の音が聞こえる。オレは少し震える手でスマホを操作する。気持ちだけが先走るばかりで指が上手く動かない。メッセージアプリから電話の項目を開きたいだけなのに、どうしてもタップミスを起こしてしまう。

「くそっ」

 悪態をつきながら何とか通話の項目をタップして、耳にスマホを近づける。

「出てくれ、出てくれ、出てくれ……」

 祈るように何度も同じことを言いながらオレはコール音が切れる音を待つ。軽快なコール音と頭の中の警鐘が交互に鳴り響く。出てくれ出てくれ出てくれ。ただそれだけを望み、スマホを握る手も自然と強くなる。

 まるで永遠に続くかに思えたその音は、突然ぶつりという音と共に沈黙したのだった。

 画面には応答なし。とだけ書かれたポップ。そして未だに既読の文字のないオレのメッセージ。

「っ!」

 スマホをポケットに入れ込みオレは走り出す。走りながら頭の中でもしかしてという想像が生まれて、それは一人で動き出し始めた。

 何かの事件に巻き込まれたのか?

 それとも事故にでも遭ったのか?

 一度でもそんなことを考えてしまうともう止められない。どんどん良くない方向へと考えが向かっていき、早く探さないという気持ちが膨れ上がっていく。

 けれど琴音の家の近くまで向かって走ってみるが、その道中琴音とはすれ違わなかったし、大きな事故が起きたという様子もなかった。でもまだ全部の不安要素を拭えたわけではなくオレは再び走り出す。時間を空けて何度も電話をかけたりメッセージを送信してみるけれど反応は相変わらず。それがちくちくとオレの中の焦燥感を刺激していく。

「どこにいるんだよ……琴音」

 学校までの道にも、商店街にもいない。ここまで見つからないとなると、本当になにかの事件に巻き込まれたんじゃないだろうかと疑ってしまう。だがすぐにその考えを首を降ると同時に振り払う。まだそうと決まったわけじゃないんだ。自分でそう言い聞かせながらオレは再び探すために走ろうとして、思わず足を止めた。

 商店街から少し離れた場所にある公園。敷地面積は大きいものの、これといった遊具もないただの広場ともいえる公園で、あるのは砂場と懸垂用の鉄棒。そして三つのベンチが横に等間隔で並べられているだけだった。

 その一つに座っていた姿に、おもわず安堵の息がこぼれる。

「な、なんだよ……いるじゃないか」

 近くにあった電柱にもたれかかりながら、ベンチに腰掛けている琴音を見る。どこにいるかと思ったら、こんな所でのんきに座りやがって。

「まったく、心配させやがってよ……」

 これは一つキツく注意をした方がいいだろうと思い、オレは公園のベンチでぼーっとしてる困った彼女の元へと近づいていく。

「おい、琴音」

 オレの声に、琴音がビクッ。と驚きながらゆっくりとこちらを向いた。

「待ち合わせ時間無視して何してるんだよ。電話にも出ないし、心配したんだぞ」

 まったく。とため息をこぼす。だけど、本当に無事で良かった。見たところ怪我とかもなさそうだし。

「ほんとになんで約束の時間にも来ないで何してたんだよ。遅れるなら遅れるで連絡の一つでも――」

「あの……」

 オレの声を遮る琴音の遠慮がちな声。その声にオレはどこか違和感を覚えた。

 なんだ、何かがおかしい。さっきまで鳴り響いていた警鐘が、今度は違う音で鳴っている。

 心臓がバクバクと煩い。なぜか口がからからと乾いてて、剥き出しの喉に突き刺さる空気が痛い。どうしてオレの目の前にいる少女はどこか怯えたような表情でオレを見ているんだ?

 その表情はまるで、まるで――。

 琴音がゆっくりと口を開く。恐怖と緊張が色濃く残る声がこぼれてオレの耳に届く。




「あなた……誰、ですか?」




 怯えのある表情と、自信なさげな声。

 キンキンに冷えた冷水を頭から勢いよくぶっかけられた寒さと痛みが頭から全身を駆け巡る。ふらっと足がよろめくのを何とか踏みとどめる。

「な、何言ってんだよ琴音……。そんな冗談言ったって面白くねぇよ」

 あはは。と笑ってみせる。でも琴音の顔は笑ってなくて、オレも笑ってはないなかった。ただあはは。という乾いた言葉を吐いてるだけ。

 琴音の表情が少しだけ険しくなる。警戒心をあらわにしたその視線だけで先の言葉が冗談じゃないことを告げている。

「お、オレだよ。恋人の大和狗牙」

 でもその真実を受け入れたくなくて信じたくなかった。

「恋……人?」

 微かに琴音の表情に変化が見えた。少しだけ眉間を寄せて、記憶を辿るようなその表情はすぐに終わって、小さく首を横に振った。

「人違いじゃ、ないですか? 私、貴方のこと知らない」

「な……っ」

 ガツン。と今度は頭を鈍器で殴られたような痛みが襲った。なんだよ、これ。夢か、悪夢なのか? オレは心の中で呟く。だったら冷めてくれよ。もう充分だよ、こんなの。なぁ。誰にでもなくオレは叫ぶ。だけど夢は覚めてくれなくて、それは必然的に今が夢ではない現実であることをオレに突きつけてきた。

