第14話『これが私の気持ち』

 放課後の廊下をオレは田中と一緒に歩いていた。いや、正確に言うと逃げられないように田中に腕をつかまれ、半ば連行に近い形で歩いていた。オレンジ色に染まる廊下に男二人の足音とキュッキュッいう上靴の音が響く。

「おい、どこ連れて行くんだよ」

「秘密だ、秘密」

 これで三回目だが、何度質問してもそんな答えしか返ってこない。授業が終わり、帰ろうとしていたオレの手を田中が掴んでちょっと来てくれ。すぐに終わるから。と答える間もなく連れて行かれてはや五分。コイツはどこへ連れて行こうとしてるんだよ。

「いい加減に放せよ!」

 我慢の限界に達し、田中の手を強引に振り払う。

「なんだよいいのか?」

「付き合ってられるかよ。理由も言わないで、オレは帰るからな」

「じゃあ未谷の事はいいんだな」

 その言葉に踵を返した足がピタリと止まる。

「だったら教えろよ。これは琴音に関することなのか?」

「それは行ってみてからだ。ほら行くぞ」

 煙に撒き、再び田中はオレの手を掴んで歩き出す。一体なんなんだよ。

 しばらく歩いて辿りついたのは、空き教室だった。選択科目でよく使っているけれど、それ以外は特に使用することもなく人通りも少ない。鍵がかかってなかったのか、それとも前もって開けていたのか、田中はその教室をなんの躊躇いもなく開けた後、オレの背中をどん。と強く押してきた。

 突然の衝撃に驚き、体のバランスが崩れて倒れそうになったが、何とか片足で体勢を保って転倒を防ぐ。

「何するんだよ、いきなり」

「この教室から出るなよ。いいか、絶対出るなよ。絶対だからな」

 オレの文句を無視して、田中はコメディのお約束みたいな言葉だけ残し、扉を勢いよく閉めてから逃げていった。

「あ、おい! 待てよ!」

 ワンテンポ遅れて追いかけようとするけれど、もうそこには田中の姿はなかった。あいつ、あんなに足が早かったのか。追いかけても無駄だと分かり、オレは仕方なく教室の中へと戻る。理由もなくあいつがオレをこんな空き教室に置いていくわけがない。何かあることは分かっている。あいつとは一年の付き合いだけど、それだけはなんとなく分かっていた。逆にあの言葉が完全にフリかもしれない可能性は捨てきれないけれど、それでもオレはあいつの言うとおりここで待つ事にした。

 中はオレ達のいるクラスと変わらない。縦に六つ、横に七つ並んだ机の上には使用者が誰独りいないことを示すように椅子が上に置かれていた。オレは教室の一番前に置かれた教壇に肘をつきながら言いつけどおり待っていると、誰かがこちらへと近づいてくる音が聞こえる。誰もいない廊下だからよく聞こえる足音は徐々に近づいてくる。もしかして、田中が動くなといっていた理由が来たのだろうか? 曇りガラスから二人の人影が映り、それが入り口で止まる。誰だろうかと思っていると、なにやら話し声が聞こえる。本当に行くの? いいから。早く。誰がいるの? といった会話が聞こえる。どうやら少し揉めてる様子だ。

「ん?」

 というかどこかで聞いたことのある声だった気がする。その答えあわせをするかのように、ガラッと扉が開き、中に一人の少女が入ってくる。というか押し出されて現れた。さっきのオレと同じように背中を押された少女は一本足でとん、とん、とんと進むが、バランスを保てずに前のめりに倒れる。

「おい、大丈夫……か」

 駆け寄って動きが止まる。

「うん、だいじょう……ぶ」

 少女が顔を上げて同じように動きを止めた。

「琴音……?」

「……こー君?」

 お互い動きを止めたまま呟く。どうしてこんな所に琴音が。と考えたが、すぐにその答えにたどり着く。

「こと――」

 ね。と言い終える前に、琴音は起き上がって逃げるように入り口の方へと走り出す。がそれよりも先にオレは琴音の手を掴んで捕まえる。

「待ってくれよ琴音!」

 オレの言葉を聞いてくれたのか、逃げようとしていた琴音の動きがゆっくりと止まり扉に伸ばしていた手も降ろしてくれたのを見て、少しだけ安心する。

「……なぁ、少し話をしないか?」

 そう持ちかけるけれど、琴音はオレの方を向いてはくれなかった。だけど嫌だという気配もなく、承諾と解釈したオレは琴音の手をそっと放す。放した瞬間逃げないか心配だったけれど琴音は振り向きはしないものの逃げようとはしなかったので一安心してオレはまず息を大きく吸って、

