第12話『終わり』
「誰だ?」
突然聞こえたその音に首を傾げる。この部屋に来る訪問者なんて、桜華と天楼さんくらいだ。まぁたまに新聞の勧誘とかが来るけど。今回もそうなのだろうと思いながら玄関の覗き穴から外の様子を窺う。
「は?」
家の前にいた人物にそんな声が漏れ、オレはすぐに扉を開けた。
「やっほー。狗牙君」
「生きてるか、狗牙」
「矢田に田中? お前ら何しに来たんだよ」
オレの言葉に、矢田は少し怒ったように眉をあげてオレを睨むように見る。
「何しに来たって失礼だね。お見舞いに決まってるじゃない。風邪引いたんでしょ?」
「そうだけど。そもそもなんでお前らがオレの家を知ってるんだよ、教えてないぞ」
学校の連中には自分の家の事は教えてない。別に教えたいわけじゃないけど、桜華がよく来るのだから鉢合わせになるのだけはまずいからあえて言わなかったんだ。今回に関しては運良く桜華がいないから助かったけれど。
「担任の緒方に聞いたんだ。なんだよ、オレ達が来るのはまずかったのか?」
田中もまたむすっとした顔になる。
「折角お見舞いに食べ物とか持ってきたのに……。ねぇ琴音?」
矢田が後ろに体を向けると、さっきからちらちらと見えていた茶色い髪の持ち主が姿を表す。
「琴音……」
「お、おはよう。こー君」
「あぁ。おはよう……ってもうそんな時間じゃないけどな」
琴音の挨拶を返すも、琴音はその次の言葉を紡がなかった。ただ黙って視線を左右へと彷徨わせている。
「どうしたんだ? 琴音」
「え? ううん。なんでもない」
ぶんぶんと首を振る琴音。なんでもないとか言いながらも、その様子はいつもとは違ってどこか焦りを感じさせた。絶対に何かあるとオレの直感がそう告げていた。
「狗牙? 誰か来たの?」
なかなか戻ってこないオレの後ろからひょっこりと天楼さんが顔を出した。
「ち、ちょっと狗牙君?」
「だ、誰だよその人……」
天楼さんを見て、二人が目を丸くする。矢田にいたってはすぐに険しい顔になってオレを見ていた。
「はじめまして。狗牙の妻の天楼です。いつも夫がお世話になってます」
「ちょっ!」
「なっ?」
「はっ?」
深々と頭を下げた後にっこりと笑って、天楼さんはオレの腕にぎゅっと抱きついてきた。
凍る空気。唖然とする二人。一人だけニコニコ笑顔の天楼さん。どうして彼女はこんなにも場を乱してくるんだ。
「狗牙君……君って人は……」
「矢田、顔怖い。顔怖いから。誤解だって」
「見損なったぞ狗牙!」
田中がガシッとオレの肩を強く掴んできた。力が込められて爪がぐっと肉に食い込んできて痛い。
「お前……こんな綺麗な奥さんがいるなんて、なんで教えてくれなかったんだ!」
「だから違うって、話を聞け!」
そもそも高校生で結婚してるということにまず疑問を持ってほしい。
「こんな、メガロポリスのような素敵な胸を持っている人と知り合っていただなんて……。なんでオレにも紹介してくれなかったんだ!」
「お前はもう黙ってろ! この人は従姉妹だよ。従姉妹」
「従姉妹?」
悔しそうに顔を近づけてくる田中を手で押しのけながら説明するオレに、矢田が疑いの眼差しを維持したまま呟く。
「そう。ただの従姉妹。琴音は知ってるだろ、昨日会ったんだから」
話の矛先を突然向けられて、琴音が目をパチクリさせる。
「ホント、琴音?」
「うん。ホント」
琴音の方を向いた矢田の言葉に頷くと、矢田はそっか。と安堵の息をこぼし、
「なーんだ。狗牙君の従姉妹なんだね」
良かった。とオレに向けていた疑いの目を解いた。どうしてオレの言葉は信じなくて、琴音の言葉は信じるんだよ。
「初めまして。狗牙の従姉妹の
「私、狗牙君のクラスメイトの矢田瞳です。こっちは――」
「田中幹雄です。狗牙とは一年の頃から友達させてもらってます」
いつの間にかオレから離れて、田中は
「瞳ちゃんに、幹雄君ね。狗牙のお見舞いに来てくれたんでしょ? ありがとね」
「そんなことないですよ。友達として当然の事をしたまでですから」
