第2話『オイヌさま』

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 オレが住む町、桜木町さくらぎちょうを比率で現すと、都会が二で田舎が八の割合になる。都会と呼べるほどの技術進歩はなく、だけどド田舎と呼べるほど技術停滞はしていない。高層ビルやマンションなんてものは存在してなくて、せいぜい三階建てのアパートが高い建物だし、ショッピングモールなんてなくて、古くからある商店街に人は集まる。

 辺りは山に囲われており、その木はほとんど桜の木で、満開になるとそれはそれは綺麗な桃色の山へと変わる。桜色に包まれる町。そこだけがこの町の自慢だ。

「なぁ狗牙こうが、聞いたか?」

「なんだよ」

 昼休み。昼飯のおにぎりを食べていたオレに隣の席の田中幹雄たなかみきおが声をかけてきた。

「またこの辺りで狼が出たんだってよ」

 田中の言葉にオレは、へぇ。と興味なさそうに頷き一個目のおにぎりを平らげてからもう一つのおにぎりに手を伸ばす。他の奴らの話し声に耳を傾けると、やはり狼が出たという話をしていた。どこもかしこもその話題で持ち切りのようだ。

 ちなみに、そのニュースはテレビを見ないオレの耳にも入ってきている。一年前くらいから一ヶ月に数回狼に似た影が町を彷徨いているというニュースが巷を騒がしていた。狼と言えば真っ先に思いつくのは肉食だということ。そしてそんな肉食獣が自分の住んでいる町を闊歩しているなんて知ったら怖がるのもムリはない。

「最近多くねぇか? 狼の目撃情報」

「そうだな」

 フィルムを剥がしておにぎりの頂点からかぶりつく。コンビニおにぎりの海苔のパリパリ感がとても美味しい。

「なんだよ。テンション低いな、お前」

「狼なんてとっくの昔に絶滅しただろ。見間違いに決まってるよ」

 くだらないな。と一蹴するけれど、田中はそんなわけない。と反論してきた。

「お前は知らないのか? この町に古くから伝わってる『オイヌさま』のこと」

「…………知ってるよ、うるせぇな」

 顔を近づけるように迫ってきた田中を制するように手を突き出して壁を作る。

 『オイヌさま』とは狼を神格化した存在の呼び名で、この町の古くから伝わる昔話でもある。結構な昔、狼は真神まかみと呼ばれ厚い信仰を人間から得ていたらしい。人の言葉を理解し、善人と悪人を判別し、正しい行いをするものを守り、悪い行いをする人間には厳しい罰を与える。そんな存在だったそうだ。オイヌさまというのも真神と同じで桜木町以外にも埼玉県や東京などにその言い伝えは残っており、この町はそういった伝承を重んじている家が多い。ここに住む子ども達は必ずこのオイヌさまの昔話を通過儀礼のように聞かされている。

 曰く、悪いことをしたら、夜寝ている時にオイヌさまが現れて、食べられてしまう。

 曰く、良いことをしたら、オイヌさまが困った時に助けてくれる。

 大半の家では、子どもの戒めとして、悪いことをした時の事を誇大に盛って話すので、良いことをした時の事を知らない子ども多い。まぁつまりこの町の子どもにとって、オイヌさまは悪いことをしたら食べられてしまう怖い妖怪。そういう認識なのだ。

「きっとあれはオイヌさまに違いないんだよ。オレ達を見て、いい奴と悪い奴を判別してるんだよ」

 わなわなと震える田中にオレはため息をこぼす。今のご時世そんな事を思ってる奴なんて小学生でもいない。それなのにこいつはまるで世界の終わりのように恐れている。

「大げさだな」

 と呆れまじりに吐いてやる。もう高校生ともあろう男がそんな顔してどうするんだ。だが、田中はそんなオレを、きっ。と睨み返してきた。

「大袈裟なんかじゃないぞ! オレは昔からそういう話を爺ちゃんや婆ちゃんに嫌って言うほど聞かされてるんだぞ。それに二人ともオイヌさまを見て襲われたとか言うしよ……」

 どうやらオイヌさま伝説は田中の中では結構根深いところまで浸透しているらしい。子どもの頃のトラウマはなかなか拭えないようだ。

「考えすぎだって。どうせ猪かなんかの見間違いだろ」

「楽観的すぎじゃないか、お前」

「お前が悲観的すぎるんだよ」

 二個目のおにぎりを食べ終える。山に覆われているんだから猪が山を降りてくることがないわけじゃない。幽霊の正体見たり枯れ尾花ってやつだ。

「それにまだ誰も襲われた。なんて事もないんだし、気にすんなって」

 ぽん。と肩を叩いてやると、田中はしばらく信じられないな。という気持ちを顔を残しつつも頷いてくれた。

 そう、考えすぎ、考えすぎなのだ。狼もとっくの昔に滅んだし、そんな昔話なんて真に受ける人間もまたいなくなったのだから。そう思いながらオレは三つ目のおにぎりに手を伸ばしたのだった。

「そういえば話は変わるんだけどよ」

 しばらく黙っていた田中が思い出したように口を開いたのは、オレが三つ目のおにぎりの半分を口に含んだ時だった。

「なんでお前と未谷って付き合ってないんだ?」

「――ぐっ、んっ?」

 田中から繰り出された突然の質問に驚いて、食べていたおにぎりを思わず呑み込んでしまった。ろくに咀嚼してなかった米粒達がすぽっと気管へと入ってしまい思わず咳き込む。苦しみながら脇に置いていたペットボトルを掴んで急いで口へと運ぶ。

