第16話「何かが変わった二人」



 夕焼け染まる空を飛ぶカラスが、警告をするようにカァカァと鳴いている。僕の足はいつもより重たく感じる。


「……」


 それもそうだろう。今日一日でいろんなことがあった。たくさんの驚きの連続が、僕の頭の整理を追い越していく。でも、一番の驚きはやっぱり、ハルさんは超能力を使えるすごい人だったということだ。


 たった一行で言い表せるだけど、日記に書いたら読んだ人は思わず二度見上してしまいそうなほど、衝撃的な内容だ。五度見くらいする人もいるんじゃないかな。

 そして、僕はその超能力者と仲良くなった。僕と彼女の間に“関係”ができたんだ。秘密という名の関係が。


「一体彼女は何者なんだ……」


 超能力を使えるということは、彼女は普通の人間ではないということか。彼女に言ったら失礼なことを、先程から考えていた。だけど、一人歩きする僕の想像は止まらない。超能力が使えることは謎だけど、彼女と一緒にいると不思議なことがいっぱいありそうだ。


 これはいい詩が書けそうな気がするぞ。帰ったら忙しくなるな。僕は夕焼け空を飛ぶカラスの鳴き声に、耳を傾ける。今まで気にも留めなかったカラスの鳴き声。それが今では、郷愁を思わせる美しい音楽のように聞こえた。




   * * * * * * *




 ピピピピピピピピ……

 目覚ましの音で目が覚める。起き上がると同時に感じる謎の心地よさ。まるで生まれ変わったかのような、爽快な空気に包み込まれる伊織。こんなにすっきりとした朝を迎えるのは、いつ以来だろうか。


「おはよう、伊織君。朝ごはんできてるよ」


 奈月はテーブルの上に伊織の分の朝食を用意する。献立はいつもの白米と味噌汁、焼き鮭だ。彼は手を合わせ、鮭を一欠片口に入れる。


「……美味しい」

「ほんと?」


 奈月は垂れた顔を上げた。伊織が自分から食事中に声を発することが、滅多に無いからだ。


「はい。塩加減もちょうどいいですし、焦げない程度にしっかり焼けてて美味しいです。すごいですね! 僕なんか中学生の時に家庭科の授業で、焼き魚作ってたんどすけど、盛大に焦がしたことがあって……」


 しかしある日を境に、まるで人が変わったかのようによく話すようになった。始業式から一週間程経った頃からだろうか。伊織が「美味しい」以外の感想を述べるようになった。


「今度作ってみようかな……よかったら教えてください」

「ふふっ♪ いいわよ」

「やった!」


 伊織のこんなに生き生きとした笑顔は、両親といる時以外に見たことがない。奈月は彼の中で起きた確実な変化に気づいた。


「ねぇ伊織君、最近すごく楽しそうにしてるよね。何かいいことあったの?」

「えぇ、実は新しい友達ができたんです。とても明るくて、優しくて、すごい人なんです!」

「それはよかったわね」


 伊織の言っている新しい友人の影響だろうか。何にせよ、彼が両親以外の前では決して見せなかった眩しい笑顔を、久しぶりに拝むことができた。奈月は焼き鮭を口に運ぶ彼を、微笑ましく眺めた。ようやく彼との距離感を掴めたような気がした。


「毎日楽しく過ごすのはいいけど、お部屋の掃除はしっかりしないとね」

「あっ、はい……(笑)」


 伊織は苦笑いで応える。最近は新作の詩を考えるのに時間を費やし、部屋の中が書類や脱ぎ捨てられた衣類で散らかっている。意外とずぼらな一面も持ち合わせている伊織だ。


「ごちそうさまでした。美味しかったです。 今日もありがとうございます」


 伊織はシンクに皿を置き、ドアノブに手をかける。放った台詞は、あの始業式の日の朝と一言一句同じだ。しかし、あの日とは違って覇気がある。


「はい、お粗末さまでした」


 やっと言えた。伊織は奈月の返事もしっかり耳に入れた後で、二階へと戻っていった。すぐに学校へ行く支度を終え、玄関を潜って家を出た。もちろん挨拶の声は、奈月の耳にに届いた。


「行ってきま~す!」


 静かなオオカミが、元気のいい子犬に変わった。






「ハルさ~ん!」

「あ、伊織君」


 駅前広場の中央にある噴水の前に、制服姿のハルが立っていた。ハルが超能力のことを伊織に明かしたあの日、二人が待ち合わせをしていた場所だ。学校に行く時も、二人はここで待ち合わせをするように約束していた。


