第11話『目を覚ますと』
*****
茂みの中から様子を窺う。
見える景色は、山の中にぽつんと建てられている和式の家。敷地面積は広く家の前には
自分は監視するように、じっと茂みから動くことなくその家を観察する。何分くらい経った頃だろう、ガラガラという音と共に引き戸が開いた。
「いってきまーす」
眠そうな声と共に、一人の少年が扉から現れる。短めの髪に小柄な体。眠たそうに大きな欠伸をこぼしながら気だるそうに歩いていた。
「ん?」
ぱちり。と少年の目が茂みに隠れていた自分とぶつかる。
しまった。と焦り思わず逃げようと体が動く。だが、それよりも早く少年の声が投げられた。
「おーい」
それが自分にかけられた言葉だと分かっていたので、もう逃げられないと悟って足を止める。
「そんな所に隠れてないで、出てきなよ」
後ろから砂利を音が大きくなる。仕方なくしゃがんでいた体をゆっくりと伸ばして茂みから顔を出す。自分の存在を見た少年が、嬉しそうに笑う。目尻に緩やかなカーブを描いている目は柔和に細められており、明るいオーラを惜しみなく出しているその笑顔は眩しくて、自分ではとても直視することができなくて、思わず視線を逸らす。
「この前の怪我、良くなったんだね」
少年が自分の足を見て嬉しそうに頷く。その時の事を思い出すと、自分の醜態を思い出してしまい、顔が燃えるように熱くなり、余計少年の目を合わせることが出来なかった。
「この前は名前聞けなかったよね。君の名前は?」
邪気のない顔で尋ねてくる。だけど自分は答えれずにただ黙った。
「あ、ごめんね。僕の方も自己紹介がまだだったね」
自分が怒っていると勘違いされたのか、少年は申し訳なさそうな表情をした。そんな気を使わせてしまった事に、ずきん。と胸に痛みが走る。
「はじめまして。僕の名前は――」
*****
「はっ!」
目を覚ますと、まず入ってきたのは見慣れた天井だった。いつも見てる木目調でそこはオレの部屋だった。カーテンのない丸裸の窓には太陽の光が入っていて今が朝であることを教えている。
体の虚脱感はもう消えていて代わりにオレの右手が暖かい何かに包まれていた。
「目が覚めましたか……兄さん」
声が聞こえてゆっくりと顔を向けて少し驚く。綺麗な桃色の毛並にトパーズ色の瞳をした狼が寝ているオレの横に座っていた。
「桜華……? なんで?」
ここに。と言おうとしたけれど、起きたばかりで声が最後まで出なかった。
オレの手の上には爪をしまった桜華の左前足が乗っている。少し硬い肉球の弾力がちょっと気持ちいい。
「お前、この前狼月に会うなって……」
「それで私が兄さんに会わないと思ってるんですか?」
桜華はまったく。と呆れたように嘆息していいですか。と口を開く。
「いくらお父さんに言われても私は兄さんに会うに決まってるじゃないですか。私の兄さんへの思いを甘く見ないでくださいね」
えへん。と誇るような顔をする桜華。
「そういえば、なんでオレ部屋にいるんだ?」
「覚えてないんですか? 昨日の夕方、兄さんは倒れてずっと寝てたんですよ」
言われて思い出す。琴音を探して植物園の原っぱでシロツメクサの花冠を貰ってそれから――あれ? それからオレは何をしたんだっけ? 倒れた事は覚えてるんだけど、どういうわけかその前の事を覚えてなかった。
「ん? でもなんで桜華がその事を知ってるんだ?」
昨日いなかったはずの桜華が、どうしてオレが倒れてたことを知ってるんだ? 桜華とはその日会っていないのに。オレの言葉に桜華は答えるべきかどうか、一分くらいじっくりと悩んで、
「ここで兄さんの帰りを待ってたら、倒れた兄さんを背負ってきた彼女に全部聞いたんですよ」
「彼女?」
首を傾げるオレに、桜華は苦虫を噛んだような渋い顔をする。よほど言いたくないのか、もうそれだけで誰のことを言ってるのか分かってしまう。
「……天楼ですよ。彼女が兄さんを助けてここまで運んでくれたんです」
「天楼さんが……」
「あの真神が言うには、兄さんの中の神性が急速に消耗したらしくて、消えかかる兄さんを応急処置であの真神が自分の神性を分けてあげたそうです。何か気分が悪かったりしてませんか?」
言われて体を触ったりしてみるけれど、特に痛みはない。いたって普通だ。そういえば、さっきなんか変な夢を見ていた気がするけれど、それも関係があるのだろうか。内容は全く覚えてないけれど。