「この前はゴメン!」

 思い切り頭を下げる。

「オレ、この前の日曜日に変なこと言ったんだよな。だからオレのこと嫌いになったんだろ? だったら本当にゴメン!」

 本当は土下座でもするべきだけど、それは琴音の口からしっかりと聞いたうえで判断したい。もし土下座が必要ならいつでもしてやる覚悟だ。

「ち、違うよ。こー君」

 遠慮がちな琴音の声。こちらに振り返ることなく琴音は続ける。

「謝るのは私の方……。思いっきりこー君の手、叩いちゃって」

 しゅん。としょげているのが後ろからでも分かる。今すぐ頭を撫でて大丈夫だと言ってやりたい気持ちに駆られた。

「それにこー君は変なこと言ってないし、私も……その、こー君のこと嫌いになってないよ」

「え?」

 思いも寄らない言葉に、間抜けな声がこぼれる。

「じゃ、じゃあ……あの時、オレはなんて言ったんだ?」

「それは……」

 琴音が口ごもる。夕日のせいだろうか、ウェーブのかかった髪から覗く琴音の耳が真っ赤になっていた。

「こー君が……その、私のこと可愛いって。ふわふわした髪が可愛いって。ほんわかな感じも可愛いって。少し天然なところも可愛いって。ずっと私のこと、可愛い可愛いって。好きだって言ったの」

「………………え? 誰が?」

「こー君が……」

「ホントに? マジで?」

「マジ、大マジ」

 後ろを向いたまま琴音は頷く。何言ってんだ、その時のオレェェェェ!

「私ね、今まで恋とかよく分からなかったの。でもね、こー君のあの言葉をよく考えたら……その胸の辺りがきゅーって締め付けられちゃって。昨日もこー君を見ただけなのに、頭がぽーってなって、心臓もね、ドキドキうるさくて、こー君の顔が見れなくて、こー君が私のおでこを触ろうとしてきたときも、なんだかビックリして思わず弾いちゃって……」

 それ以上の事は言えなくなったのか、うー。と唸りながら手で顔を覆ってその場にしゃがみこむ琴音。そんな琴音を見下ろしながらの言葉を一つ一つを頭の中でまとめていく、日曜日に再びの告白を聞いて、胸が締め付けられて、頭がぽーッとなって心臓がドキドキ鳴り出して、オレの顔が見れなくて、触ろうとしてきた時ビックリした――。それってもしかして……。

「オレといるのがイヤになったのか?」

「ち、違う!」

 驚愕に震えるオレに琴音が振り向いて、ぶんぶん。と強く首を振る。

「どうしてそんな答えに行き着くの?」

「じ、じゃあどういう事なんだ?」

 うろたえるオレに、琴音は真っ赤な顔でうー。と唸る子犬のようにオレを見て、

「だから――こういうことなの」

 突然柔らかい感触がオレを包んだ。続いて柑橘の香りがして、すぐ下に茶色い肌さわりのよさそうな髪が広がっている。

 三秒くらいそれを眺めて、ようやく琴音がオレのことを抱きしめている。という事に気付いた。

「こ、こと、琴音っ!?」

「分かった? 私の気持ち……」

 ギュッとオレの腰にまわした手が一段と強くなる。

「う、うん。分かった……分かり、ました」

「よろしい」

 そう言って琴音が顔を上げる。耳まで真っ赤にしつつも、その表情はとても嬉しそうだった。

「な、なあ。じゃあさ、オレの気持ちも……伝えてもいいか?」

 オレのこの切り返しは予想外だったのか、琴音の頭から勢いよく煙が出たような気がした。

「…………いいよ」

 一分くらいフリーズしたかと思ったら琴音は、小さく言葉と共に頷いた。

「じゃ、じゃあ」

 ごくり。と生唾を飲み込み、ゆっくりと琴音の腰の後ろへと手を伸ばす。小柄な琴音は想像通りオレの体にすっぽりと収まった。さっきよりも密着して、心までもが密着したような感じだった。ドクンドクンとうるさいくらいになる音ははたして、オレの心臓なのか、琴音の心臓なのか。それともお互いのものか。

 ギュッと壊れないように、でも放さないように強く抱きしめる。オレの中に琴音の存在を繋ぎとめるように琴音の中にオレの存在を繋ぎとめるように自然とお互い抱きしめる力が強くなっていった。

 永劫のような時間を感じながらお互いの心を、気持ちを交わしあったオレと琴音はどちらからとでもなく、ゆっくりと体を離す。暖かかった体が離れた瞬間少しだけ寒くて、さっきまでの温度がすぐに恋しくなった。

「……好きだよ、琴音」

 自然とこぼれるオレの気持ち。どうやらもう抵抗や恥ずかしさはどこか遠くへ消えたらしい。 

「はぅ……」

 好き。という言葉に、琴音の顔が真っ赤になって再び手で顔を隠してその場に座り込む。

「お、おいどうしたんだよ、琴音」

「ダメ! こー君。こっち見ないで!」

 近づこうとしたら隠すのに使っていた手を前に出されて押し戻される。

「何だよ。いいだろ別に見たって。オレ達恋人になったんだから」

「うぅ……やめて! 恥ずかしいよ……」

 今度は手で耳を覆って、ぶんぶん。と首を振る。

「なんで恥ずかしいんだよ。琴音もオレの事好きなんだろ?」

「す、好きだけど……でも恥ずかしいの!」

 もう! と怒り出す琴音。結局オレ達は恋人同士になったけど、軽率に「好き」や「恋人」という単語を使ってはいけないルールが決まったのだった。

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