第16話『宣戦布告』

 昼休み。オレは早めに昼飯を食べて中庭にあるベンチに座っていた。

 天気は快晴。透き通るような青いキャンバスに白くて薄い雲がゆっくりと流れて、色を加えているようだった。そんな景色をぼんやりと見ていると、隣に誰かが腰掛ける音が聞こえた。

「来たか」

 呟いて上げていた顔を横へと向ける。

「昨日ぶり……かな。まさか君がこの学校に通ってて、同じクラスだなんて、マンガみたいだね」

 そう言って天浦剛は、ははは。爽やかな笑顔を見せてきた。

「アレから財布は落とさなかったかい?」

「あぁ。ちゃんと何度もポケットを触って確かめながら帰ったからな」

 苦笑いを含んだオレの返答に、そっか。とか呟いて、

「それで、僕を呼んだのは、そんな話をするため……じゃないよね? わざわざ教室じゃなくてこんな場所に呼び出したんだから」

 オレは頷いて、真剣な眼差しを天浦へと向ける。

「単刀直入に聞くけど、お前が朝、琴音に言ってたことは本当なのか?」

 オレの質問に一度首を傾げる天浦だったが、あぁ。と思い出した顔をして、

「琴音ちゃんを昔助けた話かい? 本当だよ。小学校低学年の頃かな、僕と一緒に遊んでいた琴音ちゃんが崖から落ちて怪我をした時があってね、その時僕は急いで大人を呼びに行ったのさ。そのおかげで琴音ちゃんは助かったんだ。まぁ代わりにその時の記憶がなくなっちゃったらしいんだけどね」

 残念そうに肩を竦める天浦に、オレはさらに尋ねる。

「本当にお前が助けたのか?」

「もしかして僕の言葉を疑ってる? まぁ証拠と呼べるものはないけど、本当に僕が助けたんだよ」

 と、天浦は言っているが、そんなわけがない。だってあの時琴音と一緒にいたのはオレだった。琴音自身が忘れてしまったとしてもオレは覚えている。だからオレには天浦の言っていることが何一つ信じられないのだ。