「そんなわけない……」

 呟き、オレは琴音の手を掴んだ。

「なぁ、琴音! ホントは覚えてるんだろ?」

 詰め寄るオレに琴音が怯えたように顔を歪める。

「ひっ……」

 小さく悲鳴をこぼして、オレから離れるようにじたばたと暴れだすけれど、オレは逃がさないように片方の手も掴む。

「はな、してっ!」

「嘘だろ! 嘘だって言ってくれよ! なあ琴音」

 詰め寄るオレ。だが琴音はまるで耐えるようにギュッと目を瞑って、何度も頭を横に振っていた。なんでだよ、なんでそんな表情をするんだよ。オレ達昨日まで顔真っ赤にしながら笑い合ってたじゃないか。なのに、なんでそんなに怖がる顔をオレに向けてるんだよ。

「オレの事覚えてるって、言ってくれ――」

 よ。と言い終える前に、肩を強く掴まれた。ぐっと力を込められたその痛みに渋面を作りながら振り返る。

「やめてくれないかな。僕の大切な人なんだ」

「天浦……」

 そう言って現れた中性的な顔立ちをした少年、天浦は肩に置いていた手にさらなる力を込めて琴音からオレを引き剥がす。

「なんで、お前がここにいるんだよ……天浦」

 捕まれた時の痛みがまだ残ってる肩に手を置きながら天浦を睨みつけると、あいつはいつもの爽やかな笑みを浮かべ、

「なんでって、琴音ちゃんとのデートに決まってるじゃないか」

「っなに言ってんだよ! 琴音はオレの恋人で――」

「違うよ。琴音ちゃんは僕の恋人さ」

 言葉を遮って琴音に視線を向ける天浦。そうだろう。と確かめるような視線を受けて、琴音は少しだけ顔を赤くしながら、こくり。と頷いた。自然と拳に力がこもり、オレは天浦の胸倉を掴む。

「琴音に何した?」

「何をした。とは?」

 掴まれても涼しい顔でこちらを見る天浦の表情がさらにオレの怒りを助長させる。

「とぼけんなよ。どういう方法でやったかは知らなねぇけど、琴音にオレの事を忘れさせたんだろ」

 掴んでいた手に力を込める。

「お前は一体何なんだ?」

 天浦はそんなオレの睨みに怯むことなく、ただふぅ。と抜けた息をこぼし、

「悪いけど、僕にはさっぱりだね」 

「……まだとぼけてんのかよ、てめぇは」

「僕の恋人が可愛くて羨ましいからと言って、あたらないでくれよ。とても見苦しいね、同じ男として」

「な、んだとっ?」

 天浦のその言葉がトリガーのように、オレの怒りが限界を一気に突破。自然と反対の手で拳を作り、アイツの顔を思い切り殴ろうと振り上げたその時、

「やめて!」

 小さい。でもはっきりと聞こえる声に、動きが止まる。

「……琴、音」

 オレと天浦の間に割って入ってきた琴音は、まるでアイツをかばうかのように腕を広げていた。

「私の大切な人に乱暴しないで!」

「……な、何言ってるんだよ。あいつはお前を騙してるだけなんだ! オレが本当のこいび――」

 言葉を最後まで続けられなかった。それ以前に何が起きたのか脳が処理を止めたかのように分からなかった。

 オレの前で手を振りかぶった体勢を取る琴音と、頬がヒリヒリと痛みを発していることを視覚と痛覚が認識して、ようやくオレが今、琴音に叩かれたのだと理解した。

「こと、ね?」

「最低……」

 ぞっとするほど冷たい言葉が鋭くオレの胸に突き刺さる。心臓を抉るような、頭を貫くような痛みにうろたえたオレは天浦を掴んでいた手を離してよろめくように後ずさる。踵が石に躓いてオレは無様に尻餅をついてしまった。

「私達の邪魔しないで、どこの誰かも知らないのに、私の大好きな剛君をバカにしないで」

 やめろ。やめてくれ。

 そんな仇を見るような目で、言葉でオレを傷つけないでくれ。頼むから。お願いだから。懇願するようにオレは胸を押さえながら俯く。砂利を踏む音が近くに聞こえてゆっくりと顔を上げる。

「君に琴音ちゃんはふさわしくないんだよ。狗牙君」

「――お前っ!」

 煽るようにやってきた天浦を捕まえようと手を伸ばすけれど、その前に距離を置かれてしまいオレは勢いあまって前のめりに倒れる。

 そんなオレを天浦は、鼻で笑い琴音の手をそっと取る。

「それじゃあ行こうか、琴音ちゃん」

「うんっ」

 強く頷き、二人は指を絡ませながら歩いていく。もう背後の人物を絶対に見ないというように、関わりを持たないという意思を感じさせながら二人は公園を出て行った。

 どこか遠くから雷の音が聞こえる。

 ぽつ。と冷たい水が首筋に当たった。それは次々とオレの体に当たり、やがて強い土砂降りの雨がオレの体を打ちつけ始めた。

「ちく、しょう……」

 地面の砂を握りこみながら、呟く。勝ち誇った天浦の顔と言葉、そして拒絶と怒りの感情が籠もった琴音の言葉が延々とオレの頭でぐちゃぐちゃに回り、オレは握った拳を思い切り地面にたたきつける。

「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょうちくしょうちくしょう!」

 痺れる痛みなど気にせずにオレは何度も溜まっていた怒りをぶつけるように地面を殴り続ける。際限なく湧く怒りはオレの手が血で真っ赤になろうとも枯れることはなく、雨脚は次第に強くなり、血は赤い水となって雨と一緒に流れていく。

「ちくしょおおおおお!」

 全身に巡った怒りを吐き出すように、出た慟哭は狼の雄叫びのように公園中に響き渡ったのだった。

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