天楼さんから名前で呼ばれたことと、お礼を言われた事に気分が良くなったのか、田中の機嫌が目に見えるほど上機嫌になっていた。声の弾みかたがいつも以上に高い。
「琴音ちゃんもありがとう。昨日はごめんね。怒らせちゃったし、それに驚かせて」
「いえ、大丈夫……です」
「というかこんな所で立ち話させちゃダメでしょ、狗牙。ほら、あんたがそこに立ってたらみんなが入れないでしょ」
どいたどいた。と強引に横に押されてる。天楼さんに促されて、琴音達が家へと上がっていく。
「みんなにお茶も出してあげなくちゃ。狗牙早くしてよ」
ぽん。と少し強めに肩を叩いて、三人と打ち解けたように話し始めていた。一応オレ、病人でお見舞いされる側なんだけど……。そう言いかけた言葉を仕方なく飲み込んで、オレは人数分のお茶を用意するためガラスコップを取り出す。ギリギリ足りたコップに冷蔵庫から麦茶を取り出して同じ量を注いで持っていく。布団を敷くために机を片付けているためコップを置ける場所がないので全員に直接手渡しする。
「ほら」
「ありがとう、狗牙君」
「サンキュー狗牙」
「琴音も、はい」
「う、うん。ありがとう……」
ゆっくりと琴音が渡された麦茶を受け取ろうとした時、その手はコップではなくてオレの手に触れた。
「っ! やっ!」
高くて短い叫び声と共に琴音が手を振り払う。
「うわっ」
突然の攻撃に持っていたグラスがオレの手から離れて畳の上へと落下する。こつんという硬い音と共に、中に入っていたお茶が畳の上に広がると同時に、周りのみんなからも驚きの声があがる。
「おいおい何してんだよ」
「狗牙君、タオル、タオル持ってこないと」
「分かってるから、ちょっと待ってろ」
「はい、タオル」
「あ、ありがとうございます天楼さん……ってこれ、オレの服ですけど!」
「パッと見タオルに見えちゃった。ゴメンゴメン」
あはは。と笑ってる天楼さんに嘆息しながらタオルを取りに行こうとしたら、
「ご、ごめんこー君」
オレの服の裾を引っ張りながら、琴音がしゅん。と頭を俯けながら呟く。まるで叱られるのをビクビクしながら待っている小さな子供を思わせて、ちょっと可愛く見えた。
「気にすんな。それより濡れてないか?」
「……うん」
「なら良かった」
ぽん。と軽く琴音の頭を叩いて、オレは風呂場からタオルを持ってきて床を拭く。拭いていると何故か矢田と天楼さんがオレと琴音を見てなにやらこそこそと話してるのが見えた。いつの間に二人ともあんなに仲良くなったんだ? 拭き終えたタオルを洗濯機に入れて落としたコップにもう一度麦茶を注いで戻る。
「あ! そうだ! 私、用事を思い出した!」
突然天楼さんが立ち上がって、そんなことを言いだす。
「は? どうしたんですか、突然」
「そういえば私も、お母さんに買い物頼まれてたんだ! 今すぐ買いに行かなきゃ!」
便乗するように何故か矢田までが立ち上がる。
「田中君も、何か買い物頼まれてるんだよね?」
「は? オレは別に何も……」
「頼まれてるのよね?」
田中の肩に手を置いて、矢田がにっこりの笑顔を田中に向ける。笑っているはずなのに、その顔には
「そ、そういえば。オレも母ちゃんから買い物を頼まれてたの忘れてた」
そう言って田中も思い出したように――というか脅されて――立ち上がる。
「なんだよお前ら。いきなり立ち上がって」
「じゃ、じゃあ私も」
「あ、琴音ちゃんはゆっくりとしてていいわよ」
自分もと立ち上がろうとしていた琴音だったが、天楼さんがそれを制してしまった。
「狗牙も一人じゃ寂しくて泣くかもだから」
「誰が泣くかよ!」
反論するオレを無視して、天楼さんが玄関へと歩いていく。
「ごめんね、狗牙君。お見舞いに来て早々帰っちゃって」
「すまん……狗牙」
天楼さんに続いて今度は矢田が田中の手を引いて立ち上がった。
「ちょっとおい、矢田」
「あ、これお見舞いのお菓子。琴音と一緒に食べて」
止めようとしたけれど、レジ袋を握らされてタイミングを逃してしまった。
「じゃあね狗牙。ちゃんと安静にしておくのよ」
