第15話「同居人」



 バリンッ


「!?」


 何だ何だ!? 和やかに食事を楽しんでいまら、どこからともなくガラスのようなものが割れる音がした。驚いてキャベツが箸からこぼれ落ちた。


「何? 何の音?」


 僕はハルさんに聞く。彼女は答える前に立ち上がり、地下に続く階段へと駆けていく。音源はどうやら地下らしい。僕もとりあえず付いていくことにした。

 階段を下りると、そこには壁がコンクリートでできた十畳ほどの研究室っぽい部屋があった。居間より広いってどういうことだ……。この部屋、何か怪しいぞ。


「アマンd……天音さん、大丈夫!?」


 地下には大人の女性が立っていた。フラスコみたいな容器がいっぱい入った棚の前に立っており、白衣を着た橙色の髪の女性だ。ハルさんは彼女に駆け寄る。

 そういえば、ハルさんが一瞬名前を呼び間違えたような口振りが聞こえたのは、気のせいだろうか。女性の足元には、ガラスが散乱している。さっきの音はこれか。この人は誰だ? ハルさんのお母さん?


「トレーからフラスコが落ちちゃったの。いっぱい乗せてたから、バランス崩しちゃって……」


 ハルさんが天音さんと呼んでいたその女性は、橙色の髪をサイドダウンにまとめていた。メガネと白衣姿が相まって、いかにも科学者という雰囲気の人だ。科学者がなんでハルさんの家にいるんだろう。


「ん? 誰? その子……」

「あ、クラスメイトの保科伊織君だよ」

「ど、どうも……」


 僕は天音さんに向かってお辞儀をする。天音さんは眉をひそめ、じーっと僕を見つめてくる。何のつもりだろう……。


「とにかく、早く片付けないと」


 ハルさんはしゃがみ、散らばったガラスの破片を見つめる。


「あっ、ダメよ! すぐ箒持ってくるから!」


 天音さんは慌てて階段を駆け上がり、箒を取りに行った。僕とハルさんはその場に取り残された。すごい勢いだ。でも、確かにガラスの破片を素手で触るのは危ない。


「あの人は、松下天音まつした あまねさん。科学者さんでね、私の親戚なの。訳あって、今一緒に住んでるんだ」

「そうなんだ……」


 天音さんはハルさんの同居人ということか。そういえば、なんでわざわざ箒なんか取りに行ったんだろう。ハルさんの超能力を使えば、片付けなんてあっという間に終わるだろうに。天音さんは、彼女が超能力を使えることは知らないのだろうか。


「よくこの地下室にこもって、何かの研究をしてるんだ。何の研究かは、私も知らないけど」


 そう考えている間にも、さっそくハルさんは超能力でガラスの破片を浮かし、テーブルの上に集めた。

 ついでに部屋の隅に置いてあったゴミ箱も浮かし、手元に持ってきた。ゴミ箱にガラスの破片をサッと捨て、片付けはおしまいだ。やっぱり超能力を使うと、手間が掛からない。便利なもんだなぁ。




 僕らは居間まで戻り、天音さんのところへ行った。


「天音さん、片付け終わったからもういいよ」

「え? まさかハル、アンタ能力使ったんじゃ……」


 どうやら天音さんは、ハルさんの超能力のことは知っているようだった。でも、さっきから慌てている理由は分からない。台詞から察するに、彼女が超能力を使うことを危惧しているようだが……。


