第3話『そこまでする理由って一体?』

 放課後を告げるチャイムと同時に、クラスの生徒達が立ち上がってぞろぞろと教室を出て行く。

「こー君。一緒に帰ろ?」

 先に用意を済ませていた琴音が鞄を片手にやってくる。別段断る理由もないので、オレはあいよ。と答えて立ち上がった。教室を出て行く際、田中と矢田が茶化すような視線でオレを見ていることに気づいたので、にらみ返してやる。見世物じゃないんだぞ。全く。

「まだまだ寒いねぇ」

 下足箱を出ると、一陣の風がオレ達を迎えて琴音が体をぶるりと震わせ、両手をこすり合わせていた。

「そうか? もうそこまで寒くないだろ」

 しかしオレは全く寒さを感じない。真冬だったら寒いかなとは感じるけれど。

「……こー君すごーい」

 別にそんな大層なことをしたわけでもないのに、こちらを見る琴音の瞳はまるで英雄にでも出会った時のような輝きに満ちていた。

「そんな驚くことでもないだろ。寒さに強いだけで大げさだな」

「ううん。寒さに強いって私にとってはすごいことなんだよ」

 うんうん。と強く頷くや、琴音は突然オレの手を握ってきた。

「うえっ!」

「こー君の手、あったかーい」

 ヒヤッとした琴音の手が暖をとるようにぎゅっとオレの手を強く握る。ふわっとした柔らかい琴音の手が、手が、手が!

「い、いきなり何してるんだよ!」

 慌てるオレとは対照的に落ち着いた琴音は、ん? と小さく小首を傾げて、

「こー君の手で暖まってるんだよ。いいなぁ、これじゃあカイロいらないねぇ」

 ふふふ。と笑いながら両手でオレの手を包む。柔らかい琴音の手冷たさがじんわりと温もるように熱くなる。いや、違う。これはオレの手と顔の温度が上がってるんだ。

 ダメだ、これ。嬉しさと幸せで倒れそうだぞ。

「ん?」

 ふと、ちくちくと痒みを感じる何かを剥き出しの首筋に感じた。後ろからかと思ったら至る所からオレを刺すように飛んできて、辺りを見てみる。

 そこでオレは思い出す。今、オレと琴音がいるのが、下足箱を出たすぐのところで、それは他の生徒達も通る場所だと言うこと。つまりオレと琴音の先ほどまでのやりとりは完全な見世物となっていたのだった。

 うわぁ。と引きつった表情をする女子生徒。あらあら。と微笑ましそうな顔をしてる先輩カップル。ひそひそと何かオレ達を見ながら歩いて行く女子グループ。明らかに殺意が籠もっている視線を向けながら去って行く男子生徒。色んな視線がちくちくと突き刺さって、にやけていた顔と熱くなっていた顔が一瞬にして冷めた。

「ば、馬鹿やってないで早く帰るぞ」

 あれだけの視線を食らってもなお気づかない琴音の手から抜け出して歩き出す。ずっとあの柔らかくて暖かいものに包まれていたからか、抜いた手がちょっと寒くてオレはその温もりを逃さないようにポケットに手を突っ込んだ。

「あ。待ってよ、こー君」

 急いで琴音がオレの背中を追いかけて来た。

「でも、本当にこー君の手って暖かいよね」

「さっきからそればっかりだな。そんなに手が暖かいのが好きなのかよ」

 うん。と琴音は頷く。

「昔ね、私誰かからよく頭を撫でられたの。こう、わしゃわゃーって」

 自分の手に頭を置いて、乱暴になで回す仕草をする。

「それが暖かくて気持ちよくて、ずっと覚えてるんだ」

「その誰かってのは覚えてんのか?」

 琴音は小さく、首を横に振る。

「全然。どれだけ思い出そうとしても思い出せないの」

 少しだけ琴音の声に悲しさが混じる。そんな声を聞くだけでオレも何だか悲しくなってしまう。

 琴音は子どもの頃に事故に遭ったらしく、その時のことを覚えていないらしい。ちょっとした記憶喪失というもので、本人は特に気にしてないよ。と笑っているけれど、その時のことを話す琴音の顔は少しだけ元気がないように見えた。その表情を見るだけで、オレはちくり。と針で心臓を刺されるような痛みに苛まれる。