「本当かよ? なにかの間違いとかじゃないのか? ほら、別の人と間違えてるとか」

 オレの言葉に、天浦ははぁ。と小さく溜息をこぼして、

「君、意外としつこいね。間違いないってさっきから言ってるじゃないか」

 何度も同じことを言うオレにうんざりしてきたのか、少し笑顔が引きつり始めていた。

「そんなわけないだろ、だってあの時いたのは――」

「オレだったって言いたいの? そんなわけないでしょ」

「なっ……」

 オレの言いたいことを口にして、首を振る天浦。

「みんなから聞いたよ、君のこと。君、琴音ちゃんとは去年知り合ったんでしょ? なのに昔の話に出てくるなんておかしくない?」

 ははっ。と天浦は軽く笑う。

「もしかして、琴音ちゃんの幼なじみである僕が現れて、ちょっと焦ってるのかな?」

 その言葉にどきりと心臓が強く跳ねる。そんなオレを見て望んだ反応をしたことに天浦はにやりと笑い、

「他にも聞いたよ、君と琴音ちゃんの関係。彼氏彼女なんだってね。……でもさ」

 ぽん。と天浦がオレの肩に手を置いて、

「彼氏だからっていい気にならないで欲しいな。僕は昔から琴音ちゃんの事を思っていたんだ、ぽっと出の君なんかじゃ相応しくない」

 笑みから一片、真剣な眼差しがオレを睨みつけてきた。

「なんだよそれ……」

「宣戦布告だって事が分からなかったかな?」

「っんだとっ!」

 小馬鹿にしたような言い方に思わずカチンときてしまい、オレは天浦の胸ぐらを掴んで立ち上がる。

 しかし天浦は特に苦しそうな顔もせず、静かにオレを睨み返してくる。

「少し煽っただけで激情する君に琴音ちゃんはやっぱりふさわしくないな。さっさと別れてもらえない?」

「っのやろう!」

 天浦の言葉にオレは思わず拳を作って、振り上げようと腕を上げる。

「はい、ストップ、ストーップ」

 そんなオレと天浦の間に、間延びした声と共に、ふわふわした髪と共に琴音がやって来た。

「琴音……」

「琴音ちゃん……」

「ダメだよ、こー君。喧嘩なんてしちゃ」

 めっ。と頬を膨らませる琴音が、オレの胸をつん。と突いた。痛みはなくてなんかくすぐったかった。

「ごめんね、天浦君。こー君になにかされなかった?」

「ううん。ちょっと掴みかかられただけだから。大丈夫だよ、琴音ちゃん」

 オレから離された天浦が乱れた服を正しながら、爽やかな笑顔を琴音に向ける。ついさっきまではなんとも思ってなかったけれど、今となってはイラッとくる笑顔だな。

「よかったあ。もし何かされたら言ってね。私、こー君のこと怒ってあげるから」

「おい、何もしねぇよ」

 聞き捨てならずに思わず抗議の声をあげる。天浦はそんなオレを一瞥して、

「大丈夫。ちょっとした男同士のスキンシップだからそんなに目くじら立てなくてもいいから」

 ね。とこちらに笑いかけてくる天浦。だがオレは笑顔は返さず睨み続けたのだった。


 *****


 それからというもの、天浦は毎日オレ達と一緒にいた。登校はいつも三人だし、昼飯も当然のように琴音とし始めるから、オレも加わって三人。下校ももちろん三人。琴音もどこか天浦といるのが楽しいのか、最近は琴音と天浦が話してる光景を一歩離れた場所から眺めるといった図が日常になってきていた。おかげでここしばらく琴音と二人きりになることはなく、それは同時にオレ達の関係が全然進展してないことと同じ意味を持っていた。

「やべえな……」

 中庭のベンチに腰掛けて、手帳に書かれたスケジュールを見下ろし悔しげに呟く。今日は四月一日のエイプリルフール。今のオレとしてはそんなくだらない行事なんてどうでもよくて、問題はその次の日のことだった。

「このままじゃ大変な事になっちまう」

 そう、明日は琴音の誕生日なのだ。折角二人が恋人になって初めての誕生日。出来ることなら二人で邪魔されずに過ごしたいし、オレが買ったプレゼントを渡して喜んでもらいたい。でも、琴音の事だ。このままだと天浦も誕生日を一緒に祝おうみたいな流れになりかねない。実際この後オレと琴音と天浦の三人で明日どこかへ行こうという話になりつつある。もう詰みの状態まで追い込まれているのだ。

「どうすりゃいいんだ……」

「何困ってんのよ」

 聞き覚えのある声に思わず顔を上げる。何故かそこには天楼さんがいた。いつものキャリアウーマンスタイルで、この学校の光景をあわせると、優秀な美人教師の印象を受けた。

「……なんでいるんですかっ」

「うん? 気にしない気にしない」

 驚いて立ち上がるオレとは真逆で天楼さんはいつも通り落ち着いていた。

「いや、気にしますから。ここ関係者以外進入禁止ですよ」

「あ、言ってなかった? 月曜日から私、この学校に勤務する事になったのよ」

「……もうエイプリルフールは過ぎましたよ」

「午前中までの嘘しか有効じゃないって言いたいの? 残念、私にそんなの関係ないのよ」

 それよりも。と天楼さんはオレの横に腰掛けてる。

「何に悩んでんのよ。お姉さんに話して御覧なさい」

 ぽんぽんと早く座れというようにベンチを叩かれたので大人しく座る。

「それで何に悩んでるの?」

「いや、それは……」

「あれでしょ。新たに現れた琴音ちゃんの幼なじみを名乗る男に琴音ちゃんを取られそうになってることでしょ」

「だから何で分かるんですか」

「矢田ちゃんから教えてもらったのよ。私、あの子と連絡交換したから」

「そうだったんですか」

 多分オレのお見舞いに来たときだろうな。何か共鳴できるところがあったのだろうか。オレには二人の共通点なんて全然分からないけど。

「それで、本当に琴音ちゃんがその幼なじみになびきそうなの?」

「いや、それはありえないですけど」

「へえ、結構な自信ね」

 意外そうに声で感心する天楼さん。

「……あ、でももしかしたら……。いやでも琴音もオレの事好きだって言ってくれたし……でも最近なんか楽しそうだし……」

 考えれば考えるほどオレの自信に疑問を覚え始める。

「良い方法、教えてあげよっか?」

 一人頭を抱えながら悶々としていたオレを見て、天楼さんがゆっくりとオレの耳元まで顔を近づけてきた。そしてくすっ。と笑い声をこぼし小さい声で囁く。


「押し倒しちゃえばいいのよ」

 