手を振りながら天楼さんは足早に部屋を出て行き、続くように矢田達も出て行った。結局何も言う事ができずに、バタンと鉄製の扉が閉まる音が、オレの部屋に虚しく響いたのだった。
「なんだったんだよ、あいつら」
様子が目に見えておかしかったけれど、その真意はオレには分からなかった。そういえばもう一人、目に見えて様子のおかしい奴がいたな。
「ほら、琴音。今度はちゃんと受け取れよ」
「……ごめん、ありがとう」
おっかなびっくりといった様子で琴音は差し出されたお茶入りのコップを受け取る。ちびちびと麦茶を飲んでいる琴音を見ながらオレも布団の上に腰を下ろす。
「あ、昨日はごめんな。いきなり倒れて。心配させただろ?」
昨日。と言ったところでビクッ。と琴音の体が揺れる。
「大丈夫。それより、もう平気なの?」
「まあちょっとした風邪だったし。明日には治るし」
「そ、そうなんだ。なら、よかった」
安心した声を出すけれど、視線はさっきからずっとオレではなく注がれた麦茶に落とされている。
「そういえばさ、オレ昨日琴音に何か言ったりしたか?」
「えっ!?」
ただの質問なのに、琴音は予想以上に驚いたようにビクッと肩を跳ねさせる。持っていたコップの麦茶が少し飛び出しそうなほどの驚き具合にオレもまた驚いてしまう。
「どうしたんだよ、そんなに驚いて」
「だ、だって……こー君がそんなこと聞くから」
「そんなことって……。オレはただ倒れた直前の事覚えてないから聞いただけなんだけど――も、もしかしてそんなまずいこと言ってたのか?」
「べ、別にそうじゃないんだけど――」
小さく呟きながら視線をあちこちへと彷徨わせる。言っていいのか、言いたくないのか。はっきりせずに悩んでいる表情だった。いつもの琴音だったら特に考えることなく教えてくれるんだけどな。
「やっぱり今日の琴音おかしいぞ? もしかして風邪じゃないのか?」
「そ、そんなことないよ。風邪はこー君が引いてるじゃない」
「いやお前も引いてるんじゃないのか? ほら」
熱を確かめようと琴音の額に手を伸ばしたところで、
「い、いやっ!」
ぱしん。と鋭い音がオレと琴音の間に響いた。しばらくの沈黙。じんじんとした痺れが手の平に広がってなぜだか痛い。
いつの間にか止まっていた思考能力が復活して、痺れがまだ少し残っている手を見下ろす。琴音に叩かれた手はうっすらとだが赤くなっていた。
「ご、ごめ――」
無意識に叩いてしまったらしく、はっ。と我に返った琴音がオレの手と自分の手を見て、驚愕の顔へと変わる。
「こー君、ごめ、ごめん――」
動揺を隠せない様子で一人うろたえ始める琴音。言葉が上手く紡げずただ慌てているだけだった。
「大丈夫だから。落ち着けよ琴音」
だからオレは安心させるように琴音の肩に手を伸ばそうとするけれど、琴音はそんなオレから逃げるように距離を置いて立ち上がる。
「ごめ、私、帰る、から」
「え? ちょっ」
オレも立ち上がって制止の言葉を投げかけるも琴音は頭を勢いよく下げ、コップを投げ捨てて玄関まで走っていく。強く扉を開けて逃げるように階段を駆け下りていった。まるで嵐のような時間が過ぎ、残されたオレは手を見る。もう痛みなんてなくなってるのに、どうしてだろうか、まだ痛い。手が痛いのか、それとも別の場所が痛いのか分からない。扉が閉じて一人残された部屋にゆっくりとその場に座り込む。
まさか……嫌われた?
頭の中で生まれたその答えに否定をしようとしても、琴音のあの反応が何よりもその答えを決定付ける証拠となってしまう。
「終わった……」
呟いてそのまま倒れる。頭がじんわりと痛くなって、目頭がカッと熱くなる。涙がこぼれそうになるのを堪えながら、こぼれたお茶と蜂蜜色に濡れる畳を眺める。
あぁもうこのままオレの体も蜂蜜のようにドロドロと熔けて、この地面を一緒に染み込んでしまいたい気持ちだった。
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