第10話「ご招待」



 時は過ぎて放課後。六限目を終えた僕達は、速やかに帰りのホームルームを済ませ、下校の準備に取りかかった。

 今日も麻衣子は一緒に帰ろうと声をかけてくるだろう。まぁ、新しいクラスでなかなか友達を作れない僕からすれば、向こうから声をかけてくれるのは一応ありがたくは思っているけど。


「伊織君……」


 ほら来た。……って、あれ? 君付けしてる?ということは……。僕は声の聞こえる方へ振り向いた。


「ハルさん!」


 ハルさんだ。またもや彼女の方から声をかけてくれるとは。


「よかったらさ、今週の土日私の家に来ない?」

「ほんと? ぜひ行かせてよ」


 ハルさんの家に招待された。やった! ハルさんの家に入れてもらえるなんて。僕もあのログハウスの中がどうなってるのか、気になってたところなんだ。何だろう? 一緒に遊びたいのかな? それとも一緒に宿題をやりたいのかな? どちらにせよ楽しみだ。




 ……え?


「えぇぇぇぇぇ!?」

「な、何?」


 ちょっと待って。なんでいきなり家に招待してくれるのさ。冷静に考えてみればおかしい。本当にいきなりすぎる。あのハルさんの家に招待してもらえるの!?

 いや、一回プリント届けにハルさん家に行ったことはあるけどさ、あの時は中に入れてもらえなかったよ。


「いいの!? ハルさんの家に……」

「うん」


 それがなんで急に……。一体僕に何の用なんだろう。失くした詩なら、もう届けてもらったよね? やっぱり、ただ単純に一緒遊んだり宿題したいだけ?


「えぇぇ……」

「ダメだった?」

「え、いやぁ……その……」


 まずい、せっかく家に誘われたのに、返事を曖昧にするわけにはいかない。でも、本当にいきなりだったから、うまく言葉を発することができなくなる。


「伊織君?」

「ぜ、ぜひ行かせてくだひゃい!」


 あっ、噛んだ。ヤバい……恥ずかしい……。


「うん! ねぇ、一緒に帰ろ。歩きながら詳しい予定決めようよ」

「う、うん……///」


 僕らはそそくさと教室を出た。僕が噛んだことに気づいていながらも、ハルさんは優しくスルーした。情けないぞ、僕。


 そして僕らが一緒に下校したことを、クラスメイトのみんなはもちろん見逃さなかった。特に麻衣子と裕介君と出男君は。


「なぁ、伊織のやつ『イかせてください』って言ったよな」

「なんかあの子の家に誘われたみたいよ」

「何? ハルちゃんの家に上がり込むだと!? まさかセックs……」


 ドガッ

 麻衣子が裕介君の腹を殴った。彼は泡を吹き出して床に倒れる。


「女って怖ぇ……」


 出男君は麻衣子に恐れ入ったという。






「それじゃあ今週の土曜日、午前10時に駅前広場に集合ね」

「うん。またね、ハルさん」


 ハルさんはプチクラ山の入り口の階段を登っていった。僕は彼女の背に向けて手を振る。

 目的地は彼女の家なのに、わざわざ待ち合わせ場所を指定し、そこから一緒に行こうと彼女は言った。こちらが彼女の家に行った方が効率がいい。だけど、少しでも彼女と一緒にいられる時間がほしいが故に、僕は承諾してしまった。


 これじゃあ彼女が山を一往復しなきゃいけないことになるじゃないか。なんで「自分が行くから家で待ってて」って言わなかったんだ。本当に情けないぞ、僕。


 彼女はいつもこの山から学校に来てるんだ。登り下りが大変でないわけがない。わざわざ山の中に住んでいるのは謎だけど、彼女に手間をかけさせるわけにはいかないっていうのに。


「はぁ……」


 まぁいい。このことは当日ハルさんに謝るとしよう。もう考えるのはやめだ。僕は自分の家へと帰る。彼女の約束を支えに、この一週間を乗り切る。楽しみだなぁ……。




 この時の僕は知らなかった。まさか彼女にあんな秘密があるなんて。しかも、それを僕なんかに教えてくれるなんて。またこのパターンかと思ったそこの君、本当にハルさんと過ごしていると何が起こるかわからないんだ。


 この世界は、僕の知らない事柄で満ちている。それに気づくまで、あと5日。






 そして、5日後。僕は集合時間より30分早い午前9時30分に、駅前広場の中央にある噴水の前に来た。あれからこの日が楽しみで楽しみで、4時間以上眠れた日はなかった。

 周りを見渡すと、休日出勤するサラリーマンやOLの群衆、クレープのカートに並ぶ行列、手を組ながらデートをする若い男女カップル少数、賑やかな土曜日の日常図が広がっていた。