「なんだよいきなり!」

 ペットボトルのお茶を半分まで飲み干して吼えるオレに、黙って見ていた田中は悪びれることもなく、だってよ。と続けた。

「お前と未谷っていつも仲良く登下校してるけどさ、付き合ってないんだろ? 誰が見ても何でだよって思うぞ」

「別に仲良く登下校したって問題ないだろ……」

「あ、それ私も気になってたんだよね」

 オレと田中の話を聞いていたのか、さっきまでオレ達の近くにいる別の女子と話していた少女が突然話しに加わってきた。

「なんで矢田も入ってくるんだよ」

 あからさまに不機嫌な声のオレに、いいじゃん。別に。と琴音の友達である矢田瞳やだひとみは田中の席の前へとやってくる。

「狗牙君と琴音って別に幼なじみじゃないんでしょ? なのにあの熟年夫婦みたいなやり取りしてて付き合ってないって絶対おかしいよ。だって誰がどう見てもあれ付き合ってる空気だもん」

 そうそう。と同調するように田中は頷く。

「本当は付き合ってるんじゃねぇのか? でも恥ずかしくてオレ達に言えなくて黙ってるんだろ?」

「恥ずかしいならあんないちゃいちゃしないよ」

「それもそうだな」

 田中の頷きに矢田が笑う。オレはそんな二人に辟易へきえきしながらきょろきょろと教室を見渡す。よし、琴音は今いないな。それを確認してオレは仕方なく口を開く。

「オレだって琴音とは付き合いてぇよ」

「は? だから端から見たらもう付き合ってる仲なんだから、さっさと告ればいいじゃねぇか」

「そうだよ、琴音の事だからすぐにOKくれるよ?」

「いや、琴音はそういうのにまったく興味ないんだよ」

 オレの言葉に、田中はそうなのか? と小さく首を傾げ、矢田は、あー。と分かったように頷いてくれた。

「そういえば琴音、恋とか恋愛に関しては無頓着だったわね。なんて言うか子供がそのまま大きくなったみたいな感じ?」

 私はそういう純粋なところ嫌いじゃないんだけどね。と付け加える矢田の言葉にオレは大いに同意するように頷く。

「でもよ、いくら興味なくてもあれだけの仲なら大丈夫だろ。いいからさっさと告白しろよ」

 ピンと来てない田中の言葉に、矢田も肯定するように、確かに。と頷いた。

「ダメなんだよ」

 しかしオレは重く首を横に振る。

「は? 何でだよ。ここまで来てなにがダメなんだ」

「なにか告白できないような理由でもあるの?」

 信じられないといった表情の田中。心配そうな表情の矢田。二人の顔を見て、オレはゆっくりと口を開く。

「オレは誰もいない公園で告白をしたいんだよ」

 一秒、二秒、三秒。と世界を動かす時計が凍ったように、ピタリと二人の動きが止まった。

「は?」

 ようやく動き出した田中が、何を言ってるんだ? と言った表情になり、矢田もまた呆気にとられたように目を丸くしている。

「……なんだ、それ」

「だから、オレとしてはデートの終わりに誰もいない公園で告白がしたいんだよ」

 オレンジ色に染まる世界で告白する。それはオレの中で最高のシチュエーションだ。

 人のいない世界で、まるでオレ達以外の人間がいなくなったような静けさの中で、沈みゆく太陽に見届けられながらオレの中の気持ちを琴音に伝えたい。想像しただけでロマンチックではないだろうか。だからオレは必ずそこで告白するとずっと前から決めていたのだ。

 田中は苦虫を噛んだような顔で。矢田は引きつったような笑みで視線を泳がせた後、二人はお互いに目配せして、

「さすがにないわ」

「さすがにないよ」

 声を揃えてそう言ってきやがった。

「な、なにがないんだよ。完璧なシチュエーションだろ」

「今の小学生でもそんなロマンチックなシチュエーションがないと告白できないなんて思ってねえよ。恋愛漫画の読みすぎだぞ」

 田中の言葉にオレは反論する。

「そんなことないだろ。女子的にはこういうの好きだろ?」

 しかし、いやー。と今度は矢田が微妙な声を出して首を傾げてきた。

「そこまでシチュエーションを大事にされると逆に重く感じちゃうなぁ。私的には」

「なん、だと?」

 まさかの言葉に頭が項垂れる。そんな……完璧な計画だと思ったのに。

「お前は少し恋に夢見すぎなんだよ。もう少し現実的に考えた方がいいぞ。告白できる時にしておかないと後悔するんだからな」

 ぽん。と元気付けるように田中が肩を叩く。その同情の混じったような笑顔がなんだかムカついた。

「まだ彼女のいないお前に言われたくねえよ」

「お前だってまだ彼女いないだろうが」

「え? 田中君って彼女いないの?」

「おい話の矛先をこっちに向けてくるなよ」

「意外だね、よくオレの彼女が~とか言ってたけど」

「だから話は狗牙の事だろ。今はその話関係ないじゃんか」

 困ったようにたじろぐ田中に矢田が詰め寄るように質問しているのを見てオレはしばらく考える。

『 もう少し現実的に考えた方がいいぞ』

 田中の諭すような声とあの顔を思い出すと落ち着いていたムカつきがぶり返してきた。別に理想を持ったっていいじゃないか。告白だって普通にするより、ロマンチックの方が記憶に残りやすいんだし。そうだ、そうに決まってる。

 そのはずなのに、どうしても田中の言葉が拭き取れない汚れのようにオレの耳にこびりついて離れなくて、食べていたおにぎりの味も分からずオレは気づけば全部平らげていた。

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