「大丈夫、使ってないよ」

「え?」


 僕は驚いた。ハルさんがしれっと嘘をついた。さっきバリバリ超能力使ってたじゃん。僕、隣で見てたよ。ガラスの破片浮かしてたじゃん。何ですか、その満面の笑みは……。


「ほんとに?」

「うん」


 どうして嘘をつく必要があるのだろうか。正直に天音さんに言ってしまおうかと思ったけど、ここで出しゃばるのも何か気が引けた。


「ならいいけど……」


 天音さんは箒を持ったまま地下室へと戻っていった。結局何をあんなに慌てていたんだ? ハルさんが超能力を使ってないと言うと、落ち着きを取り戻したけど……。


「ハルさん、どういうこと?」

「私、天音さんにあまり超能力は使うなって言われてるの」

「へぇ~、なんで?」

「それは……その……いつか話すわ。それよりお昼ご飯食べよ」

「うん……」


 ハルさんと再びちゃぶ台の前に座り、食事を再開する。二つ目の照り焼きチキンを口にした。冷めてはいない。だが、何だろう……胸の奥にざわめくこの不安な気持ちは……。




「……綺麗すぎる」


 地下室に戻った天音さんは、さっきまでガラスの破片が散乱していた床を、睨み付けながら手で撫でていたという。






 僕とハルさんはランチプレートを全て平らげた。三星シェフのような、彼女の料理の腕には感心だ。僕はハンカチで口元を拭いた。


「ごちそうさま。すごく美味しかったよ」

「ありがとう♪」


 ハルさんはプレートとコップをシンクへと持っていく。もちろん僕の分まで。


「あっ、皿洗いなら僕も……」

「大丈夫、お客さんは座ってて」


 ハルさんは僕を再び座らせる。お客さんって……。彼女はスポンジに洗剤を染み込ませ、シンクで一枚一枚食器を洗っていく。超能力を使おうとする素振りは一切ない。後片付けも料理の一環と考えられるし、最後まで楽しみたいんだろう。


 もしかして、わざわざこんな山奥で暮らしているのは、人目を避けるためだろうか。確かに、超能力が使える人間なんて、国家機関かどこかに捕らえて、様々な研究に利用されてしまいそうだ。監禁され、実験台の上でモルモットと化す……想像するだけで体が震える。


 考えれば考えるほど、ハルさんに対して興味を持つ。僕だって彼女のことをもっと知りたい。もっと仲良くなりたいな。


「ねぇ、そういえばハルさんの父さんや母さんは?」

「えっ……」


 スポンジを回すハルさんの手が止まる。またまずいことを言ってしまったのだろうか。休日なのにハルさん一人で家にいるのが気になったから、つい聞きたくなった。でも、その反応からして、もしかしてハルさんの両親は……。


「あっ、ごめん。言いたくないなら言わなくても……」

「ううん、違うの! 今仕事がものすごく忙しくてね、長い間帰ってこれてないの」


 僕の誤解を訂正するハルさん。よかった。今の反応からして、彼女の両親も亡くなっているのかと勘違いしてしまった。遺影とかも飾られていないから、そりゃそうか。

 忙しくて帰れない……一体どんな職場なんだろう。両親の仕事の都合で七海町に引っ越してきたと、自己紹介の時に言っていたけど。


「そうなんだ……」

「うん、当分帰れないみたい」

「寂しくないの?」

「寂しくないよ。もう慣れたし。それに天音さんがいるもん。色々家事とか手伝ってくれるから、困ってないよ」


 それじゃあ、天音さんは一時的に家政婦のような立場で、日々ハルさんの面倒を見ているということだろうか。僕の家でいう奈月さんみたいな存在だ。何だか親近感を覚えるなぁ。

 でも、雇われの立場のくせに地下に研究室作ってたし、ハルさんの両親不在の間になんか自由にやってるんですけど。何なんだ青樹家……本当に謎すぎる。


「でもいいよね。超能力が使えれば、家事がやり易くなるし。父さんと母さんも、さぞかし助かるだろうなぁ」


 もし僕が超能力を使えたら、母さんの料理とか洗濯も引き受ける。父さんは仕事場まで念力で浮かして、行かせてあげたりとかするかな。といっても、僕の両親の場合は、家が仕事場みたいなものだったけどね(笑)。とにかく、全力で親孝行したい。


 もうこの世にはいないけど……。


「超能力を使えるだけじゃなくて、元の出来がいいもんね、ハルさんは。優しくて思いやりがあって、いい人だよ。出来のいい娘をもって、ハルさんの父さんと母さんは幸せだね」


 僕は再び無意識にハルさんを褒めていた。自分で言ったことだけど、誰目線で語ってるんだよ、僕……(笑)。


「ねぇ、父さんと母さんはどんな仕事してるの?」

「……」


 僕の質問を前に、ハルさんが完全に黙り込む。なかなか答えずに、背中だけを向ける。どうしたんだろう。


「ハルさん?」

「ごめんね、まだ伊織君には話せないことがたくさんあるの。すごく気になると思うけど、いつか話す。約束するから」

「え? うん……」


 両親の話になった途端、ハルさんの笑顔がハイライトが消えて見えたような気がした。そして無理やり話を終わらせようとする。両親の話はなるべくしたくないのだろうか。

 僕は彼女のペースに合わせるために受け入れた。彼女は辛い記憶を思い出して流れた涙を拭うように、食器の水分を布巾で拭き取った。


 まだまだ彼女は多くの秘密を抱えている。その全てを知るには、もっと多くの時間と触れ合いが必要らしい。


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