「あー。それにしても今日はなんか疲れたなぁ」

 うーん。と伸びをしてそんな言葉をこぼす。もちろん疲れてなんてない。オレは体力には自信があるし、今日は体育すらなかったのだから疲れるどころか気力が満ち満ちてる位だった。

 そう言わないと、今オレ達の周りに漂っている微妙な空気を払拭できなかったから。取り繕ったオレのバレバレな嘘だった。

「うーん、そうだねぇ」

 オレをマネをするように琴音も伸びをする。琴音が背伸びをしたところでオレの身長には全く届いてない。

「帰りにコンビニでなんか買って帰るか」

「え? 奢ってくれるの?」

 途端目を輝かせる琴音。オレはもちろん。と強く頷き、

「チロルチョコを奢ってやるぞ」

「わ、わーい」

 明らかに覇気のない喜びの声と共に、琴音がゆるゆると弱そうな拳を突き上げた。

「なんだよ、奢って貰えるだけありがたく思えよ」

「うれしーなー。わーい。私、きょうはちょーらっきーだよー」

 全く嬉しさを感じさせない琴音を余所にオレは近くのコンビニへと向かったのだった。 


 校外にある三叉路さんさろがオレと琴音のいつもの分かれ道になっている。ちなみに右へ進めばオレの住むアパートへ向かい、左へ向かえば琴音が住む住宅街へと差し掛かる。どれだけゆっくり歩いたとしても、ここへ来るともう今日はお別れの合図になっていた。

「明日、小テストがあるんだからしっかり勉強しろよ」

「あ、忘れてた。まぁ何とかなるよ」

 ぽつりと言ったオレの言葉に、琴音がはっ。と目を見開くも、すぐにいつも通りの表情へと戻る。

「お前そう言っていつもダメだろ。明日の朝勉強付き合ってやるからしっかり対策しろよ」

 まったく……。と少し呆れたようにこぼしていたら、琴音はなぜかくすくすと小さく笑っていた。

「どうしたんだよ、笑って」

「なんだかこー君、お母さんみたいだなって思って」

「はあ? 何でお母さんなんだよ」

「すごくピッタリ。私のことすごく心配してくれてるところとかとてもお母さんっぽい」

 うんうん。と納得するように頷く琴音。確かにいつも世話を焼かされてるけど、お父さんじゃないのかよ、そこは。よく分からないな。

「ねえ……こー君」

 突然、琴音が何かを思い出したかのように、まっすぐオレの顔を見てきた。オレはいつものようになんだよ。と軽い感じで琴音を見ると、少しだけ小首を傾げてこう尋ねてきた。

「どうして、そこまでしてくれるの?」

「どうしてって……」

「ほら、こー君って去年この町に引っ越してきたでしょ? 私とだってただクラスが一緒で親しいわけでもなかったのに、どうしてそんな私のことを心配してくれるのかな。って思っちゃって」

「それは……」

 答えるのに少し、言葉に詰まった。言っていいのだろうか。それはお前が好きだから。って。言ってしまっていいのだろうかと頭で考える。

『お前は少し恋に夢見すぎなんだよ。もう少し現実的に考えた方がいいぞ。告白できる時にしておかないと後悔するんだからな』

 頭の中で今日の昼休みに言っていた田中の声が聞こえた。現実的に考えたら今この状況は言うべきタイミングなのだろうか。告白すべきタイミングなのだろうか。だけどオレはそんな経験を一度もしてきたことがないのだから分かるわけがない。

「もしかして、なんだけど」

 答えに窮しているオレに痺れを切らしたように琴音が口を開く。

「こー君がこんなに世話を焼いてくれるのって。昔、私をよく撫でてくれて――」

「そ、そんなわけないだろ」

 遮るオレの声に、琴音がぽかんと言葉を打ち切り、そして閉じる。沈黙が再び舞い降りる。オレは一つ深く呼吸して、琴音のオニキスのような瞳を見つめ返して口を開く。

「それはな……。お前がその、す、す……」

「す?」

 唇が、す。の形を作ったまま琴音はオレの次の言葉を待つ。何やってるんだよ、言えよ。ただ、き。と発音するだけだろ。なんで止まってるんだよ。オレを責める自分の声が聞こえ、顔が重力に負けたようにゆっくりと下を向く。