 その響きとくすぐったい声に、体にぞくりと寒気が走る。

「……なっ! なに言ってるんですか!」

 跳ぶように天楼さんから距離を空けて、囁かれた方の耳をおさえる。天楼さんは、どうして。と不思議そうに首を傾げて、

「このままじゃその幼なじみに琴音ちゃん、盗られちゃうわよ? そうならないためにもここは強引にでも攻めたほうが良いと思うんだけど」

「確かに、そうですけど……」

「ですけど?」

 呟いて手をギュッと握る。

 天楼さんのいう事は一理ある。盗られるならはっきりとした証拠を残しておけば良いだけの話だと。だけど、それは。

「琴音の気持ちが入ってません」

 そう。それは全部オレの独りよがりの考えであって、そこに琴音の意思は全くない。ただ琴音を傷つける事になるかもしれない。

「まぁ確かにね。一歩間違えたらあんた捕まっちゃうかもしれないわね」

 ふぅ。と息を吐きながら頭を掻く天楼さん。

「だけど、このまま指を咥えてたところで現状は何も変わらないわよ?」

「うっ……」

 言い返すことができず俯いてしまう。

 そうだよ。このまま待っていたってあいつに琴音を盗られてしまうだけだ。いくらオレと琴音が彼氏と彼女の関係だとしてもそれはまだお互いの気持ちを伝えただけで形になんて残っていないんだから。やっぱり多少強引にでも進めるしかないのかもしれない。琴音を強く抱きしめて、そのまま押し倒して、そして――。

 一瞬だけ琴音の悲しそうな顔が頭をよぎってオレは、はっ。と目を覚ましたように我に返る。それがオレを呼び戻したのか、さっきまで熱くなっていた頭が冷めて、天楼さんの考えが本当に正しいのか踏みとどまる事ができた。

「……それでも」

 しばらく考えてオレは口を開く。

「やっぱり、琴音が悲しむ事はしたくないです」

 それは本心だった。押し倒したい気持ちもないわけじゃない。オレだって男なんだし。でも、それは琴音が受け入れてからだ。オレだけの自己満足でそんなことしたってなにも嬉しくない。

 オレの言葉に天楼さんは、ふうん。とこぼす。

「狗牙はホントに琴音ちゃんの事が好きなのね」

「な、なんですか突然」

 微笑みながらそんな事を言われて少し身構える。

「そういう所、私は好きだと思っただけよ。そうやって真っ直ぐにあの子のことを思ってあげたから、二人は結ばれたんでしょうね」

 ベンチから立ち上がって、天楼さんがオレを見下ろす。白い髪が夕焼けの色を吸い込んで幻想的な色になっていた。

「でも、思い出してみなさい」

「思い出す?」

「この前の日曜日、私が強引に二人の中で割って入ったことで距離が縮まったときのこと」

「それが、どうしたんですか……」

「あの時、琴音ちゃん怒ってどこか行っちゃったでしょ? でもあんたは上手くやって仲良くなった。雨降って地固まることもあるってことよ」

 まるで言葉に魔法でも仕込まれているのか、天楼さんの言葉はオレの、もしかすると。という不安要素の中にするりと入ってきて、不安をその言葉で埋めていく。そうだよ、あの時の天楼さんの行動だって初めは何をしてるんだと憤りはしたものの、結果的に上手くいったじゃないか。

 頭に琴音の顔がちらつく。一瞬だけ頭が痺れて考えが止まった。まるでオレの前に一本の線が引かれて、線を越えるか越えないかという選択を迫られている気持ちだった。足を踏み出すか、そのまま止まっているか。決めるのは今しかない。

 オレはゆっくりと立ち上がる。沈み行く太陽が一瞬目にかかって、少し目を細める。

「決まったのね?」

「はい、ありがとうございます」

 お礼を言うと、天楼さんはにやり。と口を歪めて笑みを作り、気にしないで。とポンと肩を叩いた。

「頑張ってね、狗牙」

 手をひらひらと振りながら、天楼さんは中庭を去っていった。そしてオレは夕焼けに濡れた中庭の地面から影に覆われた渡り廊下へとゆっくり足を踏み入れたのだった。


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