「うぅぅ……」


 穏やかな時間が流れる中、僕だけが落ち着けないでいる。これからハルさんとデート……じゃない! とにかく遊ぶんだ。分かっているけど、僕の心臓は無駄に浮かれ、鼓動をどんどん早めていく。頼むから大人しくしていてくれ。


 こういう時は音楽でも聴こう。僕はスマフォのミュージックアプリを開いた。イヤフォンを耳に入れ、お気に入りのプレイリストをタップして目を閉じる。

 真っ暗になったはずの視界が、イントロのギター音を耳にした途端、ロックバンドのライブ会場のような騒然とした場所へと変わる。テンションが一気に上がる。高鳴る心臓の鼓動を別の対象へと向けて、浮かれた気分を紛らわすのだ。


 今聴いている曲は、ドリームプロダクションの「栄光」。そう、お父さんとお母さんがYouTubeで活動していたミュージックチャンネル上のバンドだ。

 お母さんの透き通るような綺麗な声が、僕の鳥肌を早くも浮き上がらせる。バックのお父さんの勇ましい声も、絶妙にマッチしている。


 そして、励ますかのように届いてくる歌詞に、僕は心を奪われる。二人はまさに、現代の迷える少年少女に夢を与える希望の存在だ。

 お父さんとお母さんの出会いは、本当に奇跡だ。二人で一つとなって生きている。二人が出会った奇跡、すなわち僕の誕生。今は亡き二人の大きな夢を、僕は託されている。


「はぁ……」


 二人がお互い運命の相手に出会えたように、いつか僕もそんな人に出会えるのかな。だとしたら、その人はどこにいて、一体誰なのかな……。






「伊織君」

「わぁっ!」


 思わず大きな声を上げてしまった。ハルさんが急に隣に現れて、僕の肩に手を乗せてきた。多分僕が音楽に夢中になってて、気づかなかったんだろう。申し訳ない。


「ご、ごめん! 音楽聴いてた……」

「音楽? どんなやつ?」

「あ、後でゆっくり話すよ!」


 改めてハルさんの姿を見る。灰色のストライプ柄のワンピースに、水色のデニムのジャケット。ちょっとしたお出かけにぴったりの、軽やかな春物コーデだ。

 すごく似合ってる。僕がファッションコンテストの審査員とかだったら、彼女に最優秀賞を贈っただろう。


 だが、別に異性である僕を意識し、おしゃれをしてきたわけではないと思う……多分。


「そう」

「ごめんねハルさん、わざわざ山から下りてきてもらって。考えてみれば、僕がそのままハルさんの家に行けばよかったのに。山下りるの大変だったでしょ?」

「そんなことないよ。山の中で住んでるんだもん。登り下りには慣れてるし。それに、友達とこうやって待ち合わせとかするの、ずっと憧れてたから……」

「そうなんだ」


 優しい……ハルさん優し過ぎるよ。ありがとう。相手の申し訳なさをカバーするその返し方、僕も見習わなくては。


 それにしても、待ち合わせすることに憧れてたって……友達とお出かけとかしたことないのかな? もしかしてそういう友達がいなかったとか。

 前の学校で、ずっと一人ぼっちで寂しい生活を送ってきたのかな? それなら、普段からクラスメイトとの関わりを避けていた理由も……。


 ……いや、何考えてるんだ! 僕の馬鹿馬鹿馬鹿! ハルさんに失礼だろ!


「それじゃあ、行こうか」

「あっ、その前にどこかでお茶でもしない? まだ時間あるしさ」


 え? 何その誘い方、ズルくない? そんなナチュラルに誘われたら、断れなくなるじゃないか。しかも相手は異性ですよ? 完全に気があるって思わせちゃうパターンですよ?


「いいよ……」

「やった! この間いいお店見つけたんだ~」


 早くも見慣れてしまったハルさんの笑顔。だいぶ自分をさらけ出せるようになったなぁ。これも僕の詩を読んだ影響だと思うと、あれだけ後ろめたかった自分が誇らしく思える。


「行こ! 伊織君」

「うん……」


 僕は一足先に歩くハルさんの後を付いていく。え? 男なら手を繋いでリードしろって? そんな勇気、あるわけないでしょ。これはデートじゃないんだよ。


 ……端から見ればデートに見えるかもしれないけど。


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