「大丈夫。それより天楼さんは?」
「兄さんを寝かせてすぐに帰りましたよ」
不機嫌そうに眉間にしわ寄せながら桜華は一つ一つちゃんと説明してくれる。
「神性を分けてもらったとしても、人間は神性の吸収が苦手なんですから今日は安静にしててくださいね」
桜華の言うとおり、オレの中の神性が枯渇しかけてるのが自分でもよく分かる。力が抜ける気はしないけど起き上がる気力まで湧かない感じ。
「もちろん学校はお休みですよ」
学校、という単語ですぐに琴音の事を思い出した。
「そうだっ! 琴音、琴音に伝えないと!」
ガバッと起き上がった瞬間、視界がぼやけ頭に靄がかかったように曖昧になる。
「兄さん! 大丈夫ですか」
頭が重くなったように前のめりに倒れそうになったオレを桜華が自分の体で受け止めてくれた。もふもふのピンク色の毛が優しくオレを包み込む。
「安静にって言ったじゃないですか。急に起き上がったら倒れるに決まってるでしょ」
「ゴメン、桜華」
まだぼーっとしてる頭で桜華に謝る。ゆっくりと桜華はオレを布団に寝かせてくれて、ぼんやりしていた頭が少しづつ戻ってきていた。
「あの、兄さん」
じっと横になっているオレを見ながら、ぽつりと桜華が口を開いた。
「兄さんは、本当に人間の世界で生きていきたいんですか?」
「どうしたんだよ、いきなり」
「こんなになってまで人間の世界にいなくてもいいじゃないですか。お父さんにお願いしたら戻ってきてもいいって言うかもしれませんし。だから、もう――」
「桜華……」
名前を呼ぶと、桜華が口を閉じる。
「心配してくれてありがとうな。でも、無理だと思うんだよ」
腕を伸ばして桜華の顔を優しく撫でる。一昨日の一件で狼月はオレのことをもう仲間とは思っていないだろう。それは実質の追放と同じだ。そんな奴が何を言って戻ってきたところで追い返されるに決まってる。
「だったら私も一緒に謝りますから。お父さんに何度だって謝りますから。ね? もう帰りましょう?」
「……桜華は優しいな」
「当たり前じゃないですか。私は兄さんの自慢の妹なんですから」
桜華のオレの身を案じてくれる妹の優しさに応えるように、こちらも優しく頭を撫でてあげる。桜華が心優しく育ってくれて本当に良かった。そんなオレに桜華の表情が少しだけ明るくなってオレを見る。出来るなら、その明るい顔を曇らせたくはない。
「でもごめんな」
オレの言葉に、桜華の眉が少しだけ下へと落ちる。
「やっぱり、オレは人間と一緒に生きたいよ」
こんなになってまでもオレの考えは変わらなかった。バカは死ななきゃ治らないとよく言われるけれど、どうやらオレは本物のバカらしい。
琴音の表情がオレの言葉によって暗くなる。目の前の希望がなくなって落ち込んだ表情は突き刺さるようにオレの胸を傷つける。
「そうですか……」
目に見えて元気のなくした桜華がオレから離れる。触れていた手がゆっくりと布団の上へと落ちた。
ゆっくりと玄関へと向かっていきながら桜華は人間の姿へと変わる。
「帰るのか?」
体を起こそうとしたけど、やっぱり動かなくて結局顔だけを玄関の方へと向けると桜華が振り向いた。
「はい。兄さんも無事目を覚ましたので」
にっこりと笑みをオレに向ける。無理して笑っているのが見え見えだった。
「そっか……気をつけてな」
それを作らせた原因であるオレがこれ以外に桜華へかける言葉なんてなくて、言いたかった言葉を飲み込んだ。
「兄さんこそ、しばらくは安静にしててくださいね」
それじゃあ。と桜華が扉をゆっくりと閉めて、階段を降りる音だけが聞こえた。
「ごめんな、桜華」
呟いてオレは布団に再び体を倒す。本当は今すぐにでも琴音の元へ行きたい。だけど桜華の言葉が胸に釘を打ったように離れなくてオレはその日ずっと部屋で眠っていた。
*****
ピンポーン。
家のチャイムの音が聞こえてゆっくりと目を開ける。
寝る前はまぶしい朝日はいつの間にかオレンジ色の光へと変わってて、部屋を蜂蜜のプールのように包んでいた。
体の方は朝に比べれば幾分かマシになっていたけれど、まだ気だるさが残っていた。それに眠りすぎたのか頭もちょっとぼーっとしてる。
ピンポーン。
再びチャイムが鳴る。寝る前は起き上がるのも億劫だったが、たくさん寝たおかげで神性も幾分か吸収できたようで、すんなりと起きることが出来た。頭を軽く振って寝ぼけている頭を醒ましながらドアの元へと向かう。