 たった二音発音するだけなのに、どうして口は動かないのだろうか。本当に分からない。次の言葉が紡げなくて、紡がなきゃいけないのに、焦りがオレの頭をさらにぐちゃぐちゃにして動きがピタリと止まってしまう。早く、なにか言わなくちゃ、琴音が不思議そうな顔をしてる。でも、何を話せばいいんだ? そうだ、琴音に伝えたい言葉があったんだ。あれ、それってなんだっけ。オレはどうして止まってるんだ。

 色んな考えが洗濯機の中のようにぐるぐると回転していく。自分が何をするべきなのか、何をしていたのかが分からなくなる。

「こー君」

 そんな状況に降ってきたのは、琴音の声だった。ゆっくりと顔を上げる。いつも見てきた朗らかな笑顔。もしも感情に温度があるのなら、それはきっと春の陽気のように暖かで気持ちの良さそうな笑顔だった。

「大丈夫? 落ち着いて」

 ね。という彼女の言葉に、さっきまでぐるぐると頭を高速回転していた考え事がピタリと。まるで台風が通り過ぎた翌日の晴れ晴れとした空のように消え去った。

「私はちゃんと聞くから」

 子どもを安心させるようなその言葉と表情にオレの気持ちが、言葉が再び動き出す。

 ごくり。と一つ唾を呑み込んでオレはゆっくりと口を開いた。


「琴音、オレさ、お前のこと――好きなんだ」


 風がゆっくりと、オレと琴音の髪を揺らすように吹いた。心臓がばくばくと音を鳴らす。体の内側が燃えさかるように熱くて、風ごときでは全然冷めてくれない。

 一分、二分、沈黙がオレと琴音の間に続いたかに思えたが、

「そっか……」

 オレの言葉を、味わうように目を瞑って頷く琴音。時折、うんうんと納得したように頷いて、目を開ける。

「……私もね、好きだよ。こー君のこと」

「え……?」

 はじめ、自分の耳を疑った。でも間違いじゃないと思った。そしたら、嬉しいという気持ちが、体の内側からうわっ。と大量に湧いてきて、何だか背中に羽が生えて、そのまま空でも飛べそうな気分になってきた。

「ほ、ホントか?」

「うん! 私、こー君のことの中で一番好きだよ」

「う、え……?」

 背中に生えた羽がむしり取れて飛び上がった気持ちが、地面目がけて真っ逆さまに落ちていくような気分に早変わりした。

「と、友達として……か」

「うん。友達として。そっかぁ。こー君って友達思いだなぁって思ってたけど、やっぱりそうだったんだね」

 それ以外の選択肢なんてない。と言いたげなまっすぐな言葉にオレはそれ以上何も追求することは出来なかった。

 ゴーン。という鐘の音が、町に響く。夕方の五時になると響く鐘だ。もちろん、本当の鐘ではなく、ちょっと年季の入っている高いスピーカーから放たれる音で、少し音割れしている。

「じゃあね、こー君。また明日ー」

 まるで胸のつっかえが取れたような清々しい顔で手を振りながら琴音は走って行く。

「あ、あぁ。じゃあな」

 かろうじてそれだけ答えて、オレは琴音の背中が、彼女が動く度にひょこひょこと揺れる髪の毛を見送っていた。それがどんどん小さくなり、完全に見えなくなってようやく、オレは我慢に我慢を重ねていたため息をどはぁ。とはき出す。

「やっぱりダメかぁ……」

 あそこまでストレートに言っても通じてくれないのは予想以上だった。あれ以上どうストレートに気持ちを告白すればいいのか分からない。

 だけど、しょげている心の中で、どこかほっとしている自分もいた。この関係が壊れなくて良かったと、を言わなくて良かったと、安心している自分がいたのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る