「ごめんごめん、待たせちゃって」

「いいよ、まだ時間に余裕あるし」


 一応謝罪の言葉は述べるが、女に寒い外の中で待たせるのは男の罪だとか、面倒くさいことは考えなかった伊織。ハルは決して責めはしないことを知っているからだ。


「それじゃあ、行こうか」

「うん」


 二人は歩き出した。一方が相手の背中を追いかけるのではなく、隣に肩を並べながら。




   * * * * * * *




「いやぁ、ハルさんと友達になれてよかったなぁ~」

「え? 友達?」


 ハルさんの笑顔が急に途絶える。え、何その反応、僕はもう友達だと思ってたけど、ハルさんの方はそんなんじゃなかったと思ってたとか? だったら悲しいよ?


「え? うん……友達。ほら、僕達一緒にお出かけしたり、家に遊びに行ったりしたでしょ? まだ数えるくらいしかしてないけど、いろんなことしたよね? だったらもう、僕達は友達と呼んでもいいんじゃないかな。えっと、ダメだった?」

「ううん、そんなことないよ! 誰かに友達だって思われたの初めてだから、ちょっとびっくりしちゃって……」


 え? 初めて?


「すごく嬉しい。ありがとね!」


 ハルさんは再び笑顔になる。今の話からすると、彼女は今まで友達と思えた仲のいい人がいなかったということか。

 そして、僕が彼女の初めての友達。うーん……素直に喜びたいところだけど、ハルさんに今までに友達ができなかったという悲しい事実が弊害になり、複雑な気持ちに襲われる。


 でも……


「どういたしまして♪」


 ここは素直に喜ぶことにしよう。いい加減もう暗いことを考えるのは無しだ。僕らは学校の校門までやって来た。そのまま自分達のクラスの昇降口まで向かう。


「そういえば、超能力が使えることって、僕以外に話してるの?」


 なるべく周りには聞こえない程度の大きさの声で、ハルさんに尋ねる。


「ううん、伊織君にしか話してないよ。他に知ってるのは天音さんだけ」

「だったら、みんなにも教えてあげない? もしかしたらそれがきっかけで、みんなとも友達になれるかもしれないよ」

「えっ……」


 ハルさんの笑顔がまたもや消える。表情がコロコロと変わる子だ。僕……また何か不用意な発言したのかな。


「うーん、やめておく。またいつか話すことにするね」

「そう」

「ほら、超能力って聞いて、ちょっと怖いこと想像しちゃう人だっているでしょ?」

「確かに……」


 まだハルさんにとって超能力は後ろめたい秘密のようだ。考えてみれば、そんなに安易に人に話していいことではないよね。これは僕が無神経すぎたかもしれない。発言には気を付けなくては。


「まぁ、ハルさんが言うならそれでもいいか」

「うん」


 超能力を披露すれば、人が面白がって近寄ってくると思ったけど、いきなり物を浮かしたりなんてしたら、普通はみんな恐怖を覚えるよね。秘密を明かせばハルさんの周りに人が集まるというのは、考えが甘過ぎた。


 ガラッ

 僕達は扉を開けて教室へ入った。既に登校していたクラスメイトのみんなが、僕とハルさんという珍しい組み合わせを前にして驚く。しかし、僕達がそれぞれの席に戻ると、何人かの女の子がハルさんの席へと吸い込まれる。


「ハルちゃん! おはよう!」

「お、おはよう……」


 少しおどおどとした態度で慌てるハルさん。ほら、いつもの笑顔だよ! 頑張って! 僕はハルさんの背中に念を送った。


「どうしたの? あの時みたいに笑ってよ~、ハルちゃん」


 女の子はハルさんの頬に手を当て、すりすりと撫で回す。


「……///」

「笑った! やっぱりハルちゃんの笑顔って可愛い~♪」

「うんうん、やっぱりハルさんは笑顔でいた方がいいよ」

「ありがとう……///」

「あ、また笑った! ほんと可愛い~♪」


 女の子同士だからこそできるスキンシップにより、ハルさんの周りが暖色のオーラに包まれる。あの中に混ざりたい気持ちを必死に抑え、僕は遠くから見守ることにする。

 せめて、今女の子の前で輝いているであろう笑顔だけでも見れたら……。あぁもう! なんで僕はハルさんより後ろの席なんだ!


 まぁ、何はともあれ、彼女はクラスの輪に無事馴染めているようだ。よかった。きっと超能力のことを明かしたとしても、優しいみんなならそんなこと気にせずに、普通に仲良くしてくれることだろう。


「……よかった」


 僕は女の子の中心で笑うハルさんを、保護者になったような気分で微笑ましく眺めた。


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