「やっほー、狗牙」
「天楼さん?」
ドアの外には天楼さんが立っていた。いつものYシャツにタイトスカート。自称凄腕のキャリアウーマンの格好。
「どう、調子は?」
お邪魔しますも言わずにヒールを脱いで部屋へと上がる天楼さん。今更そんなことにツッコミを入れる気もないのでオレは扉を閉めて部屋の中へと戻る。
「朝に比べればマシになった感じですね」
「そう。良かった」
ほっと。安堵の息をこぼす天楼さん。
「あ、ありがとうございました。昨日助けてもらって」
深々と頭を下げる。もしもあの時、天楼さんがいなかったらと考えると、ぞくりと背筋が寒くなる。
「いいのよ。狗牙も無事だったんだから。それに、琴音ちゃんといい感じになったんじゃないの?」
「いい感じってなんですか……」
「具体的に言えば、そうね……。私と狗牙が話してるのに拗ねちゃった……とか?」
「なんで知ってるんですか?」
まるでその現場を見てきたような推理に動揺が走る。そんなオレを見て、天楼さんはやっぱり。とにんまりと笑みを浮かべ、
「狗牙もそうだけど、琴音ちゃんも分かりやすいのよ」
あはは。と笑いながら天楼さんは、昨日の異常なスキンシップがすべてオレと琴音の仲を進展させるためにやったことであると教えてくれた。
「なんでオレと琴音の仲が進んでなかったってわかるんですか」
「一昨日、私が尋ねた時の表情を見たら分かるわよ。あんた全部顔に出るから」
ポーカーフェイスの練習でもしておくべきかと一瞬悩んだ。そこまで露骨に出てしまうのだろうか。
「で、私のお膳立てもあったんだから、当然距離は縮まったのよね?」
「え? ……ええまぁ」
オレの返答に天楼さんが、ん? と小さく眉間に皺を作る。
「何よ、その歯切れの悪い答え方。仲直りしてその勢いで告白してキスまでしたんじゃないの?」
「いや、それがですね……。覚えてないんですよ」
「覚えてないってなにを?」
「その倒れる前のこと。琴音を見つけて拗ねてるってことまでは覚えてるんですけど、その後のことを覚えてなくて……」
「は? なにそれ?」
信じられないといったように、顔をひくつかせる天楼さん。呆れが八割、怒りが二割の割合をしてる表情に自然と視線が畳の方へと逃げる。空気が少し重く感じる。
「じゃあ何? 私のお膳立ても意味なかったっていいたいわけ?」
声がさっきより低くなった。感情にこそ出してはないけれど、これは完全に怒っている。もしも下手に触れようものなら彼女の怒りを買って何を言われるか分かったものじゃない。ここは慎重に言葉を選ばないと。
「いや、そうじゃなくて。しっかり仲直りは出来たし、琴音の可愛い一面も見れて、完全にプラスではありますし……」
「でも告白できたどうか分からないんじゃ意味ないでしょうが!」
怒られた。まさか一発で地雷を踏んでしまうとは。
「まぁ、神性の急速的な減少の影響で記憶に支障が出たんだからしょうがないけどね」
はぁ。とため息をこぼす天楼さん。
「でも、どうしてそんなことが起こったんですか? 今までこういったこと起きたことなかったのに」
「私にもよくわかってないのよね、それに関しては」
天楼さんはうーん。と唸りながらオレの首に手を伸ばす。首には黒い皮製のチョーカーが巻かれており、天楼さんはそれをそっと触れる。皮越しに彼女の細い指がつー。と横に通っていきくすぐったさに全身がぶるりと震えた。
「一応このチョーカーで人間に化ける際になくなる神性の消費を極力まで抑えてるけど、もしかしたらその抑えていた力が蓄積され続けてフィードバックとして暴走したのかもしれないわね」
「フィードバック……」
確かにそれなら一気になくなったのも頷ける。溜め込んでいた神性が暴走して一気に流れでたんだから。だけど、オレが気にしている問題はそこではなく、
「また起きますかね。そのフィードバックって」
もしも再度起きた時、近くに天楼さんや神性を持っている存在がなければオレは完全に消えてなくなってしまう。
「多分しばらくは起きないでしょ。あの時の暴走のおかげで蓄積されてた力がまた一からリセットされたでしょうね」
その言葉にほっと一安心する。その時、再びオレの玄関からインターホンの音が部屋に響いた。
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